お言葉ですが殿下、その婚約破棄は非常に合理的です!

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
5 / 28

5

しおりを挟む
「……イザベル。ここが我が公爵領の行政を司る中央執務室だ。案内しよう」

アリストテレス公爵に連れられて、イザベルは大きな扉をくぐった。
しかし、一歩足を踏み入れた瞬間、彼女は眉をひそめ、持っていた扇子で鼻先を覆った。

「……公爵様。ここはゴミ捨て場(スクラップブック)の視察でしょうか?」

「何を言う。我が領の精鋭たちが集う、最前線のオフィスだぞ」

イザベルの視線の先には、天井まで届きそうな書類の塔、床に散乱したインク瓶、そして目の下にクマを作って這いずる文官たちの姿があった。
一人の文官が、震える手で一枚の紙を掲げる。

「お、公爵閣下……。三ヶ月前に提出された『橋の補修予算案』ですが、承認印のスタンプがどこかに紛れてしまいまして、現在捜索中であります……」

「……だそうだ。我が領は広大でな。案件が多く、どうしても処理が追いつかんのだ」

アリストテレスが少し決まずそうに視線を逸らすと、イザベルは深く、深いため息をついた。
それは絶望というより、汚れた部屋を見た掃除好きが覚える「やる気」に近い響きだった。

「お言葉ですが公爵様。これは案件が多いのではなく、管理体制が『原始時代』なだけです。三ヶ月も放置された予算案? その間に橋が崩落したら、物流の損失額は予算の十倍に膨れ上がりますわよ。……非効率すぎて吐き気がいたします」

イザベルはドレスの袖をまくり上げると(淑女としてはあるまじき行為だが、彼女には関係ない)、部屋の中央に堂々と立った。

「全員、筆を置きなさい! 今この瞬間から、この部屋の指揮権は私が預かります!」

文官たちがポカンとして彼女を見る。一人の年配の文官が立ち上がった。

「な、なんだ貴女は! 女性が首を突っ込むような現場ではないんだぞ。我々は不眠不休で――」

「不眠不休なのは、あなたが無駄な動きをしているからです。……そこの彼! その書類の山を、今すぐ『緊急』『保留』『ゴミ』の三色に色分けしなさい。十秒以内に!」

「えっ、ええっ!? じ、十秒……!?」

「九、八、七……」

イザベルの冷徹なカウントダウンに、文官は悲鳴を上げて書類に飛びついた。
彼女の指示は、雷鳴のように鋭く、的確だった。

「公爵様は、あちらのソファで五分ほど待機を。その間に、この部屋のボトルネック(停滞箇所)をすべて排除いたします」

「五分だと……? この地獄絵図をか?」

アリストテレスが半信半疑で時計を見た。
イザベルはそこから、まさに「効率の女神」……あるいは「事務の魔王」のごとき働きを見せた。

「そこのあなた! 承認印を探すのは時間の無駄です。新しい印を今すぐ彫らせなさい。その間に、私はこの予算案を現在の相場に書き換えます。三ヶ月前の数字など、今はもう紙屑同然です!」

「ハイッ!」

「あちらの文官! 書類を運ぶのに歩く必要はありません。デスクを円状に配置しなさい。中央に私が座り、私が判を押して隣へ流す。これで移動時間はゼロです!」

「サ、サーッ!」

イザベルの放つ圧倒的な威圧感と、論理的な正しさに、文官たちは魔法にかけられたように動き始めた。
彼女は机の上に山積みにされた書類を、目にも止まらぬ速さで読み、瞬時に判断を下していく。

「承認。却下。これは金額の計算ミス、やり直し。これは……ふふ、横領の証拠ですね。後で衛兵に突き出しなさい」

「えっ、横領!? 一瞬でそこまで見抜いたのですか!?」

「貸借対照表の数字が美しくありませんもの。……はい、完了。五分一秒。一秒オーバーしたのは、公爵様、あなたの視線が私の手元を邪魔したせいですわ」

イザベルが涼しい顔で書類の束を整えると、そこには美しく整理された「終わった仕事」の山が築かれていた。
部屋の空気は一変し、淀んでいた邪気が消え去っている。

文官たちは、まるで奇跡を見たかのようにイザベルの前に跪いた。

「女神だ……。事務の女神様が降臨された……!」

「今まで一週間かかっていた決裁が、たったの数分で……。しかも、的確すぎて反論の余地がない……!」

アリストテレス公爵もまた、言葉を失っていた。
彼は、彼女を「有能な事務次官」として雇ったつもりだったが、連れてきたのは「国家を運営する自動機械(オートマタ)」だったのではないかと思い始めていた。

「イザベル……。君は、一体何なんだ」

「言ったはずですよ。時給の高い女だ、と。……さて、公爵様。今ので私の試用期間は終了ということでよろしいですね?」

イザベルは優雅に、しかし挑戦的な笑みを浮かべてアリストテレスを見上げた。

「……認めざるを得ないな。君の能力は、我が公爵領の宝だ。いや、君そのものが……」

アリストテレスは無意識に彼女の手を取り、その甲に軽く唇を寄せた。
それは、彼なりの最大の敬意と――ほんの少しの、個人的な興味の表れだった。

「……お言葉ですが公爵様。その動作に要した三秒間で、さらに二枚の書類に目を通せましたわ。……ですが、待遇の改善(ボーナス)として受け取っておきましょう」

イザベルは少しだけ頬を赤らめたが、すぐに鋭い目で次の書類の山を睨みつけた。

「さあ、休憩時間は終わりです。夜までに、この領地の向こう三カ年計画を策定いたしますわよ! ついてこれない者は、今すぐ『有給休暇(追放)』を申請しなさい!」

「「「ハイッ! イザベル様!!」」」

執務室に、かつてないほどの活気ある返声が響き渡った。
一方、その頃。
元の王国では、ウィルフレッド王子が「イザベルがいないと、朝食のクロワッサンの焼き加減すら調整できない」という、信じがたいレベルの生活能力の欠如を露呈し始めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係

紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。 顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。 ※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜

矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』 彼はいつだって誠実な婚約者だった。 嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。 『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』 『……分かりました、ロイド様』 私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。 結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。 なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。

根暗令嬢の華麗なる転身

しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」 ミューズは茶会が嫌いだった。 茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。 公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。 何不自由なく、暮らしていた。 家族からも愛されて育った。 それを壊したのは悪意ある言葉。 「あんな不細工な令嬢見たことない」 それなのに今回の茶会だけは断れなかった。 父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。 婚約者選びのものとして。 国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず… 応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*) ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。 同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。 立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。 一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。 描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。 ゆるりとお楽しみください。 こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。

新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました

ささい
恋愛
「愛人がいるから、白い結婚にしてほしい」 政略結婚の初夜にそう告げた夫ルーファス。 妻カレンの反応は—— 「それ、契約不履行ですよね?」 「あなたの感情論、論理的に破綻してますよ?」 泣き落としは通じない。 そして初夜の翌朝、夫は泣いていた。 逃げ道は全部塞がれ、気づけば毎日論破されていた。 これは、論破され続けた夫がなぜか幸せになる話。

彼女の離縁とその波紋

豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。 ※子どもに関するセンシティブな内容があります。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

処理中です...