婚約破棄?ああ、どうぞお構いなく。

パリパリかぷちーの

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恋というものを自覚してからというもの、ゼノンの態度は明らかにおかしくなっていた。

「カフェ・ミュレット」を訪れても、彼はカウンターから一番遠い隅の席を選び、アミュレットの顔をまともに見ることができない。

「……ご注文は」

アミュレットにそう問われれば、

「あ、ああ。きょ、今日の菓子を、一つ……」

と、騎士団の副団長にあるまじき、しどろもどろな返事をしてしまう始末。

そのあまりに分かりやすい変化に、ついに聖剣アルドゥインがしびれを切らした。

『……もう見ておれん!』

その日、ゼノンがアミュレットの作ったモンブランを前に、どうやって食べ始めるべきか逡巡していた時、脳内に厳かな声が響いた。

『見かねたぞ、ゼノンよ! このままでは、お前の恋は一歩も前に進まぬまま枯れてしまうだろう!』

(……放っておいてくれ)

『そうはいかん! お前の恋路は、すなわち我の食生活の未来にも関わる重大事なのだ! よって、この聖剣アルドゥイン様が、本日よりお前の『恋のキューピッド』となり、その道を照らしてやろう!』

(丁重にお断りする)

『遠慮はするな! さあ、我が授ける恋愛講座の第一章、開幕である!』

ゼノンの拒否などお構いなしに、アルドゥインのお節介が始まった。

『まず、恋する相手の気を引くには、己の魅力を最大限に示すことが肝要だ。騎士であるお前ならば、己が討ち取った高位魔物の素材などを贈ってみてはどうか? ドラゴンの鱗などは、美しく加工すれば良い髪飾りになるぞ』

(公爵令嬢に、魔物の鱗を贈る騎士がどこにいる)

ゼノンは内心で冷静にツッコミを入れる。

『むう、現代の若者には響かんか。ならば、詩だ! 遥か古代より、恋の成就に詩は不可欠! 今宵あたり、窓の下から彼女に捧げる情熱的な詩を詠んで聞かせるのだ!』

(不審者として衛兵に捕まるだけだ)

『では、花だ! 彼女の瞳の色と同じ、紫の美しい花を馬車一杯に詰め込んで、公爵邸に送り届けるのだ! 乙女は花の贈り物に弱いと相場が決まっておる!』

(そんなことをすれば、婚約破棄された令嬢への当てつけだと、クライン公爵の逆鱗に触れるだろうな)

次から次へと繰り出される、アルドゥインの時代錯誤で的外れなアドバイス。ゼノンは、目の前のモンブランを味わうことにも集中できず、ただひたすら内心で首を横に振り続けた。

その様子を、アミュレットはカウンターの奥から不思議そうに眺めていた。

(今日のグレイフォード様は、一段と変だわ……)

ケーキを前に、一人で眉間に皺を寄せたり、小さくかぶりを振ったりしている。まるで、見えない誰かと会話でもしているかのようだ。

「……あの、グレイフォード様」

アミュレットが声をかけると、ゼノンはびくりと肩を震わせた。

「今日のモンブランは、お口に合いませんでしたか?」

「い、いや!滅相もない! 非常に美味だ! この栗のクリームの風味と、中のメレンゲの食感が……」

慌てて取り繕うように、ゼノンは早口で食レポを始める。アミュレットは、その必死な様子に小さく首を傾げた。

その間も、アルドゥインの恋愛講座は続いている。

『ええい、手応えのない奴め! 何も響かんではないか!』

(お前の提案が、現実離れしているだけだ)

『ならば、もっと直接的な行動あるのみ! デートだ、ゼノン! デートに誘うのだ!』

(でーと……?)

馴染みのない単語に、ゼノンは思わず眉をひそめた。

『そうだ! 街で開かれる祭りなどに誘ってみてはどうだ? 共に過ごす時間こそが、二人の距離を縮める最上の妙薬よ!』

アルドゥインの言葉に、ゼノンは思わず、アミュレットと二人で祭りの人混みを歩く姿を想像してしまった。そして、無意識に呟いてしまう。

「祭り……か……」

「祭り、ですか?」

すぐさま、アミュレットの声が返ってきた。

しまった、とゼノンは凍り付く。

「い、いや! なんでもない! 近々、騎士団が警備を担当する祭りの話だ! 仕事の話だ!」

「はぁ、そうですか。ご苦労様です」

アミュレットはそれ以上追及することなく、あっさりと興味を失ったように自分の仕事に戻った。

ゼノンは、自分の失態に顔から火が出る思いだった。

『……この朴念仁、朴念仁にも程があるぞ……!』

アルドゥインは、もはや呆れを通り越して、天を仰いでいた。

『もうよい! 単純なことから始めるぞ! 二人で出かける口実を作るのだ! 例えば、彼女が新しい茶葉を買いに行く時、その護衛を申し出るとか! これならば、お前でも出来るであろう!』

(……茶葉の、護衛)

それは、確かに、これまでの提案に比べれば、遥かに現実的だった。

ゼノンは、アミュレットの横顔を盗み見る。

彼女に、二人きりで出かける提案をする。それは、今の彼にとって、ドラゴンに単身で挑むよりも、遥かに勇気のいることのように思えた。

まだ、その一言を切り出すことはできない。

しかし、やかましい自称キューピッドの囁きは、これからも毎日、彼の耳元(脳内)で繰り返されるのだ。

堅物騎士の恋は、主に聖剣の力によって、ゆっくりと、しかし確実に、次の一歩を踏み出そうとしていた。
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