1 / 30
1
しおりを挟む
午後の陽光が、白いテーブルクロスの上で細かな塵を躍らせている。
それはまるで、目に見えない妖精たちがダンスを踊っているかのよう。
私は、透き通った琥珀色の紅茶を一口含み、目の前に座る婚約者を見つめた。
アリステア・フォン・ノイシュタイン第一王子。
彫刻のように整った横顔は、今日も冷ややかな美しさを湛えている。
「……エリヤーヌ、私の顔に何かついているか」
低い、けれど鈴の音のように理知的な声が、静かな庭園に響く。
「いいえ。ただ、今日も殿下のお召し物が、その瞳の色によく映えていらっしゃると。そう思っていただけですわ」
私は完璧な微笑みを浮かべる。
背筋を伸ばし、指先の角度一つに至るまで、公爵令嬢としての矜持を込めて。
「そうか」
たった二文字。
彼は視線を落とし、手元の資料に目を戻してしまった。
ふわり、と風が吹き抜け、私の銀色の髪を揺らす。
その瞬間、私は不意に悟ってしまったのだ。
(ああ、なんて悲しいことかしら)
私は、あまりにも「完璧」すぎてしまう。
鏡を見るたびに惚れ惚れとするようなこの美貌。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
私の放つ光が強すぎて、この控えめで静かな方は、きっと影に隠れて息を潜めていらっしゃるのだわ。
「殿下。このタルト、とても美味しいですわよ」
「……ああ、後でいただく」
「ベリーの酸味が、今の季節の陽射しにぴったりですのに。もったいないわ」
私は小さく溜息をつく。
この溜息さえ、音楽的な調べを奏でてしまうのが私の罪。
アリステア様は、私といる間、一度も心からの笑顔を見せてくださらない。
きっと、私の隣にいることが彼にとっての重圧であり、苦行なのだ。
なんてこと。
私はこんなに彼を慈しみ、幸せを願っているというのに。
私が彼を愛すれば愛するほど、私の「素敵さ」が彼を追い詰めてしまうなんて。
「殿下、わかっておりますのよ。貴方がどれほど耐えていらっしゃるか」
不意に口をついた言葉に、アリステア様の手が止まった。
「……耐えている? 私が、何をだ」
「私という存在そのものですわ」
私は立ち上がり、彼の傍へと歩み寄る。
芝生を踏む靴音が、優しく、けれど決定的なリズムを刻む。
「私の美しさは、時に人を刺す剣となります。貴方はその優しさゆえに、私という光に焼かれながら、黙って隣にいてくださった」
「エリヤーヌ、何を言い出す」
彼が顔を上げた。
その蒼い瞳に、困惑の光が揺れている。
ああ、その揺らぎさえも、私が彼を不安にさせている証拠だわ。
「もう、いいのです。貴方はもっと、心穏やかに過ごすべきですわ」
「待て、話が見えない」
私は彼の手元にある冷めきった紅茶を見つめた。
光の粒が、カップの縁でキラリと跳ねる。
それは、私たちの関係が終わりを迎える、祝福の合図のように見えた。
「アリステア様。私は貴方の幸せを、誰よりも願っております」
だからこそ。
この完璧で、最高に素敵な私が、貴方を自由にしてあげましょう。
「私と、婚約破棄しましょう?」
世界から音が消えた。
風が止まり、花々の香りが濃く立ち上る。
目の前のアリステア様は、まるで時間が止まったかのように固まっていた。
落とした銀のスプーンが、カシャンと高い音を立てる。
「……今、なんと言った?」
絞り出されたような声。
震える唇。
(ああ、見て。こんなに震えていらっしゃるわ)
私との縁が切れるという喜びに、彼はこれほどまでに震え、感極まっていらっしゃるのだ。
これほどまでに私を拒絶していた彼を、今日まで縛り付けていたなんて。
私は、どこまでも残酷で、そしてどこまでも慈悲深い女。
「聞こえませんでしたの? もっと素敵な、貴方に相応しい幸せを見つけに行ってください、と申し上げたのですわ」
私は最高の笑顔を見せた。
光の粒が、私のまつ毛を黄金色に染め上げる。
哀切なはずの別れの言葉が、透明な空気に溶けて、キラキラと輝きながら消えていった。
それはまるで、目に見えない妖精たちがダンスを踊っているかのよう。
私は、透き通った琥珀色の紅茶を一口含み、目の前に座る婚約者を見つめた。
アリステア・フォン・ノイシュタイン第一王子。
彫刻のように整った横顔は、今日も冷ややかな美しさを湛えている。
「……エリヤーヌ、私の顔に何かついているか」
低い、けれど鈴の音のように理知的な声が、静かな庭園に響く。
「いいえ。ただ、今日も殿下のお召し物が、その瞳の色によく映えていらっしゃると。そう思っていただけですわ」
私は完璧な微笑みを浮かべる。
背筋を伸ばし、指先の角度一つに至るまで、公爵令嬢としての矜持を込めて。
「そうか」
たった二文字。
彼は視線を落とし、手元の資料に目を戻してしまった。
ふわり、と風が吹き抜け、私の銀色の髪を揺らす。
その瞬間、私は不意に悟ってしまったのだ。
(ああ、なんて悲しいことかしら)
私は、あまりにも「完璧」すぎてしまう。
鏡を見るたびに惚れ惚れとするようなこの美貌。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
私の放つ光が強すぎて、この控えめで静かな方は、きっと影に隠れて息を潜めていらっしゃるのだわ。
「殿下。このタルト、とても美味しいですわよ」
「……ああ、後でいただく」
「ベリーの酸味が、今の季節の陽射しにぴったりですのに。もったいないわ」
私は小さく溜息をつく。
この溜息さえ、音楽的な調べを奏でてしまうのが私の罪。
アリステア様は、私といる間、一度も心からの笑顔を見せてくださらない。
きっと、私の隣にいることが彼にとっての重圧であり、苦行なのだ。
なんてこと。
私はこんなに彼を慈しみ、幸せを願っているというのに。
私が彼を愛すれば愛するほど、私の「素敵さ」が彼を追い詰めてしまうなんて。
「殿下、わかっておりますのよ。貴方がどれほど耐えていらっしゃるか」
不意に口をついた言葉に、アリステア様の手が止まった。
「……耐えている? 私が、何をだ」
「私という存在そのものですわ」
私は立ち上がり、彼の傍へと歩み寄る。
芝生を踏む靴音が、優しく、けれど決定的なリズムを刻む。
「私の美しさは、時に人を刺す剣となります。貴方はその優しさゆえに、私という光に焼かれながら、黙って隣にいてくださった」
「エリヤーヌ、何を言い出す」
彼が顔を上げた。
その蒼い瞳に、困惑の光が揺れている。
ああ、その揺らぎさえも、私が彼を不安にさせている証拠だわ。
「もう、いいのです。貴方はもっと、心穏やかに過ごすべきですわ」
「待て、話が見えない」
私は彼の手元にある冷めきった紅茶を見つめた。
光の粒が、カップの縁でキラリと跳ねる。
それは、私たちの関係が終わりを迎える、祝福の合図のように見えた。
「アリステア様。私は貴方の幸せを、誰よりも願っております」
だからこそ。
この完璧で、最高に素敵な私が、貴方を自由にしてあげましょう。
「私と、婚約破棄しましょう?」
世界から音が消えた。
風が止まり、花々の香りが濃く立ち上る。
目の前のアリステア様は、まるで時間が止まったかのように固まっていた。
落とした銀のスプーンが、カシャンと高い音を立てる。
「……今、なんと言った?」
絞り出されたような声。
震える唇。
(ああ、見て。こんなに震えていらっしゃるわ)
私との縁が切れるという喜びに、彼はこれほどまでに震え、感極まっていらっしゃるのだ。
これほどまでに私を拒絶していた彼を、今日まで縛り付けていたなんて。
私は、どこまでも残酷で、そしてどこまでも慈悲深い女。
「聞こえませんでしたの? もっと素敵な、貴方に相応しい幸せを見つけに行ってください、と申し上げたのですわ」
私は最高の笑顔を見せた。
光の粒が、私のまつ毛を黄金色に染め上げる。
哀切なはずの別れの言葉が、透明な空気に溶けて、キラキラと輝きながら消えていった。
54
あなたにおすすめの小説
愛のゆくえ【完結】
春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした
ですが、告白した私にあなたは言いました
「妹にしか思えない」
私は幼馴染みと婚約しました
それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか?
☆12時30分より1時間更新
(6月1日0時30分 完結)
こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね?
……違う?
とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。
他社でも公開
すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…
アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。
婚約者には役目がある。
例え、私との時間が取れなくても、
例え、一人で夜会に行く事になっても、
例え、貴方が彼女を愛していても、
私は貴方を愛してる。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 女性視点、男性視点があります。
❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。
【完結】今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~
コトミ
恋愛
結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。
そしてその飛び出した先で出会った人とは?
(できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです)
わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。
不実なあなたに感謝を
黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。
※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。
※曖昧設定。
※一旦完結。
※性描写は匂わせ程度。
※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。
ガネット・フォルンは愛されたい
アズやっこ
恋愛
私はガネット・フォルンと申します。
子供も産めない役立たずの私は愛しておりました元旦那様の嫁を他の方へお譲りし、友との約束の為、辺境へ侍女としてやって参りました。
元旦那様と離縁し、傷物になった私が一人で生きていく為には侍女になるしかありませんでした。
それでも時々思うのです。私も愛されたかったと。私だけを愛してくれる男性が現れる事を夢に見るのです。
私も誰かに一途に愛されたかった。
❈ 旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。の作品のガネットの話です。
❈ ガネットにも幸せを…と、作者の自己満足作品です。
別に要りませんけど?
ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」
そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。
「……別に要りませんけど?」
※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。
※なろうでも掲載中
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる