悪魔祓いと復讐者

陸亜

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悪魔祓いと復讐者(3)

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ラウルの母は美しく、愛に溢れた人であった。

生まれる前より父の姿は無く、母はいつでもその姿を追い求めていた。母は美しく、若々しく、それこそラウルを生むにはあまりにも若すぎたが、そうであるが故に許されない男との恋に落ちたのであろう。誰ひとりとして、母の相手――すなわちラウルの父となる人物を知らなかった。村を定期的に訪れていた敬虔な神父でさえ、神かけて知らぬと誓ったのである。
母はラウルに父の話を語って聞かせたが、そのどれもが抽象的で漠然としたものであった。名前や住んでいる場所、年齢、今どうしているかなど、具体的なことは何一つとして教えようとしなかった――あるいは、本人すら知らなかったのかもしれない。
それでも、母はラウルにたいそう愛情をこめて接し、周囲がはっとするような美少年へと育て上げた。いくぶん小柄ではあったが、身のこなしは軽く、同年代の誰よりも利発で、大人ですら物怖じするような難しい本を、自ら読むような子供であった。

あなたはお父さんにそっくりだわ。

誇らしさと安堵と慈愛に満ちた言葉は、いつだってラウルの宝物であった。
そしてそれが父への同一視に繋がるまで、さしたる時間はかからなかった。
母はラウルがいずれ父そのひとに成り代わるとでも言うように、その言葉を言い聞かせた。繰り返し繰り返し、そうすることにこそ意味があるかのように。それはまじないと言うにはあまりにも切迫しており、願いと呼ぶにはあまりにも確信に充ちていた。言霊、あるいは呪詛とも言うべきそれを、ラウルは一度たりとも否定しなかった。してしまえば最後、このか弱い女性は粉々に砕けてしまうのではないかと思われたのである。

それから先日来、薄氷を履むが如し生活が続いていた。このまま二人、変わりなく暮らしていけるのではないか、そんな願いを抱いたごく一瞬のち、事件は起こったのである。それは、陽が沈み辺りがようよう暗くなりつつある黄昏時のことであった。
いつからか厨に立たなくなった母に代わり、ラウルが夕餉の支度を整えていたところに、ゆらりと彼女はあらわれた。彼女は甘くささやくように「ねえ」と呼ぶものの、その声も視線もラウルを捉えているようには思われなかった。のろのろと頸を左右に振って、誰かを探している様子の彼女に、ラウルはほとんど直観的に危険を感じ取る。傍らに置かれていたナイフを後ろ手に握り、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる彼女を見据えていた。

何かがおかしかった。
確かに母はこのところ精神が不安定に思われたが、それをはるかに上回っていた。
母はこんな姿をしていただろうか。こんな声でラウルを呼んだことがあっただろうか。
彼女の瞳は、ラウルと同じはしばみ色をしていたはずではなかったか――?

次の瞬間、ラウルは母に組み敷かれていた。
その片手はラウルの頸を抑え込み、今なお力を籠め続けている。彼女の細腕からは信じがたい膂力であった。
咳き込みながら、藻掻くように四肢をばたつかせる。すると、握っていたナイフが母の身体をかすめたようであった。手ごたえはほとんど無かったが、酸欠で意識があやうくなりつつあったためかもしれない。彼女は悲鳴をあげたが、それもまた彼女の喉から出たとは思えない低く、さび付いたように擦れた声であった。
頸を抑える力がわずかに弱まり、ラウルは上体を捻るように母を振り落とそうとする。刹那――彼女の、母のものであるはずの瞳が、赤黒く濁った光をたたえるのを見た。
彼女が、母のように見える何かが、咆哮し――

「ィ、 ガ……ォ、ア――」

――それは、卒然として途絶えた。
母であったはずの何か、その頭蓋に振り落とされた物体によって。
それが動物の皮をなめして作られた靴であることに気付くまで、深呼吸二つぶんほどの時間を要した。その間にも、轟音と共に叩きつけられた衝撃によって頭蓋は真っ二つに割れ、中身がとめどなく溢れつつあった。血と脳漿とその他中身が顔面を汚していく中、ラウルの視線はそのどれでもないたった一つへと向けられていた。

母の頭蓋を叩き壊した靴の持ち主、彼女の仇――夜闇を纏った悪魔のような男へと。







「成程」

語り終えたラウルに、シュウはひとつ頷いてみせた。先までは茶化すように細められていた瞳が、同情と憐憫を持って垂れている。月の光を透かし込んだような金瞳と、夜風のように落ち着いた声音に、思いのほか心がやわらいだ。
一連の事件について思い出したことによって、多少なり穏やかさを取り戻していたはずの精神が再び乱されつつあった。慮るようなシュウの視線に、しかし毅然と顔を上げる。何のためにわざわざこんな話をしたのか。それは何が起こったのかを把握し、母の仇を取るためである。なればこそ、話の見返りが得られなければ骨折り損でしかない。
そんな決意を滲ませたラウルの視線に、シュウは一度瞑目すると、長い睫毛の下にあったいたわりを払いのけるように持ち上げた。

「さて、それでは此方が話す番だが……その前にひとつ、断っておきたい」
「何ですか?」
「お前の感覚は間違ってはいないが、人違いだ」
「は?」

迂遠すぎるためか、意味の分からない言い回しに、ラウルが眉を顰める。「言い方を変えるとな」シュウは自分の中で言葉を纏めているのか、ほそい指先で顎に触れたのち、こう告げたのだった。

「お前の母の仇は確かに「悪魔」だ。だが、お前がそう思っている男はそうではなく――「悪魔祓い」だ」
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