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その日、「カフェ・ミュレット」に、これまでの客とは少し雰囲気の違う二人組の男がやってきた。
一人は好奇心旺盛そうな目で店内をきょろきょろと見回す、軽薄そうな伊達男。もう一人は、大きな黒い箱を抱えた、職人風の無口な男だ。
「ここだ、ここに違いない! おい、見てみろよ、この雰囲気!」
伊達男が、興奮した様子で言った。
カウンターの内側でカップを磨いていたアミュレットは、彼らに冷たい視線を向ける。
「……お静かにお願いします。他のお客様のご迷惑になります」
「これは失礼! いやあ、噂通りの美人店主さんだ!」
男は悪びれもなく笑うと、胸のポケットから名刺を取り出した。
「私、王都情報誌『月刊キャピタル』で記者をしております、ジャックと申します! こちらはカメラマンの相棒でして。ぜひ、この素晴らしいお店を、我々の雑誌で紹介させていただけませんか!」
アミュレットは、その名刺を一瞥しただけで、すぐに興味を失ったように顔を背ける。
「お断りします。騒がしいのは好みませんので」
「そこをなんとか! マダム!」
「……マダムではありませんが」
「おお、これは失礼、マドモアゼル! お願いです! この店の噂は編集部でもちきりなんです! この味を知らずにいる王都の民は、人生の半分を損しております! それを伝えるのが、我々ジャーナリストの使命でして!」
ジャックの巧みな話術と、妙な熱意に、アミュレットは少しだけ眉をひそめた。
その時、隅の席に座っていた常連客の騎士が助け舟を出す。
「アミュレット様、この雑誌は王都で一番人気ですよ。ここに載れば、きっと……」
「……余計に面倒なことになる、と?」
アミュレットの言葉に、騎士はうっと口をつぐんだ。
結局、その後も三十分近く粘るジャックの熱意に根負けする形で、アミュレットは「写真一枚と、お菓子を一つだけ」という条件付きで、渋々取材を許可することになった。
インタビューが始まっても、アミュレットの塩対応は変わらない。
「このお店を始められた、きっかけは?」
「成り行きです」
「お菓子作りにおける、こだわりなどは?」
「特にありません。美味しいものを作る、ただそれだけです」
「今後の夢や、目標は?」
「ありません。平穏に暮らせれば、それで」
ジャックは頭を抱えた。これでは記事にならない。
しかし、カメラマンの相棒は違った。彼は、黙々と仕事をするアミュレットの姿に、ファインダー越しに魅入られていた。無駄のない動き、凛とした横顔、そして菓子を見つめる真剣な眼差し。その全てが、完璧な被写体だった。
そして、ジャックもまた、出された『木苺のムースケーキ』を一口食べた瞬間、全ての苦労が報われたことを知る。
「……う、美味い……! 甘酸っぱさと、滑らかさと、香りが……口の中でオーケストラを奏でている……!」
彼は確信した。このカフェは、絶対に記事になる、と。
数週間後。『月刊キャピタル』の最新号が、王都の書店や売店の店頭に並んだ。
その日の騎士団の休憩室で、ゼノンはその雑誌を偶然手に取った。パラパラとめくっていた彼の指が、あるページでぴたりと止まる。
見開きのカラーページ。
『裏路地に舞い降りた氷の姫君(アイスプリンセス)! 塩対応の先にある、天国の菓子に溺れたい!』
そんな扇情的な見出しと共に、カウンターの内側で、窓から差し込む光を浴びるアミュレットの写真が、大きく掲載されていた。カメラマンの腕が良かったのだろう。彼女のクールな美しさが、芸術的なまでに切り取られている。
記事には、彼女の塩対応ぶりと、それとは対照的な菓子の神がかった美味しさが、これでもかというほど賞賛の言葉で綴られていた。
ゼノンは、そのページを黙って見つめる。
(……綺麗だ)
素直にそう思った。だが、それと同時に、自分の宝物を、全世界に知られてしまったような、そんな寂しさが胸に広がった。
『ふん、我がアミュレット殿の魅力が、ついに世間に知れ渡ったか! 良いことではないか!』
アルドゥインは満足げだが、ゼノンの心は複雑だった。
そして、彼の予感は的中する。
雑誌発売の翌日から、「カフェ・ミュレット」はこれまでにないほどの客で溢れかえった。
若い女性グループ、お洒落なカップル、雑誌を片手にした観光客。彼らは皆、記事の通りの「氷の姫君」を一目見ようと、そして「天国の菓子」を味わおうと、狭い裏路地に行列を作った。
アミュレットは、殺到する注文に、ひたすら無心でお菓子を作り、紅茶を淹れ続けた。
(面倒だわ……。実に、面倒だわ……)
しかし、満席の店内で、自分の作ったケーキを幸せそうに頬張る客たちの顔を見るのは、不思議と、悪い気はしなかった。
その頃、王宮の一室。
リリアは、侍女たちとお茶会を楽しんでいた。
「まあ、リリア様! このドレス、本当にお似合いですわ!」
「今日の髪飾りも、まるで妖精のようで……!」
侍女たちの賞賛に、リリアは上機嫌で微笑む。
その時、侍女の一人が、テーブルに置いてあった『月刊キャピタル』を手に取った。
「あら、今月の特集は、王都で話題のカフェですのね。……まあ、綺麗な方……」
何気なく開かれたそのページを、リリアは横から覗き込んだ。
そして、固まる。
そこにいたのは、アミュレットだった。自分が惨めな思いをしている間に、脚光を浴び、世間から賞賛されている、憎い女の姿。
『王都一、ミステリアスな宝石店主(パティシエール)』
その見出しが、リリアの瞳を焼き付けた。
彼女は、爪が白くなるほど強く、スカートの生地を握りしめる。
(アミュレット様が……どうして……!)
(私から、エリアス様だけじゃなく、王都の話題まで奪うつもりなの……!?)
その愛らしい顔に浮かんだ表情は、嫉妬と憎悪に染まっていた。
一人は好奇心旺盛そうな目で店内をきょろきょろと見回す、軽薄そうな伊達男。もう一人は、大きな黒い箱を抱えた、職人風の無口な男だ。
「ここだ、ここに違いない! おい、見てみろよ、この雰囲気!」
伊達男が、興奮した様子で言った。
カウンターの内側でカップを磨いていたアミュレットは、彼らに冷たい視線を向ける。
「……お静かにお願いします。他のお客様のご迷惑になります」
「これは失礼! いやあ、噂通りの美人店主さんだ!」
男は悪びれもなく笑うと、胸のポケットから名刺を取り出した。
「私、王都情報誌『月刊キャピタル』で記者をしております、ジャックと申します! こちらはカメラマンの相棒でして。ぜひ、この素晴らしいお店を、我々の雑誌で紹介させていただけませんか!」
アミュレットは、その名刺を一瞥しただけで、すぐに興味を失ったように顔を背ける。
「お断りします。騒がしいのは好みませんので」
「そこをなんとか! マダム!」
「……マダムではありませんが」
「おお、これは失礼、マドモアゼル! お願いです! この店の噂は編集部でもちきりなんです! この味を知らずにいる王都の民は、人生の半分を損しております! それを伝えるのが、我々ジャーナリストの使命でして!」
ジャックの巧みな話術と、妙な熱意に、アミュレットは少しだけ眉をひそめた。
その時、隅の席に座っていた常連客の騎士が助け舟を出す。
「アミュレット様、この雑誌は王都で一番人気ですよ。ここに載れば、きっと……」
「……余計に面倒なことになる、と?」
アミュレットの言葉に、騎士はうっと口をつぐんだ。
結局、その後も三十分近く粘るジャックの熱意に根負けする形で、アミュレットは「写真一枚と、お菓子を一つだけ」という条件付きで、渋々取材を許可することになった。
インタビューが始まっても、アミュレットの塩対応は変わらない。
「このお店を始められた、きっかけは?」
「成り行きです」
「お菓子作りにおける、こだわりなどは?」
「特にありません。美味しいものを作る、ただそれだけです」
「今後の夢や、目標は?」
「ありません。平穏に暮らせれば、それで」
ジャックは頭を抱えた。これでは記事にならない。
しかし、カメラマンの相棒は違った。彼は、黙々と仕事をするアミュレットの姿に、ファインダー越しに魅入られていた。無駄のない動き、凛とした横顔、そして菓子を見つめる真剣な眼差し。その全てが、完璧な被写体だった。
そして、ジャックもまた、出された『木苺のムースケーキ』を一口食べた瞬間、全ての苦労が報われたことを知る。
「……う、美味い……! 甘酸っぱさと、滑らかさと、香りが……口の中でオーケストラを奏でている……!」
彼は確信した。このカフェは、絶対に記事になる、と。
数週間後。『月刊キャピタル』の最新号が、王都の書店や売店の店頭に並んだ。
その日の騎士団の休憩室で、ゼノンはその雑誌を偶然手に取った。パラパラとめくっていた彼の指が、あるページでぴたりと止まる。
見開きのカラーページ。
『裏路地に舞い降りた氷の姫君(アイスプリンセス)! 塩対応の先にある、天国の菓子に溺れたい!』
そんな扇情的な見出しと共に、カウンターの内側で、窓から差し込む光を浴びるアミュレットの写真が、大きく掲載されていた。カメラマンの腕が良かったのだろう。彼女のクールな美しさが、芸術的なまでに切り取られている。
記事には、彼女の塩対応ぶりと、それとは対照的な菓子の神がかった美味しさが、これでもかというほど賞賛の言葉で綴られていた。
ゼノンは、そのページを黙って見つめる。
(……綺麗だ)
素直にそう思った。だが、それと同時に、自分の宝物を、全世界に知られてしまったような、そんな寂しさが胸に広がった。
『ふん、我がアミュレット殿の魅力が、ついに世間に知れ渡ったか! 良いことではないか!』
アルドゥインは満足げだが、ゼノンの心は複雑だった。
そして、彼の予感は的中する。
雑誌発売の翌日から、「カフェ・ミュレット」はこれまでにないほどの客で溢れかえった。
若い女性グループ、お洒落なカップル、雑誌を片手にした観光客。彼らは皆、記事の通りの「氷の姫君」を一目見ようと、そして「天国の菓子」を味わおうと、狭い裏路地に行列を作った。
アミュレットは、殺到する注文に、ひたすら無心でお菓子を作り、紅茶を淹れ続けた。
(面倒だわ……。実に、面倒だわ……)
しかし、満席の店内で、自分の作ったケーキを幸せそうに頬張る客たちの顔を見るのは、不思議と、悪い気はしなかった。
その頃、王宮の一室。
リリアは、侍女たちとお茶会を楽しんでいた。
「まあ、リリア様! このドレス、本当にお似合いですわ!」
「今日の髪飾りも、まるで妖精のようで……!」
侍女たちの賞賛に、リリアは上機嫌で微笑む。
その時、侍女の一人が、テーブルに置いてあった『月刊キャピタル』を手に取った。
「あら、今月の特集は、王都で話題のカフェですのね。……まあ、綺麗な方……」
何気なく開かれたそのページを、リリアは横から覗き込んだ。
そして、固まる。
そこにいたのは、アミュレットだった。自分が惨めな思いをしている間に、脚光を浴び、世間から賞賛されている、憎い女の姿。
『王都一、ミステリアスな宝石店主(パティシエール)』
その見出しが、リリアの瞳を焼き付けた。
彼女は、爪が白くなるほど強く、スカートの生地を握りしめる。
(アミュレット様が……どうして……!)
(私から、エリアス様だけじゃなく、王都の話題まで奪うつもりなの……!?)
その愛らしい顔に浮かんだ表情は、嫉妬と憎悪に染まっていた。
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