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一章 雨梁学園の日常

 三(side:青木彩和)

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 やっと終わったぁ。私は帰りのホームルーム終了を合図に、ふにゃっと脱力して机に突っ伏した。あぁー、疲れた。机がひんやりして気持ちいいなぁ。
 ……春ちゃん、ホームルーム終わってるかなぁ。
 私は深く息を吐いた。よしっ、行こうっ。気合を入れて机に手を着くと、ぼんやりとした頭を覚ますべくスクッと立ち上がった。
 さーてと、つーちゃんは? まだ支度中ね。一応声掛けとこ。
「つーちゃん、翼とかと先行ってて。春ちゃん達捕まえて、すぐ追いつくから」
「承知」
「じゃあ後でね」
「彩和!」
「なに?」
 つーちゃんは私の机の方を指した。
「鞄置いていくのか?」
 私は「あっ」と言いそうになったのを咄嗟に呑み込むと、動揺を隠して切り返す。
「今、持ってこーと思ったんだよ」
 またもやドジ踏むとこだった。ドジっ子は人一倍忘れ物に気をつけなきゃいけないのに、他のこと考えてたり気分がいい時はどうしても注意力が散漫になっちゃうんだよね。
 その後は恒例の井戸端会議をやんわりと断って、つーちゃんを残したまま教室を出た。
 どのクラスもホームルームは終わってるらしい。帰宅の波が階段の方へと押し寄せている。こうなるとD組まで行くの大変なんだよね。
 と言うのも4階の構造を少し説明しなきゃわかんないんだけどね。この校舎は中庭側奥から順にA組、階段、トイレ、B~D組とあって、A組の向かいは何も無し、トイレの正面にホール、B~C組の前には大きなバルコニー、となってるの。だから、階段方向に行く人を避けて進むのは大変。
 全くなんでこんな校舎にしたんだろうね。私はボヤきながらも上流の方へと人を掻き分けていった。
 途中C組の前で悟くんと出くわした。サッカー部の友達と話してるみたいだったから邪魔しないようにつーちゃん達が先で待ってるよとだけ伝えておいた。
 悟くん、誰からも好かれるからなぁ。嫌われてるとか聞いたことないし。今のも聞いた感じからいってサッカー部員で遊ぼうって話っぽかったし。いつも私達優先でいいのかな。たまに心配になる。
 さて、ここで急ではありますが、やっと春ちゃんの後ろ姿を捕捉しましたっ。どうやら夏海ちゃんと千秋ちゃんと三人で談笑中の模様っ。
 私は唇に人差し指を添えて、こっちに気付いた夏海ちゃん、千秋ちゃんに黙っているように促すとサッと春ちゃんの目を覆う。
 すると春ちゃんは「きゃっ」と可愛らしい小さな悲鳴をあげて驚いて背筋を反らす。 
「だーれだ♪」
 私の声を聞くと春ちゃんは元の姿勢に戻って穏やかにふっと一呼吸置いた。
 目に被せた手から微笑んだのが伝わってきた。
「彩和です、ね?」
「だよね。やっぱばれちゃうよね」
「当たり前ですよ。なっちゃんとちぃちゃんを除いて彩和ちゃんだけですから。そんなことするのは」
「ったく。何二人でいちゃついてんだてめぇら。付き合って三日のカップルか。気持ちわりぃ、虫唾が走るわ」
 キツめに絡んできた千秋ちゃんに夏海ちゃんが大袈裟に身振り手振りを交えて同調する。
「ホンマやなぁ。千秋じゃなくても妬けるわー。うちらなんかクラスおんなじでいつも一緒や言うのに彩和ちんと春香の仲の良さには敵わへんわぁ」
「はっ? 夏海、てめぇ誰が誰に妬いてんだと。ふざけてんじゃねぇぞ。しばくぞ」
 夏海は千秋ちゃんが言い終わるとケラケラと笑い出す。
「ホンマに千秋の威嚇はかわいいわぁ。根は優しいんやけど無理矢理に不良装ってんのがごっつ伝わってくんで。殺すとかは言わへんもんなぁ。可笑しすぎて泣けてくるわ」
「はっ? て、てめぇ絶対ぜってぇ・・・こ、殺すわ。夏、て、てめぇの方こそよ、その関西弁はキャラ作りじゃねぇのか。あぁ?」
 傍から見たらよく揉めてる二人だけど本当はすごく仲がいいんだよね。中学入っても相変わらず。
「ふふふ。彼女らはいつも仲がよろしいですね。羨ましいです」
 春ちゃんは目を細めた。
「ねっ。このままほっといたら帰れないね」
 私は春ちゃんに聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いた。
 D組を覗くと時計は一二時半を少し回っていた。私は周りの声に消されないように声を掛けた。
「ほらっ。みんな帰るよ。今日、駅前二時になったからね。遅れちゃうよ。帰りもつーちゃん達に皆で帰ろって言っちゃったしね」
「えーっ。そやったらはよぅ言うといてくれれば、千秋と漫才せんでも良かったのになぁ。そや、今からでも走った方がええんちゃう? うちら全員でよーいドンで競走や」
「はぁ? 走んのとかだりぃ。こっちはてめぇみてぇな脳筋じゃねぇんだよ」
 再び始まった漫才をしりめにB組の教室を覗くとつーちゃんの姿はもうなかった。
 暫く周りの音に耳を傾けて、どうでもいい物思いに耽っていると階段に差し掛かった辺りで春ちゃんと目が合う。
「どこにも溜まってなかったということは、中庭で待ってるんですね、きっと。のんびり行きましょう」
 そうだね。そう言おうと私がコクリと頷いた時、突然強い視線を感じて鳥肌が立った。と同時に直ぐ振り返った。場所は丁度4階と3階の間、踊り場だった。
 誰も見てないか。帰ろうとしている生徒と鏡があるばかりで、特別誰かが見ていたようにも見えない。
「彩和? どうしたのですか?」
 急な問いかけに誤魔化す必要も無いし、怖くならないように明るめに話した。
「いや、なんか鏡の方から見られてた気がしたんだけど、気のせいだったみたい」
 それを聞くとせっかく落ち着きを取り戻していた夏海ちゃんが嬉しそうに低ーい声で語り始める。
「それはやなぁー……。幽霊やでー……。聞いたことあるやろー……。最近なー、夜遅ーなってから忘れ物取りに来とった一年生が見たんや……」
 千秋ちゃんはつまらなそうにする中、春ちゃんと私はごくりと生唾を飲む。私の背中には冷たい汗が伝う。
「そ、それで、な、なにを見たんです?」
 なかなか続きを口にしない夏海ちゃんに春ちゃんが痺れを切らす。私と春ちゃんの心臓の音が周りの音をかき消すくらいに大きくなっていく。
「それはなぁ、……わぁっっっっっ」
 急な夏海ちゃんの大声にびっくりした私は足を踏み外す。
いったーぃ」
 幸い残りの段数は少なくてあまり落ちなかったけど、右足がじんじんするよ~。
「ごめんな、彩和。大丈夫やった?」
 慌てて夏海ちゃんが私に手を差し伸べる。
 気を遣わせないように何事も無かったようにすっと立ち上がった。
「えへへ、これぐらい全然何ともないよ。ドジだからよく踏み外すし、階段。でも急に大声出すんだもん。びっくりしちゃったよ」
「せやろっ。春香もえらいビビってたみたいやしなぁー」
 ニカッといたずらっぽく笑った夏海ちゃんに春ちゃんがすかさず注意する。
「階段で脅かすなんて危ないですよ。なっちゃんは少し場所を考えて行動した方がいいですよ」
「はーぃ。わっ、……ぅぅう。助け……で」
 今度は千秋ちゃんが後ろからヘッドロックしてる。(夏美ちゃんすごく苦しそうなんだけど……。)
「安心しな。こいつ私が後で締め上げとくわ」
「ありがとう」
 今のはお礼を言ってよかったのかな。それに後でじゃなくてもうすでにやってない? しかも締め上げると言うより絞めあげてる気がするけど。
「ちぃちゃん、やり過ぎですよ。もう三○秒経ちました」
「あぁ。忘れてた。ほらよ」
 開放された夏海ちゃんは倒れ込みように春ちゃんの肩に左手を回した。千秋ちゃんは怒らせちゃだめだよね。
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