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種火
種火④
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楠ノ瀬の声は小さかったけど、俺は聞き逃さなかった。
楠ノ瀬は昔から先生や家の人の言うことに大人しく従う真面目で優しい子供だった。他人の気持ちを、いち早く汲み取ることもできる。
だからこそ、彼女自身の思いは見えにくい。自分の気持ちより相手の気持ちを優先させてしまうからだ。
――楠ノ瀬の本心を知りたかった。
「なぁ、楠ノ瀬……」
俺が話しかけた時――
「へぇ、こんな所にこんな場所があったんですね」
神社から繋がる細い道に長身の男が現れた。
沈みかけた日の光が男の影を魔物のように長く長く引き伸ばしている。
「……そんな、どうしてここが……」
楠ノ瀬が呻くように声を漏らした。
彼女の視線の先には物珍しげにたたずむ徳堂の姿があった。
「いやぁ、捜しましたよ……」
徳堂は鼠を見つけた猫のように舌舐めずりをして、ニヤッと笑った。
……この男の人を食ったような厭らしい笑い方に、俺はいつも本能的な嫌悪感を覚えてしまう。
俺が徳堂を前にして固まっていると、楠ノ瀬がすくっと立ち上がり、しっかりとした足取りで奴の前まで歩いて行く。
「ここは、貴方が来てはいけないところです」
徳堂と向かい合った楠ノ瀬が、厳しい声で告げた。正面から注ぐ夕方の光が、彼女の輪郭を金色に浮かび上がらせている。
普段の楠ノ瀬なら絶対に出さないであろう張りつめた気魄に、さすがの徳堂も笑みを消した。
その場の空気を制圧するような楠ノ瀬清乃の背中を見て、俺は彼女が楠ノ瀬家の次期当主であることを思い知った。
「……僕は貴女の夫になる人間ですよ。それでも駄目なんですか?」
楠ノ瀬の醸し出す当主としての空気に圧倒されていた徳堂が、居住まいを正して楠ノ瀬に問いかける。
「ここは神を祀る聖地です。代々、楠ノ瀬と高遠……両本家の血縁者しか立ち入ることを許されていないはず」
楠ノ瀬は一歩も引かず、意志の強い瞳で徳堂を見つめ返した。
彼女の言葉にたじろいだ徳堂が、顔を斜めに向けて軽く舌打ちする。
「ちっ……わかりました。仰せのとおり、私はここから立ち去ります。その代わり、」
徳堂が楠ノ瀬と俺の顔を交互に睨みつけた。
「清乃は連れて行きますよ」
俺を睨みながら低い声で言うなり、徳堂が楠ノ瀬の手首を掴んだ。動こうとしない彼女を力ずくで引きずっていこうとする。
「痛っ……」
悲鳴を上げた楠ノ瀬が身を捩って徳堂の手を振り払おうとした。
「楠ノ瀬っ……!」
俺も立ち上がって、揉み合う二人の間に割って入る。傷だらけだった足の痛みはだいぶ軽くなっていた。
「お前……これ以上、楠ノ瀬に無理強いしたら、許さない……!」
全身の力を振り絞って言ってから、徳堂の目をしっかりと見据えた。
「は? 許さない……って、どうするつもりですか?」
徳堂が俺に目を落として、嘲るように嗤った。
「今の君に、何ができる?」
長身の徳堂が俺を見下ろす。
高い位置からの視線に怯みそうになる。
徳堂の問いかけに返す言葉がない。
俺はきつく拳を握りしめて歯を食いしばった。
無力な自分が嫌になる。
「高遠くん……」
楠ノ瀬が心配そうな表情で俺を見つめている。
――ごめん。
彼女の顔を見ていられなくて、ぎゅっと目を瞑った。
自己嫌悪で目の前が真っ赤になる。
「はぁ、全く余計な手間かけさせやがって。清乃、行くぞ」
わざとらしく溜息を吐いた徳堂が、いつもの慇懃無礼な言葉遣いではなく、乱暴な口調で楠ノ瀬に命令した。
――ダメだ……!
このまま、何もできないまま、彼女を奪われてしまったら……俺はもう――
ドク……ン
血が、熱い。
『理森』
――俺の名前が、呼ばれた。
楠ノ瀬は昔から先生や家の人の言うことに大人しく従う真面目で優しい子供だった。他人の気持ちを、いち早く汲み取ることもできる。
だからこそ、彼女自身の思いは見えにくい。自分の気持ちより相手の気持ちを優先させてしまうからだ。
――楠ノ瀬の本心を知りたかった。
「なぁ、楠ノ瀬……」
俺が話しかけた時――
「へぇ、こんな所にこんな場所があったんですね」
神社から繋がる細い道に長身の男が現れた。
沈みかけた日の光が男の影を魔物のように長く長く引き伸ばしている。
「……そんな、どうしてここが……」
楠ノ瀬が呻くように声を漏らした。
彼女の視線の先には物珍しげにたたずむ徳堂の姿があった。
「いやぁ、捜しましたよ……」
徳堂は鼠を見つけた猫のように舌舐めずりをして、ニヤッと笑った。
……この男の人を食ったような厭らしい笑い方に、俺はいつも本能的な嫌悪感を覚えてしまう。
俺が徳堂を前にして固まっていると、楠ノ瀬がすくっと立ち上がり、しっかりとした足取りで奴の前まで歩いて行く。
「ここは、貴方が来てはいけないところです」
徳堂と向かい合った楠ノ瀬が、厳しい声で告げた。正面から注ぐ夕方の光が、彼女の輪郭を金色に浮かび上がらせている。
普段の楠ノ瀬なら絶対に出さないであろう張りつめた気魄に、さすがの徳堂も笑みを消した。
その場の空気を制圧するような楠ノ瀬清乃の背中を見て、俺は彼女が楠ノ瀬家の次期当主であることを思い知った。
「……僕は貴女の夫になる人間ですよ。それでも駄目なんですか?」
楠ノ瀬の醸し出す当主としての空気に圧倒されていた徳堂が、居住まいを正して楠ノ瀬に問いかける。
「ここは神を祀る聖地です。代々、楠ノ瀬と高遠……両本家の血縁者しか立ち入ることを許されていないはず」
楠ノ瀬は一歩も引かず、意志の強い瞳で徳堂を見つめ返した。
彼女の言葉にたじろいだ徳堂が、顔を斜めに向けて軽く舌打ちする。
「ちっ……わかりました。仰せのとおり、私はここから立ち去ります。その代わり、」
徳堂が楠ノ瀬と俺の顔を交互に睨みつけた。
「清乃は連れて行きますよ」
俺を睨みながら低い声で言うなり、徳堂が楠ノ瀬の手首を掴んだ。動こうとしない彼女を力ずくで引きずっていこうとする。
「痛っ……」
悲鳴を上げた楠ノ瀬が身を捩って徳堂の手を振り払おうとした。
「楠ノ瀬っ……!」
俺も立ち上がって、揉み合う二人の間に割って入る。傷だらけだった足の痛みはだいぶ軽くなっていた。
「お前……これ以上、楠ノ瀬に無理強いしたら、許さない……!」
全身の力を振り絞って言ってから、徳堂の目をしっかりと見据えた。
「は? 許さない……って、どうするつもりですか?」
徳堂が俺に目を落として、嘲るように嗤った。
「今の君に、何ができる?」
長身の徳堂が俺を見下ろす。
高い位置からの視線に怯みそうになる。
徳堂の問いかけに返す言葉がない。
俺はきつく拳を握りしめて歯を食いしばった。
無力な自分が嫌になる。
「高遠くん……」
楠ノ瀬が心配そうな表情で俺を見つめている。
――ごめん。
彼女の顔を見ていられなくて、ぎゅっと目を瞑った。
自己嫌悪で目の前が真っ赤になる。
「はぁ、全く余計な手間かけさせやがって。清乃、行くぞ」
わざとらしく溜息を吐いた徳堂が、いつもの慇懃無礼な言葉遣いではなく、乱暴な口調で楠ノ瀬に命令した。
――ダメだ……!
このまま、何もできないまま、彼女を奪われてしまったら……俺はもう――
ドク……ン
血が、熱い。
『理森』
――俺の名前が、呼ばれた。
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