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第2章:シエルの捜索
2-3.レオポルトの馬
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家族や仲間の住む村を離れ、領内の外れに点在している数件の人家をも抜けてしまうと、しばらく何もない野原が延々と続く。
シエルは手綱を操りながら、前方に広がる広大な地平線を見据えた。
空には雲ひとつなく、澄明な青い空が広がっている。
素晴らしい陽気だ。
シエルを乗せた馬の調子もすこぶる良い。
このまま行けば、昼前には目的の場所へと着くだろう。
だがシエルの心の裡では、先を急ぐ気持ちと同時に、「いつまでも着かなければいいのに」という相反する気持ちがせめぎあっていた。
臆病風に吹かれてどうしようもない時、シエルはサーシャの期待に満ちた瞳を思い出すことにした。
彼女をこれ以上悲しませたくない、失望させたくない……。
シエルはただその一心で、必死に馬を駆けさせた。
やがて野原が途切れ、前方に森の入り口が現れた。鬱蒼と生い茂った木々が口を開けた得体の知れぬ魔物のように立ちはだかっている。
「……っ」
シエルは息を呑んだ。
――これ以上、進んではならない。
そう強く感じた。
本能が警告を発している。
先に動いたのは、馬だった。
シエルの愛馬が何か強い力で引っ張られるように森の中へと突進していく。
「おいっ! 待て、待て……っ!」
いつもならシエルの言うことをよく訊く大人しい気性の馬なのに……。
黒馬はシエルの制止を振り切って、全速力で森の奥へと駆けていく。
シエルは振り落とされないようにしがみつくのがやっとの有り様で、もはや馬を制御することなど不可能だった。
森の中で乱雑に伸びた枝が、彼の全身に細かな傷を刻んでいく。
「おいっ、急にどうした!? ……止まれ! 止まってくれ……っ!」
シエルの願いも届かず、馬の暴走はしばらく続いた。それはほんの数分の出来事のはずだったが、シエルにはずいぶんと長く感じられた。手綱を握りしめるシエルの手が限界を迎えかけた、その時――
唐突に馬が脚を止めた。
「ぐはっ……!?」
急な停止に反応できなかったシエルが空中を一回転して地面に振り落とされた。
「痛っ……!」
全身を強く打ちつけて、シエルの口から悲鳴が漏れる。
骨は折っていないようだが、身体の節々が音を立てて軋む。痛む腰をさすりながらシエルがなんとか立ち上がろうとすると、突然、彼の上に濃い影が差した。彼が恐る恐る顔を上げると、彼を覗き込む二対の瞳と目があった。
一対は自分の黒馬のもの。そしてもう一対はどこから現れたのか、見覚えのない灰色の馬のものであった。
「なんだ、この馬は……? どこから、出てきたんだ……あっ!」
突然現れたその馬は鞍を着けていた。
その鞍の意匠には見覚えがある。
月と梟をモチーフにした独特のデザインが特徴的なその鞍はシエル達が仕える領主が使用しているものに他ならない。従って、この鞍を使っているのはシエルの仲間達だけということになる。
「すると、お前は……レオポルトの馬か!?」
確かレオポルトの愛馬は綺麗な白馬だったはずだ。あいつがいつも大事に世話していた姿が胸に浮かぶ。
「偉いぞ。主人と離れ離れになっても、ちゃんと生き延びていたんだな。大変だったろう? こんなに汚れちまって」
シエルは馬の鼻面を撫でた。
馬は大人しくされるがままになっている。輝くばかりに真っ白だった毛波は土やら埃やらが付着して、元の色がわからなくなるくらい汚れがこびりついていた。
「なんだ、怪我もしてるのか?」
シエルの馬に合わせて歩き出した白馬の動きがぎこちない。
どうやら右の前脚を折っているようだ。
シエルは添え木になりそうな枝を折ると、白馬の前脚に当てて固定した。
「すまない。こんな応急処置しかできなくて。もう少し辛抱してくれ。ちゃんと村まで連れて帰ってやるからな」
シエルは申し訳なさそうに謝ると、馬が鳴いた。
「それにしても、お前の主人は何処へ行ったんだろうな?」
無論、馬が喋りだすわけはないが、白馬はシエルの質問を理解したかのように、哀しげな目をして頸を振った。
シエルは手綱を操りながら、前方に広がる広大な地平線を見据えた。
空には雲ひとつなく、澄明な青い空が広がっている。
素晴らしい陽気だ。
シエルを乗せた馬の調子もすこぶる良い。
このまま行けば、昼前には目的の場所へと着くだろう。
だがシエルの心の裡では、先を急ぐ気持ちと同時に、「いつまでも着かなければいいのに」という相反する気持ちがせめぎあっていた。
臆病風に吹かれてどうしようもない時、シエルはサーシャの期待に満ちた瞳を思い出すことにした。
彼女をこれ以上悲しませたくない、失望させたくない……。
シエルはただその一心で、必死に馬を駆けさせた。
やがて野原が途切れ、前方に森の入り口が現れた。鬱蒼と生い茂った木々が口を開けた得体の知れぬ魔物のように立ちはだかっている。
「……っ」
シエルは息を呑んだ。
――これ以上、進んではならない。
そう強く感じた。
本能が警告を発している。
先に動いたのは、馬だった。
シエルの愛馬が何か強い力で引っ張られるように森の中へと突進していく。
「おいっ! 待て、待て……っ!」
いつもならシエルの言うことをよく訊く大人しい気性の馬なのに……。
黒馬はシエルの制止を振り切って、全速力で森の奥へと駆けていく。
シエルは振り落とされないようにしがみつくのがやっとの有り様で、もはや馬を制御することなど不可能だった。
森の中で乱雑に伸びた枝が、彼の全身に細かな傷を刻んでいく。
「おいっ、急にどうした!? ……止まれ! 止まってくれ……っ!」
シエルの願いも届かず、馬の暴走はしばらく続いた。それはほんの数分の出来事のはずだったが、シエルにはずいぶんと長く感じられた。手綱を握りしめるシエルの手が限界を迎えかけた、その時――
唐突に馬が脚を止めた。
「ぐはっ……!?」
急な停止に反応できなかったシエルが空中を一回転して地面に振り落とされた。
「痛っ……!」
全身を強く打ちつけて、シエルの口から悲鳴が漏れる。
骨は折っていないようだが、身体の節々が音を立てて軋む。痛む腰をさすりながらシエルがなんとか立ち上がろうとすると、突然、彼の上に濃い影が差した。彼が恐る恐る顔を上げると、彼を覗き込む二対の瞳と目があった。
一対は自分の黒馬のもの。そしてもう一対はどこから現れたのか、見覚えのない灰色の馬のものであった。
「なんだ、この馬は……? どこから、出てきたんだ……あっ!」
突然現れたその馬は鞍を着けていた。
その鞍の意匠には見覚えがある。
月と梟をモチーフにした独特のデザインが特徴的なその鞍はシエル達が仕える領主が使用しているものに他ならない。従って、この鞍を使っているのはシエルの仲間達だけということになる。
「すると、お前は……レオポルトの馬か!?」
確かレオポルトの愛馬は綺麗な白馬だったはずだ。あいつがいつも大事に世話していた姿が胸に浮かぶ。
「偉いぞ。主人と離れ離れになっても、ちゃんと生き延びていたんだな。大変だったろう? こんなに汚れちまって」
シエルは馬の鼻面を撫でた。
馬は大人しくされるがままになっている。輝くばかりに真っ白だった毛波は土やら埃やらが付着して、元の色がわからなくなるくらい汚れがこびりついていた。
「なんだ、怪我もしてるのか?」
シエルの馬に合わせて歩き出した白馬の動きがぎこちない。
どうやら右の前脚を折っているようだ。
シエルは添え木になりそうな枝を折ると、白馬の前脚に当てて固定した。
「すまない。こんな応急処置しかできなくて。もう少し辛抱してくれ。ちゃんと村まで連れて帰ってやるからな」
シエルは申し訳なさそうに謝ると、馬が鳴いた。
「それにしても、お前の主人は何処へ行ったんだろうな?」
無論、馬が喋りだすわけはないが、白馬はシエルの質問を理解したかのように、哀しげな目をして頸を振った。
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