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第3章:女の正体
3-1.銀髪の娘
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「前回の嫁入りから、もうニ十年ですか。時が経つのは早いですね」
隣を歩く黒服の男が感慨深げに言った。
男は修道士だった。後頭部にだけ、わずかに薄い毛の残る禿頭が西日を反射している。
「はぁ、そうですか」
アデルは眩しさに目を細めながら応えた。
彼はまだ十六歳で、むしろ時が経つのは遅いと思っていた。
修道士は少年の気のない返事に苦笑いすると、以後は雑談を控え、黙々とアデルを目的の場所まで案内することに専念した。
修道院の裏手には山があった。それほど高くはない。そしてその麓にはこの修道院が所有する幾つかの畑が広がっている。もう日暮れだというのに、畑では数十人の子供たちが農作業に精を出していた。
「あの娘です」
数ある畑のうち、奥の方にある一つを指差して、修道士が言った。
アデルが目を向けると、目当ての人物らしき少女が畑の真ん中に立っている。
その娘は十四歳になったばかりのはずだが、すでに大人の女性と変わらないほどの上背があった。顔立ちまではよく見えないが、腰まで伸びる豊かな銀色の髪は遠目でも確認できた。沈みゆく太陽の光を受けて銀の粒を撒いたように輝いている。
「行きましょう」
修道士に促されて、アデルはその娘の元へと向かう。
彼の足取りは重かった。
まったく嫌な役目を押しつけられたもんだ、と心の中でごちる。
アデルは騎士だ。だが、まだ一人前ではない。「見習い」である。故に面倒な仕事を任されることも多いが、断ることなどできなかった。
アデルと禿頭の修道士が辿り着くより先に、独りきりで草を刈る銀髪の娘の元に、彼女と同じ年頃の少女三人が近づいていくのが見えた。
彼女たちは何か話していたみたいだが、やがて銀髪の娘を連れて、山の方へと歩き出した。
「あっ!」
アデルと修道士が顔を見合わせる。
「追いかけましょう」
修道士が慌てて少女たちの跡を追う。
アデルはやれやれ、と思いながら、早足で彼についていく。
山の入り口まで来たところで、
「――――なによ、その目は!」
「…………」
「はぁ!? 調子に乗ってんじゃないわよ!」
少女たちの荒々しい声が耳に入る。
どう見積もっても、穏やかなやり取りではなさそうだ。
「喧嘩でしょうか?」
隣の修道士にアデルが声を潜めて尋ねると、
「まぁ、よくあることです」
修道士は頭を掻いて苦笑いしてみせる。
「止めたほうがいいですか?」
「やめましょう。我々が立ち入ると、ますます話がこじれます。こういう場合は、ことが終わるまで見守ったほうが良いです」
「そうですか……。しかし、あの娘に怪我でもされると困るんですが」
「そこまではしないと思いますが。もし手が出そうになったら、止めに入りますましょうかね」
完全に他人事である。
地元の名士と名高い敬虔な修道士といえど、素顔はこんなものか、とアデルは呆れた。
「……痛いっ!」
小さな悲鳴が聞こえた。
アデルがハッとして少女たちに目を戻すと、銀髪の娘がその長い髪を引っ張られている。
彼女は三人の少女に取り囲まれていた。
全員がこの修道院で育てられている孤児なのだろう。皆、一様に痩せている。その中でもひょろりと飛び抜けて背の高い赤毛の少女がリーダーのようだ。
少女たちは同じくらいの年頃と思われたが、やはり銀髪の娘の大人びた美貌は他の三人と比べても目を引いた。
「きゃあっ! 何すんのよ!」
耳をつんざくような甲高い悲鳴が響いた。
今度の悲鳴は赤毛の方だ。
半泣きになりながら、腕をさすっている。
なんと銀髪の娘に思いきり噛みつかれたようである。
「信じられない! 血が出るまで噛むなんて……!」
赤毛の少女が金切り声で喚いている。他の二人も赤毛と一緒になって、銀髪の娘を責め立てている。
三人の少女に囲まれた銀髪の娘はしばらく黙って下を向いていた。
「ちょっと! 何とか言いなさいよ!」
何の反応も見せない銀髪の娘に業を煮やしたのか、赤毛の少女が声を荒げながら、銀髪の娘を突き飛ばした。
後方に飛ばされて尻餅をついた娘は無言でその場に座り込んでいたが、おもむろに右手を口元に持っていくとーー
ピュー……という澄んだ音が夕暮れの山間に響いた。
「何なの、あんた……いきなり」
銀髪の娘の不審な行動に少女たちが眉をひそめる。
彼女らの様子を陰から伺っていたアデルも娘の唐突な行動を訝しんでいると、
「……キャッ! ヤダ、なに……?!」
突然、赤毛の少女が悲鳴を上げて飛び跳ねた。
「やだやだやだ、気持ち悪い……!」
少女は泣きそうな声で喚くと、逃げるように走り出した。
残された仲間の二人は訳がわからないといった風に顔を見合わせている。
赤毛の少女の脚に白い棒状のモノが巻きついていた。少女は何とか振り落とそうとバタバタと足掻いているが、その白いモノは一向に剥がれない。
アデルが目を凝らしてみると、その白い何かは、太めのヘビであるらしかった。
「痛いっ……!」
赤毛の少女が大声を上げてその場に蹲った。
「噛まれた……痛いよぉ、痛い!」
脚から血を流して泣き叫ぶ少女の周りで、他の二人はどうしていいかわからないといった体でオロオロと互いの様子を伺っている。
どうやら、もはや銀髪の娘をいじめるどころではないらしい。
アデルは騒々しい三人の少女から目を離して、銀髪の娘に目を向けた。
娘は少し離れたところで俯いていたが、ふと顔を上げたかと思うと――
ニタリ、と唇を歪めて笑った。
その表情を目撃したアデルの全身がゾクゾクと震えた。
――なんだ、今の顔は。
アデルがもう一度、銀髪の娘を見やると、元の無表情に戻っている。眉毛ひとつ動かないその表情からは、何を考えているのか、まったく読み取れなかった。
アデルの胸が今までにないほど大きな音を立てて脈打っている。
なぜか無性に、もう一度あの顔が見たくて見たくてたまらなかった。
「前回の嫁入りから、もうニ十年ですか。時が経つのは早いですね」
隣を歩く黒服の男が感慨深げに言った。
男は修道士だった。後頭部にだけ、わずかに薄い毛の残る禿頭が西日を反射している。
「はぁ、そうですか」
アデルは眩しさに目を細めながら応えた。
彼はまだ十六歳で、むしろ時が経つのは遅いと思っていた。
修道士は少年の気のない返事に苦笑いすると、以後は雑談を控え、黙々とアデルを目的の場所まで案内することに専念した。
修道院の裏手には山があった。それほど高くはない。そしてその麓にはこの修道院が所有する幾つかの畑が広がっている。もう日暮れだというのに、畑では数十人の子供たちが農作業に精を出していた。
「あの娘です」
数ある畑のうち、奥の方にある一つを指差して、修道士が言った。
アデルが目を向けると、目当ての人物らしき少女が畑の真ん中に立っている。
その娘は十四歳になったばかりのはずだが、すでに大人の女性と変わらないほどの上背があった。顔立ちまではよく見えないが、腰まで伸びる豊かな銀色の髪は遠目でも確認できた。沈みゆく太陽の光を受けて銀の粒を撒いたように輝いている。
「行きましょう」
修道士に促されて、アデルはその娘の元へと向かう。
彼の足取りは重かった。
まったく嫌な役目を押しつけられたもんだ、と心の中でごちる。
アデルは騎士だ。だが、まだ一人前ではない。「見習い」である。故に面倒な仕事を任されることも多いが、断ることなどできなかった。
アデルと禿頭の修道士が辿り着くより先に、独りきりで草を刈る銀髪の娘の元に、彼女と同じ年頃の少女三人が近づいていくのが見えた。
彼女たちは何か話していたみたいだが、やがて銀髪の娘を連れて、山の方へと歩き出した。
「あっ!」
アデルと修道士が顔を見合わせる。
「追いかけましょう」
修道士が慌てて少女たちの跡を追う。
アデルはやれやれ、と思いながら、早足で彼についていく。
山の入り口まで来たところで、
「――――なによ、その目は!」
「…………」
「はぁ!? 調子に乗ってんじゃないわよ!」
少女たちの荒々しい声が耳に入る。
どう見積もっても、穏やかなやり取りではなさそうだ。
「喧嘩でしょうか?」
隣の修道士にアデルが声を潜めて尋ねると、
「まぁ、よくあることです」
修道士は頭を掻いて苦笑いしてみせる。
「止めたほうがいいですか?」
「やめましょう。我々が立ち入ると、ますます話がこじれます。こういう場合は、ことが終わるまで見守ったほうが良いです」
「そうですか……。しかし、あの娘に怪我でもされると困るんですが」
「そこまではしないと思いますが。もし手が出そうになったら、止めに入りますましょうかね」
完全に他人事である。
地元の名士と名高い敬虔な修道士といえど、素顔はこんなものか、とアデルは呆れた。
「……痛いっ!」
小さな悲鳴が聞こえた。
アデルがハッとして少女たちに目を戻すと、銀髪の娘がその長い髪を引っ張られている。
彼女は三人の少女に取り囲まれていた。
全員がこの修道院で育てられている孤児なのだろう。皆、一様に痩せている。その中でもひょろりと飛び抜けて背の高い赤毛の少女がリーダーのようだ。
少女たちは同じくらいの年頃と思われたが、やはり銀髪の娘の大人びた美貌は他の三人と比べても目を引いた。
「きゃあっ! 何すんのよ!」
耳をつんざくような甲高い悲鳴が響いた。
今度の悲鳴は赤毛の方だ。
半泣きになりながら、腕をさすっている。
なんと銀髪の娘に思いきり噛みつかれたようである。
「信じられない! 血が出るまで噛むなんて……!」
赤毛の少女が金切り声で喚いている。他の二人も赤毛と一緒になって、銀髪の娘を責め立てている。
三人の少女に囲まれた銀髪の娘はしばらく黙って下を向いていた。
「ちょっと! 何とか言いなさいよ!」
何の反応も見せない銀髪の娘に業を煮やしたのか、赤毛の少女が声を荒げながら、銀髪の娘を突き飛ばした。
後方に飛ばされて尻餅をついた娘は無言でその場に座り込んでいたが、おもむろに右手を口元に持っていくとーー
ピュー……という澄んだ音が夕暮れの山間に響いた。
「何なの、あんた……いきなり」
銀髪の娘の不審な行動に少女たちが眉をひそめる。
彼女らの様子を陰から伺っていたアデルも娘の唐突な行動を訝しんでいると、
「……キャッ! ヤダ、なに……?!」
突然、赤毛の少女が悲鳴を上げて飛び跳ねた。
「やだやだやだ、気持ち悪い……!」
少女は泣きそうな声で喚くと、逃げるように走り出した。
残された仲間の二人は訳がわからないといった風に顔を見合わせている。
赤毛の少女の脚に白い棒状のモノが巻きついていた。少女は何とか振り落とそうとバタバタと足掻いているが、その白いモノは一向に剥がれない。
アデルが目を凝らしてみると、その白い何かは、太めのヘビであるらしかった。
「痛いっ……!」
赤毛の少女が大声を上げてその場に蹲った。
「噛まれた……痛いよぉ、痛い!」
脚から血を流して泣き叫ぶ少女の周りで、他の二人はどうしていいかわからないといった体でオロオロと互いの様子を伺っている。
どうやら、もはや銀髪の娘をいじめるどころではないらしい。
アデルは騒々しい三人の少女から目を離して、銀髪の娘に目を向けた。
娘は少し離れたところで俯いていたが、ふと顔を上げたかと思うと――
ニタリ、と唇を歪めて笑った。
その表情を目撃したアデルの全身がゾクゾクと震えた。
――なんだ、今の顔は。
アデルがもう一度、銀髪の娘を見やると、元の無表情に戻っている。眉毛ひとつ動かないその表情からは、何を考えているのか、まったく読み取れなかった。
アデルの胸が今までにないほど大きな音を立てて脈打っている。
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