お言葉ですが殿下、その婚約破棄は非常に合理的です!

パリパリかぷちーの

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「……イザベル。折り入って相談がある。今、時間は取れるか?」

公爵邸のテラス。
夕闇が迫る中、アリストテレスは極めて真剣な面持ちでイザベルを呼び止めた。
彼は今日、このために領内最高の宝飾店から「最も資産価値が高く、かつデザインに無駄のない」指輪を取り寄せさせていた。

イザベルは手元の書類から顔を上げ、即座に懐中時計を確認する。

「三分間だけなら可能ですわ。それ以上の時間は、明日の定例会議の資料作成に支障をきたします」

「三分か。……十分だ。単刀直入に言う。私は、君という人材を一生、我が領に……いや、私の側に留めておきたいと考えている」

アリストテレスは一歩踏み出し、イザベルの瞳を真っ直ぐに見つめた。
氷の公爵と呼ばれる彼の冷徹な仮面が、わずかに熱を帯びて揺れている。

「君の能力は、我が公爵家にとって代替不可能な重要資産だ。他国へ流出させることは、国家的な損失に等しい。……そこで、一つの提案がある」

「……ヘッドハンティング対策ですね。承知いたしました。競業避止義務の契約更新、あるいは給与のベースアップでしょうか? 私としては、執務室のコーヒーメーカーを最新型にする予算を承認いただければ、継続雇用に異論はありませんわ」

イザベルは淡々と、しかし実務的な期待を込めて答えた。
アリストテレスは小さく首を振り、ポケットから小さな箱を取り出す。

「いや。もっと根本的で、永続的な契約だ。……イザベル。私と、結婚してくれないか」

パカリ、と箱が開かれる。
そこには、夕陽を反射して眩しく輝く、最高級のブルーダイヤモンドが鎮座していた。

「これは、君の瞳の色と同じだ。……君が我が公爵家の『公爵夫人』という役職に就くことで、法的、社会的、そして感情的な結びつきを強固なものにしたい。……どうだ。これ以上の『独占契約』はあるまい」

アリストテレスは確信していた。
効率と論理を愛する彼女なら、この「公爵夫人」という地位がもたらす絶大な権限とリソースの活用に、魅力を感じないはずがないと。

しかし、イザベルは指輪を一瞥した後、顎に手を当てて深刻な表情で考え込んでしまった。

「……結婚、ですか。公爵様、それは非常に重大な提案ですね」

「ああ。君なら、その価値を理解してくれると信じている」

「ええ。理解(わか)りますわ。……まず、公爵夫人となった場合の私の業務範囲(ジョブディスクリプション)を確認させてください。社交界での外交、領内の慈善事業、それから後継者の育成……。これらを追加で行いつつ、現在の政務も継続するとなると、私の労働時間は一日に十八時間を超えます」

イザベルは指を折りながら、恐ろしい速度で計算を始めた。

「さらに、公爵家としての冠婚葬祭にかかるコスト、ドレスの維持費、それに対するリターン(人脈形成)を考慮すると……。公爵様、この案件、現状では『赤字』ですわ」

「……あ、赤字だと?」

アリストテレスの顔が引きつった。
愛の告白に対して、これほどまでに冷徹な損益分岐点の提示が返ってくるとは想定外だった。

「はい。今の私は『有能な事務次官』として、責任と権限のバランスが最適化されています。しかし『公爵夫人』という肩書きは、責任ばかりが重く、実務的な自由度が下がります。……つまり、私の生産性が著しく低下するリスクがあるのです」

「……イザベル。私は、君の生産性だけを求めているわけではない。……私は、その……君という人間を、愛していると言っているんだが」

アリストテレスは、人生で初めて「愛」という、極めて非効率で曖昧な言葉を口にした。
彼は耳を赤くしながら、必死に食い下がる。

「愛があれば、多少の非効率は許容できるだろう? ……それに、私が君の夫になれば、君がやりたいプロジェクトの予算はすべて、私が無審査で承認する」

その言葉を聞いた瞬間、イザベルの瞳がカッと見開かれた。

「……全案件、無審査(フルパス)ですか?」

「ああ。私の全権限を、君に委ねる」

「……」

イザベルは三十秒ほど、沈黙した。
彼女の脳内では、現在進行中の「領内全土の鉄道網敷設計画」や「教育制度の抜本的改革」といった巨大プロジェクトの進捗予想図が、目まぐるしく更新されていく。

「……公爵様。その条件、非常に魅力的(サステナブル)ですわね」

「そうだろう。……なら、受けてくれるか?」

「前向きに検討させていただきます。ただし、まずは『婚約』という名の試用期間を設けましょう。その期間中に、公爵夫人としての業務と、私の本来の目的である『効率化の追求』が両立できるか、データを取る必要があります」

イザベルは満足げに頷くと、アリストテレスが差し出していた指輪をひょいとつまみ上げた。

「この指輪、時価で金貨三千枚といったところでしょうか。……担保として預かっておきますわ。では公爵様、プロポーズにかかった時間は二分四十五秒。ギリギリ合格点です」

「……そうか。それは……光栄だな」

アリストテレスは、自分がプロポーズに成功したのか、それとも非常に厳しい雇用契約を結ばされたのか、判断に迷いながらも、安堵の息を漏らした。

(まあいい。……彼女を私の側に繋ぎ止められたのなら、どのような形であれ、私の勝利だ)

彼は、少しだけ強引にイザベルの肩を引き寄せた。
イザベルは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに「……体温維持のための効率的な接触ですね」と呟き、大人しく彼に身を預けた。

一方、その頃。
元の王国では、ウィルフレッド王子が「イザベルがいなくなったせいで、王宮のトイレットペーパーの在庫がどこにあるか誰も知らない」という、国家存亡の危機に直面していた。

「誰か! 誰か在庫管理表を持ってこい! イザベルなら、予備の予備まで完璧に配置していたはずだ!」

「殿下、管理表はイザベル様が『機密事項(ノウハウ)』として持ち出されました!」

王国の崩壊は、足元……もとい、トイレの中から始まっていたのである。
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