透明な回想録 ~Transparent reminiscences~

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大浴場 3

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「あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁー」

ツルツルとした心地良い湯触りと、身体全体を包む浮遊感に濁音まみれの唸り声が口を衝いて出た。

透明度の低い琥珀色の湯に俺は身を委ねている。
全身を覆う脱力感、肌から伝わる熱に今にも昇天しそうな気分だ。

象の家族でも余裕で入れそうな正方形の浴槽で顔だけを湯船から覗かせる。
金気臭と植物性の匂いが混じったような特徴的な香りだ。
湯が赤茶けた色であれば鉄分が多いと推測されるが、それとは何か違う。

色だけで言えばモール泉に近いものを感じるが、今までに味わったことの無い浴感である。
肌に優しそうな湯触りからアルカリ性であろうことは間違い無いだろう。
ph10以上の温泉にも幾つも入ったことがあるが、それらと比較しても肌に纏わり付くヌルヌル具合はこのお湯の方が強烈なものだ。

これは、余り長湯し過ぎると肌の脂分を全て持っていかれそうだな……。

浴槽の周囲は列柱に囲まれており、ドーム状のガラス屋根に覆われている。
ガラス越しに見上げる夜空は、さながらプラネタリウムのように見えた。
強アルカリ性の温泉は10分程度の入浴が良いとされているが、この空間には身体を湯の中に留めようとさせる魅力に溢れていた。
いつまでも浸かっていたくなるような。

どんだけ豪華な風呂なんだ……。

浴槽からオーバーフローする様子が見受けられない点から、底からお湯を排出しているのだろう。
鮮度の悪くなった湯は下に溜まるので、下部から排出というのは浴槽内に良質な湯を留めるという点では理想的な排出方法だ。

湯口が見当たらないという事は浴槽の内部から新しい湯が投入されているのか。

ドバドバと湯口から注がれるお湯の音と、流れ出る様子を目にしながら入浴するのも温泉の醍醐味ではあるが、これはこれで趣きがある。

静かだ……。

この静寂が壮麗さをより際立てるスパイスなのだろう。
そんなどうでもいい分析をしながら長湯をして、セリカを待たせるのも心苦しいので早めに切り上げる事にした。
おまけに、ただでさえ乾燥肌な肌の脂分を持っていかれるのも困る。

鏡面に磨き上げられ光沢を放つ浴槽のふちへ手をかけた。
薄明かりの照明と、星空の光でキラキラと輝くこの浴槽も見事なものだ。

湯から上がると同時にタオルを探してしまうのは、もはや条件反射と言える行動だ。
すぐに浴室内に何も持ち込んでいないことを思い出し、タオルを探す視線を出口へと向ける。
例の便利グッズもとい魔導具があるからタオルは必要無いのだった。

全身から雫を垂らしながら脱衣所へ向かう。
脱衣所の床がビチャビチャになるんじゃないか、と少し後ろめたい気持ちになったが、そんな心配は杞憂であった。

おぉ、床に着いた足跡が歩いた傍から消失していく。
俺の進んできた軌跡が綺麗さっぱり消えていることに、更なる感動を覚えつつ無駄に歩き回ってみる。
ひとしきりスキップやら回れ右やらした後、すっぽんぽんで何をやっているんだと我に返る。

きっと珪藻土のような素材で出来ているのだろう。
細部まで考え抜かれた構造に感嘆するばかりだ。


そして未知の体験となる異世界便利ボックスの扉に手をかける。
装飾過多な外見だが、電話ボックスのそれと全く同じ開き方をした。
中に入り扉を閉めると何とも不思議な感覚に襲われる。
音も無く閉まる扉。
いや、これは……、全ての音が無い。


無音の空間。


両耳の穴に指を突っ込んだ状態に酷似している。
全ての音が遮断されるのと同時に、自身の身体が発光していることに気付く。
まるで全身に電飾を纏っているかのようだ。

全裸イルミネーションは10秒程度で終了した。

光が消え耳も正常に戻ると、10年前のエロゲ主人公達の前髪よりも更に長い俺の髪は完全に乾燥が終わっていた。
元々は背中ぐらいまで伸ばしていたのだが、前だけ残してそれ以外はバッサリと切り、今の奇妙なヘアースタイルと化したのだ。

これが自分のアイデンティティだと思っているが、人から見ればどうでもいいこだわりに固執しているだけだろう。
一緒に持って入った衣服を着ると、首元まで伸びた前髪をいつも通り6:4で分け箱の外へと出た。

魔導具の効果は絶大で、衣服の汚れも完全に落ちていた。
クリーニングに出したばかりの服に袖を通すかのように清々しい気分だった。

……これが女性用の服でなければ。



――――――――――――



湯上りの火照った身体を撫でる夜風が心地よかった。

列柱と同じような渦巻きやらのデザインが彫られたベンチ。
その大理石で出来たベンチの真ん中に座るセリカの姿を見つけ、俺は彼女の元へと歩み寄っていく。

「あら、もうお戻りになられるなんて、随分と早かったですね」

髪の毛を指でくるくるしながら、瞬く星空を眺めていたセリカの顔が俺のほうへと向けられる。
こちらから声を掛けるより先に、そう湯上りの俺を出迎える言葉が掛けられた。

「あぁ、待たせるのも悪いしな」

湯上りの火照った身体を撫でる夜風が心地よかった。
かく言う彼女は10分足らずぐらいで出てきたんだが。


「待つのは慣れてますから。 それに私、待つの嫌いじゃないですよ」

「俺も、座って良いか?」

「はい、是非お隣にどうぞ」

ベンチに座るセリカは、ささっと左に少しずれて右手で座面をポンポンと叩く。
堅い座面に押されてか、横に広がる太腿が非常に肉感的に感じた。

「むー、どうしてそんなに離れて座るんですか?」

「いや、……特に理由はない」

なんとなく気恥ずかしく、真隣ではなく一人分離れて座った事を即座に咎められる。

「しかし、何度見上げてみても凄い星空だな」

これ以上の追求を避けるため、話題を変えることにした。
セリカは俺の恥ずかし紛れの言葉に沈黙で返した後、しばらくしてこう紡いだ。


「明日、目が覚めて全てが夢だったらどうしよう……、そんなふうに思うんです。 こうして一緒に夜空を見上げているこの瞬間も、貴方と話せたことも、触れ合えたことも、……全部夢だったとしたらどうしようって。 決して不幸ではありませんでしたが、またあの待つだけの日々に戻ったらどうしようって……、そんなふうに思うんです」


寂しげな調子で続けていた言葉が、そこで詰まった。
俺自身も今置かれているこの状況が、夢なのか現実なのか未だにはっきりと断言出来る自信は無い。

だが、夢にしてはリアル過ぎる。
でも、現実にしては不可思議。

「そうだな、お前もああは言ってたが、……待つだけは辛いよな」

夢か現実か、どっちが良いかは正直わからない。
わからないが、網膜に映る彼女のうら悲しい表情はあまり見たくないものであるのは確かだ。

「安心しろ、……ほら、夢じゃない」

そう答えてから、俺は自分の両手で左右のほっぺたをつねって広げて見せた。

「それに、もし夢が覚めたとしても、……俺とお前は一緒だ」

置かれたままの彼女の右手に自分の左手を重ねそう言った。
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