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「……なぜ、わたくしがこんな所に」
ナーナリアは、侯爵令嬢主催のガーデンパーティーで、目の前に並んだ美しいケーキたちを前に、深いため息をついた。
「お嬢様、お言葉ですが。婚約破棄されたとはいえ、グランツ侯爵家のご令嬢です。社交は必須でございますよ」
侍女のアマンダが、小声で釘を刺す。
「わかっておりますわ。ですが、あの王子と破談になってから、皆様わたくしを『腫れ物』か『猛獣』のように扱うのですもの」
事実、ナーナリアが座るテーブルの周囲だけ、ぽっかりと空間が空いていた。
令嬢たちは、遠巻きにこちらをヒソヒソと見ている。
((まあ、あの方がナーナリア様……))
((随分と堂々としていらっしゃるのね、破棄されたのに))
((それより、ご覧になって。あの方……!))
令嬢たちの視線は、ナーナリアの背後に立つ「動く壁」に注がれていた。
「…………」
カイ・ランバートは、今日も今日とて、完璧な無表情でナーナリアの護衛(という名の監視)任務についていた。
((氷の騎士様……! なぜあんなところに))
((ナーナリア様の監視役ですって。国王陛下の直々のご命令とか))
((まあ! やはり、何か問題をおこし……))
「カイ様」
ナーナリアは、背後の氷人形に、わざと聞こえるように話しかけた。
「あそこの、チョコレートムース。とても美味しそうですわね」
「……(ピクッ)」
カイの肩が、わずかに反応する。
((今、動いた!?))
「それから、あちらの『七種のベリータルト』。昨日わたくしが食べた物より、上質かもしれませんわ」
「……(ゴクリ)」
カイが、わずかに喉を鳴らした(気がした)。
((氷の騎士様が、お菓子で動揺して……!?))
「(ふふっ。いい気味ですわ)」
ナーナリアが、この状況を(自分なりに)楽しもうと、フォークを手に取った、その時。
「まあ! ナーナリア様ではございませんか!」
鈴を転がすような、しかしナーナリアにとっては騒音でしかない声が、響き渡った。
「(……出ましたわ)」
現れたのは、もちろん、ヒロインのリリア。
純白のドレスに身を包み、まるで天使のような(計算高い)笑みを浮かべている。
「ごきげんよう、リリア様。奇遇ですわね」
「本当に! お元気そうで、ようございましたわ!」
リリアは、そう言うと、ナーナリアのテーブルに(断りもなく)腰を下ろした。
周囲の令嬢たちの、好奇の視線が一層強まる。
「わたくし、ずっと心配しておりましたの。ナーナリア様、あの日から……お心を痛めていらっしゃるのではないかと」
「(痛めているのは、わたくしが食べ損ねたパーティーのケーキのことだけですわ)」
ナーナリアは、完璧な淑女の笑みを貼り付けた。
「ご心配には及びませんわ。わたくし、今はこうして自由に甘味を堪能できて、幸せですもの」
「まあ!」
リリアは、ハンカチを口元に当てて、驚いたように目を見開く。
「(……この女。やはり、なんとも思っていないのね)」
リリアは、内心で舌打ちをした。
エドワード王子は、あの日以来、何かにつけて「ナーナリアが!」「ナーナリアの様子が!」と、彼女のストーカーのようになっている。
リリアとしては、それが面白くない。
(ここで、もう一度。皆様の前で、ナーナリア様が『悪役令嬢』で、わたくしが『可哀想なヒロイン』だと、はっきりさせて差し上げますわ)
リリアは、すっと立ち上がった。
「ナーナリア様。よろしければ、あちらの新しい紅茶、ご一緒しませんこと? とても珍しい茶葉だそうですわ」
「紅茶、ですの?」
ナーナリアの興味が、ケーキから紅茶に移る。
(彼女の趣味は「紅茶研究」である)
「ええ! わたくし、淹れて差し上げますわ」
リリアは、ティーポットが置かれたワゴンへと、ナーナリアを誘った。
「カイ様、ここで待っていてくださいまし。すぐに戻りますわ」
「……(コクリ)」
カイは、無表情で頷く。
「まあ、カイ様までご一緒でしたのね。本当に、ナーナリア様はお守りがお上手」
リリアが、チクリと嫌味を言う。
「護衛ですわ。わたくしの愛犬ケルベロスがいないので、その代わりですの」
「(……!)」
(犬代わりですって!?)
カイの眉間に、わずかに(本当に、わずかに)シワが寄ったのを、リリアは見逃さなかった。
(ふふっ。この二人、うまくいっているわけではないのね)
リリアは、自信を取り戻した。
「さあ、ナーナリア様。こちらの茶葉ですわ」
リリアは、見事な手つきで紅茶を淹れ始め、カップをナーナリアに差し出すフリをした。
「どうぞ」
「ありがとうござい……」
ナーナリアが、カップを受け取ろうと手を伸ばした、その瞬間。
「あっ!」
リリアが、わざとらしく、大きく体勢を崩した。
ガシャン!
熱い紅茶が、ナーナリアの胸元……高価なシルクのドレスに、盛大にぶちまけられた。
「…………!」
「キャアアア! ごめんなさい! ナーナリア様!」
リリアの甲高い悲鳴が、庭園に響き渡る。
「手が、手が滑って……!」
リリアは、その場に泣き崩れた。
ドレスが、濃い茶色のシミで無残に汚れている。
((まあ! なんてこと!))
((リリア様、またナーナリア様に何かされたの!?))
((いいえ、今のはリリア様が……))
「熱っ……!」
ナーナリアは、熱さで一瞬顔をしかめたが、それ以上に、お気に入りのドレスが台無しになったことにショックを受けていた。
「(ああっ! これ! 先日お父様が熊(の毛皮)と交換してきた、西の国のシルクですのに!)」
「ナーナリア様……! お許しくださいまし……!」
リリアが、涙ながらに(しかし顔は濡れていない)ナーナリアにすがりつく。
完全に「ナーナリアがリリアをいじめた(と周囲に誤解させる)」構図だ。
「……リリア様。ドレスは弁償していただければ、それで」
ナーナリアが、冷静に現実的な対応をしようとした、その時。
バサッ。
「……!」
ナーナリアの肩に、黒い布が、乱暴にかけられた。
それは、ついさっきまで背後にあった「動く壁」が纏っていた、王宮騎士団の制服の上着だった。
「(え……?)」
ナーナリアが振り向くと、そこには、上着を脱いだ(ややラフな)カイの姿があった。
彼は、ナーナリアの肩にかけた上着を、ぐいっと引き寄せ、シミができた胸元を完全に隠してしまう。
「……風邪を引く」
低い、抑揚のない声。
「え、いえ、熱い紅茶でしたので、風邪は……」
「戻るぞ」
カイは、ナーナリアの腕を(クレープの時より強く)掴んだ。
「は!? え!? ちょっ、待ってくださいまし! カイ様!」
「(な……!)」
リリアが、驚きで泣く(フリ)のも忘れ、固まった。
((きゃああああ! 氷の騎士様が!))
((上着を……! なんてロマンチックなの!))
((でも、ナーナリア様を引きずってない!?))
「待ちなさい! カイ! わたくし、まだケーキを全種類食べていませんのに!」
「うるさい」
「なっ! 護衛のくせに、主人に『うるさい』とは!」
カイは、ナーナリアの抗議を一切無視し、その腕を引いて、パーティー会場をズカズカと横切っていく。
「…………」
後に残されたのは、盛大なシミができた(リリアの)ティーカップと。
最大の「見せ場」を、根こそぎカイに持っていかれ、怒りで震えるヒロインの姿だけだった。
「(お……覚えてらっしゃい……! あの氷騎士……!)」
リリアの小さな罠は、氷の騎士の、あまりにも「規格外」な行動によって、あっけなく不発に終わったのだった。
ナーナリアは、侯爵令嬢主催のガーデンパーティーで、目の前に並んだ美しいケーキたちを前に、深いため息をついた。
「お嬢様、お言葉ですが。婚約破棄されたとはいえ、グランツ侯爵家のご令嬢です。社交は必須でございますよ」
侍女のアマンダが、小声で釘を刺す。
「わかっておりますわ。ですが、あの王子と破談になってから、皆様わたくしを『腫れ物』か『猛獣』のように扱うのですもの」
事実、ナーナリアが座るテーブルの周囲だけ、ぽっかりと空間が空いていた。
令嬢たちは、遠巻きにこちらをヒソヒソと見ている。
((まあ、あの方がナーナリア様……))
((随分と堂々としていらっしゃるのね、破棄されたのに))
((それより、ご覧になって。あの方……!))
令嬢たちの視線は、ナーナリアの背後に立つ「動く壁」に注がれていた。
「…………」
カイ・ランバートは、今日も今日とて、完璧な無表情でナーナリアの護衛(という名の監視)任務についていた。
((氷の騎士様……! なぜあんなところに))
((ナーナリア様の監視役ですって。国王陛下の直々のご命令とか))
((まあ! やはり、何か問題をおこし……))
「カイ様」
ナーナリアは、背後の氷人形に、わざと聞こえるように話しかけた。
「あそこの、チョコレートムース。とても美味しそうですわね」
「……(ピクッ)」
カイの肩が、わずかに反応する。
((今、動いた!?))
「それから、あちらの『七種のベリータルト』。昨日わたくしが食べた物より、上質かもしれませんわ」
「……(ゴクリ)」
カイが、わずかに喉を鳴らした(気がした)。
((氷の騎士様が、お菓子で動揺して……!?))
「(ふふっ。いい気味ですわ)」
ナーナリアが、この状況を(自分なりに)楽しもうと、フォークを手に取った、その時。
「まあ! ナーナリア様ではございませんか!」
鈴を転がすような、しかしナーナリアにとっては騒音でしかない声が、響き渡った。
「(……出ましたわ)」
現れたのは、もちろん、ヒロインのリリア。
純白のドレスに身を包み、まるで天使のような(計算高い)笑みを浮かべている。
「ごきげんよう、リリア様。奇遇ですわね」
「本当に! お元気そうで、ようございましたわ!」
リリアは、そう言うと、ナーナリアのテーブルに(断りもなく)腰を下ろした。
周囲の令嬢たちの、好奇の視線が一層強まる。
「わたくし、ずっと心配しておりましたの。ナーナリア様、あの日から……お心を痛めていらっしゃるのではないかと」
「(痛めているのは、わたくしが食べ損ねたパーティーのケーキのことだけですわ)」
ナーナリアは、完璧な淑女の笑みを貼り付けた。
「ご心配には及びませんわ。わたくし、今はこうして自由に甘味を堪能できて、幸せですもの」
「まあ!」
リリアは、ハンカチを口元に当てて、驚いたように目を見開く。
「(……この女。やはり、なんとも思っていないのね)」
リリアは、内心で舌打ちをした。
エドワード王子は、あの日以来、何かにつけて「ナーナリアが!」「ナーナリアの様子が!」と、彼女のストーカーのようになっている。
リリアとしては、それが面白くない。
(ここで、もう一度。皆様の前で、ナーナリア様が『悪役令嬢』で、わたくしが『可哀想なヒロイン』だと、はっきりさせて差し上げますわ)
リリアは、すっと立ち上がった。
「ナーナリア様。よろしければ、あちらの新しい紅茶、ご一緒しませんこと? とても珍しい茶葉だそうですわ」
「紅茶、ですの?」
ナーナリアの興味が、ケーキから紅茶に移る。
(彼女の趣味は「紅茶研究」である)
「ええ! わたくし、淹れて差し上げますわ」
リリアは、ティーポットが置かれたワゴンへと、ナーナリアを誘った。
「カイ様、ここで待っていてくださいまし。すぐに戻りますわ」
「……(コクリ)」
カイは、無表情で頷く。
「まあ、カイ様までご一緒でしたのね。本当に、ナーナリア様はお守りがお上手」
リリアが、チクリと嫌味を言う。
「護衛ですわ。わたくしの愛犬ケルベロスがいないので、その代わりですの」
「(……!)」
(犬代わりですって!?)
カイの眉間に、わずかに(本当に、わずかに)シワが寄ったのを、リリアは見逃さなかった。
(ふふっ。この二人、うまくいっているわけではないのね)
リリアは、自信を取り戻した。
「さあ、ナーナリア様。こちらの茶葉ですわ」
リリアは、見事な手つきで紅茶を淹れ始め、カップをナーナリアに差し出すフリをした。
「どうぞ」
「ありがとうござい……」
ナーナリアが、カップを受け取ろうと手を伸ばした、その瞬間。
「あっ!」
リリアが、わざとらしく、大きく体勢を崩した。
ガシャン!
熱い紅茶が、ナーナリアの胸元……高価なシルクのドレスに、盛大にぶちまけられた。
「…………!」
「キャアアア! ごめんなさい! ナーナリア様!」
リリアの甲高い悲鳴が、庭園に響き渡る。
「手が、手が滑って……!」
リリアは、その場に泣き崩れた。
ドレスが、濃い茶色のシミで無残に汚れている。
((まあ! なんてこと!))
((リリア様、またナーナリア様に何かされたの!?))
((いいえ、今のはリリア様が……))
「熱っ……!」
ナーナリアは、熱さで一瞬顔をしかめたが、それ以上に、お気に入りのドレスが台無しになったことにショックを受けていた。
「(ああっ! これ! 先日お父様が熊(の毛皮)と交換してきた、西の国のシルクですのに!)」
「ナーナリア様……! お許しくださいまし……!」
リリアが、涙ながらに(しかし顔は濡れていない)ナーナリアにすがりつく。
完全に「ナーナリアがリリアをいじめた(と周囲に誤解させる)」構図だ。
「……リリア様。ドレスは弁償していただければ、それで」
ナーナリアが、冷静に現実的な対応をしようとした、その時。
バサッ。
「……!」
ナーナリアの肩に、黒い布が、乱暴にかけられた。
それは、ついさっきまで背後にあった「動く壁」が纏っていた、王宮騎士団の制服の上着だった。
「(え……?)」
ナーナリアが振り向くと、そこには、上着を脱いだ(ややラフな)カイの姿があった。
彼は、ナーナリアの肩にかけた上着を、ぐいっと引き寄せ、シミができた胸元を完全に隠してしまう。
「……風邪を引く」
低い、抑揚のない声。
「え、いえ、熱い紅茶でしたので、風邪は……」
「戻るぞ」
カイは、ナーナリアの腕を(クレープの時より強く)掴んだ。
「は!? え!? ちょっ、待ってくださいまし! カイ様!」
「(な……!)」
リリアが、驚きで泣く(フリ)のも忘れ、固まった。
((きゃああああ! 氷の騎士様が!))
((上着を……! なんてロマンチックなの!))
((でも、ナーナリア様を引きずってない!?))
「待ちなさい! カイ! わたくし、まだケーキを全種類食べていませんのに!」
「うるさい」
「なっ! 護衛のくせに、主人に『うるさい』とは!」
カイは、ナーナリアの抗議を一切無視し、その腕を引いて、パーティー会場をズカズカと横切っていく。
「…………」
後に残されたのは、盛大なシミができた(リリアの)ティーカップと。
最大の「見せ場」を、根こそぎカイに持っていかれ、怒りで震えるヒロインの姿だけだった。
「(お……覚えてらっしゃい……! あの氷騎士……!)」
リリアの小さな罠は、氷の騎士の、あまりにも「規格外」な行動によって、あっけなく不発に終わったのだった。
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