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「……あの、公爵様」
「なんだ」
「このモンブラン、あと五個はおかわりできますか?」
「食い過ぎだ。腹を壊すぞ」
ベルンシュタイン公爵邸のサロン。
わたくし、カテリーナは至福の表情でフォークを舐めておりました。
口の中に残る栗の甘露煮の余韻。
ああ、生きていて良かった。
「ですが、これから起こるであろう『厄介事』の予感を打ち消すには、これくらいの糖分が必要ですわ」
「ほう? 聖女の予知能力か?」
アレクセイ様が紅茶を飲みながら、面白そうに聞いてきます。
「いいえ、野生の勘です。……最近、背筋がゾワゾワするのです。何か、わたくしの安眠を妨げる巨大なエネルギーが近づいているような……」
「その勘は当たっているかもしれんな」
アレクセイ様はカップを置き、一枚の書状をテーブルに滑らせました。
金色の箔押しがされた、やたらと豪華な封筒です。
「これは?」
「隣国、ガレリア王国からの親書だ。……明日、あちらの第二王女ソフィア殿下が、留学の名目で我が国にいらっしゃる」
「へえ、留学ですか。大変ですわね(他人事)」
「彼女は『宝石姫』と呼ばれているそうだ。美しいものが大好きで、欲しいものは何でも手に入れる収集癖があるとか」
「……嫌な予感がします」
「ちなみに、彼女の好みのタイプは『キラキラして、見ていて飽きない、観賞価値のある男性』らしい」
ガチャン。
わたくしの手からフォークが滑り落ちました。
キラキラして。
見ていて飽きない。
観賞価値のある男性。
この国に、一人だけ心当たりがあります。
「……まさか」
「そのまさかだ。ソフィア王女の狙いは、間違いなく『アレ』だ」
アレクセイ様が指差した先には、窓の外に見える王城がそびえ立っていました。
その頂点に君臨する、あの金髪のナルシスト――王太子フレデリック殿下。
「ダメです! それは困りますわ!」
わたくしは立ち上がりました。
「殿下はもう、イザベラ様という飼い主……いえ、婚約者が決まったのです! 今さら横槍を入れられては、わたくしの『円満な婚約破棄』計画が水泡に帰します!」
もし王女が殿下を気に入ってしまったら?
国際問題に発展しかねません。
最悪の場合、イザベラ様との婚約が白紙になり、その調整役として「聖女」であるわたくしが駆り出される未来が見えます。
『カテリーナ、やはり君しかいない!』なんて殿下に泣きつかれたら、今度こそ逃げられません。
「阻止せねば。……わたくしの老後のために、全力で阻止せねば!」
「くくく。言うと思った」
アレクセイ様は楽しげに笑い、立ち上がりました。
「安心しろ。明日の歓迎パーティーには俺も出席する。お前も来い」
「えっ、わたくしもですか?」
「当然だ。お前は今や『時の人』だからな。王女も会いたがっているそうだ」
「……帰りたくなってきました」
しかし、行かねばなりません。
わたくしの平穏は、わたくし自身の手で守り抜くしかないのです。
***
翌日。
王宮の大広間は、いつも以上に華やいでいました。
いえ、正確には「ピリピリとした緊張感」に包まれていました。
その中心にいるのは、鮮やかなピンク色のドレスを纏った小柄な美少女――ソフィア王女です。
「まあ! なんて素敵な国なのかしら! 空気も美味しいし、皆様のドレスも素敵!」
鈴を転がすような愛らしい声。
クルクルと変わる表情。
まさに、絵本から飛び出してきたような「THE お姫様」です。
しかし、わたくしは見逃しませんでした。
彼女の瞳が、会場の中を獲物を探すハゲタカのように巡回しているのを。
「あら?」
ソフィア王女の視線が一点で止まりました。
その先には、今日も無駄に輝いているフレデリック殿下の姿が。
「まあ……っ! あの方がフレデリック殿下!? 肖像画よりもずっと素敵!」
王女が駆け寄ります。
その速さ、イザベラ様にも負けていません。
「ごきげんよう、フレデリック殿下! お噂はかねがね伺っておりましたわ! 『太陽の申し子』と!」
「おや、可愛らしいお姫様だね。僕の輝きが隣国まで届いてしまったかな?」
殿下は前髪をかき上げ、キザなポーズを決めました。
通常なら「うわぁ」と引く場面ですが、ソフィア王女は違いました。
「ええ、届いておりましたわ! その黄金の髪、海のような瞳! わたくし、こんなに美しい殿方は初めて拝見しました!」
「ははは! 君は正直で、見る目があるね!」
殿下が上機嫌になります。
まずい。
非常にまずいです。
この二人、波長が合ってしまっています!
「ちょっと待ってくださいまし!!」
そこへ割って入ったのは、当然、我らがイザベラ様です。
真紅のドレスを翻し、殿下と王女の間に立ちはだかりました。
「ごきげんよう、ソフィア王女殿下。わたくしはフレデリック殿下の婚約者、イザベラ・フォン・ベルンシュタインでございます」
イザベラ様は扇子を開き、牽制の眼差しを送ります。
しかし、ソフィア王女はキョトンとして首を傾げました。
「婚約者? あら、でもまだ正式な婚姻は結んでいらっしゃらないのでしょう?」
「そ、それはそうですけれど……」
「なら、まだ『仮』ですわよね?」
王女は無邪気に微笑みました。
その笑顔には、一点の曇りもありません。
だからこそ、タチが悪い。
「わたくし、ガレリア王国では『欲しいものは自分の手で掴み取れ』と教わってきましたの。だから、素敵なものを見つけたら、全力でアピールしてもよろしくてよ?」
「なっ……! 宣戦布告ですの!?」
「いいえ、ただの『競争』ですわ。より殿下に相応しいほうが選ばれる……素敵なことだと思いません?」
ソフィア王女は再び殿下に向き直り、甘い声で囁きました。
「ねえ、殿下。明日はわたくしに王都を案内してくださいません? 殿下の美しい声で、この国の歴史を語っていただきたいのです」
「お、僕の声を? ……うむ、それは断れないな。僕の声帯は国宝級だからね」
「まあ、素敵! 楽しみにしておりますわ!」
殿下がデレデレしています。
イザベラ様がプルプルと震えています。
今にも噴火しそうです。
(……これは放置できませんわね)
壁の花になっていたわたくしは、重い溜息をつくと、グラスを置いて前進しました。
「失礼いたします」
スッ、と三人の間に滑り込みます。
聖女スマイル全開で。
「あら? 貴女は……」
「お初にお目にかかります、ソフィア王女殿下。カテリーナ・フォン・クロイツと申します」
「カテリーナ……ああ! 噂の『聖女様』ね! 殿下への愛ゆえに身を引いたという!」
王女の目が輝きました。
やはり、その誤った噂は隣国にも届いていたようです。
「なんて悲劇的でロマンチックなのかしら! わたくし、そういうお話大好きよ!」
「光栄ですわ(誤解ですけど)。……ところで王女殿下。先ほど『競争』と仰いましたわね?」
「ええ。殿下ほどの素晴らしい方を射止めるには、それ相応の覚悟と『輝き』が必要だと思いまして」
「なるほど。輝き、ですか」
わたくしは殿下を一瞥しました。
殿下は「僕の取り合いか? 罪な男だなあ」という顔で悦に入っています。
この男、本当に幸せですね。
「ですが王女殿下。この国の『輝き』の基準は、少し特殊でしてよ?」
「特殊?」
「はい。例えば、イザベラ様をご覧ください」
わたくしはイザベラ様を手で示しました。
「彼女は先日の舞踏会準備において、会場を真っ赤なバラで埋め尽くそうとされました。なぜだと思われます?」
「えっ……センスの問題ではなくて?」
「いいえ! あれは『殿下の情熱』を表現するため、自ら血の海……いえ、バラの海に飛び込む覚悟を示されたのです!」
「そ、そうなの?」
「さらに、彼女は殿下のポエムを全て暗記し、毎晩寝る前に朗読しております」
「えっ」
「デートの際は、殿下の影を踏まないよう、常に五メートル後方を忍者のように移動する技術も習得されました」
イザベラ様が「え、忍者はやってませんけど……」と言いたげな顔をしましたが、わたくしは目力で黙らせました。
『話を合わせなさい!』
「そ、そうですわ! わたくし、殿下のためなら影に潜むことも厭いません!」
「……影に?」
ソフィア王女が少し引いています。
よし、その調子です。
「王女殿下。貴女様に、それほどの『覚悟』がございますか? 殿下の話を五時間耐久で聞き続け、全ての自慢話に『さすがです!』と相槌を打ち、殿下が鏡を見ている間は背景になりきる……そんな『プロの婚約者』としての修行に耐えられますか?」
わたくしは一歩詰め寄りました。
「この国で王太子妃を務めるということは、すなわち『殿下という太陽を崇める狂信者』になるということなのです!」
「きょ、狂信者……?」
「イザベラ様は、すでにその領域に達しておられます。……王女殿下、貴女様の『好き』は、そこまで重いものですか?」
会場が静まり返りました。
わたくしの熱弁(という名のネガティブキャンペーン)に、全員が言葉を失っています。
ソフィア王女の笑顔が引きつりました。
「……そ、そこまでしなければなりませんの?」
「はい。それがこの国の『伝統(今作った設定)』です」
王女がチラリと殿下を見ました。
殿下は「うんうん、そうだよ。僕は崇められるべき存在だからね」と深く頷いています。
否定してよ!
そこは否定してよ殿下!
「……す、少し……考えさせていただいてもよろしくて?」
ソフィア王女が後ずさりしました。
どうやら「観賞用」としては好きでも、「宗教」に入信するのは躊躇われるようです。
当然の反応です。
「ええ、ごゆっくりどうぞ。ですが、イザベラ様の愛の壁は高いですよ?」
わたくしはニッコリと微笑みました。
「……お、覚えてらっしゃい! わたくし、まだ諦めたわけではありませんから!」
王女は捨て台詞を残し、侍女たちを引き連れて去っていきました。
逃げ足は速かったですが、とりあえず第一波は撃退です。
「はぁ……疲れましたわ」
わたくしはその場にへたり込みそうになりましたが、アレクセイ様に背中を支えられました。
「……見事なホラ吹きだ」
耳元で囁かれる声。
「『狂信者』とはよく言ったものだ。あれでは誰も寄り付かんぞ」
「それが狙いです。……殿下の周りには、イザベラ様のような特殊な方以外、近づけてはいけないのです」
「くくく。全くだ」
アレクセイ様は楽しそうに笑い、わたくしの腰を強引に引き寄せました。
「だが、油断するなよ。あの王女、まだ目が死んでいなかった」
「え?」
「『キラキラしたもの』への執着は、お前の『怠惰』への執着と同じくらい厄介かもしれんぞ」
アレクセイ様の予言通り。
この夜、ソフィア王女がとんでもない行動に出ることを、わたくしたちはまだ知らなかったのです。
(まだ続くんですの……!?)
わたくしの平穏な老後は、今日も遠のくばかりでした。
「なんだ」
「このモンブラン、あと五個はおかわりできますか?」
「食い過ぎだ。腹を壊すぞ」
ベルンシュタイン公爵邸のサロン。
わたくし、カテリーナは至福の表情でフォークを舐めておりました。
口の中に残る栗の甘露煮の余韻。
ああ、生きていて良かった。
「ですが、これから起こるであろう『厄介事』の予感を打ち消すには、これくらいの糖分が必要ですわ」
「ほう? 聖女の予知能力か?」
アレクセイ様が紅茶を飲みながら、面白そうに聞いてきます。
「いいえ、野生の勘です。……最近、背筋がゾワゾワするのです。何か、わたくしの安眠を妨げる巨大なエネルギーが近づいているような……」
「その勘は当たっているかもしれんな」
アレクセイ様はカップを置き、一枚の書状をテーブルに滑らせました。
金色の箔押しがされた、やたらと豪華な封筒です。
「これは?」
「隣国、ガレリア王国からの親書だ。……明日、あちらの第二王女ソフィア殿下が、留学の名目で我が国にいらっしゃる」
「へえ、留学ですか。大変ですわね(他人事)」
「彼女は『宝石姫』と呼ばれているそうだ。美しいものが大好きで、欲しいものは何でも手に入れる収集癖があるとか」
「……嫌な予感がします」
「ちなみに、彼女の好みのタイプは『キラキラして、見ていて飽きない、観賞価値のある男性』らしい」
ガチャン。
わたくしの手からフォークが滑り落ちました。
キラキラして。
見ていて飽きない。
観賞価値のある男性。
この国に、一人だけ心当たりがあります。
「……まさか」
「そのまさかだ。ソフィア王女の狙いは、間違いなく『アレ』だ」
アレクセイ様が指差した先には、窓の外に見える王城がそびえ立っていました。
その頂点に君臨する、あの金髪のナルシスト――王太子フレデリック殿下。
「ダメです! それは困りますわ!」
わたくしは立ち上がりました。
「殿下はもう、イザベラ様という飼い主……いえ、婚約者が決まったのです! 今さら横槍を入れられては、わたくしの『円満な婚約破棄』計画が水泡に帰します!」
もし王女が殿下を気に入ってしまったら?
国際問題に発展しかねません。
最悪の場合、イザベラ様との婚約が白紙になり、その調整役として「聖女」であるわたくしが駆り出される未来が見えます。
『カテリーナ、やはり君しかいない!』なんて殿下に泣きつかれたら、今度こそ逃げられません。
「阻止せねば。……わたくしの老後のために、全力で阻止せねば!」
「くくく。言うと思った」
アレクセイ様は楽しげに笑い、立ち上がりました。
「安心しろ。明日の歓迎パーティーには俺も出席する。お前も来い」
「えっ、わたくしもですか?」
「当然だ。お前は今や『時の人』だからな。王女も会いたがっているそうだ」
「……帰りたくなってきました」
しかし、行かねばなりません。
わたくしの平穏は、わたくし自身の手で守り抜くしかないのです。
***
翌日。
王宮の大広間は、いつも以上に華やいでいました。
いえ、正確には「ピリピリとした緊張感」に包まれていました。
その中心にいるのは、鮮やかなピンク色のドレスを纏った小柄な美少女――ソフィア王女です。
「まあ! なんて素敵な国なのかしら! 空気も美味しいし、皆様のドレスも素敵!」
鈴を転がすような愛らしい声。
クルクルと変わる表情。
まさに、絵本から飛び出してきたような「THE お姫様」です。
しかし、わたくしは見逃しませんでした。
彼女の瞳が、会場の中を獲物を探すハゲタカのように巡回しているのを。
「あら?」
ソフィア王女の視線が一点で止まりました。
その先には、今日も無駄に輝いているフレデリック殿下の姿が。
「まあ……っ! あの方がフレデリック殿下!? 肖像画よりもずっと素敵!」
王女が駆け寄ります。
その速さ、イザベラ様にも負けていません。
「ごきげんよう、フレデリック殿下! お噂はかねがね伺っておりましたわ! 『太陽の申し子』と!」
「おや、可愛らしいお姫様だね。僕の輝きが隣国まで届いてしまったかな?」
殿下は前髪をかき上げ、キザなポーズを決めました。
通常なら「うわぁ」と引く場面ですが、ソフィア王女は違いました。
「ええ、届いておりましたわ! その黄金の髪、海のような瞳! わたくし、こんなに美しい殿方は初めて拝見しました!」
「ははは! 君は正直で、見る目があるね!」
殿下が上機嫌になります。
まずい。
非常にまずいです。
この二人、波長が合ってしまっています!
「ちょっと待ってくださいまし!!」
そこへ割って入ったのは、当然、我らがイザベラ様です。
真紅のドレスを翻し、殿下と王女の間に立ちはだかりました。
「ごきげんよう、ソフィア王女殿下。わたくしはフレデリック殿下の婚約者、イザベラ・フォン・ベルンシュタインでございます」
イザベラ様は扇子を開き、牽制の眼差しを送ります。
しかし、ソフィア王女はキョトンとして首を傾げました。
「婚約者? あら、でもまだ正式な婚姻は結んでいらっしゃらないのでしょう?」
「そ、それはそうですけれど……」
「なら、まだ『仮』ですわよね?」
王女は無邪気に微笑みました。
その笑顔には、一点の曇りもありません。
だからこそ、タチが悪い。
「わたくし、ガレリア王国では『欲しいものは自分の手で掴み取れ』と教わってきましたの。だから、素敵なものを見つけたら、全力でアピールしてもよろしくてよ?」
「なっ……! 宣戦布告ですの!?」
「いいえ、ただの『競争』ですわ。より殿下に相応しいほうが選ばれる……素敵なことだと思いません?」
ソフィア王女は再び殿下に向き直り、甘い声で囁きました。
「ねえ、殿下。明日はわたくしに王都を案内してくださいません? 殿下の美しい声で、この国の歴史を語っていただきたいのです」
「お、僕の声を? ……うむ、それは断れないな。僕の声帯は国宝級だからね」
「まあ、素敵! 楽しみにしておりますわ!」
殿下がデレデレしています。
イザベラ様がプルプルと震えています。
今にも噴火しそうです。
(……これは放置できませんわね)
壁の花になっていたわたくしは、重い溜息をつくと、グラスを置いて前進しました。
「失礼いたします」
スッ、と三人の間に滑り込みます。
聖女スマイル全開で。
「あら? 貴女は……」
「お初にお目にかかります、ソフィア王女殿下。カテリーナ・フォン・クロイツと申します」
「カテリーナ……ああ! 噂の『聖女様』ね! 殿下への愛ゆえに身を引いたという!」
王女の目が輝きました。
やはり、その誤った噂は隣国にも届いていたようです。
「なんて悲劇的でロマンチックなのかしら! わたくし、そういうお話大好きよ!」
「光栄ですわ(誤解ですけど)。……ところで王女殿下。先ほど『競争』と仰いましたわね?」
「ええ。殿下ほどの素晴らしい方を射止めるには、それ相応の覚悟と『輝き』が必要だと思いまして」
「なるほど。輝き、ですか」
わたくしは殿下を一瞥しました。
殿下は「僕の取り合いか? 罪な男だなあ」という顔で悦に入っています。
この男、本当に幸せですね。
「ですが王女殿下。この国の『輝き』の基準は、少し特殊でしてよ?」
「特殊?」
「はい。例えば、イザベラ様をご覧ください」
わたくしはイザベラ様を手で示しました。
「彼女は先日の舞踏会準備において、会場を真っ赤なバラで埋め尽くそうとされました。なぜだと思われます?」
「えっ……センスの問題ではなくて?」
「いいえ! あれは『殿下の情熱』を表現するため、自ら血の海……いえ、バラの海に飛び込む覚悟を示されたのです!」
「そ、そうなの?」
「さらに、彼女は殿下のポエムを全て暗記し、毎晩寝る前に朗読しております」
「えっ」
「デートの際は、殿下の影を踏まないよう、常に五メートル後方を忍者のように移動する技術も習得されました」
イザベラ様が「え、忍者はやってませんけど……」と言いたげな顔をしましたが、わたくしは目力で黙らせました。
『話を合わせなさい!』
「そ、そうですわ! わたくし、殿下のためなら影に潜むことも厭いません!」
「……影に?」
ソフィア王女が少し引いています。
よし、その調子です。
「王女殿下。貴女様に、それほどの『覚悟』がございますか? 殿下の話を五時間耐久で聞き続け、全ての自慢話に『さすがです!』と相槌を打ち、殿下が鏡を見ている間は背景になりきる……そんな『プロの婚約者』としての修行に耐えられますか?」
わたくしは一歩詰め寄りました。
「この国で王太子妃を務めるということは、すなわち『殿下という太陽を崇める狂信者』になるということなのです!」
「きょ、狂信者……?」
「イザベラ様は、すでにその領域に達しておられます。……王女殿下、貴女様の『好き』は、そこまで重いものですか?」
会場が静まり返りました。
わたくしの熱弁(という名のネガティブキャンペーン)に、全員が言葉を失っています。
ソフィア王女の笑顔が引きつりました。
「……そ、そこまでしなければなりませんの?」
「はい。それがこの国の『伝統(今作った設定)』です」
王女がチラリと殿下を見ました。
殿下は「うんうん、そうだよ。僕は崇められるべき存在だからね」と深く頷いています。
否定してよ!
そこは否定してよ殿下!
「……す、少し……考えさせていただいてもよろしくて?」
ソフィア王女が後ずさりしました。
どうやら「観賞用」としては好きでも、「宗教」に入信するのは躊躇われるようです。
当然の反応です。
「ええ、ごゆっくりどうぞ。ですが、イザベラ様の愛の壁は高いですよ?」
わたくしはニッコリと微笑みました。
「……お、覚えてらっしゃい! わたくし、まだ諦めたわけではありませんから!」
王女は捨て台詞を残し、侍女たちを引き連れて去っていきました。
逃げ足は速かったですが、とりあえず第一波は撃退です。
「はぁ……疲れましたわ」
わたくしはその場にへたり込みそうになりましたが、アレクセイ様に背中を支えられました。
「……見事なホラ吹きだ」
耳元で囁かれる声。
「『狂信者』とはよく言ったものだ。あれでは誰も寄り付かんぞ」
「それが狙いです。……殿下の周りには、イザベラ様のような特殊な方以外、近づけてはいけないのです」
「くくく。全くだ」
アレクセイ様は楽しそうに笑い、わたくしの腰を強引に引き寄せました。
「だが、油断するなよ。あの王女、まだ目が死んでいなかった」
「え?」
「『キラキラしたもの』への執着は、お前の『怠惰』への執着と同じくらい厄介かもしれんぞ」
アレクセイ様の予言通り。
この夜、ソフィア王女がとんでもない行動に出ることを、わたくしたちはまだ知らなかったのです。
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