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第2章:シエルの捜索
2-4.まだ希望はある
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はぐれてしまったらしいが、レオポルトの馬が生きていたことで、シエルは目の前が明るくなった気がした。
思えば、最初から諦めていた捜索だった。
村の人間だけじゃない。
当のシエルとて、レオポルトはすでに死んだものと決めてかかっていたのだから……。
それでも危険を覚悟でこの森にやって来たのはひとえにサーシャのためだった。
彼女にレオポルトの死を受け入れさせ、心の整理を付けさせるためであったのだ。
しかし――
「レオポルトも……生きているんじゃないか?」
あの馬と同じように怪我をして動けなくなっているだけなのかもしれない。だから帰ってきたくても出来ないでいるんだ。
シエルは努めてそう考えるようにした。
レオポルトだって数日分の保存食は持っていたはずだし、森には他にも食べられる草や実もあるだろう。
――大丈夫。まだ希望はある。
「お前たちはここで待っていてくれ。私はもう少し奥の方まで行ってみる」
シエルは自分の二頭の馬を木に繋ぐと、痛む身体を庇いながら、ゆっくり歩き出した。
人の手が全く入っていない森の木々は縦横無尽に枝を伸ばしており、普通なら差し込むはずの日光がほとんど遮られている。
まだ夜ではないだろうが、薄暗い未開の道を行くのは、いくら勇敢な騎士であっても骨の折れる作業には違いない。シエルは折れそうになる心を叱咤しながら足を進めた。
「うわ……っ!」
何かに足を取られたシエルが転んだ。咄嗟に手を出して顔面から地面に突っ込んでしまうことは避けられたが、手をついた拍子に左の手首を痛めてしまった。
「痛っ……」
シエルは右手で反対の手首を押さえた。
幸い折れてはいないようだが、体内で出血しているのか、皮膚が赤黒くしている。
「何だったんだ……?」
シエルが足元を確認すると、そこには――
「ぅわあ……っ!」
シエルは思わず大声を上げた。
視線の先には……勇敢な騎士が悲鳴を上げてしまうほど……巨大なヘビがいた。
太さはシエルの太腿と同じくらいありそうだ。硬そうな鱗に覆われた表皮の色は暗い緑色で、完全に森の植物と同化している。これでは例えすぐ目の前にいたとしても気づけないだろう。
ヘビはまるでシエルを威嚇するかのようにじっと見据えていた。金色の瞳がシエルを射抜く。
先端が二つに分かれた気味の悪い舌がチロチロと揺れている――。
シエルは短剣を抜いてヘビに近づいたが……相手に動く気配がないので、何もせず、その場から逃げることにした。
ヘビと睨み合ったまま、ゆっくりと後ろへ下がる。
ヘビはその後もしばらくシエルを見ていたが、やはり追いかけてくる気はないようだった。ある程度ヘビとの距離が離れてしまうと、シエルは前方へと振り返って足を速めた。
ヘビの視線から、シエルは自分が招かれざる客であることを改めて思い知った。
「寒いな……」
正確な時間はわからないが、そろそろ日暮れという頃合いになって、急速に気温が下がってきた。夏は過ぎたとはいえ、冬にはまだ間があるというのに……。
「森の夜とは、こんなにも冷え込むものなのか?」
シエルは念のため持参していた毛織の外套を羽織った。
「レオポルト! 聞こえたら、返事をしてくれー! レオポルトー!!」
シエルは声を張り上げた。
昼間から間断なく叫んでいたせいで、声が掠れてきている。息を吸うと、冷たい空気が喉の粘膜に刺さって痛いくらいだ。
「ゴホッ、ゴホッ……ゲッ、ホ。……あぁ、寒いな」
外套を着込んでも一向に寒さを凌げない。
シエルは火を焚こうと、そこら辺の枝や枯れ葉を拾い始めた。疲労と寒さ、そして馬から落ちたときの打撲のせいで、普段なら大したことのない作業もひどく億劫だった。
そうこうしている間に気温はどんどん下がっていき、シエルの体温も奪われていく。
――パチ、パチ……。
「……何の音だ?」
森の奥から微かに音がした。
さらに――
「……ん? この臭いは……」
シエルが鼻をひくつかせると、音のした方から、何かの焦げる臭いが風に乗って漂ってくる。
「これは……肉か?」
ということは、さっきの音は薪の爆ぜる音だろうか。
臭いの正体が動物の肉を焼く時のものだと気づくと、シエルは急激に空腹を覚えた。一度、腹が空いていることを自覚してしまうと、食事のことが頭から離れなくなった。
肉の臭いに誘われて、シエルはフラフラと歩き出す。
――チャポン。
「……ん?」
――チャポン、チャポ、ン……。
「今度は……水の音か?」
火の音に混ざって、水の音まで聞こえてくるなんて……!
シエルは確信した。
間違いない、この先に人間がいる。
そしてそれは――
レオポルトかもしれない!
走り出したい気持ちを抑えて、シエルは一歩一歩、足を踏み出した。
期待に胸がふくらむ。
疲労も寒さも全身の痛みも忘れてしまうくらい、昂揚していた。
やがて木立が途切れ、開けた場所へと出た。
そこには月の光を反射して銀色に輝く大きな泉があった。
泉の向こうに火が見える。
赤々と燃え上がった焚火には何かの肉が焼べられているようで、ジュウジュウと焦げた脂の旨そうな臭いが、対岸のシエルの鼻にもよく届いた。
シエルは泉の縁を回り込んで、その焚火の傍へと近づいていった。
逸る気持ちを抑えて――。
思えば、最初から諦めていた捜索だった。
村の人間だけじゃない。
当のシエルとて、レオポルトはすでに死んだものと決めてかかっていたのだから……。
それでも危険を覚悟でこの森にやって来たのはひとえにサーシャのためだった。
彼女にレオポルトの死を受け入れさせ、心の整理を付けさせるためであったのだ。
しかし――
「レオポルトも……生きているんじゃないか?」
あの馬と同じように怪我をして動けなくなっているだけなのかもしれない。だから帰ってきたくても出来ないでいるんだ。
シエルは努めてそう考えるようにした。
レオポルトだって数日分の保存食は持っていたはずだし、森には他にも食べられる草や実もあるだろう。
――大丈夫。まだ希望はある。
「お前たちはここで待っていてくれ。私はもう少し奥の方まで行ってみる」
シエルは自分の二頭の馬を木に繋ぐと、痛む身体を庇いながら、ゆっくり歩き出した。
人の手が全く入っていない森の木々は縦横無尽に枝を伸ばしており、普通なら差し込むはずの日光がほとんど遮られている。
まだ夜ではないだろうが、薄暗い未開の道を行くのは、いくら勇敢な騎士であっても骨の折れる作業には違いない。シエルは折れそうになる心を叱咤しながら足を進めた。
「うわ……っ!」
何かに足を取られたシエルが転んだ。咄嗟に手を出して顔面から地面に突っ込んでしまうことは避けられたが、手をついた拍子に左の手首を痛めてしまった。
「痛っ……」
シエルは右手で反対の手首を押さえた。
幸い折れてはいないようだが、体内で出血しているのか、皮膚が赤黒くしている。
「何だったんだ……?」
シエルが足元を確認すると、そこには――
「ぅわあ……っ!」
シエルは思わず大声を上げた。
視線の先には……勇敢な騎士が悲鳴を上げてしまうほど……巨大なヘビがいた。
太さはシエルの太腿と同じくらいありそうだ。硬そうな鱗に覆われた表皮の色は暗い緑色で、完全に森の植物と同化している。これでは例えすぐ目の前にいたとしても気づけないだろう。
ヘビはまるでシエルを威嚇するかのようにじっと見据えていた。金色の瞳がシエルを射抜く。
先端が二つに分かれた気味の悪い舌がチロチロと揺れている――。
シエルは短剣を抜いてヘビに近づいたが……相手に動く気配がないので、何もせず、その場から逃げることにした。
ヘビと睨み合ったまま、ゆっくりと後ろへ下がる。
ヘビはその後もしばらくシエルを見ていたが、やはり追いかけてくる気はないようだった。ある程度ヘビとの距離が離れてしまうと、シエルは前方へと振り返って足を速めた。
ヘビの視線から、シエルは自分が招かれざる客であることを改めて思い知った。
「寒いな……」
正確な時間はわからないが、そろそろ日暮れという頃合いになって、急速に気温が下がってきた。夏は過ぎたとはいえ、冬にはまだ間があるというのに……。
「森の夜とは、こんなにも冷え込むものなのか?」
シエルは念のため持参していた毛織の外套を羽織った。
「レオポルト! 聞こえたら、返事をしてくれー! レオポルトー!!」
シエルは声を張り上げた。
昼間から間断なく叫んでいたせいで、声が掠れてきている。息を吸うと、冷たい空気が喉の粘膜に刺さって痛いくらいだ。
「ゴホッ、ゴホッ……ゲッ、ホ。……あぁ、寒いな」
外套を着込んでも一向に寒さを凌げない。
シエルは火を焚こうと、そこら辺の枝や枯れ葉を拾い始めた。疲労と寒さ、そして馬から落ちたときの打撲のせいで、普段なら大したことのない作業もひどく億劫だった。
そうこうしている間に気温はどんどん下がっていき、シエルの体温も奪われていく。
――パチ、パチ……。
「……何の音だ?」
森の奥から微かに音がした。
さらに――
「……ん? この臭いは……」
シエルが鼻をひくつかせると、音のした方から、何かの焦げる臭いが風に乗って漂ってくる。
「これは……肉か?」
ということは、さっきの音は薪の爆ぜる音だろうか。
臭いの正体が動物の肉を焼く時のものだと気づくと、シエルは急激に空腹を覚えた。一度、腹が空いていることを自覚してしまうと、食事のことが頭から離れなくなった。
肉の臭いに誘われて、シエルはフラフラと歩き出す。
――チャポン。
「……ん?」
――チャポン、チャポ、ン……。
「今度は……水の音か?」
火の音に混ざって、水の音まで聞こえてくるなんて……!
シエルは確信した。
間違いない、この先に人間がいる。
そしてそれは――
レオポルトかもしれない!
走り出したい気持ちを抑えて、シエルは一歩一歩、足を踏み出した。
期待に胸がふくらむ。
疲労も寒さも全身の痛みも忘れてしまうくらい、昂揚していた。
やがて木立が途切れ、開けた場所へと出た。
そこには月の光を反射して銀色に輝く大きな泉があった。
泉の向こうに火が見える。
赤々と燃え上がった焚火には何かの肉が焼べられているようで、ジュウジュウと焦げた脂の旨そうな臭いが、対岸のシエルの鼻にもよく届いた。
シエルは泉の縁を回り込んで、その焚火の傍へと近づいていった。
逸る気持ちを抑えて――。
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