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観月祭
観月祭②
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夜が更けて、俺たちの周囲を覆う闇がどんどん濃くなっていく。
澄み渡った夜空には、白みがかった満月が煌々と輝いていた。
泉の水面には大きな月の影が、ゆらゆらと映り込んでいる。
幽かな夜風が、泉の放つ甘い香気を運んできた。
風に煽られた焚き火は、パチパチと爆ぜて勢いを増す。
濃厚な夜の気配に包まれるこの場所で、火を囲む俺たちの周りだけが、明るく照らされていた。
――俺の目はただひたすらに楠ノ瀬を追っていた。
薄い羽織を蝶の翅のように翻して舞う、彼女の姿を――。
長い髪を、豊かな胸を、そして、細くくびれた腰を……まるで神を誘うように淫靡に揺らして舞い狂う様を、俺はただ惚けたように見つめていた。
いつのまにか演奏は止み、笛の音の余韻だけが大気の中へ溶け込むようにして、消えていった。
舞を終えた楠ノ瀬は体を二つに折って地面に伏せると、碧い鳥居に向かって頭を垂れる。
外の気温は下がっているというのに、彼女の肢体は汗でびっしょりと濡れていた。
伏せながら何事かを唱えていた楠ノ瀬が……全て終わったのか……ふらふらと立ち上がって焚き火から離れ、木陰へと消えていった。
俺の隣に座っていた祖父さんがおもむろに立ち上がる。
担いできた荷物から衣装を取り出して準備を始めた。父さんがすかさず背後に回って手を貸している。
着付けの終わった祖父さんは、最後にずっしりと量感のある龍の仮面で素顔を覆った。
舞装束を身に着け、ぴしっと背筋を伸ばした祖父さんは、さっきまで俺の隣にいた祖父さんとは全く別人のようで、俺は怖くなった。
――祖父さんが、どこかに消えてしまったみたいな気がして……。
「祖父さん……だよな?」
自分でも馬鹿みたいな質問だと思う。声が震えていた。
「理森…………よく見ておきなさい。いずれお前がやることだ」
祖父さんが座ったままの俺を見下ろし、くぐもった声で言った。
その声はたしかに祖父さんのものだった。
仮面は目の部分がくり抜かれており、穴の空いた部分から祖父さんの黒い瞳がぎょろりと俺を見据えていた。
「……高遠の跡継ぎはお前なのだから」
祖父さんが続けて言った。
後ろに控えていた父さんがぴくりと肩を動かした。
「そろそろ始めるが……よいか?」
楠ノ瀬の婆さんが、しわがれた声で割り込んだ。
祖父さんはゆっくりと頷いてみせると、泉の縁へと歩いていく。
婆さんの奏でる笛の音がゆったりと一音ずつ素朴な音階を刻む。
笛の音色を彩るように、チンチン、という鉦鼓の金属音が鳴った。
祖父さんは音に合わせて、泉の周縁を回った。
一歩ずつ一歩ずつ、大地を踏みしめるように、堂々とした足取りで。
泉を一周して戻った祖父さんは、焚き火の前で構えた。
祖父さんが身に纏っている衣装は、あの鳥居の色を連想させる碧色に、繊細な銀糸の刺繍が施してある。焚き火の光に照らされて、その銀の刺繍は星を撒いたように煌めいていた。
澄み渡った夜空には、白みがかった満月が煌々と輝いていた。
泉の水面には大きな月の影が、ゆらゆらと映り込んでいる。
幽かな夜風が、泉の放つ甘い香気を運んできた。
風に煽られた焚き火は、パチパチと爆ぜて勢いを増す。
濃厚な夜の気配に包まれるこの場所で、火を囲む俺たちの周りだけが、明るく照らされていた。
――俺の目はただひたすらに楠ノ瀬を追っていた。
薄い羽織を蝶の翅のように翻して舞う、彼女の姿を――。
長い髪を、豊かな胸を、そして、細くくびれた腰を……まるで神を誘うように淫靡に揺らして舞い狂う様を、俺はただ惚けたように見つめていた。
いつのまにか演奏は止み、笛の音の余韻だけが大気の中へ溶け込むようにして、消えていった。
舞を終えた楠ノ瀬は体を二つに折って地面に伏せると、碧い鳥居に向かって頭を垂れる。
外の気温は下がっているというのに、彼女の肢体は汗でびっしょりと濡れていた。
伏せながら何事かを唱えていた楠ノ瀬が……全て終わったのか……ふらふらと立ち上がって焚き火から離れ、木陰へと消えていった。
俺の隣に座っていた祖父さんがおもむろに立ち上がる。
担いできた荷物から衣装を取り出して準備を始めた。父さんがすかさず背後に回って手を貸している。
着付けの終わった祖父さんは、最後にずっしりと量感のある龍の仮面で素顔を覆った。
舞装束を身に着け、ぴしっと背筋を伸ばした祖父さんは、さっきまで俺の隣にいた祖父さんとは全く別人のようで、俺は怖くなった。
――祖父さんが、どこかに消えてしまったみたいな気がして……。
「祖父さん……だよな?」
自分でも馬鹿みたいな質問だと思う。声が震えていた。
「理森…………よく見ておきなさい。いずれお前がやることだ」
祖父さんが座ったままの俺を見下ろし、くぐもった声で言った。
その声はたしかに祖父さんのものだった。
仮面は目の部分がくり抜かれており、穴の空いた部分から祖父さんの黒い瞳がぎょろりと俺を見据えていた。
「……高遠の跡継ぎはお前なのだから」
祖父さんが続けて言った。
後ろに控えていた父さんがぴくりと肩を動かした。
「そろそろ始めるが……よいか?」
楠ノ瀬の婆さんが、しわがれた声で割り込んだ。
祖父さんはゆっくりと頷いてみせると、泉の縁へと歩いていく。
婆さんの奏でる笛の音がゆったりと一音ずつ素朴な音階を刻む。
笛の音色を彩るように、チンチン、という鉦鼓の金属音が鳴った。
祖父さんは音に合わせて、泉の周縁を回った。
一歩ずつ一歩ずつ、大地を踏みしめるように、堂々とした足取りで。
泉を一周して戻った祖父さんは、焚き火の前で構えた。
祖父さんが身に纏っている衣装は、あの鳥居の色を連想させる碧色に、繊細な銀糸の刺繍が施してある。焚き火の光に照らされて、その銀の刺繍は星を撒いたように煌めいていた。
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