悪役令嬢、婚約破棄の慰謝料でカフェを開店します!

パリパリかぷちーの

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数日後、私とセバスチャンは、アイスフェルト公爵邸の応接室に通されていた。

豪華絢爛だったローズベルク邸とは対照的に、この部屋には華美な装飾が一切ない。

黒を基調とした調度品はどれも最高級品なのだろうが、実用性のみを追求したような、冷たく、研ぎ澄まされた空間だった。

まるで、この屋敷の主の心を映しているかのようだ。

「……セバスチャン。わたくし、少しだけ緊張しているかもしれないわ」

「フリル様でも、そのような感情をお持ちになることがあるのですな」

「当たり前でしょう! 相手はあの『氷の公爵』ですもの」

私が小さな声で言い返した、その時だった。

「――元ローズベルク嬢か。何の用だ」

音もなく扉が開き、低い声が室内に響いた。

振り返ると、そこに一人の男性が立っていた。

磨き抜かれた銀の髪に、凍てつく湖面のような青い瞳。彫刻家が精魂込めて作り上げたかのような完璧な顔立ちは、しかし、一切の感情を映し出してはいない。

ゼノン・フォン・アイスフェルト公爵。

その圧倒的な存在感に、私は一瞬、呼吸を忘れた。

「……お初にお目にかかります、公爵閣下。本日はお時間をいただき、誠にありがとうございます。私はフリルと申します」

私がかろうじてカーテシーをすると、彼は無感動な瞳で私を一瞥した。

「婚約破棄の件は聞いている。それで? 時間は取らせん。要件を簡潔に述べろ」

そのあまりに冷たい物言いに、私の心臓がきゅっと縮こまる。

(こうなったら、やるしかないわね!)

私は覚悟を決め、セバスチャンと夜を徹して作り上げた事業計画書をテーブルの上に広げた。

「はい! 本日は、閣下が所有なさっている物件をお貸しいただきたく、お願いに上がりました!」

私はそこから、立て板に水のごとくプレゼンテーションを開始した。

「あの物件が位置するのは、大通りから一本入った閑静な場所。客層は、喧騒を離れて静かな時間を過ごしたいと考える富裕層や知識人に絞ります。客単価は高めに設定し、薄利多売ではない、質の高いサービスを提供することで……」

理路整然と、淀みなく。

収支予測から市場の分析まで、完璧な内容のはずだ。

しかし、ゼノンは資料にちらりと目を落としただけで、何の関心も示さない。

やがて、私の説明が終わると、彼は心底退屈そうに、たった一言、そう言い放った。

「……素人の道楽にしか聞こえんな」

その言葉に、私の頭からカッと血が上るのがわかった。

理屈ではダメだ。

この氷の塊のような男の心を動かすには、別の何かが――。

「……ええ、そうかもしれません!」

私は計画書を閉じ、勢いよく立ち上がった。

「閣下のおっしゃる通り、これは道楽かもしれません! ですが、私にとっては、人生を賭けた挑戦なのです!」

「ほう?」

ゼノンが、初めて少しだけ、興味を示したような色を瞳に浮かべた。

「甘いものを食べた時、人は誰でも、ほんの少しだけ優しい気持ちになります。悲しい時、辛い時、一口の甘さが、凍えた心をじんわりと温めてくれる。私は……私は、そんなささやかだけれど、確かな幸せを届けられる場所を作りたいのです!」

私の言葉に、理屈はない。

あるのは、ただ、お菓子作りへの純粋な想いだけ。

「これは、ただの飲食店経営ではございません。人々を笑顔にするための、崇高な事業なのですわ!」

熱弁を終えた私は、はあ、はあと肩で息をする。

ゼノンは黙ったまま、私をじっと見つめていた。

その沈黙が、肯定なのか、それとも拒絶なのか、私には判断がつかない。

私は最後の切り札として、セバスチャンが持っていたバスケットに手を伸ばした。

「……閣下。これが、私の『決意』ですわ」

バスケットから取り出したのは、今朝、心を込めて焼き上げた、黄金色のマドレーヌ。

バターとレモンの香りが、冷たい応接室にふわりと広がった。

「……これは?」

「どうか、一口召し上がってみてください。私の言葉が嘘か本当か、お分かりいただけるはずです」

ゼノンは迷惑そうに眉をひそめたが、やがて、仕方がないといった様子でマドレーヌを一つ手に取った。

そして、その完璧な唇で、小さな貝殻の形をした焼き菓子を、一口かじる。

その瞬間。

ほんの、ほんのわずかだが、彼の氷のような瞳が、大きく見開かれたのを、私は見逃さなかった。

彼は何も言わず、無表情のまま、残りのマドレーヌをゆっくりと味わい、完食した。

長い、長い沈黙が、部屋を支配する。

私は、彼の言葉を、ただ固唾をのんで待っていた。

やがて、ゼノンは重々しくため息を一つ吐くと、ポツリと呟いた。

「……くだらん」

ああ、やっぱりダメだったか。

私ががっくりと肩を落とした、その時。

「だが、まあいいだろう。……貸す」

「え……?」

予想外の言葉に、私は顔を上げた。

ゼノンは、相変わらずの無表情で、私を見ていた。

「ただし、条件がある。三ヶ月だ。三ヶ月以内に店の収益を黒字化しろ。それができなければ、即刻退去してもらう。いいな?」

「は、はいっ! もちろんです! ありがとうございます、閣下!」

私は思わず、深々と頭を下げた。

「……フン」

ゼノンは私に興味を失ったように背を向けると、「契約書は後日、使いの者に届けさせる」とだけ言い残し、部屋から出ていってしまった。

あっけない幕切れに、私とセバスチャンは、しばらく呆然と顔を見合わせていた。

去り際に、あの氷の公爵の口元が、ほんの少しだけ、緩んでいたように見えたのは――きっと、私の気のせいだろう。
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