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第六章.醜い■■の■
14.醜い魔物の子その3
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「──ぅあ?」
頭皮が引っ張られる感覚と、火傷や裂傷を虐め抜く海水の痛みに次第に意識がはっきりしていく……気が付いたら髪を掴まれて持ち上げられているらしい事をボヤける視界の隅で確認できる。
……ごめん、蝸牛が何か言ってるけどまったく聞こえないわ……まだ耳がどこか遠いのよ。
「……おかしい、なぜまだ生きている」
「あ"っ、がぁっ……!」
「これか? この胸の肌だけ色が違うのが原因か?」
髪を引っ張らり上げられて強制的に膝立ちにされたまま胸元を肌蹴させられ、唐突に切り取られたかのように白から褐色へと色が変わっている胸に指を押し込まれる……罅の入った肋骨が圧迫されて声が出てしまう。
猟犬は……クレマンティーヌは何処に居るの? 吹き飛ばされた時に手放してしまった? 応えて……今どこに居るの?
「『だい、ちを……ふみあ、る……くはわれ、ら……が、そら……』」
「……これは、『呪具』か? 人の肉を成す『呪具』?」
今の私の状況では貴女を見つける事はできない……敵の手に捕まれ、全身は火傷と裂傷でボロボロ、骨の至るところが骨折ないし罅も入ってて呼吸すら辛い……耳もよく聞こえないし、視界もボヤけてしまってもうよく分からない……けれど──貴女からなら、私を見つけてくれるでしょう?
「『褐色、の……幼子に託、す我が……願、い』」
「イカれてる……人の肉なんて替えのきかない『呪具』なんて……それもここまで強力な物なんて……いったいどれだけの『対価』を払ったというの……私のお兄ちゃんでさえ……」
あぁ、目の前の女が何かを言っている……どうやらクレルの私に対する〝想い〟の強さが、酷く魔人のコンプレックスを刺激したらしい……敵である私が詠唱しているというのに、未だに固執する様に彼女の起源を悟る。……私の胸に触れる彼女の手から魔力に乗って流れて来る寂寥と嫉妬の感情……気を抜けば〝共感〟してしまいそうになるそれを──鼻で嗤う。
「ふふっ……」
「……なにが可笑しい?」
思わず漏れた嘲笑に目ざとく反応する彼女をボヤける視界で見詰め返す。
「私は貴女と違って自分で追い掛けるし──愛されているわ」
「──殺す」
私の胸に触れていた手を首に移し、へし折る勢いで締め上げてくる彼女に向かって口に溜まった血を吐き飛ばす。
「やっ、てみなさいよぉ!! 『貴女が燃やす──クレマンティーヌ』!!」
私の首を絞める魔人の手を左手で握り締めながら右手を掲げて叫び、彼女を呼び求める……私の呼び声に応え、周囲の海水を蒸発させながら私達の周りを緋色の炎で囲む。
水分が蒸発し、残った塩が焼ける匂いを感じながら私の手元へと飛んでくる相棒の感触にニヤケながらノータイムで振り下ろす。
「今さらアナタの攻撃で──」
「『──彼の事を考える』」
私の首を掴む腕を切り落とす──背中が焼ける。
「『──美しい想い出は色褪せなくて』」
噴き出す血が変質した目に見える穢れの呪いを焼き払う──皮膚が燃やされ、持っていかれる感触を無視する。
「『──忘れられなくて 今も追い縋る』」
一歩踏み込み、私を中心として噴き出す炎が周囲の花と海水を燃やす──大地へと捧げる『対価』が増えていく。
「『──生死の便りすらない彼が愛おしくて堪らなくて』」
魔人が表皮に展開している防郭を、緋色に輝く煌炎を纏めた猟犬で溶断していく──もはや背中の感覚すらない。
「『私は走り続ける!! ── 緋き屈辱!!』」
「馬鹿な──っ?!」
鈴を掻き鳴らしたの様な耳障りな音と共に魔人の防郭が弾け飛び、破片すら焼き尽くす……霞む視界の緋が酷く眩しくて──綺麗だった。
固い殻が撓み、そして破裂する様……この空間の空気を焼き焦がす匂いと腐臭のする魔人の血の匂いが、甘い自分の血の匂いと混ざってクラクラする。
魔人の肩口から腰の辺りまでを引き裂く感触と、ジュクジュクと肉を焼き溶かす感触が猟犬を通して伝わる……目は見えないけれど、この手応えだけで魔人の魔力結合を崩壊させ、起源へと致命的なまでのダメージを与えたという確信を得る。
「…………ごぶっ!!」
そこまで来たところで口から大量の血を吐き出し、全身から力が抜けていく……中途半端に魔人の身体にめり込んだまま猟犬の刃が止まってしまう……もう自分の握力ではこれ以上押し込む事も引き抜く事も出来ない。……あと少しなのに、ダメなのかな。
「──アァァァァァアアアア!!!!!! 絶対に許さないィィィィイイイイ!!!!!!」
「けほっ、がはっ……!」
内臓をやられているのか、口から溢れ出る血は止まらない……なのに聴力だけは回復したようで、自分のすぐ下に倒れている魔人の怨嗟の声が明瞭に聞こえる……いや、魔力に乗せてるから認識できるだけかな。……それほどまで感情が昂ってて、私に対する殺意は留まる事を知らないのでしょう。
『……アリシアよ、まだ……動けるか?』
「ごめっ……も、無理……」
『…………そうか』
数分ぶりに聞こえた蝸牛の声に振り絞った……けれどか細くなった声で答える。……彼に言われなくても不味い事は何となく分かる。それは目が見えなくても変わらない。
自身の起源に深いダメージを負った魔人に、もうそれほどの力は残されていないでしょう……むしろ時間が経つ度に今まで彼女が溜め込んだ魔力は霧散していくはず。
……けれど、その前に瀕死の女を一人縊り殺すくらいは簡単にできる。
『お前は良くやった』
「……」
『弱っているとはいえ、魔人が相手だったのだ』
「……」
『お前の様な歳若い少女が相討ちに持ち込めただけで快挙と言えよう』
「…………死に、たっ……ない」
蝸牛の慰めに、魔人の怨嗟の声色で紡がれる詠唱が遠くに聞こえる中で返事をする……私はまだ死にたくないし、死ねないと……嫌だと。
良くやっただとか、相手が悪かっただとか、ここまで出来ただけ凄いとか……そんなありふれた言葉は聞きたくない。
…………ただ死にたくない、クレルと再会するまでは死にたくない。
『……大丈夫だ、お前を死なせはしない』
「……?」
『……本当はこの後も成すべき事があったが、目の前で恩ある若者を死なせるのは──私も奴も赦しはしないだろう』
「な、……にを……?」
私の身体の中に入っていた蝸牛の存在感が俄に薄れ始め、私の中に徐々に溶け込んでいくのが分かる……彼が何をしようとしているのかが分からない……けれど、これを許してしまうと彼まで消えてしまう気がする。
『正直を言えば、しなければならない事を放棄してまで私が犠牲になっても生存率は1%も上がりはしない』
「……」
『……だが、お前の身体の傷と代償の一部を肩代わりする事で、もしかしたらお前だけでも生き残れるかも知れない』
「そ、ん……ごめっ……」
声が出ない……『そんなつもりじゃない、ごめん』という言葉すら口に出せないくらいに今の私はボロボロらしい。……本当に無茶し過ぎたみたいね。
彼女が支えてくれていないと、そのまま魔人の上で倒れてしまいそうなくらいには力が入らない。
『良いか? よく聞け……俺がお前の身体に溶け込み切ったら直ぐに魔人の首を刎ねろ』
「……」
『そこまで回復し切れなかったら全力で回避に専念しろ、無様に転げ回り、這いずってでも逃げろ……時間が経てば自然と奴は消える』
今の私に選択権はない……どう足掻いても彼の犠牲は決定事項で、他の方法を提案する思考も手段もない。……ただせめて、せめて即座に動ける様に猟犬の柄を持つ右手に震える左手を添えるだけ。
『その直後に〝種〟に引き寄せられたアイツが来る……お前はそれに喰われるだろうが、運が良ければそれでも生き残れる』
「ごめっ……さ、……い」
『…………気にするな。仕方ない状況であったとはいえ、若者に無理をさせ過ぎた』
……そうか、薄々勘づいてはいたけれど、蝸牛も魔人か、それに近い存在だったのね……彼自身も目覚めたばかりらしいから気付かなかった……力の大きさに不釣り合いな知識と技術で勘づくべきだったわ。……見た目通りの年齢相応の話し方じゃなかったのにね。
『ではなアリシア──ありがとう、どうか息災で』
「……っ!」
完全に蝸牛の存在が消え去り、私の中に溶け切ったのを悟る……勝手に涙がポロポロと溢れるけれど、自身の私情は後回しにしてこの窮状を脱しなければならない。……私のせいで消えた個について考えるのは後でいくらでも……いくらでも出来るんだから。
今は、もう一人の大事な人であるお婆ちゃんを解放するべく……それが無理でも生き残る為に刃を、足を……動かそうとして気付く──あぁこれはダメだな、と。
「──何をそんなに泣いてるんだい?」
「っ?! …………お、おば……ちゃ、……?」
……可笑しいな、今まで聞こえていた怨嗟の詠唱がピタリと止み、変わりに聞き覚えのある優しい声が私に語り掛けて来る……もう色んな事が一度に起こりすぎて頭と感情が追い付かない。涙だけが流れていく。
「……ごめんねぇ、不甲斐ない老婆で」
「……ううん」
「……兆候が出始めた時にアンタらから距離を置こうとしたんだけど、どっかの馬鹿が〝種〟をばら蒔いたみたいでねぇ……呑まれちまったよ」
隙間風な様な異質な呼吸音を響かせるお婆ちゃんに泣きながら首を横に降ることで気にしてないと伝える……お婆ちゃんは苦笑してくれた。
「……あの坊やでもアンタの代償を背負い切れなかったみたいだね」
「……う、ん」
「あぁ、そんな顔をしなさんな……決して無駄ではないさね……この後の事を考えたらね」
私が無理をし過ぎたせいだ……あれだけの力を、猟犬の処理が追い付かないくらいの力を短時間で行使するのに、大地が対価を要求しない訳がない……血液のストック無く、レナリア人である私に捧げられる物なんて選べない。……今回は背中の皮膚を持っていかれた。
「……ほら、綺麗な顔が台無しだよ……『我が願いの対価は慈しむ鬱金香 望むは乙女を癒す力』」
「……っ!」
「……好きで好きで堪らない、愛おしい人に会うまでは死ねないんだろう?」
「……うんっ!」
蝸牛のおかげで揺り戻しの大部分は緩和され、お婆ちゃんのささやかな魔法によって小さな……本当に小さな傷だけだけれど、癒される……そのおかけで猟犬の柄をちゃんと握り直す余裕が生まれる。
「じゃあ最期に残酷なお願いだ──私を殺害してくれないかね?」
「そ、ん……な……」
「お嬢ちゃんが頑張ったお陰で戻って来れたけど、正直もう限界なんだ……私を休ませておくれ?」
……このまま放っておいたら、生き汚い魔人がまた表にでてくるのは分かってる……私もお婆ちゃんも望まない結果になるのは分かってる……それでも、それでも……お婆ちゃんの首に添える猟犬の刃は震えて止まらない。
「……私は魔法使いじゃないの」
「そうだね」
「……お婆ちゃんの魔力を溶かして取り込む事はできない」
「そうだね」
「……貴女の死後は安らかなものではなく、永遠にこの大地に縛られ、魔性を産み落とす土壌になってしまう」
「そうだね」
…………私では、レナリア人である私ではお婆ちゃんの魔力残滓を処理できないのに……魔法使いにとって不名誉な大地の穢れとなる事すら覚悟しているお婆ちゃんに対して、私だけが躊躇してその晩節まで汚す事はできない。狡い。
「ごめん、ね……ご、めんね……」
「泣くんじゃないよ、ほら……今なら『徒花のフレイア』を討ち取る名誉をくれてやるよ」
カッコつけてニヒルに笑いながら、『大樹のセブルス』と並ぶ大物の名前を出すお婆ちゃんに……私も不細工に笑い返す。
「お婆ちゃん──いや、フレイアさん……ありがとうございました」
「アンタは笑っていた方が綺麗だよ……………………この後も生き残れたら、アンジュによろしくね」
「えぇ、もちろん」
「約束だよ」
「「ふふっ」」
お互いに笑い合いながら、お婆ちゃんの首に添えた猟犬を握り直す。
「「それじゃあ──」」
最期に少しだけ刃の表面に魔力を走らせ、固い皮膚を裂けるようにする。
「「──さようなら」」
両手に力を込め──フレイアさんの首を断つ。
「……」
魔人が持っていた最後の〝種〟を残して、衣服すら残さず融解するように消えていく死体……それに合わせてこの『領域』も空に響き渡る程の大きな音を立てて崩れ去る。そして──
「──この後もってこれ、か」
正常な景色に戻った海で、異常な船が大きく口を開いて──私ごと砂浜を呑み込んだ。
▼▼▼▼▼▼▼
頭皮が引っ張られる感覚と、火傷や裂傷を虐め抜く海水の痛みに次第に意識がはっきりしていく……気が付いたら髪を掴まれて持ち上げられているらしい事をボヤける視界の隅で確認できる。
……ごめん、蝸牛が何か言ってるけどまったく聞こえないわ……まだ耳がどこか遠いのよ。
「……おかしい、なぜまだ生きている」
「あ"っ、がぁっ……!」
「これか? この胸の肌だけ色が違うのが原因か?」
髪を引っ張らり上げられて強制的に膝立ちにされたまま胸元を肌蹴させられ、唐突に切り取られたかのように白から褐色へと色が変わっている胸に指を押し込まれる……罅の入った肋骨が圧迫されて声が出てしまう。
猟犬は……クレマンティーヌは何処に居るの? 吹き飛ばされた時に手放してしまった? 応えて……今どこに居るの?
「『だい、ちを……ふみあ、る……くはわれ、ら……が、そら……』」
「……これは、『呪具』か? 人の肉を成す『呪具』?」
今の私の状況では貴女を見つける事はできない……敵の手に捕まれ、全身は火傷と裂傷でボロボロ、骨の至るところが骨折ないし罅も入ってて呼吸すら辛い……耳もよく聞こえないし、視界もボヤけてしまってもうよく分からない……けれど──貴女からなら、私を見つけてくれるでしょう?
「『褐色、の……幼子に託、す我が……願、い』」
「イカれてる……人の肉なんて替えのきかない『呪具』なんて……それもここまで強力な物なんて……いったいどれだけの『対価』を払ったというの……私のお兄ちゃんでさえ……」
あぁ、目の前の女が何かを言っている……どうやらクレルの私に対する〝想い〟の強さが、酷く魔人のコンプレックスを刺激したらしい……敵である私が詠唱しているというのに、未だに固執する様に彼女の起源を悟る。……私の胸に触れる彼女の手から魔力に乗って流れて来る寂寥と嫉妬の感情……気を抜けば〝共感〟してしまいそうになるそれを──鼻で嗤う。
「ふふっ……」
「……なにが可笑しい?」
思わず漏れた嘲笑に目ざとく反応する彼女をボヤける視界で見詰め返す。
「私は貴女と違って自分で追い掛けるし──愛されているわ」
「──殺す」
私の胸に触れていた手を首に移し、へし折る勢いで締め上げてくる彼女に向かって口に溜まった血を吐き飛ばす。
「やっ、てみなさいよぉ!! 『貴女が燃やす──クレマンティーヌ』!!」
私の首を絞める魔人の手を左手で握り締めながら右手を掲げて叫び、彼女を呼び求める……私の呼び声に応え、周囲の海水を蒸発させながら私達の周りを緋色の炎で囲む。
水分が蒸発し、残った塩が焼ける匂いを感じながら私の手元へと飛んでくる相棒の感触にニヤケながらノータイムで振り下ろす。
「今さらアナタの攻撃で──」
「『──彼の事を考える』」
私の首を掴む腕を切り落とす──背中が焼ける。
「『──美しい想い出は色褪せなくて』」
噴き出す血が変質した目に見える穢れの呪いを焼き払う──皮膚が燃やされ、持っていかれる感触を無視する。
「『──忘れられなくて 今も追い縋る』」
一歩踏み込み、私を中心として噴き出す炎が周囲の花と海水を燃やす──大地へと捧げる『対価』が増えていく。
「『──生死の便りすらない彼が愛おしくて堪らなくて』」
魔人が表皮に展開している防郭を、緋色に輝く煌炎を纏めた猟犬で溶断していく──もはや背中の感覚すらない。
「『私は走り続ける!! ── 緋き屈辱!!』」
「馬鹿な──っ?!」
鈴を掻き鳴らしたの様な耳障りな音と共に魔人の防郭が弾け飛び、破片すら焼き尽くす……霞む視界の緋が酷く眩しくて──綺麗だった。
固い殻が撓み、そして破裂する様……この空間の空気を焼き焦がす匂いと腐臭のする魔人の血の匂いが、甘い自分の血の匂いと混ざってクラクラする。
魔人の肩口から腰の辺りまでを引き裂く感触と、ジュクジュクと肉を焼き溶かす感触が猟犬を通して伝わる……目は見えないけれど、この手応えだけで魔人の魔力結合を崩壊させ、起源へと致命的なまでのダメージを与えたという確信を得る。
「…………ごぶっ!!」
そこまで来たところで口から大量の血を吐き出し、全身から力が抜けていく……中途半端に魔人の身体にめり込んだまま猟犬の刃が止まってしまう……もう自分の握力ではこれ以上押し込む事も引き抜く事も出来ない。……あと少しなのに、ダメなのかな。
「──アァァァァァアアアア!!!!!! 絶対に許さないィィィィイイイイ!!!!!!」
「けほっ、がはっ……!」
内臓をやられているのか、口から溢れ出る血は止まらない……なのに聴力だけは回復したようで、自分のすぐ下に倒れている魔人の怨嗟の声が明瞭に聞こえる……いや、魔力に乗せてるから認識できるだけかな。……それほどまで感情が昂ってて、私に対する殺意は留まる事を知らないのでしょう。
『……アリシアよ、まだ……動けるか?』
「ごめっ……も、無理……」
『…………そうか』
数分ぶりに聞こえた蝸牛の声に振り絞った……けれどか細くなった声で答える。……彼に言われなくても不味い事は何となく分かる。それは目が見えなくても変わらない。
自身の起源に深いダメージを負った魔人に、もうそれほどの力は残されていないでしょう……むしろ時間が経つ度に今まで彼女が溜め込んだ魔力は霧散していくはず。
……けれど、その前に瀕死の女を一人縊り殺すくらいは簡単にできる。
『お前は良くやった』
「……」
『弱っているとはいえ、魔人が相手だったのだ』
「……」
『お前の様な歳若い少女が相討ちに持ち込めただけで快挙と言えよう』
「…………死に、たっ……ない」
蝸牛の慰めに、魔人の怨嗟の声色で紡がれる詠唱が遠くに聞こえる中で返事をする……私はまだ死にたくないし、死ねないと……嫌だと。
良くやっただとか、相手が悪かっただとか、ここまで出来ただけ凄いとか……そんなありふれた言葉は聞きたくない。
…………ただ死にたくない、クレルと再会するまでは死にたくない。
『……大丈夫だ、お前を死なせはしない』
「……?」
『……本当はこの後も成すべき事があったが、目の前で恩ある若者を死なせるのは──私も奴も赦しはしないだろう』
「な、……にを……?」
私の身体の中に入っていた蝸牛の存在感が俄に薄れ始め、私の中に徐々に溶け込んでいくのが分かる……彼が何をしようとしているのかが分からない……けれど、これを許してしまうと彼まで消えてしまう気がする。
『正直を言えば、しなければならない事を放棄してまで私が犠牲になっても生存率は1%も上がりはしない』
「……」
『……だが、お前の身体の傷と代償の一部を肩代わりする事で、もしかしたらお前だけでも生き残れるかも知れない』
「そ、ん……ごめっ……」
声が出ない……『そんなつもりじゃない、ごめん』という言葉すら口に出せないくらいに今の私はボロボロらしい。……本当に無茶し過ぎたみたいね。
彼女が支えてくれていないと、そのまま魔人の上で倒れてしまいそうなくらいには力が入らない。
『良いか? よく聞け……俺がお前の身体に溶け込み切ったら直ぐに魔人の首を刎ねろ』
「……」
『そこまで回復し切れなかったら全力で回避に専念しろ、無様に転げ回り、這いずってでも逃げろ……時間が経てば自然と奴は消える』
今の私に選択権はない……どう足掻いても彼の犠牲は決定事項で、他の方法を提案する思考も手段もない。……ただせめて、せめて即座に動ける様に猟犬の柄を持つ右手に震える左手を添えるだけ。
『その直後に〝種〟に引き寄せられたアイツが来る……お前はそれに喰われるだろうが、運が良ければそれでも生き残れる』
「ごめっ……さ、……い」
『…………気にするな。仕方ない状況であったとはいえ、若者に無理をさせ過ぎた』
……そうか、薄々勘づいてはいたけれど、蝸牛も魔人か、それに近い存在だったのね……彼自身も目覚めたばかりらしいから気付かなかった……力の大きさに不釣り合いな知識と技術で勘づくべきだったわ。……見た目通りの年齢相応の話し方じゃなかったのにね。
『ではなアリシア──ありがとう、どうか息災で』
「……っ!」
完全に蝸牛の存在が消え去り、私の中に溶け切ったのを悟る……勝手に涙がポロポロと溢れるけれど、自身の私情は後回しにしてこの窮状を脱しなければならない。……私のせいで消えた個について考えるのは後でいくらでも……いくらでも出来るんだから。
今は、もう一人の大事な人であるお婆ちゃんを解放するべく……それが無理でも生き残る為に刃を、足を……動かそうとして気付く──あぁこれはダメだな、と。
「──何をそんなに泣いてるんだい?」
「っ?! …………お、おば……ちゃ、……?」
……可笑しいな、今まで聞こえていた怨嗟の詠唱がピタリと止み、変わりに聞き覚えのある優しい声が私に語り掛けて来る……もう色んな事が一度に起こりすぎて頭と感情が追い付かない。涙だけが流れていく。
「……ごめんねぇ、不甲斐ない老婆で」
「……ううん」
「……兆候が出始めた時にアンタらから距離を置こうとしたんだけど、どっかの馬鹿が〝種〟をばら蒔いたみたいでねぇ……呑まれちまったよ」
隙間風な様な異質な呼吸音を響かせるお婆ちゃんに泣きながら首を横に降ることで気にしてないと伝える……お婆ちゃんは苦笑してくれた。
「……あの坊やでもアンタの代償を背負い切れなかったみたいだね」
「……う、ん」
「あぁ、そんな顔をしなさんな……決して無駄ではないさね……この後の事を考えたらね」
私が無理をし過ぎたせいだ……あれだけの力を、猟犬の処理が追い付かないくらいの力を短時間で行使するのに、大地が対価を要求しない訳がない……血液のストック無く、レナリア人である私に捧げられる物なんて選べない。……今回は背中の皮膚を持っていかれた。
「……ほら、綺麗な顔が台無しだよ……『我が願いの対価は慈しむ鬱金香 望むは乙女を癒す力』」
「……っ!」
「……好きで好きで堪らない、愛おしい人に会うまでは死ねないんだろう?」
「……うんっ!」
蝸牛のおかげで揺り戻しの大部分は緩和され、お婆ちゃんのささやかな魔法によって小さな……本当に小さな傷だけだけれど、癒される……そのおかけで猟犬の柄をちゃんと握り直す余裕が生まれる。
「じゃあ最期に残酷なお願いだ──私を殺害してくれないかね?」
「そ、ん……な……」
「お嬢ちゃんが頑張ったお陰で戻って来れたけど、正直もう限界なんだ……私を休ませておくれ?」
……このまま放っておいたら、生き汚い魔人がまた表にでてくるのは分かってる……私もお婆ちゃんも望まない結果になるのは分かってる……それでも、それでも……お婆ちゃんの首に添える猟犬の刃は震えて止まらない。
「……私は魔法使いじゃないの」
「そうだね」
「……お婆ちゃんの魔力を溶かして取り込む事はできない」
「そうだね」
「……貴女の死後は安らかなものではなく、永遠にこの大地に縛られ、魔性を産み落とす土壌になってしまう」
「そうだね」
…………私では、レナリア人である私ではお婆ちゃんの魔力残滓を処理できないのに……魔法使いにとって不名誉な大地の穢れとなる事すら覚悟しているお婆ちゃんに対して、私だけが躊躇してその晩節まで汚す事はできない。狡い。
「ごめん、ね……ご、めんね……」
「泣くんじゃないよ、ほら……今なら『徒花のフレイア』を討ち取る名誉をくれてやるよ」
カッコつけてニヒルに笑いながら、『大樹のセブルス』と並ぶ大物の名前を出すお婆ちゃんに……私も不細工に笑い返す。
「お婆ちゃん──いや、フレイアさん……ありがとうございました」
「アンタは笑っていた方が綺麗だよ……………………この後も生き残れたら、アンジュによろしくね」
「えぇ、もちろん」
「約束だよ」
「「ふふっ」」
お互いに笑い合いながら、お婆ちゃんの首に添えた猟犬を握り直す。
「「それじゃあ──」」
最期に少しだけ刃の表面に魔力を走らせ、固い皮膚を裂けるようにする。
「「──さようなら」」
両手に力を込め──フレイアさんの首を断つ。
「……」
魔人が持っていた最後の〝種〟を残して、衣服すら残さず融解するように消えていく死体……それに合わせてこの『領域』も空に響き渡る程の大きな音を立てて崩れ去る。そして──
「──この後もってこれ、か」
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その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。
死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。
だが、その力の代償は、あまりにも大きい。
彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”――
つまり平和で自堕落な生活そのものだった。
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