悪役令嬢は優雅にさようなら!〜婚約破棄されたので、自由気ままに生きていきます。

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
17 / 28

17

しおりを挟む
アフォガートに導かれるまま、ラテは夜会の喧騒を離れ、月明かりが静かに差し込む大理石のテラスへと足を踏み入れた。

ひんやりとした夜風が、火照った頬に心地よい。
彼は、ラテの肩にかけたままだった自身の上着を落ちないようにそっとかけ直した。
その仕草は、驚くほど自然で優しかった。

「……ありがとうございました、騎士団長。あなたがいなければ、今頃どうなっていたことか」

ラテは、小さく息をついて礼を言う。
純白のドレスにべったりとついた、醜い赤ワインの染み。
それは、まるで今の自分の立場のようで、ラテは自嘲気味に口元を歪めた。

「気にするな。騎士として、当然のことをしたまでだ」

アフォガートは、いつも通りの硬い声で答える。

「それにしても、困りましたわ。お気に入りのドレスが、すっかり台無しですもの」

ラテが、ため息交じりに呟いた、その時だった。
アフォガートは、黙ってラテの前に跪くと、懐から真っ白なシルクのハンカチを取り出した。
そして、ワインの跳ね返りで汚れていた、ラテのドレスの裾を、そのハンカチで優しく、丁寧に拭い始めたのだ。

「き、騎士団長!?」

ラテは、驚きのあまり、思わず後ずさりそうになる。

「な、何をなさっているのですか! そのようなこと、ご自分でなさらずとも……!」

一国の騎士団長が、令嬢のドレスの汚れを拭うなど、前代未聞のことだ。
しかし、アフォガートは顔を上げようともせず、ただ黙々と作業を続ける。

「……俺は、美しいものが、理不尽に汚されるのが嫌いなだけだ」

ぽつり、と彼が呟いた。
その言葉が、汚れたドレスのことを指しているのか、それとも、濡れ衣を着せられたラテ自身のことを指しているのか。
ラテには、判断がつかなかった。
ただ、彼のその不器用な優しさに、胸の奥がきゅんと締め付けられるのを感じた。

やがて、アフォガートは静かに立ち上がると、ラテとまっすぐに向き合った。
月明かりに照らされた彼の黒曜石の瞳が、真剣な光を宿している。

「……なぜ、あの場で何も言い返さなかった」

「え……?」

「君ならできただろう。あの場で、マキアート嬢の過失を声高に責め、自らの潔白を証明することも。君は、自分の身を守るための言葉を、誰よりも巧みに操れるはずだ」

その言葉に、ラテは息を呑んだ。
この男は、わたくしのことを、そこまで深く理解していたというのか。
婚約破棄の場で王子を論破したことも、慰謝料交渉でのやり取りも、全て見ていた上での言葉だった。

「……面倒でしたのよ」

ラテは、なんとか平静を装って答える。

「それに、あそこで泣いているか弱い令嬢を声高に責め立てれば、それこそ、わたくしが本物の『悪役令嬢』になってしまいますわ。そんな、割に合わない役回りを演じるのは、ごめんですもの」

彼女らしい、どこまでも合理的な答え。
しかし、アフォガートは、その答えを待っていたかのように、静かに首を横に振った。

「……君は、本当は、優しい人間だな」

「なっ……!?」

ラテは、完全に不意を突かれた。
優しい、などと、生まれてから一度も言われたことのない言葉だったからだ。

アフォガートは、そんな彼女の動揺にお構いなしに、言葉を続ける。

「君が被っている『悪役』という名のその鎧は、あまりにも重く、そして窮屈そうだ。面倒事を避け、本当は傷つきやすい自分を守るため……君は、ずっと一人で戦ってきたのだろう」

彼の言葉が、一つ、また一つと、ラテが長年かけて築き上げてきた心の壁を、静かに、しかし確実に、崩していく。

「……ですが、その鎧は、もう必要ないのではないか?」

アフォガートが、そっと一歩、ラテに近づく。
彼の瞳が、ラテの心の奥底まで、全てを見透かすように、まっすぐに見つめている。

「少なくとも……俺の前では、その重い鎧を、脱いでもらいたい」

それは、命令でも、懇願でもない。
ただ、静かで、力強く、そして、どうしようもなく優しい響きを持った言葉だった。
ラテは、心臓を鷲掴みにされたような、強い衝撃を受けた。

もう、何も言い返せない。
悪役令嬢の仮面も、皮肉な笑顔も、今は何も思い浮かばなかった。
ただ、目の前の男の、あまりにも真っ直ぐな瞳を見つめ返すことしかできない。
顔が熱い。心臓が、今にも張り裂けそうなくらい、大きく、早く、鳴り響いている。

アフォガートは、ラテの動揺に気づいたのか、ふと視線を夜空へと向けた。

「……夜風が、冷えてきたな。君の馬車を手配させよう。屋敷まで、俺が送る」

彼は、あえて少しだけ、距離を取ってくれた。
そのさりげない気遣いが、ラテの心に、さらに温かく染み渡っていく。

「……ええ。よろしく、お願いしますわ」

なんとか、それだけを絞り出す。

静かな月の光が、二人きりのテラスを優しく照らしていた。
ラテは、この鉄仮面の騎士団長に、もはや抗うことのできないほど、強く惹かれている自分を、はっきりと自覚していた。
彼の言葉は、分厚い鎧の下にある、ラテの柔らかで、本当の心に深くそして温かく響き続けていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました

ゆっこ
恋愛
 ――あの日、私は確かに笑われた。 「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」  王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。  その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。  ――婚約破棄。

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

乙女ゲームっぽい世界に転生したけど何もかもうろ覚え!~たぶん悪役令嬢だと思うけど自信が無い~

天木奏音
恋愛
雨の日に滑って転んで頭を打った私は、気付いたら公爵令嬢ヴィオレッタに転生していた。 どうやらここは前世親しんだ乙女ゲームかラノベの世界っぽいけど、疲れ切ったアラフォーのうろんな記憶力では何の作品の世界か特定できない。 鑑で見た感じ、どう見ても悪役令嬢顔なヴィオレッタ。このままだと破滅一直線!?ヒロインっぽい子を探して仲良くなって、この世界では平穏無事に長生きしてみせます! ※他サイトにも掲載しています

ワンチャンあるかな、って転生先で推しにアタックしてるのがこちらの令嬢です

山口三
恋愛
恋愛ゲームの世界に転生した主人公。中世異世界のアカデミーを中心に繰り広げられるゲームだが、大好きな推しを目の前にして、ついつい欲が出てしまう。「私が転生したキャラは主人公じゃなくて、たたのモブ悪役。どうせ攻略対象の相手にはフラれて婚約破棄されるんだから・・・」 ひょんな事からクラスメイトのアロイスと協力して、主人公は推し様と、アロイスはゲームの主人公である聖女様との相思相愛を目指すが・・・。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

悪役令嬢に転生したので地味令嬢に変装したら、婚約者が離れてくれないのですが。

槙村まき
恋愛
 スマホ向け乙女ゲーム『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』の悪役令嬢、リシェリア・オゼリエに転生した主人公は、処刑される未来を変えるために地味に地味で地味な令嬢に変装して生きていくことを決意した。  それなのに学園に入学しても婚約者である王太子ルーカスは付きまとってくるし、ゲームのヒロインからはなぜか「私の代わりにヒロインになって!」とお願いされるし……。  挙句の果てには、ある日隠れていた図書室で、ルーカスに唇を奪われてしまう。  そんな感じで悪役令嬢がヤンデレ気味な王子から逃げようとしながらも、ヒロインと共に攻略対象者たちを助ける? 話になるはず……! 第二章以降は、11時と23時に更新予定です。 他サイトにも掲載しています。 よろしくお願いします。 25.4.25 HOTランキング(女性向け)四位、ありがとうございます!

【完】夫に売られて、売られた先の旦那様に溺愛されています。

112
恋愛
夫に売られた。他所に女を作り、売人から受け取った銀貨の入った小袋を懐に入れて、出ていった。呆気ない別れだった。  ローズ・クローは、元々公爵令嬢だった。夫、だった人物は男爵の三男。到底釣合うはずがなく、手に手を取って家を出た。いわゆる駆け落ち婚だった。  ローズは夫を信じ切っていた。金が尽き、宝石を差し出しても、夫は自分を愛していると信じて疑わなかった。 ※完結しました。ありがとうございました。

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

処理中です...