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「…………」
「…………」
グランツ侯爵邸へ戻る馬車の中。
気まずい沈黙が、重く空気を支配していた。
ナーナリアは、自分の肩にかかったままの、黒い騎士団の上着を睨みつけていた。
ほのかに、自分のものではない……カイの、冷たく無機質な(気がする)匂いがする。
「(……なぜ、わたくしがこんなものを)」
向かいの席に座るカイ・ランバートは、いつも通り、窓の外を無表情で見つめている。
上着を脱いだ彼は、シンプルなシャツ姿で、いつもより少しだけ……人間味があるように見えた。
(……見えませんわね。やはり氷人形ですわ)
「あの」
「なんだ」
ナーナリアが口火を切るのと、カイが反応するのが、ほぼ同時だった。
「(……食い気味ですわね)」
ナーナリアは、一度咳払いをして、姿勢を正した。
「なぜ、あのようなことをなさいましたの」
「あのようなこと、とは」
「パーティーでのことですわ! なぜ、わたくしに上着を!」
「汚れていた」
「それは見ればわかりますわ! そうではなく!」
ナーナリアは、苛立ちで声を荒げた。
「なぜ、わたくしを庇うような真似を?」
「…………」
カイは、答えなかった。
ただ、その青い瞳が、ゆっくりとナーナリアに向けられる。
「わたくし、あの場でリリア様の『罠』をどう暴いてやろうかと、作戦を練っていたところでしたのに」
「作戦?」
「そうですわ! わたくしが『まあ、リリア様。手が滑るなんて、ドジっ子ですこと!』と、逆に褒め殺しにしてやろうと」
「……」
「それを、貴方が台無しにしましたのよ! あんな風に上着をかけて、わたくしを連れ去って!」
「(連れ去る……)」
カイの眉が、ほんのわずかに動く。
「まるで、わたくしが貴方に守られる、か弱い令嬢みたいではありませんか!」
「……そうは見えなかった」
「なんですって!?」
「((氷の騎士様、ナーナリア様を引きずってない!?))……と、聞こえた」
「(うぐっ……!)」
ナーナリアは、言葉に詰まった。
確かに、あの場にいた令嬢たちは、ロマンチック半分、ドン引き半分だった。
「と、とにかく! あの行動は、貴方の『職務』の範囲を超えていますわ!」
「……」
「わたくし、貴方のこと『犬代わり』と申しましたのよ? それなのに、なぜ」
「……職務だ」
また、それだ。
ナーナリアは、ぐっと拳を握りしめた。
「それしか、貴方は言えませんの!?」
「事実だ」
「護衛が、主人に上着をかけるまでが、職務ですの!?」
「グランツ侯爵令嬢が、王宮騎士団の護衛対象が」
「もういいですわ!」
ナーナリアは、話を遮った。
「(この氷人形と話していると、らちが明きませんわ!)」
彼女は、ふと、リリアの言葉を思い出した。
(『お守りがお上手』……リリア様は、わたくしと貴方が、そういう関係だと誤解なさりたいのね)
(そして、貴方もそれを、あの場で否定しなかった)
「……カイ様」
「なんだ」
「貴方、わたくしを庇ったのは……わたくしが、あの場で不利になると思ったから?」
「…………」
カイは、答えず、再び窓の外に視線を移した。
馬車が、石畳の上を走る音だけが響く。
「……そう」
ナーナリアは、それ以上、何も聞かなかった。
(職務だ、か)
(結局、この人も、国王陛下に言われて、仕方なくわたくしと一緒にいるだけ)
(わたくしが、『規格外』だから。問題を起こさないように、見張っているだけ)
そう思うと、急に、胸のあたりがチクリと冷たくなった。
それは、熱い紅茶をかけられた時とは、まったく違う種類の痛みだった。
「(……何を、期待しているのですか、わたくしは)」
ナーナリアは、肩の上着を、強く握りしめた。
「…………」
カイは、窓の外を眺めながら、内心で、別のことを考えていた。
(仕事だから、ではない)
(なぜ、あの時、体が動いたのか)
(あの女(リリア)の、計算高い視線。それに気づかず、紅茶を差し出されようとしていた、この女)
(……ただ、目障りだった)
(あの女が、リリアの思惑通りに、貶められるのが)
(……なぜ?)
(『犬代わり』。確かに、そう言われた)
(だのに、なぜ、腹が立たない)
(……いや)
カイは、馬車に映る自分の顔を見た。
そこには、いつも通りの無表情があるだけだ。
(……面倒な職務だ。それだけだ)
やがて、馬車はグランツ侯爵邸に到着した。
「……カイ様」
ナーナリアは、馬車を降りる前に、カイの上着を脱ぐと、彼に突き返した。
「これ。ありがとうございました」
「……」
カイは、それを受け取らず、上着についた大きな茶色いシミを、無言で指差した。
「洗濯して、お返ししますわ」
「不要だ。廃棄する」
「なっ……! 高価な騎士団の上着ですのに!」
「シミがついたものは、規則違反だ」
カイは、そう言い残すと、ナーナ…リアより先に、さっさと馬車を降りてしまった。
「(なんなのですか、あの人は……!)」
ナーナリアは、残された上着を抱え、一人、馬車の中で唇を噛んだ。
(絶対に! 完璧にシミを落として、アイツの鼻を明かしてやりますわ!)
(……あれ? わたくし、今、この氷人形相手に、ムキになって……?)
ナーナリアは、自分の思考の矛盾に気づき、さらに混乱するのだった。
「…………」
グランツ侯爵邸へ戻る馬車の中。
気まずい沈黙が、重く空気を支配していた。
ナーナリアは、自分の肩にかかったままの、黒い騎士団の上着を睨みつけていた。
ほのかに、自分のものではない……カイの、冷たく無機質な(気がする)匂いがする。
「(……なぜ、わたくしがこんなものを)」
向かいの席に座るカイ・ランバートは、いつも通り、窓の外を無表情で見つめている。
上着を脱いだ彼は、シンプルなシャツ姿で、いつもより少しだけ……人間味があるように見えた。
(……見えませんわね。やはり氷人形ですわ)
「あの」
「なんだ」
ナーナリアが口火を切るのと、カイが反応するのが、ほぼ同時だった。
「(……食い気味ですわね)」
ナーナリアは、一度咳払いをして、姿勢を正した。
「なぜ、あのようなことをなさいましたの」
「あのようなこと、とは」
「パーティーでのことですわ! なぜ、わたくしに上着を!」
「汚れていた」
「それは見ればわかりますわ! そうではなく!」
ナーナリアは、苛立ちで声を荒げた。
「なぜ、わたくしを庇うような真似を?」
「…………」
カイは、答えなかった。
ただ、その青い瞳が、ゆっくりとナーナリアに向けられる。
「わたくし、あの場でリリア様の『罠』をどう暴いてやろうかと、作戦を練っていたところでしたのに」
「作戦?」
「そうですわ! わたくしが『まあ、リリア様。手が滑るなんて、ドジっ子ですこと!』と、逆に褒め殺しにしてやろうと」
「……」
「それを、貴方が台無しにしましたのよ! あんな風に上着をかけて、わたくしを連れ去って!」
「(連れ去る……)」
カイの眉が、ほんのわずかに動く。
「まるで、わたくしが貴方に守られる、か弱い令嬢みたいではありませんか!」
「……そうは見えなかった」
「なんですって!?」
「((氷の騎士様、ナーナリア様を引きずってない!?))……と、聞こえた」
「(うぐっ……!)」
ナーナリアは、言葉に詰まった。
確かに、あの場にいた令嬢たちは、ロマンチック半分、ドン引き半分だった。
「と、とにかく! あの行動は、貴方の『職務』の範囲を超えていますわ!」
「……」
「わたくし、貴方のこと『犬代わり』と申しましたのよ? それなのに、なぜ」
「……職務だ」
また、それだ。
ナーナリアは、ぐっと拳を握りしめた。
「それしか、貴方は言えませんの!?」
「事実だ」
「護衛が、主人に上着をかけるまでが、職務ですの!?」
「グランツ侯爵令嬢が、王宮騎士団の護衛対象が」
「もういいですわ!」
ナーナリアは、話を遮った。
「(この氷人形と話していると、らちが明きませんわ!)」
彼女は、ふと、リリアの言葉を思い出した。
(『お守りがお上手』……リリア様は、わたくしと貴方が、そういう関係だと誤解なさりたいのね)
(そして、貴方もそれを、あの場で否定しなかった)
「……カイ様」
「なんだ」
「貴方、わたくしを庇ったのは……わたくしが、あの場で不利になると思ったから?」
「…………」
カイは、答えず、再び窓の外に視線を移した。
馬車が、石畳の上を走る音だけが響く。
「……そう」
ナーナリアは、それ以上、何も聞かなかった。
(職務だ、か)
(結局、この人も、国王陛下に言われて、仕方なくわたくしと一緒にいるだけ)
(わたくしが、『規格外』だから。問題を起こさないように、見張っているだけ)
そう思うと、急に、胸のあたりがチクリと冷たくなった。
それは、熱い紅茶をかけられた時とは、まったく違う種類の痛みだった。
「(……何を、期待しているのですか、わたくしは)」
ナーナリアは、肩の上着を、強く握りしめた。
「…………」
カイは、窓の外を眺めながら、内心で、別のことを考えていた。
(仕事だから、ではない)
(なぜ、あの時、体が動いたのか)
(あの女(リリア)の、計算高い視線。それに気づかず、紅茶を差し出されようとしていた、この女)
(……ただ、目障りだった)
(あの女が、リリアの思惑通りに、貶められるのが)
(……なぜ?)
(『犬代わり』。確かに、そう言われた)
(だのに、なぜ、腹が立たない)
(……いや)
カイは、馬車に映る自分の顔を見た。
そこには、いつも通りの無表情があるだけだ。
(……面倒な職務だ。それだけだ)
やがて、馬車はグランツ侯爵邸に到着した。
「……カイ様」
ナーナリアは、馬車を降りる前に、カイの上着を脱ぐと、彼に突き返した。
「これ。ありがとうございました」
「……」
カイは、それを受け取らず、上着についた大きな茶色いシミを、無言で指差した。
「洗濯して、お返ししますわ」
「不要だ。廃棄する」
「なっ……! 高価な騎士団の上着ですのに!」
「シミがついたものは、規則違反だ」
カイは、そう言い残すと、ナーナ…リアより先に、さっさと馬車を降りてしまった。
「(なんなのですか、あの人は……!)」
ナーナリアは、残された上着を抱え、一人、馬車の中で唇を噛んだ。
(絶対に! 完璧にシミを落として、アイツの鼻を明かしてやりますわ!)
(……あれ? わたくし、今、この氷人形相手に、ムキになって……?)
ナーナリアは、自分の思考の矛盾に気づき、さらに混乱するのだった。
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