最低最悪の救世主

第三世界(うたかたとわ)

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第八話 最低最悪の世界

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「何!? アンナが生きて帰っただと?」

 ボルドン・ジルヴァインは驚愕していた。

 確実に死んだと思っていた、アンナが生きて帰ってきたからだ。

 それと同時に、軽蔑をする。

「あいつら、しくじりやがったか」

 野盗に対してである。

 奴らには小金を渡し、妻であるアンナの殺害を命じていた。

 凄腕だと聞いていたが、やはり平民。

 信頼に値しないようだ。

 アンナは政略結婚をした相手。愛などない。

 しかし、アンナの顔はいい。

 体も豊満なため、貴族である自分が少しだけ遊んでやろうと思っていたが……。

 今は水面下で婚約が進んでいる段階だからと、あいつには何度も関係を断られた。

 秘密裏に話を進めているのは、一般市民であるアンナと結婚をすることを世間に知られるのが、恥辱の極みであるためだ。

 私との関係を断らせるためではない。

 それを察して気を遣えないのだから、スカーレット商会はすぐに潰れるはず。

 消えてなくなる予定だったスカーレット商会の財産を、私が有効活用してやるのだ。

 むしろ、感謝してほしいくらいだ。

 ボルドンは、間違った行動を続けるアンナに怒りをぶつける。

 もちろん、アンナとの婚約は嘘である。

 貴族ではなく、市民であるアンナとボルドンが結婚しようとしたのは、スカーレット商会を乗っ取るため。

 すべては、ジルヴァイン男爵家の繁栄が目的だ。

 男爵家が繁栄するとは、つまりは領民全体を幸福に導くことを意味する。

 恥をかかないように工夫をしながら、アンナを殺害し、スカーレット商会の実権だけを支配するつもりだった。

 アンナの体で遊べるのなら、少しの間だけは生かしてやろうと思っていたが……。

 使えないなら必要ないと、あの女を野盗に誘拐させた。

 あとは実権を握り、下級の存在であるアンナとの婚約関係を知っている従業員を口封じのために全員殺せばいい段階だった。

 貴族である自分の醜聞となる行為を、誰かの記憶に残しておくわけにはいかない。

 いくらでも湧いて出てくる一般市民など、入れ替えてしまえば問題ないのだから。

 無能たちのせいで計画に支障が出たことに怒りを覚えながら、ボルドンは体面を整えるためにアンナを出迎える。

 貴族であるボルドンの思い通りに動かないなんて、平民はやはり劣悪だ。

「お帰りアンナ、心配していたんだよ!」

 しかし、ボルドンには、計画が失敗したときのための保険がある。

 むしろ、こちらの方法にこそ、大金が掛けられていた。

「怖かったろう。さあ、ごちそうを食べて元気を出そう」

 ボルドンが手に入れたのは、自然死に見せかけられる暗殺用の毒。

 下民では購入できないような、大金が掛けられている。

 その効果は、生きたまま体が痺れて、ゆっくりと死んでいくというもの。

 死因は心臓発作となり、毒も検出されない最悪の毒。

 死ぬまでずっと、意識だけがはっきりしていて、体は動かせなくなる。

 つまりは、しばらくの間、遊べるということ。

 まずは、アンナを救うなどという余計なことをした男を苦しめて殺そう。

 そして、最後に動けなくなったアンナを楽しもう。

 ボルドンは天才的な計略を思いついた自分の頭脳を自画自賛した。

 内密の話をしたいからと、すでに人払いは済ませている。

 ボルドンに歯向かえる人間など、この世に存在しない。

「さあ、アンナの生還を祝い、ワインを飲もうじゃないか」

 ボルドンは壮大な計画を立てながら、二人にワインを勧める。

「おっと、失敬」

 その時、クトウと名乗る男のコートから、ピカピカの金貨が落ちた。

 ボルドンが大好きなそれは、床の上で美しい音を立てる。
 
 ボルドンが、この世で一番好きな音色だ。

 そして、落ちた金貨をアンナが拾うと、クトウに返却している。

 平民風情が持つにふさわしくないそれは、こいつを殺した後に貴族である自分が貰い受けよう。

 この世で最も価値のある道具を目で追いながら、ボルドンはそんなことを考えていた。

「アンナの生還に乾杯!」

 そして、食事会が始まる。

 アリバイ作りのため、ボルドンも一緒にワインを飲む。

 もちろん、ボルドンの飲むグラスには、毒など入っていない。

 さあ、平民に毒入りワインを飲ませた後は、貴族の計画を妨害したバカを殺し、ストレスを発散しよう。

 そう影で笑うボルドンの肉体は、すぐに動かなくなった。

「なあ……がぁ……」

 意識だけが、はっきりしている。

 そして、体だけがまったく動かない。

 この効果は……。

 床に仰向けになって倒れたボルドンを見下ろしながら、底冷えした声でアンナがつぶやく。

「あら、本当に毒が入っていたのね」

 貴族であるジルヴァイン家の圧力に負け、婚約を受け入れた一般市民の顔ではない。

 高貴なボルドンを、下等な者と誤認しているかのような視線。

「ごめんなさいね。ワイングラス、入れ替えちゃった。あなた、床に落ちた金貨に夢中なんだもの」

 クトウという男に枝垂しだれ掛かりながら、アンナが笑いかける。

 その顔は、女の顔だった。

 明らかに、二人の間に親密な関係があることが見て取れる。

「貴様……裏切ったな……」

「あら、そう……」

 なんとか声を絞り出し、貴族である私が怒りを見せるが、当のアンナは意に介していない。

 最低の行いだ。

 不当な扱いをされて怒りを見せる人間に対して、間違いを起こした側が取る態度ではない。

 誰も見ていないからといって、人間社会のルールを平気で破るアンナが経営する商会など、裏で汚いことばかりしているに違いない。

 ボルドンは、アンナの隠れた正体を見抜き、正義の鉄槌を下してやろうと決意する。

「あなたの言う通り、簡単に解決できたわね」

 婚約者であるボルドンの目の前で、アンナが他の男に抱きしめられている。

 まるで、本物の夫婦のように仲睦まじい。

 熱のこもった瞳で、アンナがクトウを見つめていた。

 ボルドンなど、偽物の夫でしかないと言われているかのよう。

 クトウを見つめるアンナは、心の底から恋をしている女の顔だった。

 浮気をされたのだ。

 そう直感したボルドンは、アンナの不義理に怒りを覚えた。

 ボルドンがいつも見ていた、周りに美女だと褒められるアンナの顔を思い出す。

 ボルドンに対して、アンナはいつも表面的な対応だけを見せていた。

 ボルドンが見たことのない、心の底から信頼を感じるアンナの艷やかな表情。

 それがボルドンの目の前で、別の男に向いているのだ。

 明確な裏切りだった。

 アンナからの信頼を受け取るのは、ボルドンであるはずなのに。

 アンナは間違えた考え方をしている。

 怒りに身を任せ攻撃してやりたいが、どうしても体だけが動かない。

 なぜ、アンナは婚約者である自分を助けてくれない。

 それどころか、ボルドンは毒入りワインを飲まされたのだ。

 これは、配偶者として、明らかに恥ずべき行為だ。

(絶対に、正義の鉄槌を喰らわせてやる!)

 妻に裏切られたボルドンは、この犯罪行為を誰かに伝えたくてたまらなかった。

 社会正義という高貴な使命を、ボルドンは実行したくてたまらない。

「なるほど。このワインを飲むと、病死となるわけね」

 毒入りワインを飲んでしまったボルドンのことなど、すでにアンナは気にも留めていない。

 婚約者に裏切られ、弱って死んでいく自分。

 アンナの薄汚い正体を知り、罠にはめられ、正義である自分が傷ついていく状況がボルドンには耐えられなかった。

 正しい側であるボルドンが傷つき、悪であるアンナが利益を得ることなど、絶対にあってはならないのだ。

 それが、人間社会のルールだ。

 この世界は正義によって回っていて、ボルドンは救出され、裏切り者には罰が下るべきである。

 きっとアンナも、自分の心の汚さに気づき、すぐに行動を改めるに違いない。

 ボルドンは今までの失敗などしたことがないし、窮地に陥ったこともない。

 今回のアンナのように、自分以外の誰かが無能な行動を取った時には、迷惑を被った側であるボルドンがわざわざ相手を叱りつけることで、全てを解決してあげた。

 今回も、いつも通りに周りが間違えている。

 ボルドンは世界の可能性を、アンナの心の資質を、正義の正しさを信じて願った。

(怖い、怖い、怖い、怖い……)

 しかし、毒の効果で動けないボルドンの視界が、ゆっくりと暗くなっていく。

 なぜ、誰も私を助けない。

 これだけ反省をしているのに。

 アンナもそろそろ、解毒剤を飲ませてくれてもいい頃ではないか。

 努力すれば、どこからか調達できるだろう。

 そして、こういうことはもうしちゃダメだよと、優しく注意して終わりにするのが、人として正しい行為であるはずなのに。

 ボルドンがそうやって叱りつけないと、無能な周りは間違いばかり起こす。

 今は声が出せないから、ボルドンが叱りつけることができなくて、アンナは間違った行動をしているのだ。

 ニコニコ笑って、他人の過ちを許し合う。

 その心が大切なのに。

 自分の間違いに気づかないなんて、アンナはとても視野が狭い。

(無能な妻のせいで命を危険にさらされて、なんて私は不遇なんだ……)

 暴力的な妻を持ってしまったボルドンは、不当な扱いを受けている自分が悲しくなった。

「今夜は、ゆっくりできそうね……」

 かすれていく意識の中、とても幸せそうなアンナの声が聞こえる。

(誰か、なんとかしろ……)

 苦しんでいる自分を、周りの誰も見てくれない。

 世界の中心であるボルドンが、誰にも気づいてもらえない。

 道具達のくせに、不思議なことに、こいつらは思い通りに動かない。

 ここは、最低最悪の世界だった。

「うふふ。また……する?」

 ボルドンを裏切った婚約者が、間男と見つめ合っている。

 その光景を見ながら、ボルドンの生存本能が生き残るために脳を全力で回転させていた。

 誰を叱りつければ、己の行動の間違いに気づき、ボルドンの思い通りに動くのだろうか。

 今回のように、間違いばかりを起こす周りの人間を、ボルドンは正して生きてきた。

 いつも、ボルドンは迷惑をかけられる側。

 今回は、いつまでも室内に入ってこない使用人を叱ればいいだろうか。

 何か御用聞きに来れば、ボルドンの異変に気づくはず。

 そんな簡単なことも、使用人はできないのだ。

 それとも、アンナか。

 婚約者に毒入りワインを飲ませる行為は、とても恥ずかしくて意地汚い行動だと説教をすれば、反省したアンナは私を助けるだろう。

 早く誰かを叱って、間違いに気づかせて、私を治療させなきゃ。

 今まで快適に生きてこられた思考を使って、ボルドンは苦痛から逃れる方法を考え続ける。

(間違えた行動をしてる無能ども……私が怒って説教をしなくても、早く反省して、私の思い通りにうご……け……)

「世界は思い通りに動かない。だから、周りはいつも間違っていると、彼のような人は怒っているのだよ」

 クトウとアンナが会話している。

 その言葉は、ボルドンには届かない。

 全国民が悲嘆し、老いたボルドンは安らかに見送られる。

 そんな、ボルドンが夢見た最期など、どこにも存在しなかった。

 いつも通りの幸せな日常が、街では繰り広げられている。

 世界は最後まで、彼のために動くことはない。

 そのまま、ボルドンはあっけなく死んだ。

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