サクリファイス・オブ・ファンタズム 〜忘却の羊飼いと緋色の約束〜

たけのこ

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第七章.哀哭の船

7.貴方になら​──

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「くっ……はぁ……」

 突然に倒れてしまったクレルを背負いながら歩く……首から下げた羅針盤の反応からして、先ほどクレルの身体を乗っ取った正体不明の彼が飛ばした魔物はまだ近くに​──この船に居るのでしょう。
 無限に湧き出て来る白い粘体にもビクビクとしながら歩く……肩を痛めてしまい、ダランとして持ち上がらない左手で猟犬を握り締め、傷口から流れる血を捧げる事で周囲の敵を蒸発させていく。

「うっ……」

 ……さすがに失血が多かったかも知れないわね、立ちくらみがしてきたわ。
 これ以上無計画に血を捧げるのも後々を考えたら絶対に不味いし、何処か……何処か休める場所を探さないと……休めなくて良いから、せめて一方向だけ注意していれば良いような地形があれば……クレルを寝かせながら迎撃できるのに。

「……あそこが良さそう、ね」

 魔物に襲撃された場所から暫く歩いて久方ぶりに見つけた小部屋……罠なんかで無ければ、やっとゆっくりとクレルを寝かせてあげることができる。

「もう少し……もう少しだからね……」

 すぐ近くにあるクレルの、未だに目を覚まさないその顔にそっと……首を傾げて寄り添うように自分の顔を近付ける。
 クレルが無茶をして、無理な魔法行使をしなければ私は今ごろあの魔物に殺されていた……彼はいつもそうやって私を助けてくれる。
 本当だったら七年前の魔物災害の時に私は一度死んでいるはずだった……けれどクレルは私を生かしてくれた。

「……」

 チラリと持ち上がらない左腕を見る……他者の魔力に直接侵されて酷い有様だけれど、それでも少しずつぐじゅぐじゅと音を立てながら修復してくれている……彼は私の傍に居ない時でも守って助けてくれていた。
 彼が守ってくれなければ私はグリシャや元魔人に殺されるか、連れ去られるか……どっちにしろ今この場で五体満足では居られなかったでしょう。

「……今度は私が守るからね」

 小部屋の中を確認してからそっと、クレルを壁際に寝かせる……眠る彼の頬を撫でて、そのまま私は扉を閉めてからクレルを背後に猟犬を構える。
 絶対にここから先へは行かせないんだから……どれだけの数の敵が攻めてこようとも、絶対にクレルには指一本も触れさせないんだから。

「さぁ……来るなら来なさい」

▼▼▼▼▼▼▼

「​──っと、危ない」

 ……いけない、一瞬だけ意識が飛んでしまった……ホラド伯爵領における元魔人に一方的にやられた戦闘から立て続けでほぼ休む暇が無かったし、やはりダメージも大きい。

「……深夜三時、か」

 表面に罅が入ってしまった懐中時計と、この船に飲み込まれてからの体感時間からしてそのくらいでしょう……今の今までろくに飲食や睡眠を摂ってないのだから、意識が飛びそうになるのも仕方のない事かも知れないわね。
 惰性で手を動かし、扉の隙間から侵入しようとして来た粘体をジュッと焼きながら自分の舌を噛み、痛みで目を無理やり覚ます。

「眠っちゃダメ眠っちゃダメ眠っちゃダメ眠っちゃダメ眠っちゃ​──」

 今ここで私が眠ってしまったら、誰がクレルを守ると言うの……力が抜けて地に着く膝を拳で叩いて喝を入れ、床に突き刺した猟犬に寄っかかる事で立ち続ける……朦朧とする私の意識とは裏腹に、相棒クレマンティーヌはきちんと仕事をしてくれる。
 粘体である彼らも夜になれば活動を休止するのか今現在はあまり襲って来ず、たまに威力偵察とばかりに顔を出す程度なのが不幸中の幸いかしらね。

「わ、わたっ……私が眠っ、ちゃ……ダメ、よ……」

 心做しかクレマンティーヌの炎も小さくなってきている様な気がして……このままじゃ本当に不味いなというのが分かってしまう。
 せめてクレルが……彼が目覚めてくれるまで立ち続けるのよ……こんな危険な場所で二人して意識を失うなんて自殺する様な​──

「……クレル?」

 ​──唐突に肩に置かれる手にビックリして振り返れば、自分の目線よりも少し高い位置にある彼の顔が見える。

「目が覚めたの? 身体は痛くない? もう平気なの?」

 急いで身体の向きを変え、彼の頬に手を当てて未だに虚ろな深紅の瞳を覗き込む。
 扉を見張らないといけないなんて事はすぐさま頭の片隅に追いやられてしまって……もう完全に思考能力が落ちてしまっているのが分かる。

「……クレル?」

 呼び掛けても何も反応を示さない彼を見て胸が不安に締め付けられる……まさか魔法の揺り戻しがキツイのだろうか? それともまだあの正体不明の彼がクレルの身体に居座っているのだろうか?

「ま、まだ寝てた方が​──きゃあっ?!」

 突然に彼に引き倒され、床に転がされる……もはや今の私の体力や腕力では受け身を取ることすら出来ずにとてつもなく強い力で抑え込まれる。

「く、クレル……? どうしたの……?」

 寝惚けた思考の底で『キャッー! クレルに押し倒されちゃったー!』という言葉が過ぎってしまったり、『もう全然腕力では勝てそうにないのね……』なんて落ち込んでしまったり、グルグルと混乱するけれど、それよりも……彼に対する心配が勝ってしまう。

「み、ず……」

「……水? 喉が乾いてるの?」

 確か水ならクレルのすぐ側に置いてあったはずで……彼を寝かせていた壁際を見ようと目線を動かして​──

「いっ?!」

 ​──不意に首筋に走る痛みに身体が硬直して動けなくなる。

「痛い……クレル痛いよ……」

「……ゴクッ……ゴクッ」

 横目で覗き見てみれば、クレルは未だに虚ろな瞳で私の首筋に噛み付き​──そのまま血を啜っていく。
 その尋常じゃない様子に恐怖と心配で胸がいっぱいになる……こんなケースは初めてで、どうすれば良いのかさっぱり分からない。

「そん、なに……喉が乾いて……いた、の……?」

「……ゴクッ……ゴクッ」

 私の問い掛けに何も答えずに、彼は一心不乱に私の血を少しずつ啜っていく……何かに取り憑かれてしまったかの様に、脅されてしまったかの様に……虚ろな瞳に涙を浮かべながら血を啜っていく。
 そんな彼を見て、私は……ドンドン落ちていく思考能力に促されるままに手を動かす。

「​──いいよ。そのまま飲んでも」

「……っ」

 あぁ、ダメだ……瞼が落ちていく……このままのクレルを一人にしたら、もしかしたら敵に殺されてしまうかも知れないというのに……ドンドン重たくなって来る。
 必死に眠気に抗いながらクレルの頭を優しく撫で、頭をさらに自分の首筋に押し付けるように抱え込む。

「クレ、ルは……今まで頑張っ、て……来たもん、ね……私を、守っ……て、くれ……てた……もん、ね……」

 あれ、私ちゃんと彼に言葉を伝えられているのかな……視界だけでなく、耳まで遠くなって来る。

「少、しくら……いは……お返ししな、い……とね……」

 うーん、喉も掠れて聞くに耐えない聞き取りづらい声になってる気がするわね……もっとハッキリと、彼にこの気持ちを伝えなきゃいけいのに……ままならないものね。

「私……私、ね……クレ、ル……貴方に、なら​……」

 あぁ、もういよいよ時間がないなぁ……最後にこれだけでも伝え切れたら、そしたら​──

「​​──食べられ、ても……良い、の……よ?」

 ​──思い残す事はないのに、なんて……考えながら意識を完全に落とす。……最後にちゃんと伝えきれたかさえ、分からないままに。

▼▼▼▼▼▼▼
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