婚約破棄される前に、帰らせていただきます!

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
6 / 28

6

しおりを挟む
王都の喧騒から離れた、国境近くの古い貴族の別荘。
そこは現在、隣国の公爵ゼクス・アルトワが滞在する「臨時執務室」と化していた。

クロナは鏡の前で、最後の手直しを終えた。
今日の装いは、華美なドレスではない。動きやすく、それでいて気品を損なわない、深い紺色のライディング・ドレスだ。

「お嬢様、準備が整いました。ゼクス閣下がお待ちです」

「ありがとう、サーシャ。……ふう。王子の相手をするより、数千倍は緊張するわね。何せ相手は『生きた計算機』とまで称される御方ですもの」

クロナは手に持った分厚い革の鞄を抱え直し、応接室の扉を開いた。

部屋の奥、暖炉の前に座っていたのは、銀髪を冷徹なまでに整えた青年だった。
彼の瞳は、冬の湖のような澄んだ青。クロナが入室しても、彼は手元の書類から視線を外さず、淡々と口を開いた。

「……五分遅い。ロベール侯爵令嬢」

「失礼いたしました。国境警備隊の検問が、予定より三分ほど長引きましたので。……ちなみに、その検問の効率化案も、こちらの鞄の中に用意してありますわ」

その言葉に、ゼクスがようやく顔を上げた。
鋭い眼差しがクロナを射抜く。

「面白いことを言う。君は婚約破棄を目前にした悲劇の令嬢として、私に助けを求めに来たのではないのか?」

「助け? いいえ、閣下。私は『商談』に来たのです。……お座りしてもよろしいかしら?」

ゼクスが黙って対面の椅子を指し示す。
クロナは優雅に腰を下ろすと、鞄から一束の書類を取り出し、机の上に滑らせた。

「これは……マリス王国の、向こう十年の経済予測、及び我がロベール家が保有する全資産の目録と移転計画書……か」

「それだけではありませんわ。その三ページ目をご覧ください。貴国が現在抱えている、物流のボトルネックを解消するための特許技術……その使用権も、ロベール家が買い取って同封してあります」

ゼクスは書類をめくる手が止まった。
彼の表情には出ないが、その瞳に宿る熱が、一気に上がったのをクロナは見逃さなかった。

「……なぜ、自国を売るような真似をする。君はロベール侯爵家の長女だろう」

「売るのではなく、倒産寸前の会社から優良資産を救い出しているだけですわ。無能な経営陣……つまりジュリアン殿下に、これ以上の富を浪費させるのは、経済に対する冒涜だと思いませんこと?」

「経済に対する冒涜、か。……君は思っていた以上に、冷酷な女だな」

「最高の褒め言葉として受け取っておきますわ。……さて、閣下。本題に入りましょう。私は私の知性と、ロベール家の資本を、貴国に提供します。その見返りとして……」

クロナは一呼吸置き、真っ直ぐにゼクスの目を見つめた。

「私を、貴方の『契約上の妻』として迎え入れていただきたいのです。期間は三年間。その間に、私は貴方の領地の税収を最低でも三割アップさせて見せましょう。もし達成できなければ、私の全私財を差し上げても構いませんわ」

沈黙が部屋を支配した。
暖炉で薪がはぜる音だけが響く中、ゼクスは指先で顎をなぞりながら、じっとクロナを観察した。

「……結婚という形態をとる理由は?」

「隣国の公爵夫人という肩書きがあれば、マリス王家もうかつに手出しはできません。それに、仕事をする上で『外部の人間』より『家族』である方が、情報のアクセス権を得やすいでしょう?」

「利己的だな。……だが、合理的だ」

ゼクスはふっと、わずかに口角を上げた。
それは氷が解けるような、危うい美しさを持った笑みだった。

「いいだろう。その契約、私が買い取ろう。……ただし、一つ条件がある」

「条件、かしら?」

「私の妻になる以上、ただの事務官としての仕事だけでは足りない。……夜会や式典では、私が『愛している』と錯覚させるほど、完璧に私の隣で微笑んでもらう」

クロナは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに不敵な笑みを返した。

「お安い御用ですわ。演技指導が必要なら、今からでも始めましょうか? ……旦那様?」

「……フン。合格だ」

ゼクスは立ち上がり、クロナの前に右手を差し出した。
それは救いの手ではなく、対等なビジネスパートナーとして握られるべき手だった。

「卒業パーティーの日、君を迎えに馬車を出そう。マリス王国の連中が、自分たちが何を失ったのかを理解する、最高の舞台にしようじゃないか」

「ええ。楽しみにしておりますわ。……あ、忘れていました。契約金として、あのアホな王子が私から盗用した論文の『正当な著作権料』も、後ほど請求させていただきますので、徴収をよろしくお願いしますわね」

クロナはゼクスの手をしっかりと握り返した。
その手は驚くほど温かく、そして確かな力強さに満ちていた。

「(さあ、ジュリアン。一週間後、貴方の『真実の愛』とやらが、隣国の公爵の軍事力と経済力に勝てるかどうか……せいぜい震えて待っていなさいな)」

クロナの胸の内で、勝利のファンファーレが鳴り響き始めた。
恋に溺れる少女ではなく、未来を支配する会計士として、彼女は最高にスカッとする「人生の逆転劇」の契約書に、見えないサインを書き込んだのである。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです

鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。 理由は―― 「王太子妃には華が必要だから」。 新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。 誰もが思った。 傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。 けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。 「戻りません」 彼女は怒らない。 争わない。 復讐もしない。 ただ――王家を支えるのをやめただけ。 流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。 さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。 強いざまあとは、叫ぶことではない。 自らの選択で、自らの立場を削らせること。 そして彼女は最後まで戻らない。 支えない。 奪わない。 ――選ばれなかったのではない。 彼女が、選ばなかったのだ。 これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。

何年も相手にしてくれなかったのに…今更迫られても困ります

Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のアンジュは、子供の頃から大好きだった幼馴染のデイビッドに5度目の婚約を申し込むものの、断られてしまう。さすがに5度目という事もあり、父親からも諦める様言われてしまった。 自分でも分かっている、もう潮時なのだと。そんな中父親から、留学の話を持ち掛けられた。環境を変えれば、気持ちも落ち着くのではないかと。 彼のいない場所に行けば、彼を忘れられるかもしれない。でも、王都から出た事のない自分が、誰も知らない異国でうまくやっていけるのか…そんな不安から、返事をする事が出来なかった。 そんな中、侯爵令嬢のラミネスから、自分とデイビッドは愛し合っている。彼が騎士団長になる事が決まった暁には、自分と婚約をする事が決まっていると聞かされたのだ。 大きなショックを受けたアンジュは、ついに留学をする事を決意。専属メイドのカリアを連れ、1人留学の先のミラージュ王国に向かったのだが…

余命3ヶ月と言われたので静かに余生を送ろうと思ったのですが…大好きな殿下に溺愛されました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のセイラは、ずっと孤独の中生きてきた。自分に興味のない父や婚約者で王太子のロイド。 特に王宮での居場所はなく、教育係には嫌味を言われ、王宮使用人たちからは、心無い噂を流される始末。さらに婚約者のロイドの傍には、美しくて人当たりの良い侯爵令嬢のミーアがいた。 ロイドを愛していたセイラは、辛くて苦しくて、胸が張り裂けそうになるのを必死に耐えていたのだ。 毎日息苦しい生活を強いられているせいか、最近ずっと調子が悪い。でもそれはきっと、気のせいだろう、そう思っていたセイラだが、ある日吐血してしまう。 診察の結果、母と同じ不治の病に掛かっており、余命3ヶ月と宣言されてしまったのだ。 もう残りわずかしか生きられないのなら、愛するロイドを解放してあげよう。そして自分は、屋敷でひっそりと最期を迎えよう。そう考えていたセイラ。 一方セイラが余命宣告を受けた事を知ったロイドは… ※両想いなのにすれ違っていた2人が、幸せになるまでのお話しです。 よろしくお願いいたします。 他サイトでも同時投稿中です。

ヴェルセット公爵家令嬢クラリッサはどこへ消えた?

ルーシャオ
恋愛
完璧な令嬢であれとヴェルセット公爵家令嬢クラリッサは期待を一身に受けて育ったが、婚約相手のイアムス王国デルバート王子はそんなクラリッサを嫌っていた。挙げ句の果てに、隣国の皇女を巻き込んで婚約破棄事件まで起こしてしまう。長年の王子からの嫌がらせに、ついにクラリッサは心が折れて行方不明に——そして約十二年後、王城の古井戸でその白骨遺体が発見されたのだった。 一方、隣国の法医学者エルネスト・クロードはロロベスキ侯爵夫人ことマダム・マーガリーの要請でイアムス王国にやってきて、白骨死体のスケッチを見てクラリッサではないと看破する。クラリッサは行方不明になって、どこへ消えた? 今はどこにいる? 本当に死んだのか? イアムス王国の人々が彼女を惜しみ、探そうとしている中、クロードは情報収集を進めていくうちに重要参考人たちと話をして——?

私は側妃なんかにはなりません!どうか王女様とお幸せに

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のキャリーヌは、婚約者で王太子のジェイデンから、婚約を解消して欲しいと告げられた。聞けば視察で来ていたディステル王国の王女、ラミアを好きになり、彼女と結婚したいとの事。 ラミアは非常に美しく、お色気むんむんの女性。ジェイデンが彼女の美しさの虜になっている事を薄々気が付いていたキャリーヌは、素直に婚約解消に応じた。 しかし、ジェイデンの要求はそれだけでは終わらなかったのだ。なんとキャリーヌに、自分の側妃になれと言い出したのだ。そもそも側妃は非常に問題のある制度だったことから、随分昔に廃止されていた。 もちろん、キャリーヌは側妃を拒否したのだが… そんなキャリーヌをジェイデンは権力を使い、地下牢に閉じ込めてしまう。薄暗い地下牢で、食べ物すら与えられないキャリーヌ。 “側妃になるくらいなら、この場で息絶えた方がマシだ” 死を覚悟したキャリーヌだったが、なぜか地下牢から出され、そのまま家族が見守る中馬車に乗せられた。 向かった先は、実の姉の嫁ぎ先、大国カリアン王国だった。 深い傷を負ったキャリーヌを、カリアン王国で待っていたのは… ※恋愛要素よりも、友情要素が強く出てしまった作品です。 他サイトでも同時投稿しています。 どうぞよろしくお願いしますm(__)m

希望通り婚約破棄したのになぜか元婚約者が言い寄って来ます

Karamimi
恋愛
侯爵令嬢ルーナは、婚約者で公爵令息エヴァンから、一方的に婚約破棄を告げられる。この1年、エヴァンに無視され続けていたルーナは、そんなエヴァンの申し出を素直に受け入れた。 傷つき疲れ果てたルーナだが、家族の支えで何とか気持ちを立て直し、エヴァンへの想いを断ち切り、親友エマの支えを受けながら、少しずつ前へと進もうとしていた。 そんな中、あれほどまでに冷たく一方的に婚約破棄を言い渡したはずのエヴァンが、復縁を迫って来たのだ。聞けばルーナを嫌っている公爵令嬢で王太子の婚約者、ナタリーに騙されたとの事。 自分を嫌い、暴言を吐くナタリーのいう事を鵜呑みにした事、さらに1年ものあいだ冷遇されていた事が、どうしても許せないルーナは、エヴァンを拒み続ける。 絶対にエヴァンとやり直すなんて無理だと思っていたルーナだったが、異常なまでにルーナに憎しみを抱くナタリーの毒牙が彼女を襲う。 次々にルーナに攻撃を仕掛けるナタリーに、エヴァンは…

婚約破棄されたので、もう誰の役にも立たないことにしました 〜静かな公爵家で、何もしない私の本当の人生が始まります〜

ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、 完璧であることを求められ続けてきた令嬢エリシア。 だがある日、彼女は一方的に婚約を破棄される。 理由は簡単だった。 「君は役に立ちすぎた」から。 すべてを失ったはずの彼女が身を寄せたのは、 “静かな公爵”と呼ばれるアルトゥール・クロイツの屋敷。 そこで待っていたのは―― 期待も、役割も、努力の強要もない日々だった。 前に出なくていい。 誰かのために壊れなくていい。 何もしなくても、ここにいていい。 「第二の人生……いえ、これからが本当の人生です」 婚約破棄ざまぁのその先で描かれる、 何者にもならなくていいヒロインの再生と、 放っておく優しさに満ちた静かな溺愛。 これは、 “役に立たなくなった”令嬢が、 ようやく自分として生き始める物語。

全てを捨てて消え去ろうとしたのですが…なぜか殿下に執着されています

Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のセーラは、1人崖から海を見つめていた。大好きだった父は、2ヶ月前に事故死。愛していた婚約者、ワイアームは、公爵令嬢のレイリスに夢中。 さらにレイリスに酷い事をしたという噂まで流されたセーラは、貴族世界で完全に孤立していた。独りぼっちになってしまった彼女は、絶望の中海を見つめる。 “私さえいなくなれば、皆幸せになれる” そう強く思ったセーラは、子供の頃から大好きだった歌を口ずさみながら、海に身を投げたのだった。 一方、婚約者でもあるワイアームもまた、一人孤独な戦いをしていた。それもこれも、愛するセーラを守るため。 そんなワイアームの気持ちなど全く知らないセーラは… 龍の血を受け継いだワイアームと、海神の娘の血を受け継いだセーラの恋の物語です。 ご都合主義全開、ファンタジー要素が強め?な作品です。 よろしくお願いいたします。 ※カクヨム、小説家になろうでも同時配信しています。

処理中です...