悪役令嬢は婚約破棄に「異議なし」です!

パリパリかぷちーの

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「……あと少し。この予算案を通して、温室の拡張工事の承認印を押せば……」

深夜の執務室。

魔導ランプの薄明かりの下、私は鬼の形相で羊皮紙に向かっていた。

目の下には、ジェラルド王子のそれより濃いクマができている自信がある。

ここ数週間、私は寝ていなかった。

正確には、アドレナリンが出過ぎて眠れなかったのだ。

温泉リゾートの予約は三ヶ月先まで満杯。

温室マンゴーは「雪国の奇跡」として王都で高値で取引されている。

私の口座残高は、見たことのない桁数に突入していた。

「ふふ……ふふふ……金が、金が唸るわ……!」

私はふらつく手でペンを握り直した。

視界が少し霞む。

頭がふわふわする。

でも、止まれない。今ここで手を緩めたら、このバブルが弾けてしまう気がして。

「次……次の決済書類は……」

立ち上がろうとした瞬間。

ガタンッ!

足がもつれ、椅子ごと床に倒れ込んだ。

「……あ、れ?」

体に力が入らない。

床の冷たさが心地いい。

(あ、これマズイかも。……まあ、ちょっと休憩ってことで……)

意識が遠のきかけた、その時。

バンッ!!

扉が乱暴に開かれた。

「ピース!」

血相を変えたサイラスが飛び込んできた。

彼は倒れている私を見るなり、風のような速さで駆け寄り、抱き起こした。

「おい! しっかりしろ! ピース!」

「……あ、サイラス様……。おはようございます……?」

「今は夜中だ! ……なんて熱だ」

サイラスの大きな手が私の額に触れる。

彼の手はいつも冷たいはずなのに、今の私には氷枕のように心地よかった。

「過労だ。医者を呼ぶ。……いや、その前にベッドだ」

サイラスは私を軽々と横抱きにした。

いわゆるお姫様抱っこだ。

普段なら「落とさないでくださいね、損害賠償請求しますよ」と軽口を叩くところだが、今は声を出すのも億劫だった。

私はそのまま、サイラスの寝室(一番広くて暖かい部屋)へと運ばれた。

ベッドに寝かせられ、毛布を幾重にも掛けられる。

「……寝てろ。仕事は禁止だ」

サイラスが厳しい声で言った。

私は反射的に抵抗した。

「だ、ダメです……。明日の朝までに、資材の発注をしないと……工期が遅れます……」

私はフラフラと起き上がろうとした。

ドンッ。

サイラスに肩を押され、強制的に寝かせられた。

「寝てろと言っている」

「でも……機会損失が……」

「金の話はもういい!」

怒鳴り声。

私はビクリと体を震わせた。

サイラスが、私に対して声を荒げたのは初めてだった。

彼は苦しげに顔を歪め、私の手を痛いほど強く握りしめた。

「金がなんだ。事業がなんだ。……そんなもののために、お前が倒れたら何の意味がある」

「……」

「お前は、自分の価値を分かっていない。俺にとって、この領地の富など、お前の指先一つにも劣るんだぞ!」

サイラスの瞳には、怒りよりも深い、恐怖のような色が浮かんでいた。

私を失うことへの恐怖。

それが分かってしまったから、余計に私は意固地になった。

「……分かってないのは、サイラス様の方です」

私は弱い声で、でもきっぱりと言い返した。

「私は、ただ金が欲しいだけじゃないんです」

「なら、なぜそこまで無理をする」

「……証明したいんです。家柄とか、魔法とか、王子の婚約者だったとか……そんな肩書きじゃなく、私自身の力で、何かを成し遂げられるって」

涙が滲んだ。

熱のせいかもしれない。

「ここで倒れたら……私はただの『守られるだけの令嬢』に戻っちゃう。それが嫌なんです」

「ピース……」

「だから、離してください。あと一枚だけ……書類を……」

私がなおも起き上がろうとすると、サイラスは無言で私の周りに氷の檻を作り出した。

パキパキパキッ!

ベッドの周囲を、頑丈な氷の格子が囲む。

「……なっ!?」

「口で言っても聞かないなら、力尽くで止める」

サイラスは冷徹な「氷の魔術師」の顔に戻っていた。

「熱が下がるまで、ここから一歩も出さん。仕事道具も没収だ」

「横暴です! 監禁罪で訴えますよ!」

「訴えろ。裁判所に行く体力があるならな」

サイラスは部屋の照明を落とし、出て行こうとした。

「サイラス様のバカ! わからず屋! 筋肉ダルマ!」

私は枕を投げつけたが、氷の格子に弾かれて虚しく落ちた。

バタン。

扉が閉まる。

部屋には静寂と、私だけが残された。

「……うぅ」

悔しい。

心配されているのは分かる。

でも、私のプライドも分かって欲しい。

私は毛布を頭まで被り、ふて寝を決め込んだ。

(もう知らない。口きいてあげないんだから)

……数時間後。

私の怒りは、別の感情によって上書きされていた。

(……お腹すいた)

人間とは悲しい生き物だ。

どんなに高尚なプライドを持っていても、カロリーが不足すれば腹は鳴る。

特に私は、夕食を抜いて仕事をしていたのだ。

空腹感が、熱によるダルさを凌駕し始めていた。

(なんか食べたい……。でも、自分じゃ起き上がれないし、意地張っちゃったし……)

私がベッドの上で芋虫のように悶えていた、その時。

ガチャリ。

扉が開いた。

サイラスだ。

手にはお盆を持っている。

私は慌てて寝たふりをした。

サイラスは足音を忍ばせて枕元まで来ると、お盆をサイドテーブルに置き、氷の檻を解除した。

そして、ため息交じりに椅子に座った。

「……起きているんだろう?」

バレていた。

私は観念して、毛布から顔半分だけ出した。

「……何の用ですか。私は今、ハンガーストライキ中です」

「そうか。なら、このスープは俺が食べるしかないな」

スープ。

その単語に、私の耳がピクリと動いた。

匂いが漂ってくる。

いつもの兵士用のドロドロではない。

芳醇なコンソメと、甘い野菜の香り。

「……我が家のシェフに作らせた特製スープだ。消化に良く、栄養満点だそうだが」

サイラスがスプーンでスープをすくう音。

カチャ。

グゥゥゥゥゥゥ~……。

私の腹の虫が、部屋中に響き渡るような轟音を奏でた。

「……」

「……」

沈黙。

サイラスの肩が震えている。

「……プッ」

「わ、笑わないでください! これは抗議の声です!」

私は顔を真っ赤にして起き上がった。

サイラスは笑いを噛み殺しながら、スプーンを差し出した。

「ほら。口を開けろ」

「……自分で食べます」

「手、震えてるだろう。こぼしたらシーツのクリーニング代を請求するぞ」

私の常套句を返された。

私は悔しいけれど、大人しく口を開けた。

「……あーん」

温かいスープが口の中に広がる。

野菜の甘みが、疲れた体に染み渡っていく。

美味しい。

涙が出るほど美味しい。

「……どうだ?」

「……悔しいけど、美味しいです」

私が素直に認めると、サイラスは優しく微笑んだ。

「悪かったな。閉じ込めたりして」

彼は私の口元をナプキンで拭ってくれた。

「お前の頑張りは認めている。誰よりも尊敬している。……だからこそ、壊れてほしくないんだ」

「……サイラス様」

「仕事をするなとは言わない。だが、俺の前では休め。……俺はお前の『充電器』だろう?」

いつか私が言った冗談まで覚えている。

私は目頭が熱くなった。

この不器用で、過保護で、優しい男には敵わない。

「……わかりました。休戦協定を結びます」

私はスープをもう一口ねだった。

「その代わり、条件があります」

「また条件か。なんだ?」

「私が寝ている間、ジェラルドを私の代理として働かせてください。彼、最近サボり気味なので」

「……承知した。あいつには死ぬ気で働いてもらおう」

「それと、私の看病代は、貴方の『膝枕』で支払ってください」

サイラスは一瞬驚いた顔をして、それから嬉しそうに頷いた。

「……高い請求書だな。喜んで払おう」

彼はベッドに腰掛け、私の頭を膝に乗せた。

硬い筋肉の感触が、今は何よりも安心できた。

「おやすみ、ピース」

サイラスの手が、私の髪を優しく梳く。

そのリズムに誘われて、私は深い眠りへと落ちていった。

結局、私の初めての喧嘩は、空腹とスープと膝枕によって、あっさりと幕を閉じたのだった。

翌朝。

全快した私は、二倍の速度で仕事を片付け、サイラスを呆れさせることになるのだが、それはまた別の話。
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