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アフォガートに導かれるまま、ラテは夜会の喧騒を離れ、月明かりが静かに差し込む大理石のテラスへと足を踏み入れた。
ひんやりとした夜風が、火照った頬に心地よい。
彼は、ラテの肩にかけたままだった自身の上着を落ちないようにそっとかけ直した。
その仕草は、驚くほど自然で優しかった。
「……ありがとうございました、騎士団長。あなたがいなければ、今頃どうなっていたことか」
ラテは、小さく息をついて礼を言う。
純白のドレスにべったりとついた、醜い赤ワインの染み。
それは、まるで今の自分の立場のようで、ラテは自嘲気味に口元を歪めた。
「気にするな。騎士として、当然のことをしたまでだ」
アフォガートは、いつも通りの硬い声で答える。
「それにしても、困りましたわ。お気に入りのドレスが、すっかり台無しですもの」
ラテが、ため息交じりに呟いた、その時だった。
アフォガートは、黙ってラテの前に跪くと、懐から真っ白なシルクのハンカチを取り出した。
そして、ワインの跳ね返りで汚れていた、ラテのドレスの裾を、そのハンカチで優しく、丁寧に拭い始めたのだ。
「き、騎士団長!?」
ラテは、驚きのあまり、思わず後ずさりそうになる。
「な、何をなさっているのですか! そのようなこと、ご自分でなさらずとも……!」
一国の騎士団長が、令嬢のドレスの汚れを拭うなど、前代未聞のことだ。
しかし、アフォガートは顔を上げようともせず、ただ黙々と作業を続ける。
「……俺は、美しいものが、理不尽に汚されるのが嫌いなだけだ」
ぽつり、と彼が呟いた。
その言葉が、汚れたドレスのことを指しているのか、それとも、濡れ衣を着せられたラテ自身のことを指しているのか。
ラテには、判断がつかなかった。
ただ、彼のその不器用な優しさに、胸の奥がきゅんと締め付けられるのを感じた。
やがて、アフォガートは静かに立ち上がると、ラテとまっすぐに向き合った。
月明かりに照らされた彼の黒曜石の瞳が、真剣な光を宿している。
「……なぜ、あの場で何も言い返さなかった」
「え……?」
「君ならできただろう。あの場で、マキアート嬢の過失を声高に責め、自らの潔白を証明することも。君は、自分の身を守るための言葉を、誰よりも巧みに操れるはずだ」
その言葉に、ラテは息を呑んだ。
この男は、わたくしのことを、そこまで深く理解していたというのか。
婚約破棄の場で王子を論破したことも、慰謝料交渉でのやり取りも、全て見ていた上での言葉だった。
「……面倒でしたのよ」
ラテは、なんとか平静を装って答える。
「それに、あそこで泣いているか弱い令嬢を声高に責め立てれば、それこそ、わたくしが本物の『悪役令嬢』になってしまいますわ。そんな、割に合わない役回りを演じるのは、ごめんですもの」
彼女らしい、どこまでも合理的な答え。
しかし、アフォガートは、その答えを待っていたかのように、静かに首を横に振った。
「……君は、本当は、優しい人間だな」
「なっ……!?」
ラテは、完全に不意を突かれた。
優しい、などと、生まれてから一度も言われたことのない言葉だったからだ。
アフォガートは、そんな彼女の動揺にお構いなしに、言葉を続ける。
「君が被っている『悪役』という名のその鎧は、あまりにも重く、そして窮屈そうだ。面倒事を避け、本当は傷つきやすい自分を守るため……君は、ずっと一人で戦ってきたのだろう」
彼の言葉が、一つ、また一つと、ラテが長年かけて築き上げてきた心の壁を、静かに、しかし確実に、崩していく。
「……ですが、その鎧は、もう必要ないのではないか?」
アフォガートが、そっと一歩、ラテに近づく。
彼の瞳が、ラテの心の奥底まで、全てを見透かすように、まっすぐに見つめている。
「少なくとも……俺の前では、その重い鎧を、脱いでもらいたい」
それは、命令でも、懇願でもない。
ただ、静かで、力強く、そして、どうしようもなく優しい響きを持った言葉だった。
ラテは、心臓を鷲掴みにされたような、強い衝撃を受けた。
もう、何も言い返せない。
悪役令嬢の仮面も、皮肉な笑顔も、今は何も思い浮かばなかった。
ただ、目の前の男の、あまりにも真っ直ぐな瞳を見つめ返すことしかできない。
顔が熱い。心臓が、今にも張り裂けそうなくらい、大きく、早く、鳴り響いている。
アフォガートは、ラテの動揺に気づいたのか、ふと視線を夜空へと向けた。
「……夜風が、冷えてきたな。君の馬車を手配させよう。屋敷まで、俺が送る」
彼は、あえて少しだけ、距離を取ってくれた。
そのさりげない気遣いが、ラテの心に、さらに温かく染み渡っていく。
「……ええ。よろしく、お願いしますわ」
なんとか、それだけを絞り出す。
静かな月の光が、二人きりのテラスを優しく照らしていた。
ラテは、この鉄仮面の騎士団長に、もはや抗うことのできないほど、強く惹かれている自分を、はっきりと自覚していた。
彼の言葉は、分厚い鎧の下にある、ラテの柔らかで、本当の心に深くそして温かく響き続けていた。
ひんやりとした夜風が、火照った頬に心地よい。
彼は、ラテの肩にかけたままだった自身の上着を落ちないようにそっとかけ直した。
その仕草は、驚くほど自然で優しかった。
「……ありがとうございました、騎士団長。あなたがいなければ、今頃どうなっていたことか」
ラテは、小さく息をついて礼を言う。
純白のドレスにべったりとついた、醜い赤ワインの染み。
それは、まるで今の自分の立場のようで、ラテは自嘲気味に口元を歪めた。
「気にするな。騎士として、当然のことをしたまでだ」
アフォガートは、いつも通りの硬い声で答える。
「それにしても、困りましたわ。お気に入りのドレスが、すっかり台無しですもの」
ラテが、ため息交じりに呟いた、その時だった。
アフォガートは、黙ってラテの前に跪くと、懐から真っ白なシルクのハンカチを取り出した。
そして、ワインの跳ね返りで汚れていた、ラテのドレスの裾を、そのハンカチで優しく、丁寧に拭い始めたのだ。
「き、騎士団長!?」
ラテは、驚きのあまり、思わず後ずさりそうになる。
「な、何をなさっているのですか! そのようなこと、ご自分でなさらずとも……!」
一国の騎士団長が、令嬢のドレスの汚れを拭うなど、前代未聞のことだ。
しかし、アフォガートは顔を上げようともせず、ただ黙々と作業を続ける。
「……俺は、美しいものが、理不尽に汚されるのが嫌いなだけだ」
ぽつり、と彼が呟いた。
その言葉が、汚れたドレスのことを指しているのか、それとも、濡れ衣を着せられたラテ自身のことを指しているのか。
ラテには、判断がつかなかった。
ただ、彼のその不器用な優しさに、胸の奥がきゅんと締め付けられるのを感じた。
やがて、アフォガートは静かに立ち上がると、ラテとまっすぐに向き合った。
月明かりに照らされた彼の黒曜石の瞳が、真剣な光を宿している。
「……なぜ、あの場で何も言い返さなかった」
「え……?」
「君ならできただろう。あの場で、マキアート嬢の過失を声高に責め、自らの潔白を証明することも。君は、自分の身を守るための言葉を、誰よりも巧みに操れるはずだ」
その言葉に、ラテは息を呑んだ。
この男は、わたくしのことを、そこまで深く理解していたというのか。
婚約破棄の場で王子を論破したことも、慰謝料交渉でのやり取りも、全て見ていた上での言葉だった。
「……面倒でしたのよ」
ラテは、なんとか平静を装って答える。
「それに、あそこで泣いているか弱い令嬢を声高に責め立てれば、それこそ、わたくしが本物の『悪役令嬢』になってしまいますわ。そんな、割に合わない役回りを演じるのは、ごめんですもの」
彼女らしい、どこまでも合理的な答え。
しかし、アフォガートは、その答えを待っていたかのように、静かに首を横に振った。
「……君は、本当は、優しい人間だな」
「なっ……!?」
ラテは、完全に不意を突かれた。
優しい、などと、生まれてから一度も言われたことのない言葉だったからだ。
アフォガートは、そんな彼女の動揺にお構いなしに、言葉を続ける。
「君が被っている『悪役』という名のその鎧は、あまりにも重く、そして窮屈そうだ。面倒事を避け、本当は傷つきやすい自分を守るため……君は、ずっと一人で戦ってきたのだろう」
彼の言葉が、一つ、また一つと、ラテが長年かけて築き上げてきた心の壁を、静かに、しかし確実に、崩していく。
「……ですが、その鎧は、もう必要ないのではないか?」
アフォガートが、そっと一歩、ラテに近づく。
彼の瞳が、ラテの心の奥底まで、全てを見透かすように、まっすぐに見つめている。
「少なくとも……俺の前では、その重い鎧を、脱いでもらいたい」
それは、命令でも、懇願でもない。
ただ、静かで、力強く、そして、どうしようもなく優しい響きを持った言葉だった。
ラテは、心臓を鷲掴みにされたような、強い衝撃を受けた。
もう、何も言い返せない。
悪役令嬢の仮面も、皮肉な笑顔も、今は何も思い浮かばなかった。
ただ、目の前の男の、あまりにも真っ直ぐな瞳を見つめ返すことしかできない。
顔が熱い。心臓が、今にも張り裂けそうなくらい、大きく、早く、鳴り響いている。
アフォガートは、ラテの動揺に気づいたのか、ふと視線を夜空へと向けた。
「……夜風が、冷えてきたな。君の馬車を手配させよう。屋敷まで、俺が送る」
彼は、あえて少しだけ、距離を取ってくれた。
そのさりげない気遣いが、ラテの心に、さらに温かく染み渡っていく。
「……ええ。よろしく、お願いしますわ」
なんとか、それだけを絞り出す。
静かな月の光が、二人きりのテラスを優しく照らしていた。
ラテは、この鉄仮面の騎士団長に、もはや抗うことのできないほど、強く惹かれている自分を、はっきりと自覚していた。
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