月と秘密とプールサイド

スケキヨ

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『教師と生徒』

『教師と生徒』(2)

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「いや、その、なんか……悪かったな」

 コタツを挟んで向かい側に座る丹野たんのが頭を下げる。バツが悪そうに、火神かがみから視線をそらして頭を掻くと、収まりの悪い癖っ毛がさらにぐちゃぐちゃに乱れた。いつもは周りの空気なお構いなしのマイペースな男だが、後輩のラブシーンを目の当たりにして、さすがに気まずいと見える。

「いえ……」

 火神の方もまさか先輩の前で続きをヤるわけにもいかず。涙目で見つめるひな子を振り切ると、滾る下半身を抑えて、彼女を駅まで送り届けてきた。

「カノジョか?」
「…………いえ」

 丹野のもっともな質問に、火神は力なく首を振る。

「えりなちゃんはどうした?」

「えりな? ……あぁ」

 丹野の言っているのが真山まやまのことだと気がついて、火神の端正な顔が歪んだ。まるで腐った生ゴミでも見るようなその表情は、とても好意を寄せる女を思い浮かべたときのそれではない。
 鈍感な丹野もさすがに察したらしく、それ以上、真山の名前を口にすることはなかった。

「ずいぶん、若いだったな」

 斜め上を見やりながら、丹野が言いづらそうに切り出した。

「……お前の、生徒か?」

 丹野の問いかけに、火神は小さく頷く。
 昔から、なぜかこの先輩の前では嘘がつけない。

「そういうの……なんて言うか、知ってるか?」

 コタツ布団を引き上げて、ずいっと身を乗り出した丹野が声を潜める。

「ロリコ……」
「せめて、恋と言ってくださいよ」

 丹野の言葉を最後まで言わせないで、火神が割り込んだ。冗談めかして笑おうとしたが、変な具合に顔が引き攣っただけだった。

「え、そうなのか?」

 火神の口から飛び出したまさかの言葉に、丹野が目を見開く。

「恋……だと?」

 丹野は信じられないといった様子で、口の中で何度もその言葉を呟いた。
 そんな丹野の様子を前に、火神自身も自分で自分の発言に戸惑っていた。

「そうか……じゃあどうするかな……あれ、でも、もしかして……ちょうどいいのか……?」

 何やらひとりでブツブツと自問する丹野だったが、しばらくすると意を決したように顔を上げて、火神の目を見つめた。

「実は、うちの研究所でひとり、欠員が出るんだ」

 その後に続く言葉を予測して、火神の目が揺れる。

「誰か探してこい……って言われてるんだけど。お前、受けてみないか?」

 予想を裏切らなかった丹野の誘いに、しかし、火神はすぐに答えられない。

「大学に残りたいって言ってただろ? 親父さんが亡くなって、弟さんは大学に入ったばっかりだからって、慌てて辞めちまったけど」

 火神は大学院生だった三年前のことを思い出した。
 教師をしていた父親が突然倒れ、数ヶ月の闘病生活を経てあっけなく逝ってしまうと、あとには母親と火神、そして六歳下の弟が残された。
 もともと裕福な家ではなかったが、大黒柱だった父が死んで、近所の弁当屋でパートする母親の収入だけではさすがに心もとなかった。
 大学に入ったばかりの弟と、大学院まで行かせてもらった自分。もう充分だと、火神は思った。

「ほんとは、研究続けたいんじゃないのか? 俺にはずっとそう見えてたぞ」

 相変わらず恐い人だと思いながら、火神は目の前の男を見返した。
 鈍感なくせに、鋭い。

「なに、面接って言っても、形式的なもんだ。俺の紹介だしな」

 得意げに言った丹野が豪快に笑うと、印象的な八重歯が覗いた。

「……すごく光栄なお話ですが、ちょっと考えさせてもらってもいいですか?」
「ん?」

 自分の提案に喜んで飛びつくと思っていたのか、火神の浮かない表情に丹野が不服そうに眉を寄せた。

「まさか、女子高生と離れるのが寂しい、っていうんじゃないだろうな?」
「……そんなわけないじゃないですか」

 火神が不愉快そうに目を細める。

「純粋な高校生をもてあそぶなんて、お前、最低だぞ」
「……弄ばれてるのは、俺のほうですよ」

 火神が自嘲したように小さく笑った。
 カーテンの隙間から翳りかけたオレンジ色のが差しこんで、火神の顔を照らした。

「なるほど……。あの子、何年生なんだ?」
「三年ですけど」
「なんだ。じゃあ、あとちょっとだな」

 ホッとしたように息をついた丹野が軽く笑ってみせる。

「よし、火神。もうちょっとだけ我慢しろ。そんで、俺の会社、受けろ」

 自分の考えに納得したらしい丹野が、うんうん、と満足そうに頭を振った。

「なんでそうなるんですか?」

 脈絡のない丹野の発言に、火神が呆れていると、

「まさか、『教師と生徒のシチュエーションに萌える』とか言わないよな?」
「……そんなわけないじゃないですか」

 火神が顔をしかめると、

「よし。それを聞いて安心した。だったら、話は簡単だ。『教師と生徒』でなくなればいい。違うか?」
「違いません……けど」
「けど?」
「……ちょっと、時間をください。俺、今はまだ辞められないです……教師を」
「ほぅ?」

 意外だというように丹野が眉をあげて身を反らせた。

「俺はてっきり、嫌々いやいややってるのかと思ってた」
「……それもそうなんですが」
「なんだよ、はっきりしないな。火神らしくないぞ」

 丹野の知っている火神は、自分の意見を言うのに躊躇するような人間ではなかった。
 他人に斟酌しない物言いは誤解を与えることもあるが、そんな裏表のない火神の性格を丹野は信用していた。

「俺は教師としては全然駄目で、さっさと辞めたほうがいいって自分でもわかってるんですが……まだ、やり残したことがあるような気がして……今辞めたら、負けたままだな、と思って」
「ん? 負けた、って何に?」
「……あいつらに」

 丹野の問いかけに答えながら、火神はの顔を思い浮かべた。
 あいつら――羽澄はすみひな子と水島みずしま龍一郎りゅういちろうのことを。


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