揺り籠の計略

桃瀬わさび

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泣かせて、傷つけて 前 〚茜〛

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産まれたときから共にいた。
まったく似ていない、俺の半身。



小さい頃から、かわいいなんて言われ慣れてる。
それこそ物心ついた頃から、俺と妹が公園にいれば大人たちがかわいいと寄ってきたし、母がそれに満足気に微笑むのも常だった。
その頃から、父母にとっての子どもは俺と妹だけ。
“地味でかわいくない”兄は、はっきりと区別され、それをじいちゃんが諌めていたのも古い記憶のひとつだ。
そんなふうに育った子が、明るく無邪気に育つだろうか?
そんなはずない。
葵はとにかく目立たずひっそりと、気弱げに微笑むようになった。
俺は、周りの表情を読んで好かれる性格を装うように。
そうすればますます俺は人気者になって、俺と比べられた葵が泣きそうに顔を歪ませる。
―――けど、泣かない。

そう気づいたらすぐに、“泣かせたい”と思うようになった。
学校では常に一緒にいさせて、けれど友達の輪には入れない。気に入った玩具も取り上げて、工作やなんかを踏みにじって。父母に可愛がられる姿を見せつけたり、思いつく限り色々なことをしたけど、泣かない。
くしゃりと顔を歪ませて、つらそうにくちびるを噛んで。
するりと何処かへいなくなって、睫毛を湿らせて戻ってくる。
頬も鼻の頭も赤いし、焦げ茶の瞳だって潤んでいるのに、まるで泣いてないかのようにほのかに微笑んで。
産まれたときから共にいるのに、俺は葵が感情を顕にするところを見たことがない。

思いっきり笑ったところも、泣いたところも。





小5の頃、じいちゃんが葵にカメラを触らせるようになった。
どんなに頼んでも子供には触らせなかったそれを手にとって、俯き加減に嬉しそうに笑った葵に苛立つ。
―――俺にはそんな顔しないくせに。
そして、カメラという趣味を得た葵は俺の方を見なくなった。
苛立ちからより一層いじめるようになったけど、この頃にはくしゃりと顔を歪めることも少なくなって。
張り付けたような気弱な微笑みのまま、少しだけ目を伏せて諦めたようにただ耐える。
―――おもしろくない。


じいちゃんが死んだとき、この思いが何か、はっきりとわかった。

人形みたいに顔を白くして固まっていた葵が、出棺のときに我に返って、棺に縋り付いて泣き崩れた。
悲痛な声をあげて、大きな目からぼろぼろと涙をこぼして。

それを目にして、頭の芯がかぁっと熱くなって、猛烈な苛立ちが沸き起こった。

―――俺以外のために、泣くのか。

そんな苛立ちとは裏腹に、初めて見る半身の姿に、ぞくぞくと快感が奔る。

―――ああ、たまらない。葵はこんなふうに泣くんだ。

ずくん、と欲望に熱が集まり、勃ったそれを隠すために、葵の横で同じように蹲って。
泣いてるように見えるように俯いて肩を震わせ、けれど笑いがとまらない。

―――じいちゃんが死んだ。もうこれは、俺だけのものだ。

次は俺が泣かせて、縋らせて。
なんどもなんども傷つけて、俺の存在を刻みつけよう。

俺しかいないんだと、わからせるまで。





その環境作りのため、まずは部屋を変えてもらった。
一人部屋がほしいと言えば、当然の流れで出ていくのは葵。
「葵の部屋はここでいいでしょ?」
そんな俺の一言で、葵の部屋は物置になった。
扱いやすい父と母だ。かわいくて自慢の息子の醜い本性なんてまったく気づいていない。
それから、友達が出来ないよう、葵に近づいたやつと積極的に仲良くするようにした。
親しくなってから、「葵はぼくのことが嫌いみたい」とほろりと泣くだけで、面白いくらいに葵は孤立する。

けれど、どれだけひとりぼっちになっても葵は泣かない。
ほんの少し視線を落とすだけで、カメラと本に集中して。
むしろ孤立すればするほど自分の世界に没頭していく葵にただただ苛立つ。
俺だけが話してあげているのに、高校は俺から離れようとして。
―――そんなの、許せるはずない。
なんとか同じところに行けるようにがりがり勉強しながら、考えていたのは葵のこと。

このままじゃ、駄目だ。
孤独に慣れ、痛みに麻痺している葵に何をしても無駄だ。
高校はなんとか同じところに行けるとしても、大学ではまんまと逃げられるかもしれない。

ならば高校で、完全に心を折らなければ。
どれだけ踏みにじられても屈しない蒲公英みたいな葵を手折るには、やり方を変える必要がある。
いちど夢を見させて、それを粉々に砕けばどうだろうか?
殻を閉じて守っているやわい心を剥き出しにさせて、そこに俺をずたずたに刻みつけて。

―――絶望に染まる葵は、きっとすごく可愛いだろう。





高校では関係を隠して、油断させることにした。
のびのびと束の間の平和に浸る葵を観察していて、あるときそれを発見した。
小さな部屋唯一の棚に大事に置かれたノート。
付箋と、どこか浮かれた葵の文字が並ぶ。
おすすめの本のやりとりらしいそれは、差出人も書いていない。
相手がなかなか掴めずやきもきしていたら、ある日そのノートに写真が挟まった。
上半身裸で、焦った顔をした男。
―――A組の、志摩。
確か陸上部だったか。この学校でもっとも目立つ4人組のひとり。
存外大物で驚いたけど、これで相手もわかった。
あとは、葵の初恋を砕くだけ。

夏も過ぎた頃、くしゃりと握られて丁寧に皺が伸ばされた付箋を見つけて、時が来たことを悟った。
―――葵は、初恋を自覚している。
あとは、そのむき出しになった心を、ぐしゃりと握りつぶすだけ。
脆い心を粉々に砕いて、俺を刻みつけるだけ。
―――明日の放課後、グラウンドに行こう。
遠目から確認していた限り、ふたりの仲は進展していない。
ならば、志摩に近寄ってみようか。自然を装って話しかけて。
―――俺と志摩が話していたら、葵はどんな顔をするだろうか?





初日は失敗。
けど数日後、向こうから話しかけられた。

「あの、芹沢葵さんですか。……俺、志摩です。あの、図書室の………」

ああ、そういうことか。
なんて………なんて可笑しいんだろう。
一瞬虚をつかれたけど、状況を理解すれば腹の底から笑いがこみ上げてくる。

―――ねえ、今、自分がどんな顔してるかわかってる?

志摩の向こう、血の気の失せた顔でこちらを見つめる葵に、心からの笑みがこぼれる。
好いた男が、自分と間違えて弟を選ぶなんて、ほんっと、最高。

―――そうだよ、葵。俺はそれが見たかった。

もっともっと、ずたずたに傷つけたい。
表情なんて取り繕えないくらいに、傷つけて、泣かせて。

俺に見惚れて頬を染めた愚かな男に、目を合わせて微笑みかける。
葵の想い人だというだけで殺したいくらい憎いけど、こいつのおかげであの顔が見れた。
まったく何がいいのかわからないけど、想う相手を間違える愚かさだけは、かわいがってあげなくもない。

―――よろしく。

そう伝えれば、愚かな男が喜びを顔いっぱいに表した。






グラウンドに行っては志摩で遊んで、そのたびに顔を歪める葵に快感を得る日々。
ある時、いつものようにグラウンドに行けば、真剣な顔の志摩がいた。

―――もう告白か。………でもここでするなんて、最高。

芹沢葵さん、と呼ばれて、志摩の向こうの葵を見る。
何を話しているかはあそこではわからないだろう。
けれど、この愚かな男の緊張した様子から察しているようだ。
そして、それを否定したくて、けれど見たくなくて、でも目が離せない―――そんな顔、サイコー。

思わず少し笑みがこぼれて、誤魔化すように首に手を掛ける。
この男にキスしてから、葵にキスしようか。
「志摩と間接キスだよ、嬉しい?」って言ったら、間近であの顔をするだろうか。それともぽろりと、泣くだろうか。
ぞくぞくしながら少し目を伏せて、葵を見ながら顔を近づけて―――目を疑った。
後ろ姿でもわかる、立派な体躯。生徒会会計―――早苗と言ったか。
なんで、あいつが、葵に。
見間違いなんかじゃないほど長い長いキスをして。




―――今思えば、そこからすべてが狂いだしたんだ。

葵のくちびるを、ファーストキスを他のやつに奪われたことが許せなくて葵に噛み付いて。
その時の様子から葵の気持ちはやはり志摩にあると確信したけど、………早苗の気持ちは葵に向いている。
志摩との関係を曖昧にしつつ、早苗にも近づこうとしたけれど、油断のならない作り笑顔でかわされて。
いっそ志摩を捨てて早苗に絞って牽制するかと思ったものの、葵の反応から志摩への気持ちは健在のようで。
そこへ来て、愚かな男も少しずつ疑惑の目を向けてくるようになった。
―――そろそろ潮時か。
そう判断してすぐ計画を練って、志摩との情事を匂わせて葵の心を砕くことにした。
青褪めて逃げ出すだろう葵を迎えに行って。
恋した相手の愚かさを嗤って。
葵の見る目のなさを嘲笑(わら)って。
そんな葵でも受け入れてあげると伝えて。

混乱に乗じてすべてを奪えば、きっと葵は泣き出すだろう。
その涙を愛でるのも、きっと愉しい。


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