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第2章:シエルの捜索
2-5.森の女
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焚火に近づいたシエルは慎重に声をかけた。
「……レオポルト?」
返事はない。
「レオポルト、いるのか?」
シエルは先ほどより少し声を大きくして呼びかけてみたが、やはり返事はなかった。
さらに近づいて火の奥を覗きこんでみたが――焚火の傍には残念ながら誰もいなかった。
シエルの思ったとおり何かの肉が焼かれているが、火の番をする者さえいないようだ。
「こんな森の中で誰がこの火を……。レオポルトではないのか?」
シエルは付近に目を配りながら、焚火の周りをぐるりと一周した。
「あたたかい」
森の空気は冷たい。
シエルはもう寒くて寒くて仕方なかった。
少し休もう、と焚火の前に座り込む。手を火に掲げて暖を取ると、凍えた指先が温められて、徐々に血の気が戻ってくるのを感じた。
――神の恵みだろうか?
シエルは思った。
凍えたシエルの身体を温めてくれるこの火は、まさに天の救けである。シエルがこの場所に辿り着いたのも、きっと神様の思し召しに違いない。
身体が温まると、今度は腹が空いてきた。いや、腹はずっと空いていたのだが、さっきから腹がグゥグゥと音を立てて一向に鳴り止まないのだ。
シエルは眼前の火に焼べられた肉を見つめた。ジュウジュウと脂を滴らせて、こんがりと焼ける肉。浅ましいとは思いつつも、涎が溢れてくるのを止めることができない。
シエルの手が思わず肉に向かって伸びた。
「バカな。これは他人の獲物だぞ」
彼の理性が訴えかけてくる。
「でも誰もいないじゃないか。そもそも、こんな森の奥に住んでる人間なんているわけがない。もし、レオポルトのものだったとしたら、後で謝ればいいじゃないか。アイツを捜すために危険を承知でやって来たんだ、これぐらいの分け前を貰ったってバチは当たらないさ」
シエルはひとり葛藤した。
頭の中で理性と本能がせめぎ合う。
しかし……空腹には勝てなかった。
「すまん!」
誰にともなく手を合わせてから、シエルが肉を手に取ろうと腰を浮かせるとーー
「……誰?」
背後からふいに降ってきた声に、シエルの肩が跳ね上がる。
「熱っ……!」
驚いた拍子に指先が火に触れてしまい、つい大声を上げてしまう。慌てて手を引っめると、勢いがつきすぎて尻餅をついてしまった。
「あらあら、大丈夫ですか?」
大人の女の声だった。
少し鼻にかかった艶のある低めの声。
サーシャの鈴を鳴らすような清楚な声とは違うが、女の低い声はシエルの耳に心地よく入り込んできた。
シエルが振り返ると、そこには声から想像した通りの成熟した女が立っていた。
森の中で知らない男と遭遇したというのに、女はまったく驚いた様子もなく落ち着き払っていた。口元にはかすかな微笑すら浮かんでいる。焚火の光に照らされて、女の瞳が紫色にきらめくのをシエルは見逃さなかった。
美しい。
今まで女の美醜などほとんど気にしたことのなかったシエルだが、女の神秘的な美しさには、しばし見惚れた。
ところが。
シエルと目が合った瞬間、女は顔色をなくし、なぜかひどく驚いたような表情を浮かべて、持っていた鍋を落とした。草の上を転がっていった鍋は、勢い余って泉の中へと落ちてしまった。
ボチャ、ン……!
「あっ……すまない! これは貴女の火か?」
鍋の落ちた水音で我に返ったシエルは慌てて頭を下げた。自分が盗人と勘違いされているのではないかと思ったのだ。
たしかに、この肉を食ってしまおうとは思っていたが……思っただけで、ギリギリ行動に移してはいなかったのは幸いであった。
女はシエルの顔を見つめたまま、しばらく固まっていたが、
「……ア、……ル」
口の中で何ごとか囁いたかと思うと、シエルの正面へと走り寄ってきた。
頭ひとつ分ほど、シエルより背の低い女が、上目づかいに彼を見上げた。
アメジストの瞳が濡れている。
妖しく潤んだ紫色の瞳に見つめられて、シエルはたじろいだ。
「……レオポルト?」
返事はない。
「レオポルト、いるのか?」
シエルは先ほどより少し声を大きくして呼びかけてみたが、やはり返事はなかった。
さらに近づいて火の奥を覗きこんでみたが――焚火の傍には残念ながら誰もいなかった。
シエルの思ったとおり何かの肉が焼かれているが、火の番をする者さえいないようだ。
「こんな森の中で誰がこの火を……。レオポルトではないのか?」
シエルは付近に目を配りながら、焚火の周りをぐるりと一周した。
「あたたかい」
森の空気は冷たい。
シエルはもう寒くて寒くて仕方なかった。
少し休もう、と焚火の前に座り込む。手を火に掲げて暖を取ると、凍えた指先が温められて、徐々に血の気が戻ってくるのを感じた。
――神の恵みだろうか?
シエルは思った。
凍えたシエルの身体を温めてくれるこの火は、まさに天の救けである。シエルがこの場所に辿り着いたのも、きっと神様の思し召しに違いない。
身体が温まると、今度は腹が空いてきた。いや、腹はずっと空いていたのだが、さっきから腹がグゥグゥと音を立てて一向に鳴り止まないのだ。
シエルは眼前の火に焼べられた肉を見つめた。ジュウジュウと脂を滴らせて、こんがりと焼ける肉。浅ましいとは思いつつも、涎が溢れてくるのを止めることができない。
シエルの手が思わず肉に向かって伸びた。
「バカな。これは他人の獲物だぞ」
彼の理性が訴えかけてくる。
「でも誰もいないじゃないか。そもそも、こんな森の奥に住んでる人間なんているわけがない。もし、レオポルトのものだったとしたら、後で謝ればいいじゃないか。アイツを捜すために危険を承知でやって来たんだ、これぐらいの分け前を貰ったってバチは当たらないさ」
シエルはひとり葛藤した。
頭の中で理性と本能がせめぎ合う。
しかし……空腹には勝てなかった。
「すまん!」
誰にともなく手を合わせてから、シエルが肉を手に取ろうと腰を浮かせるとーー
「……誰?」
背後からふいに降ってきた声に、シエルの肩が跳ね上がる。
「熱っ……!」
驚いた拍子に指先が火に触れてしまい、つい大声を上げてしまう。慌てて手を引っめると、勢いがつきすぎて尻餅をついてしまった。
「あらあら、大丈夫ですか?」
大人の女の声だった。
少し鼻にかかった艶のある低めの声。
サーシャの鈴を鳴らすような清楚な声とは違うが、女の低い声はシエルの耳に心地よく入り込んできた。
シエルが振り返ると、そこには声から想像した通りの成熟した女が立っていた。
森の中で知らない男と遭遇したというのに、女はまったく驚いた様子もなく落ち着き払っていた。口元にはかすかな微笑すら浮かんでいる。焚火の光に照らされて、女の瞳が紫色にきらめくのをシエルは見逃さなかった。
美しい。
今まで女の美醜などほとんど気にしたことのなかったシエルだが、女の神秘的な美しさには、しばし見惚れた。
ところが。
シエルと目が合った瞬間、女は顔色をなくし、なぜかひどく驚いたような表情を浮かべて、持っていた鍋を落とした。草の上を転がっていった鍋は、勢い余って泉の中へと落ちてしまった。
ボチャ、ン……!
「あっ……すまない! これは貴女の火か?」
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たしかに、この肉を食ってしまおうとは思っていたが……思っただけで、ギリギリ行動に移してはいなかったのは幸いであった。
女はシエルの顔を見つめたまま、しばらく固まっていたが、
「……ア、……ル」
口の中で何ごとか囁いたかと思うと、シエルの正面へと走り寄ってきた。
頭ひとつ分ほど、シエルより背の低い女が、上目づかいに彼を見上げた。
アメジストの瞳が濡れている。
妖しく潤んだ紫色の瞳に見つめられて、シエルはたじろいだ。
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