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観月祭
観月祭③
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悲鳴のような高くて細い笛の音が濃紺色の夜空に鳴り響いて、祖父さんの舞が始まった。
最初はゆったりと優雅に。
曲が進むにつれて上がっていくテンポに合わせて、軽やかに、機敏に……。
音を立てずに摺り足で移動したかと思えば、地面を踏み鳴らすように勢いをつけて高く飛び跳ねる。
縦横無尽に躍動するその動きは、とても老人のものとは思えなかった。
突然、強い風が吹いて、笛の音が飛んだ。
焚き火の炎が大きく揺れる。
一瞬、月が翳った。
再び顔を出した月は、冴え冴えとした光を降り注ぐ。
月の光に照らされた祖父さんがこちらを向いた。
くり抜かれた仮面の目の下から、しっかりと俺を見つめているのがわかった。
俺のことをじっと見つめるその瞳は――
碧く、光っていた。
「ぁ…………」
俺は直感した。
今、俺の目の前で舞い狂うこの人は、やはり祖父さんであって、祖父さんではないのだ。祖父さんの肉体は、完全に「憑かれて」いた。
楠ノ瀬の妖艶な舞に誘われて、神様が降りていらしたのだ。
祖父さんの体を憑代として……。
「あぁ……っ」
自分でも気付かないうちに湿った吐息が漏れていた。
――体が、熱い。
俺の体内の血が、ざわざわと騒めいている。
あの『声』に呼ばれた時と同じような感覚が、体内を駆け巡っている。
俺は食い入るように、神の舞姿を見つめていた。
「理森、終わったぞ」
父さんに声を掛けられるまで、音楽が止んでいることに気付かなかった。
祖父さんもすでに仮面を外して素顔を晒している。瞳の色も黒色に戻っていた。
「大丈夫か? 随分、熱心に見ていたようだが……」
父さんが不審げに俺の様子を伺っている。
「あぁ……大丈夫」
俺は父さんを安心させようと、軽く笑顔を作ってみせた。
あの感覚は、おそらく開眼した者にしかわからないのだろう……。
その後は父さんに教えてもらいながら火の始末をした。
……父さんとこんなに長い時間を一緒に過ごすのは久しぶりだった。
「……きゃ…………あ……っ」
さあ山を下りよう、と足を踏み出したところで。
かすかに、誰かの声が聞こえた気がした。
「今……何か聞こえませんでしたか?」
俺は声のした方を振り返りながら、前を歩く一行を呼び止めた。
「何も聞こえなかったが……」
父さんが周囲に目を配りながら眉根を寄せて答えると、
「はっ……清乃は? 清乃はどこにおる!?」
楠ノ瀬の婆さんが血相を変えて叫んだ。
――そういえば、楠の瀬の姿が見えない。
「っ……楠ノ瀬!!」
俺は大声で彼女の名を呼びながら、舞の後に楠ノ瀬が姿を隠した木陰へと急いだ。
そこには舞の間に楠ノ瀬が纏っていた薄い羽織物の衣装が落ちていた。ここへ来るまで身に付けていた千早は綺麗に畳まれて、きちんと敷物の上に置かれている。
足下を見れば、背の高い草を踏み荒らしたような跡が残っていた。楠ノ瀬の足跡だろうか……?
「はぁ……っ……はぁっ……、清乃は?」
楠ノ瀬の婆さんが、息を切らしながらやって来た。
俺は静かに首を振った。
「くすのせー! どこにいるー!?」
両手を口に当てて声の限りに叫びながら、俺は薙ぎ倒された草の跡を追いかけた。
「ぃや……ぁ…………っ!」
風に乗って聞こえた声には聞き覚えがあった。
「楠ノ瀬……っ!?」
自然のままに伸び放題の枝々をかき分けて、駆けつけると――
縺れ合う二つの影が目に入った。
男が、楠ノ瀬の上にのしかかっている。
男の体の下から楠ノ瀬の脚が見えた。
緋袴が捲れあがって、白いふくらはぎが露出している。
「おいっ……何やってんだよ!?」
俺は男の肩を思いっきり掴んで、楠ノ瀬から引き離した。
月明かりに照らされて、男の顔が浮かび上がる。
「っ…………お前、」
見覚えのある男の顔に、俺は言葉を失くした。
最初はゆったりと優雅に。
曲が進むにつれて上がっていくテンポに合わせて、軽やかに、機敏に……。
音を立てずに摺り足で移動したかと思えば、地面を踏み鳴らすように勢いをつけて高く飛び跳ねる。
縦横無尽に躍動するその動きは、とても老人のものとは思えなかった。
突然、強い風が吹いて、笛の音が飛んだ。
焚き火の炎が大きく揺れる。
一瞬、月が翳った。
再び顔を出した月は、冴え冴えとした光を降り注ぐ。
月の光に照らされた祖父さんがこちらを向いた。
くり抜かれた仮面の目の下から、しっかりと俺を見つめているのがわかった。
俺のことをじっと見つめるその瞳は――
碧く、光っていた。
「ぁ…………」
俺は直感した。
今、俺の目の前で舞い狂うこの人は、やはり祖父さんであって、祖父さんではないのだ。祖父さんの肉体は、完全に「憑かれて」いた。
楠ノ瀬の妖艶な舞に誘われて、神様が降りていらしたのだ。
祖父さんの体を憑代として……。
「あぁ……っ」
自分でも気付かないうちに湿った吐息が漏れていた。
――体が、熱い。
俺の体内の血が、ざわざわと騒めいている。
あの『声』に呼ばれた時と同じような感覚が、体内を駆け巡っている。
俺は食い入るように、神の舞姿を見つめていた。
「理森、終わったぞ」
父さんに声を掛けられるまで、音楽が止んでいることに気付かなかった。
祖父さんもすでに仮面を外して素顔を晒している。瞳の色も黒色に戻っていた。
「大丈夫か? 随分、熱心に見ていたようだが……」
父さんが不審げに俺の様子を伺っている。
「あぁ……大丈夫」
俺は父さんを安心させようと、軽く笑顔を作ってみせた。
あの感覚は、おそらく開眼した者にしかわからないのだろう……。
その後は父さんに教えてもらいながら火の始末をした。
……父さんとこんなに長い時間を一緒に過ごすのは久しぶりだった。
「……きゃ…………あ……っ」
さあ山を下りよう、と足を踏み出したところで。
かすかに、誰かの声が聞こえた気がした。
「今……何か聞こえませんでしたか?」
俺は声のした方を振り返りながら、前を歩く一行を呼び止めた。
「何も聞こえなかったが……」
父さんが周囲に目を配りながら眉根を寄せて答えると、
「はっ……清乃は? 清乃はどこにおる!?」
楠ノ瀬の婆さんが血相を変えて叫んだ。
――そういえば、楠の瀬の姿が見えない。
「っ……楠ノ瀬!!」
俺は大声で彼女の名を呼びながら、舞の後に楠ノ瀬が姿を隠した木陰へと急いだ。
そこには舞の間に楠ノ瀬が纏っていた薄い羽織物の衣装が落ちていた。ここへ来るまで身に付けていた千早は綺麗に畳まれて、きちんと敷物の上に置かれている。
足下を見れば、背の高い草を踏み荒らしたような跡が残っていた。楠ノ瀬の足跡だろうか……?
「はぁ……っ……はぁっ……、清乃は?」
楠ノ瀬の婆さんが、息を切らしながらやって来た。
俺は静かに首を振った。
「くすのせー! どこにいるー!?」
両手を口に当てて声の限りに叫びながら、俺は薙ぎ倒された草の跡を追いかけた。
「ぃや……ぁ…………っ!」
風に乗って聞こえた声には聞き覚えがあった。
「楠ノ瀬……っ!?」
自然のままに伸び放題の枝々をかき分けて、駆けつけると――
縺れ合う二つの影が目に入った。
男が、楠ノ瀬の上にのしかかっている。
男の体の下から楠ノ瀬の脚が見えた。
緋袴が捲れあがって、白いふくらはぎが露出している。
「おいっ……何やってんだよ!?」
俺は男の肩を思いっきり掴んで、楠ノ瀬から引き離した。
月明かりに照らされて、男の顔が浮かび上がる。
「っ…………お前、」
見覚えのある男の顔に、俺は言葉を失くした。
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