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「カフェを開く」と決めたはいいものの、私たちの前には早速、大きな壁が立ちはだかっていた。
物件探しである。
「うーん……ここもダメね。人通りは多いけれど、家賃が高すぎるわ」
「フリル様、あちらの物件はいかがでしょう。家賃は破格でございますが」
「あら、本当? ……って、セバスチャン。あそこ、元は何のお店だったか知っているの?」
「ええ。昨夜のうちに調査済みです。十年ほど前まで、拷問器具専門店だったとか」
「……却下よ」
私とセバスチャンは、ここ数日間、来る日も来る日も王都中を歩き回っていた。
中心部の商業地区は、慰謝料の金貨が一日で吹き飛ぶような法外な家賃。
かといって、安さを求めて路地裏に入れば、日当たりが悪かったり、建物がボロボロだったりと、とても客を招き入れられるような場所ではない。
「はあ……。理想の物件なんて、そう簡単に見つかるものじゃないのね」
すっかり陽が傾き始めた頃、私はとうとう石畳の道端にへたり込んでしまった。
「お疲れでございますか、フリル様。どこかでお茶にいたしましょう」
「いいえ、大丈夫よ。……でも、少しだけ、ほんの少しだけ心が折れそう」
私が弱音を吐くと、セバスチャンはふっと表情を和らげた。
「おや、あの強気なフリル様がそのようなことをおっしゃるとは。明日は槍でも降るかもしれませんな」
「なんですって。……でも、そうね。私がこんなことでへこたれるなんてらしくないわ」
私はセバスチャンの軽口に励まされ、えい、と気合を入れて立ち上がる。
「よし、帰りましょう! そして明日、また一から探すのよ!」
そう言って歩き出した、その時だった。
ふと、大通りから一本脇に入った、静かな小道が目に留まった。
レンガ畳のその道は、まるで私を誘っているかのようだ。
「……セバスチャン、少しだけ寄り道してもいいかしら」
「もちろんでございます」
何かに導かれるように、私はその小道へと足を踏み入れた。
そして、数分ほど歩いた先で、思わず足を止める。
「……あ」
そこには、一軒の空き店舗が、静かに佇んでいた。
壁には蔦が絡まり、少し古びてはいるけれど、大きなガラス窓からは、夕日が差し込んで店内の様子を柔らかく照らし出している。
こぢんまりとしているが、店の前には小さな庭のようなスペースもある。
ここにテーブルを置いたら、きっと素敵だろう。
大通りからは少し離れているが、そのぶん隠れ家のような趣がある。
私の頭の中に、この場所でカフェを営む光景が、鮮やかに思い浮かんだ。
「……ここだわ」
「フリル様?」
「ここよ、セバスチャン! 私、このお店がいい! 一目で恋をしてしまったわ!」
私は興奮気味にそう叫ぶと、店の扉に貼られた『貸店舗』の札を指さした。
「すぐに管理事務所に連絡を取ってちょうだい!」
「かしこまりました。……ですがフリル様、あまり期待はなさらない方がよろしいかと。これほど雰囲気の良い物件が、長く空いているのには何か理由があるのかもしれません」
セバスチャンの冷静な忠告も、今の私の耳には届かない。
彼が管理事務所へと走っていく間、私はガラス窓に額をくっつけて、食い入るように店内を眺めていた。
(カウンターはあそこに置いて、テーブル席は五つくらいかしら。壁の色はクリーム色がいいわね……)
夢中で店のレイアウトを考えていると、やがてセバスチャンが戻ってきた。
しかし、その表情は、彼にしては珍しく、どこか浮かないものだった。
「どうしたの、セバスチャン。何か問題でもあった?」
「……フリル様、申し上げにくいのですが」
セバスチャンは一度言葉を切ると、意を決したように口を開いた。
「この物件の所有者は、ゼノン・フォン・アイスフェルト公爵閣下でございました」
「……え?」
アイスフェルト公爵。
その名を知らぬ貴族はいない。
若くして公爵位を継ぎ、国の宰相まで務める切れ者。
常に冷静沈着で、その美しい顔から感情が読み取れることはなく、社交界では『氷の公爵』と呼ばれ、畏怖されている人物。
その仕事ぶりの厳しさから、『鉄血宰相』なんていう物騒な異名まで持っている。
「あの、笑ったところを誰も見たことがないという噂の……?」
「左様でございます。閣下は無駄を何よりも嫌い、利益の薄い事業には一切興味を示されないことで有名です」
セバスチャンの言葉に、私の頭は急速に冷却されていく。
そんな鉄面皮で仕事の鬼のような人物が、元公爵令嬢の道楽のようなカフェ経営に、大事な資産を貸してくれるだろうか。
普通に考えれば、答えは「否」だ。
「……そう。大家さんは、あの氷の公爵様だったのね」
先ほどまでの興奮が、まるで嘘のように萎んでいく。
また一から物件探しをしなければならないのか、とため息をつきかけた、その時。
(……いいえ、まだ諦めるのは早いわ)
私はきゅっと拳を握りしめた。
相手が誰であろうと、このお店を諦めたくはない。
「会ってみなければ、わからないじゃない」
「フリル様……?」
「ダメでもともと。当たって砕けろ、よ! 私、公爵閣下に直談判してみせるわ!」
私の瞳に再び闘志の炎が宿るのを見て、セバスチャンは困ったように、しかし、どこか嬉しそうに微笑んだ。
「……やれやれ。あなた様というお方は」
「決まりね! セバスチャン、早速アイスフェルト公爵へのアポイントメントを取ってちょうだい!」
「……かしこまりました」
氷の公爵様が、甘いお菓子をお好きかどうかはわからない。
けれど、私のこの情熱が、彼の凍てついた心を少しでも溶かすことができるのなら。
私は、まだ見ぬ強敵との対面に、静かに闘志を燃やすのだった。
物件探しである。
「うーん……ここもダメね。人通りは多いけれど、家賃が高すぎるわ」
「フリル様、あちらの物件はいかがでしょう。家賃は破格でございますが」
「あら、本当? ……って、セバスチャン。あそこ、元は何のお店だったか知っているの?」
「ええ。昨夜のうちに調査済みです。十年ほど前まで、拷問器具専門店だったとか」
「……却下よ」
私とセバスチャンは、ここ数日間、来る日も来る日も王都中を歩き回っていた。
中心部の商業地区は、慰謝料の金貨が一日で吹き飛ぶような法外な家賃。
かといって、安さを求めて路地裏に入れば、日当たりが悪かったり、建物がボロボロだったりと、とても客を招き入れられるような場所ではない。
「はあ……。理想の物件なんて、そう簡単に見つかるものじゃないのね」
すっかり陽が傾き始めた頃、私はとうとう石畳の道端にへたり込んでしまった。
「お疲れでございますか、フリル様。どこかでお茶にいたしましょう」
「いいえ、大丈夫よ。……でも、少しだけ、ほんの少しだけ心が折れそう」
私が弱音を吐くと、セバスチャンはふっと表情を和らげた。
「おや、あの強気なフリル様がそのようなことをおっしゃるとは。明日は槍でも降るかもしれませんな」
「なんですって。……でも、そうね。私がこんなことでへこたれるなんてらしくないわ」
私はセバスチャンの軽口に励まされ、えい、と気合を入れて立ち上がる。
「よし、帰りましょう! そして明日、また一から探すのよ!」
そう言って歩き出した、その時だった。
ふと、大通りから一本脇に入った、静かな小道が目に留まった。
レンガ畳のその道は、まるで私を誘っているかのようだ。
「……セバスチャン、少しだけ寄り道してもいいかしら」
「もちろんでございます」
何かに導かれるように、私はその小道へと足を踏み入れた。
そして、数分ほど歩いた先で、思わず足を止める。
「……あ」
そこには、一軒の空き店舗が、静かに佇んでいた。
壁には蔦が絡まり、少し古びてはいるけれど、大きなガラス窓からは、夕日が差し込んで店内の様子を柔らかく照らし出している。
こぢんまりとしているが、店の前には小さな庭のようなスペースもある。
ここにテーブルを置いたら、きっと素敵だろう。
大通りからは少し離れているが、そのぶん隠れ家のような趣がある。
私の頭の中に、この場所でカフェを営む光景が、鮮やかに思い浮かんだ。
「……ここだわ」
「フリル様?」
「ここよ、セバスチャン! 私、このお店がいい! 一目で恋をしてしまったわ!」
私は興奮気味にそう叫ぶと、店の扉に貼られた『貸店舗』の札を指さした。
「すぐに管理事務所に連絡を取ってちょうだい!」
「かしこまりました。……ですがフリル様、あまり期待はなさらない方がよろしいかと。これほど雰囲気の良い物件が、長く空いているのには何か理由があるのかもしれません」
セバスチャンの冷静な忠告も、今の私の耳には届かない。
彼が管理事務所へと走っていく間、私はガラス窓に額をくっつけて、食い入るように店内を眺めていた。
(カウンターはあそこに置いて、テーブル席は五つくらいかしら。壁の色はクリーム色がいいわね……)
夢中で店のレイアウトを考えていると、やがてセバスチャンが戻ってきた。
しかし、その表情は、彼にしては珍しく、どこか浮かないものだった。
「どうしたの、セバスチャン。何か問題でもあった?」
「……フリル様、申し上げにくいのですが」
セバスチャンは一度言葉を切ると、意を決したように口を開いた。
「この物件の所有者は、ゼノン・フォン・アイスフェルト公爵閣下でございました」
「……え?」
アイスフェルト公爵。
その名を知らぬ貴族はいない。
若くして公爵位を継ぎ、国の宰相まで務める切れ者。
常に冷静沈着で、その美しい顔から感情が読み取れることはなく、社交界では『氷の公爵』と呼ばれ、畏怖されている人物。
その仕事ぶりの厳しさから、『鉄血宰相』なんていう物騒な異名まで持っている。
「あの、笑ったところを誰も見たことがないという噂の……?」
「左様でございます。閣下は無駄を何よりも嫌い、利益の薄い事業には一切興味を示されないことで有名です」
セバスチャンの言葉に、私の頭は急速に冷却されていく。
そんな鉄面皮で仕事の鬼のような人物が、元公爵令嬢の道楽のようなカフェ経営に、大事な資産を貸してくれるだろうか。
普通に考えれば、答えは「否」だ。
「……そう。大家さんは、あの氷の公爵様だったのね」
先ほどまでの興奮が、まるで嘘のように萎んでいく。
また一から物件探しをしなければならないのか、とため息をつきかけた、その時。
(……いいえ、まだ諦めるのは早いわ)
私はきゅっと拳を握りしめた。
相手が誰であろうと、このお店を諦めたくはない。
「会ってみなければ、わからないじゃない」
「フリル様……?」
「ダメでもともと。当たって砕けろ、よ! 私、公爵閣下に直談判してみせるわ!」
私の瞳に再び闘志の炎が宿るのを見て、セバスチャンは困ったように、しかし、どこか嬉しそうに微笑んだ。
「……やれやれ。あなた様というお方は」
「決まりね! セバスチャン、早速アイスフェルト公爵へのアポイントメントを取ってちょうだい!」
「……かしこまりました」
氷の公爵様が、甘いお菓子をお好きかどうかはわからない。
けれど、私のこの情熱が、彼の凍てついた心を少しでも溶かすことができるのなら。
私は、まだ見ぬ強敵との対面に、静かに闘志を燃やすのだった。
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