揺り籠の計略

桃瀬わさび

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おまじないと抱き枕 後 〚葵〛

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起きたら、端正な顔が目の前にあってびっくりした。
見れば見るほど整った顔だ。
テレビに出ていても信じる、というか出ていないのが不思議なくらい。
写真を撮っていても、まったく隙がないというか、美形が崩れないというか。
くしゃくしゃに笑ったり、驚いたり焦ったり、とにかく表情豊かな志摩とは全然ちがうけど、人気が出るのもよくわかる。
―――頭が良すぎるせいか、何を考えているかはまったくわからないけど。


『備えあれば憂いなしっていうでしょ。』

そう言って、執拗に練習させてきた侑生。
別れ際にそれを忘れないよう念を押して、さらには『迷わずここに来るように』という指示。
たった1コールで出てくれたこと。

それらが示すのは……、侑生は、茜がすることがわかっていた?
まさか、という思いと、じゃあなんで?という思いがせめぎ合う。
端正な顔を穴が開くほど見つめても、答えはそこには書いていなかった。

―――ファインダー越しなら、覗けるのかな。

この、よくわからないひとの心が。




まじまじと見すぎていたせいか、少し眉が顰められてふわぁっと目が開いた。
黒くて長い睫毛が瞬いて、朝日に金色に煌めく琥珀色の瞳がまぶしそうに細められて。
俺を見て、とろけるように、笑った。


「―――あおい。」


ぎゅうっと侑生が抱きしめてきて………なんか当たってるんだけど!?
いや男だから生理現象だってよくわかるけど、え、なんかサイズ感ちがいすぎない!?
色々考えていたことなんて全部ふっとんで、ただただ身を固くしていた。

「今日学校サボろうか。そんで、一緒に荷物取りに行こう。」

教科書は貸せるけど、制服はさすがにサイズ違いすぎるから。


朝食で切り出されたそんな言葉に頷きながら、変な状況に可笑しくなる。
これからここで侑生と住むのか。
ゴミ捨ての日にちとか聞かないと。

―――部屋は土日で片付けた祖父の部屋ね、お昼くらいに荷物を取りに行って、鉢合わせないように帰ってこよう。


その言葉に、小さく手が震えた。
茜。
まったく似ていない、双子の弟。
俺が持っていないもの全部を持っている、弟。
昨日のあれは、なんだったんだろうか。

「………あの、………………」

侑生に聞いてみたいと思ったのに、言葉が続かない。
はく、とくちびるを動かすと、宥めるみたいに手が重ねられた。
そのままとんとんと長い指が甲を叩いて、荒れていた心が落ち着いてくる。

「侑生は、………ああなるってわかってたの?」
「いや。……でも金曜日の電話の反応から、有り得るとは思っていた。ごめん、俺が離れなければ、良かったのに。」

ごめんなんてそんな、ちがう。
むしろ侑生が『備え』を教えこんでくれたおかげでなんとか逃げ出すことができたんだし、逃げ場所を作ってくれたおかげでここにいられる。
もし、備えていなかったら、昨日はどうなっていたんだろうか―――。


「なにか、言われた?」

―――どうせ処女じゃないんだ、ひとりもふたりも一緒だろ?



冷たい声が耳に蘇って、ぎゅっと目をつぶる。
処女って、なんだろう。俺男なのに。
でもなんか、いやな雰囲気だった。
服を脱がせてどうするつもりだったのかわからないけど、―――きっと何か良くないことだった。



何も言えずに俯いた俺の頭を、大きな手が優しく撫でてくれた。








鉢合わせは本当に怖かったけど、茜はちゃんと学校に行っていたらしい。
侑生と一緒に家へ向かう途中、恐怖に何度も足が竦んだけど、その度に大きな手がそっと背中を押した。
ついてきてくれて、よかった。
ひとりではとても来られなかった。


この部屋に誰かを入れたことなんてもちろんない。
元物置なだけに変なところにある小さな部屋。
そこに無理矢理入れたベッドは、子供の頃の二段ベッドの下の段。
上は当然のように茜だったし、その茜が中学に上がるときに一人部屋とベッドを欲しがったから、俺はここに押し込まれた。
「だって茜がそうしたいって言うんだもの。」
「お兄ちゃんなんだから、いいだろう?」
よく両親の言うその言葉は、いっそ呪いのようだ。

この部屋を見ても、侑生は何も言わなかった。
ほんの少し目を見開いて、眉を顰めて、ぎゅっと抱きしめてくれただけ。
そのぬくもりに、かつて痛んだ傷が癒やされた心地がした。






幸いにも昨日荷作りしたものは荒らされていなくて、残りを適当に詰めて家を出る。
少し悩んだけど、食卓の上にひとことだけメモを残した。

『育ててくれて、ありがとうございました。』

どうしても保護者として必要な時に会うことはあるだろうけど、きっとそれ以外で会うことはない。
この家にも、もう戻らない。
玄関先で振り返って、一度だけ頭を下げる。
産まれてから16年とすこし。
それだけの時を過ごした家は、知らない誰かの家みたいにそっけなくそこに佇んでいた。



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