透明な回想録 ~Transparent reminiscences~

スーパーアドシスO

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幽愁の天使

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この愁絶はどうすれば晴れるのだろう……。

袂を分かった瞬間から、慕情と共にあの日に置いてきたはずなのに。


「いっそこのまま、……もう片方も、千切れて無くなってしまえば良いのに」


顎を左肩にくっつけるようにして、自らの身体の一部たる翼を見つめる。
人の身である者には存在しないそれが、己が心を縛り付けるくびきのように思えた。

「いいえ、これはくびきそのものなの。 ……代わりに、わたくしは願いを叶えたのだから」

やり場のない思いをぶつけるように、水鏡に映る翼に手を叩きつけた。
水しぶきを上げた直後、水面に映る像が激しく波打つ。
そのまま目を瞑り、沈むようにして頭頂部まで湯船に浸かる。

ここはイルミンズール大神殿の地下浴場。
大浴場は広すぎて落ち着かないので、入浴はもっぱら狭く薄暗いこの地下浴場を利用している。

わたくしの心を騒がす引き金となった二人は今この神殿には居ない。

突如現れた、どう見ても女性にしか見えない殿方と、妬ましいくらいに可愛らしい容姿の少女。
彼らに嫌厭の情があるわけではない、むしろ好感を抱いていると言っていい。


ただ、どうしても重なって見えてしまうのだ。

追憶の彼方にある、自分とあの人の……、在りし日の姿に。


それを想起するに至ったのは、中庭で目にした光景。
自らの命を賭して大切な人を護ろうとする、あの姿を見た時。

――もっとも、あの時には救いなんてものはなかったけれど……。


もしも……、あの時、……もしも救いがあったとしたならば、今とは違う道を二人一緒に歩いていたかも……。
そんな絵空事を思い浮かべたところで隔たれた道が再び交わることなんて無い。
不変な事実から目を背けたいが故の逃避。
もしも、と仮定したところで、終末を迎えた物語を書き変えることは誰にもできない。


……たとえ、神であったとしても。


同じ結末を見たくない、ただそれしか頭に無かった。
冷静さを欠いた代償は、この身に受けた呪いと失った翼。

翼を失うことで、閉じ込めたはずの脆弱な心が再び顔を覗かせたとでも言うの?


「あれから……、あの日から、どれだけの月日が経ったでしょうか……」


自分の来し方を振り返ることもせず、為すべきことを為すだけの日々。

振り返ることを辞めたあの日から。

「わたくしの為すべきことは何なんでしょうね……」



--------------



「お二人とも、おかえりなさい。 お出かけはいかがでしたか?」

「ただいま戻りました、セラさん。 デート楽しかったです」

嬉しそうに無邪気な笑顔を浮かべる少女に、愛らしさと羨ましさを感じた。

「ご主人さま、私は少しお手洗いに行ってきますので、ちゃんとセラさんに返しといて下さいね」

そそくさと駆けていく少女を目で追う。
賑やかで可愛らしい子、……その身に宿す尋常ではない魔力を除けば。

膨大な魔力の流れを持つ者は今しがたこの場から離れていった、にも関わらず魔力の流れが残っている。

――目の前に居るのは、彼一人。

今朝送り出した時は、彼から微塵も魔力を感じることはなかった。
どんなに微量なりとも人間には魔力が存在するはずなのに、彼にはその微量な魔力すら存在しない。
彼でないとすれば……、この魔力の源は身につけているローブから発せられるものと見て間違いない。

こんなものを身に着けているということは、上手いこと買い物に成功したのだろう。


きっとこれで良い、あれが処分出来れば……。
気の迷いも晴れるはず。


「ふふふ、アンドウ様はなんだか魔術師みたいな格好をなさってますね」

「セラさん、これ返すよ。 ……きっと、大事なものなんだろう?」

彼の手には今朝方、手渡したはずの金貨が握られていた。


どうして、……わたくしの元に戻ってきてしまうのでしょうか?


彼らに処分して貰うことで、過去の未練を断ち切ることが出来たらと、そう思って託したのに。
わたくし達二人とは、違う未来を掴むことが出来る二人なら。

その二人の手で消し去って貰えたなら、あの約束さえも忘れることが出来る気がした。


――これは、二度と叶うことの無い『約束』が交わされた証。


「この金貨はそのままじゃ使えなかった。 売れば大金になるらしいけどね、なんか売っちゃ駄目な気がしたんだ」

そう言って手渡された、彼の手の温もりでほんのりと暖かくなった金貨。
今、わたくしはどんな表情を浮かべているのでしょうか?

悲しみ? 困惑? 安堵? 憤り? それとも……。

「どうして俺達にこんな貴重なものを渡してくれたんだ?」

純粋な興味で尋ねたのだろう、それは分かっている。
けれども、彼の真っ黒い瞳に、自身の卑しさが見透かされているように感じた。

「ある人と、……約束を交わしたのです。 二人一緒になれたなら、もう一度、お互いの金貨を交換しようと。 約束が、……果たされることはありませんでしたけどね」

話してどうなる?

気が遠くなる程の長い間、ずっと胸に仕舞っていたのに、何を今更。

わたくしは慰めの言葉が欲しかったの?

いいえ、ただ誰かに縋りたかった……、ただそれだけ。

「やっぱり大事なものじゃないか。 手放しちゃいけない物だから、今ここにあるんじゃないか、きっと」

不器用に笑う彼の笑顔が、彼の言葉が痛い。
鋭い刃物で傷口を抉られるような、そんな感覚。

「悲しい過去を消したいと思うのは、……悪いことなのでしょうか?」

何を聞いているの……、わたくしは。
自身の何十分の一も齢を重ねていない、この青年に。

「それが手元に無くなったぐらいで消せる過去なら、とっくの昔に忘れ去ってるんじゃないか?」

核心を突くようなその言葉に、ただ黙って立ち尽くすことしか出来なかった。

「きっと、俺には想像出来ないようなことなんだろうって、……今の、その表情を見て思う。 でも、俺が知っているのは、ただただ優しいセラさんなんだ。 だから、セラさんには、そんな表情似合わない」

ついさっきまでずっと視線を外しながら会話していたというのに、どうして真っ直ぐにわたくしの顔を見据えて、そんな言葉を投げかけるのでしょうか?

「何があったか、……とは聞かないのですね?」

「簡単に話せる話じゃないんだろ? それに俺には、その話を聞く覚悟はまだ出来てない、そう感じるんだ」

……この人になら話しても良いかもしれない、そう脳裏に浮かんだことに後ろめたさと共に曙光が射すのを感じた。


「そう……ですね、……話せる日は来るのでしょうか?」

「あぁ、来るさ、必ず。 ……約束だ」

「約束……、ですか。 えぇ、そう、……約束、ですよ」

わたくしは精一杯の笑顔を作り、目の前の彼へと向けた。

守れる確証が無いから、人は『約束』だなんて言葉に縋る。
守れる確証が有るのなら、最初から『約束』だなんて言葉に頼らない。



--------------



「そういえば、これを預かってきたんだった」

「なんでしょう、お酒ですか?」

「シーカーズ協会の会長から、セラさんに渡してくれと頼まれた」

「シーカーズ協会、……行かれたのですね、あそこに」

これも縁というものでしょうか?
感情を押し殺すことで、ようやく平静を取り繕うことが出来たという矢先。
彼女の存在を突き付けられるだなんて……。

「会長のマリアって人がセラさんとは旧知の仲だって言ってたんだが、あの人とは親しいのか?」

酷く懐かしい名前を彼が口にした。
彼の手渡した葡萄酒と思われる液体が入った、球状のボトルをサイドボードに置き、背中越しに声を掛ける。

「会ったのですね、……彼女に」

彼女はわたくしと同じ、夢破れた者。
わたくしとは違う夢を描いて、同じ方法で絶望を見た者。

「あぁ、協会にシーカーとして登録しろと勧められた」

くるりと向き直り、彼に問う。

「そうですか、アンドウ様はどうするおつもりなのですか?」

「断る理由もないしな、良いかなと思ってる」

「そう、……ですか」

別に引き留める理由もない。
もとより、彼の自由を縛る権利をわたくしは持ち合わせていないし、それは気に染まない。

「気が向いたらで良い、そこにセラさんの名前を書いて欲しいんだ」

「わかりました、でも、……危ないことはしちゃ駄目ですよ」

並んだ成文のところどころが空白になった紙を二枚、こちらへ寄越す。
相変わらずどこを見ているのかわからない視線と、何を考えているのか掴めない表情で。

これが彼の普段の姿なのだろう。

良かった……、心の動揺は顔や仕草には現れていないようだ。

「また後ほど、書簡を添えてお渡ししますね」

彼に背を向けると、サイドテーブルの上に先程手渡された、葡萄酒と同じように置く。
ふと自分の右手とサイドボードを何度か見比べる。


――どうして、わたくしは金貨を握ったままなのでしょうか?


無意識に握り締めたままのそれを、懐旧の念を払うようにサイドボードへと置いた。
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