70 / 100
観月祭
観月祭④
しおりを挟む
蒼褪めた月の光に照らされたその顔の表面には、薄っすらと皮肉な笑みが張り付いていた。
「お前……藍原朔夜……だよな?」
俺の問いかけに、男はゆっくりと口を開いた。
「そうだよ。はじめまして……ではないよね? 理森くん」
たれ目がちな藍原の目が、俺の反応を面白がるように細められていた。
「んん……っ」
小さな呻き声と衣擦れの音がして、そちらに目を落とすと――。
上半身だけ起き上がった楠ノ瀬が息を乱しながら顔を歪めていた。上衣がはだけて、まろやかな肩が剥き出しになっている。浮かび上がった鎖骨が乱れた呼吸に合わせて上下に動いていた。
「お前っ……!」
体中の血がぶわっと沸き立つのがわかった。怒りで視界が赤く染まる。
俺は藍原の胸倉を掴んで、拳を大きく振り上げた。
「わぁ~待って待って待って! なんにもしてないってば……まだ」
「まだ?」
俺が低い声で聞き返すと、
「そうだよぉ……だから落ち着いて、ね?」
こいつ特有の語尾を伸ばす馴れ馴れしい話し方に、一瞬、気勢をそがれる。
俺の力が緩んだ隙に、藍原はさっと一歩下がって俺との距離を取った。
隙を突かれて立ち尽くす俺を鼻で笑いながら、口元を手の甲で拭っている。
月光の下に浮かび上がった藍原の唇は、不自然なほどに赤い。
俺の注意が自分の口元に向いていることに気付いたらしい藍原が、
「あぁ、これ? ちょっとキスしただけなのに噛み付いてくるんだもん。見かけによらず、激しいよねぇ、この娘」
座り込んだままの楠ノ瀬に視線をやりながら、藍原は長い舌でペロリと自分の唇を舐めた。
「お前……ふざけんなっ……!」
俺がもう一度掴みかかろうと踏み寄ったところでーー、
「止せ、理森……! 朔夜も……なんで此処にいるんだ!?」
背後から、父さんの声が聞こえた。
振り向くと、父さん以外にも祖父さんや楠ノ瀬の家の人たちが集まってきている。
「清乃! 大丈夫か……」
男たちの間から、楠ノ瀬の婆さんがよろよろと歩み出た。
「おばあちゃん……」
楠ノ瀬が力なく立ち上がって、祖母の元へと駆け寄る。
「……これはどういうことだ?」
楠ノ瀬の婆さんが蜥蜴のような目でギョロリと一同を見回した。
「その少年は誰だ? 高遠の家の者か? ここは誰でも勝手に入っていいところではないぞ……!」
婆さんの口調は抑えたものだったが、その内に潜む怒りがありありと滲み出ていた。
老婆の一喝にその場にいた全員が黙り込んだ。
藍原も先ほどまでの薄ら笑いを引っ込めている。
「……すまない。この者はうちの関係者だ。後できつく言いつけておくから、どうかこの場は穏便に収めてもらえないか……」
そう言って祖父さんが頭を下げた。
「高遠…………」
静かに謝罪する祖父さんの姿を、婆さんが凝っと見つめた。
「……詳しい話は後で聞く。ひとまず今は早く山を下りよう。冷え込んできた。清乃も震えておるし」
傍らで体を震わせる孫娘を気遣うように、婆さんが下山を促した。
婆さんの指示に一座の者が従う。
「朔夜、お前も一緒に来なさい。ここは気軽に来ていい場所じゃないんだ」
父さんが最奥に控える藍原に声をかけた。
藍原は応えない。
「……朔夜? どうした、早くしなさい」
訝しげな父さんの声に、俺も振り返って、ヤツの姿を確認した。
そこには――苦しそうに蹲り、ぶるぶると体を震わせる藍原がいた。
様子がおかしい……。
「うぅっ……ぁあああああ…………っ」
両手で頭を押さえた藍原が、地鳴りのような呻き声を上げた。
「お前……藍原朔夜……だよな?」
俺の問いかけに、男はゆっくりと口を開いた。
「そうだよ。はじめまして……ではないよね? 理森くん」
たれ目がちな藍原の目が、俺の反応を面白がるように細められていた。
「んん……っ」
小さな呻き声と衣擦れの音がして、そちらに目を落とすと――。
上半身だけ起き上がった楠ノ瀬が息を乱しながら顔を歪めていた。上衣がはだけて、まろやかな肩が剥き出しになっている。浮かび上がった鎖骨が乱れた呼吸に合わせて上下に動いていた。
「お前っ……!」
体中の血がぶわっと沸き立つのがわかった。怒りで視界が赤く染まる。
俺は藍原の胸倉を掴んで、拳を大きく振り上げた。
「わぁ~待って待って待って! なんにもしてないってば……まだ」
「まだ?」
俺が低い声で聞き返すと、
「そうだよぉ……だから落ち着いて、ね?」
こいつ特有の語尾を伸ばす馴れ馴れしい話し方に、一瞬、気勢をそがれる。
俺の力が緩んだ隙に、藍原はさっと一歩下がって俺との距離を取った。
隙を突かれて立ち尽くす俺を鼻で笑いながら、口元を手の甲で拭っている。
月光の下に浮かび上がった藍原の唇は、不自然なほどに赤い。
俺の注意が自分の口元に向いていることに気付いたらしい藍原が、
「あぁ、これ? ちょっとキスしただけなのに噛み付いてくるんだもん。見かけによらず、激しいよねぇ、この娘」
座り込んだままの楠ノ瀬に視線をやりながら、藍原は長い舌でペロリと自分の唇を舐めた。
「お前……ふざけんなっ……!」
俺がもう一度掴みかかろうと踏み寄ったところでーー、
「止せ、理森……! 朔夜も……なんで此処にいるんだ!?」
背後から、父さんの声が聞こえた。
振り向くと、父さん以外にも祖父さんや楠ノ瀬の家の人たちが集まってきている。
「清乃! 大丈夫か……」
男たちの間から、楠ノ瀬の婆さんがよろよろと歩み出た。
「おばあちゃん……」
楠ノ瀬が力なく立ち上がって、祖母の元へと駆け寄る。
「……これはどういうことだ?」
楠ノ瀬の婆さんが蜥蜴のような目でギョロリと一同を見回した。
「その少年は誰だ? 高遠の家の者か? ここは誰でも勝手に入っていいところではないぞ……!」
婆さんの口調は抑えたものだったが、その内に潜む怒りがありありと滲み出ていた。
老婆の一喝にその場にいた全員が黙り込んだ。
藍原も先ほどまでの薄ら笑いを引っ込めている。
「……すまない。この者はうちの関係者だ。後できつく言いつけておくから、どうかこの場は穏便に収めてもらえないか……」
そう言って祖父さんが頭を下げた。
「高遠…………」
静かに謝罪する祖父さんの姿を、婆さんが凝っと見つめた。
「……詳しい話は後で聞く。ひとまず今は早く山を下りよう。冷え込んできた。清乃も震えておるし」
傍らで体を震わせる孫娘を気遣うように、婆さんが下山を促した。
婆さんの指示に一座の者が従う。
「朔夜、お前も一緒に来なさい。ここは気軽に来ていい場所じゃないんだ」
父さんが最奥に控える藍原に声をかけた。
藍原は応えない。
「……朔夜? どうした、早くしなさい」
訝しげな父さんの声に、俺も振り返って、ヤツの姿を確認した。
そこには――苦しそうに蹲り、ぶるぶると体を震わせる藍原がいた。
様子がおかしい……。
「うぅっ……ぁあああああ…………っ」
両手で頭を押さえた藍原が、地鳴りのような呻き声を上げた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
清掃員と僕の密やかな情状
MisakiNonagase
恋愛
都心のオフィスビルで働く会社員の26歳・高城蓮(たかぎれん)。彼の無機質な日常に唯一の彩りを与えていたのは、夕方から現れる70歳の清掃員・山科和子だった。
青い作業服に身を包み、黙々と床を磨く彼女を、蓮は「気さくなおばあちゃん」だと思っていた。あの日、立ち飲み屋で私服姿の彼女と再会するまでは――。
肉じゃがの甘い湯気、溶けゆく氷の音、そして重ねた肌の温もり。
44歳の年齢差を超え、孤独を分かち合った二人が辿り着いた「愛の形」とは。これは、一人の青年が境界線の向こう側で教わった、残酷なまでに美しい人生の記録。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる