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王立アカデミーの卒業記念パーティーは、その年の社交界で最も華やかな夜として知られていた。
シャンデリアの光が磨き上げられた大理石の床に反射し、きらびやかなドレスを纏った令嬢たちと、仕立ての良い礼服に身を包んだ子息たちを煌びやかに照らし出している。
誰もが、この国の未来を担う若者たちの門出を祝い、甘美な音楽と軽やかな会話に酔いしれていた。
その中心にいるのは、もちろんこの国の第一王子、ルキウス・デ・アークライトと、彼の婚約者であるアーリヤ・フォン・クライネルト侯爵令嬢だ。
完璧な王子と、氷のように美しい完璧な令嬢。誰もが羨む、絵に描いたような一対だった。
オーケストラの演奏が一区切りついたその時、ルキウス王子がエスコートしていたアーリヤの手を離し、壇上の中央へと一人で進み出た。
会場の視線が一斉に彼へと集まる。
「皆、静粛に! 今宵、この場で皆に伝えねばならぬことがある!」
凛とした声がホールに響き渡り、ざわめきがぴたりと止んだ。
何事かと、人々は固唾を飲んで王子を見守る。
ルキウスは悲壮な覚悟を滲ませた表情で、壇上に一人残されたアーリヤをまっすぐに見据えた。
その隣には、いつの間にか寄り添うようにして立つ、小柄で可憐な男爵令嬢リリアナ・ベルの姿があった。彼女は怯えた小動物のように、王子の腕にそっとしがみついている。
「アーリヤ・フォン・クライネルト!」
ルキウスが、まるで罪人の名を呼ぶかのように叫んだ。
アーリヤは、ただ無表情に彼を見返す。その瞳には何の感情も浮かんでいなかった。
(ああ、やっと始まる。予定より三分押しだわ。非効率的ね)
そんなことを考えているとは、周囲の誰も知らない。
「君との婚約を、今この時をもって破棄する!」
宣言と共に、会場は大きくどよめいた。
「まあ、なんてこと!」
「王子はいったい何を……?」
貴族たちの囁き声が波のように広がる。
ルキウスは満足げにその反応を見渡し、さらに声を張り上げた。
「理由はわかっているな! 君が、このか弱く心優しいリリアナ・ベルを、陰湿に虐げ続けたからだ!」
王子の言葉に、リリアナは「ひっ」と小さな悲鳴をあげて顔を伏せた。その震える肩を、ルキウスが優しく抱き寄せる。
「君の嫉妬心が、どれだけリリアナを傷つけたことか! 教科書を隠し、階段から突き落とそうとし、あまつさえ彼女のドレスにワインをかけるなど! その悪逆非道、目に余る!」
「……そんな……」
「クライネルト嬢が、あの慎ましいベル嬢を……?」
周囲は完全に王子とリリアナの味方だった。完璧すぎるアーリヤへの嫉妬と、可憐なリリアナへの同情が、絶好のゴシップとなって会場の熱を上げていく。
(教科書は彼女がなくしたから探して差し上げただけ。階段は躓いた彼女を支えただけ。ワインは給仕係がこぼしたものを私が受け止めただけなのだけど)
アーリヤは内心で淡々と事実を訂正するが、口に出す気はさらさらなかった。
説明は、面倒くさい。何より、この茶番劇を長引かせるのは時間の無駄だ。
「君のような心の冷たい女は、この国の国母にふさわしくない! 悪役令嬢よ、君を断罪する!」
ルキウスが高らかに言い放つ。
まるで、長年稽古を重ねてきた舞台のクライマックスを演じきる俳優のようだった。
これで終わりだろうか。アーリヤは静かに思考する。
(よし、メインイベントは終了ね。早く帰って、この窮屈なドレスを脱いで、明日はどこのケーキ屋に行こうかしら。ああ、楽しみ)
そんな彼女の心中を知らないルキウスは、勝ち誇った顔で最後の通告を突きつけた。
「何か言うことはあるか、アーリヤ」
慈悲深い支配者のように、王子は問いかける。
会場の全ての人間が、アーリヤの反応に注目していた。
彼女は泣き崩れるのか。それとも、怒りに任せてリリアナに掴みかかるのか。
しかし、アーリヤの反応はそのどちらでもなかった。
彼女はただ、小さく、本当に小さく息を吐くと、淑女の礼法に完璧に則った、美しいカーテシーを一つしてみせた。
「承知いたしました」
凛と響いたのは、鈴の音のように涼やかな、しかし感情の全くこもらない声だった。
「では、失礼いたします」
それだけを言うと、アーリヤはくるりと背を向けた。
唖然とするルキウスとリリアナ、そして会場の貴族たちを置き去りにして、彼女は少しの乱れもない優雅な足取りで、パーティー会場の出口へと向かっていく。
その背筋はどこまでもまっすぐに伸び、まるで凱旋将軍のようだと、誰かが思った。
(さようなら、退屈な王妃教育。こんにちは、私の甘くて自由な毎日!)
アーリヤの心は、長年の責務から解放された歓喜で、今にもスキップしそうなくらい軽やかだった。
扉の前で控えていた侍従に「馬車を」とだけ短く告げ、彼女は一度も振り返ることなく、華やかな喧騒の世界から静かに姿を消した。
後に残されたのは、主役を失って呆然とする王子とヒロイン、そしてどう反応していいか分からず戸惑う貴族たちだけだった。
その様子を、壁際で面白くなさそうに眺めている一人の騎士がいた。
王宮騎士団副団長、アッシュ・ウォーカー。
彼は、あまりにも冷静に、そして堂々と去っていった元・王子妃候補の背中を思い出しながら、小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……本当に、悪役令嬢、なのか……?」
その疑問は、夜の喧騒にかき消えていった。
シャンデリアの光が磨き上げられた大理石の床に反射し、きらびやかなドレスを纏った令嬢たちと、仕立ての良い礼服に身を包んだ子息たちを煌びやかに照らし出している。
誰もが、この国の未来を担う若者たちの門出を祝い、甘美な音楽と軽やかな会話に酔いしれていた。
その中心にいるのは、もちろんこの国の第一王子、ルキウス・デ・アークライトと、彼の婚約者であるアーリヤ・フォン・クライネルト侯爵令嬢だ。
完璧な王子と、氷のように美しい完璧な令嬢。誰もが羨む、絵に描いたような一対だった。
オーケストラの演奏が一区切りついたその時、ルキウス王子がエスコートしていたアーリヤの手を離し、壇上の中央へと一人で進み出た。
会場の視線が一斉に彼へと集まる。
「皆、静粛に! 今宵、この場で皆に伝えねばならぬことがある!」
凛とした声がホールに響き渡り、ざわめきがぴたりと止んだ。
何事かと、人々は固唾を飲んで王子を見守る。
ルキウスは悲壮な覚悟を滲ませた表情で、壇上に一人残されたアーリヤをまっすぐに見据えた。
その隣には、いつの間にか寄り添うようにして立つ、小柄で可憐な男爵令嬢リリアナ・ベルの姿があった。彼女は怯えた小動物のように、王子の腕にそっとしがみついている。
「アーリヤ・フォン・クライネルト!」
ルキウスが、まるで罪人の名を呼ぶかのように叫んだ。
アーリヤは、ただ無表情に彼を見返す。その瞳には何の感情も浮かんでいなかった。
(ああ、やっと始まる。予定より三分押しだわ。非効率的ね)
そんなことを考えているとは、周囲の誰も知らない。
「君との婚約を、今この時をもって破棄する!」
宣言と共に、会場は大きくどよめいた。
「まあ、なんてこと!」
「王子はいったい何を……?」
貴族たちの囁き声が波のように広がる。
ルキウスは満足げにその反応を見渡し、さらに声を張り上げた。
「理由はわかっているな! 君が、このか弱く心優しいリリアナ・ベルを、陰湿に虐げ続けたからだ!」
王子の言葉に、リリアナは「ひっ」と小さな悲鳴をあげて顔を伏せた。その震える肩を、ルキウスが優しく抱き寄せる。
「君の嫉妬心が、どれだけリリアナを傷つけたことか! 教科書を隠し、階段から突き落とそうとし、あまつさえ彼女のドレスにワインをかけるなど! その悪逆非道、目に余る!」
「……そんな……」
「クライネルト嬢が、あの慎ましいベル嬢を……?」
周囲は完全に王子とリリアナの味方だった。完璧すぎるアーリヤへの嫉妬と、可憐なリリアナへの同情が、絶好のゴシップとなって会場の熱を上げていく。
(教科書は彼女がなくしたから探して差し上げただけ。階段は躓いた彼女を支えただけ。ワインは給仕係がこぼしたものを私が受け止めただけなのだけど)
アーリヤは内心で淡々と事実を訂正するが、口に出す気はさらさらなかった。
説明は、面倒くさい。何より、この茶番劇を長引かせるのは時間の無駄だ。
「君のような心の冷たい女は、この国の国母にふさわしくない! 悪役令嬢よ、君を断罪する!」
ルキウスが高らかに言い放つ。
まるで、長年稽古を重ねてきた舞台のクライマックスを演じきる俳優のようだった。
これで終わりだろうか。アーリヤは静かに思考する。
(よし、メインイベントは終了ね。早く帰って、この窮屈なドレスを脱いで、明日はどこのケーキ屋に行こうかしら。ああ、楽しみ)
そんな彼女の心中を知らないルキウスは、勝ち誇った顔で最後の通告を突きつけた。
「何か言うことはあるか、アーリヤ」
慈悲深い支配者のように、王子は問いかける。
会場の全ての人間が、アーリヤの反応に注目していた。
彼女は泣き崩れるのか。それとも、怒りに任せてリリアナに掴みかかるのか。
しかし、アーリヤの反応はそのどちらでもなかった。
彼女はただ、小さく、本当に小さく息を吐くと、淑女の礼法に完璧に則った、美しいカーテシーを一つしてみせた。
「承知いたしました」
凛と響いたのは、鈴の音のように涼やかな、しかし感情の全くこもらない声だった。
「では、失礼いたします」
それだけを言うと、アーリヤはくるりと背を向けた。
唖然とするルキウスとリリアナ、そして会場の貴族たちを置き去りにして、彼女は少しの乱れもない優雅な足取りで、パーティー会場の出口へと向かっていく。
その背筋はどこまでもまっすぐに伸び、まるで凱旋将軍のようだと、誰かが思った。
(さようなら、退屈な王妃教育。こんにちは、私の甘くて自由な毎日!)
アーリヤの心は、長年の責務から解放された歓喜で、今にもスキップしそうなくらい軽やかだった。
扉の前で控えていた侍従に「馬車を」とだけ短く告げ、彼女は一度も振り返ることなく、華やかな喧騒の世界から静かに姿を消した。
後に残されたのは、主役を失って呆然とする王子とヒロイン、そしてどう反応していいか分からず戸惑う貴族たちだけだった。
その様子を、壁際で面白くなさそうに眺めている一人の騎士がいた。
王宮騎士団副団長、アッシュ・ウォーカー。
彼は、あまりにも冷静に、そして堂々と去っていった元・王子妃候補の背中を思い出しながら、小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……本当に、悪役令嬢、なのか……?」
その疑問は、夜の喧騒にかき消えていった。
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