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「……婚約、破棄……?」
アリステア様の唇からこぼれたのは、掠れた、今にも消え入りそうな呟きでした。
その瞳は大きく見開かれ、まるで信じられない怪異でも見たかのように私を凝視しています。
(まあ、無理もありませんわね)
私は内心で深く頷きました。
これほど完璧な婚約者を失うという現実。
それは彼にとって、人生の羅針盤を失うに等しい衝撃のはず。
「ええ。驚かれるのも無理はありません。私がこれほどまでに慈悲深い女だとは、貴方も予想していなかったでしょう?」
私はそっと、彼の震える手に自分の手を重ねようとして――。
ああいけない、と途中で止めました。
今の私に触れられたら、彼はそのあまりの尊さに卒倒してしまうかもしれません。
「エリヤーヌ。冗談なら……いや、君は冗談を言うような性格ではなかったな」
「冗談など、一度も申し上げたことはございませんわ。私は本気です」
私はティーカップの縁を指でなぞりました。
そこには、午後の陽光が反射して、小さな虹の粒が生まれています。
「貴方は第一王子という重責を担いながら、私の隣に立つために多大なる努力をされてきました。でも、もう無理をなさらなくていいのです」
「……無理、だと?」
アリステア様が、低く、地這うような声で問いかけました。
「ええ。私のような眩しすぎる光の隣にいることは、影に生きることを強いるのと同じ。貴方のその沈黙、その無表情……それは、私の輝きに耐えきれず、心が摩耗してしまった証拠ではありませんか」
「それは、違う。私はただ――」
「いいのです、アリステア様。言い訳は必要ありません」
私は彼の言葉を、優雅な仕草で遮りました。
「貴方の幸せを一番に考えているのは、この私なのですから」
私は懐から、一枚の美しく装飾された羊皮紙を取り出しました。
それは、私が昨夜、自分の美しさと向き合いながら書き上げた「婚約解消に向けたロードマップ」です。
「まず、表向きには『性格の不一致』といたしましょう。私の非にするのは難しいでしょうけれど……そこは殿下のメンツを立てて、私が『高嶺の花すぎて手が届かなかった』とでも噂を流せば、世間も納得いたしますわ」
「何を……勝手に……」
「あら、怒らないで。これは貴方のための配慮ですのよ。貴方はもっと、私のように完璧ではない、平凡で可愛らしい女性と、地味で静かな幸せを掴むべきなのです」
アリステア様は、机を叩いて立ち上がりました。
ガタ、と椅子が大きな音を立てて倒れます。
「……私は、そんなものを望んでいない!」
「殿下?」
彼がこれほど大きな声を出すのを、私は初めて見ました。
蒼い瞳が、烈火のような熱を帯びて私を射抜いています。
(ああ……悲しい。これほどまでに感情を露わにするほど、私からの解放を待ち望んでいらしたのね)
彼の激情は、私には「長年の苦痛からの叫び」にしか聞こえませんでした。
「そんなに……そんなに、私との日々が苦しかったのですか。今のお声に、貴方の積年の恨みを感じて、胸が締め付けられますわ」
私は目尻をわずかに潤ませ、空を仰ぎました。
光の粒が、涙の膜に反射してキラキラと砕け散ります。
「エリヤーヌ。君は、自分のことが好きなのだろう? 自分の価値を、理解しているのだろう?」
「もちろんですわ。私は世界で一番、素敵で、慈愛に満ちた女性ですもの」
「ならば、なぜ……俺が君を手放したいと思うなどと、愚かなことを考えるんだ!」
アリステア様が私に歩み寄り、その長い指が私の肩を掴みました。
強い力。
けれど、その指先は目に見えて震えています。
「殿下……。震えるほど嬉しいのはわかります。でも、肩が少し痛うございますわ」
「……っ」
彼は弾かれたように手を離し、苦渋に満ちた表情で顔を覆いました。
「……どうして、伝わらない。……なぜ、これほどまでに、噛み合わないんだ」
「大丈夫ですわ、アリステア様。今はまだ混乱されているだけ」
私は優しく微笑み、彼に最後のアドバイスを贈りました。
「明日の夜会までに、私が選んだ『次期婚約者候補リスト』をお届けしますわね。貴方が息をしやすい、私とは正反対の控えめな方ばかりを集めましたから。楽しみにしていてくださいな」
私は優雅に一礼し、立ち尽くす王子を残して庭園を去りました。
背後で、彼が何事か叫んだような気がしましたが、風がそれをかき消してしまいました。
(私はなんて、素晴らしい女かしら)
自分のあまりの完璧さに、私は鼻歌を歌いたい気分でした。
光の粒が、私の歩みに合わせて足元で踊っています。
これから始まる、彼の新しい人生。
私はそれを、世界で一番綺麗な場所から見守ってあげるつもりでした。
アリステア様の唇からこぼれたのは、掠れた、今にも消え入りそうな呟きでした。
その瞳は大きく見開かれ、まるで信じられない怪異でも見たかのように私を凝視しています。
(まあ、無理もありませんわね)
私は内心で深く頷きました。
これほど完璧な婚約者を失うという現実。
それは彼にとって、人生の羅針盤を失うに等しい衝撃のはず。
「ええ。驚かれるのも無理はありません。私がこれほどまでに慈悲深い女だとは、貴方も予想していなかったでしょう?」
私はそっと、彼の震える手に自分の手を重ねようとして――。
ああいけない、と途中で止めました。
今の私に触れられたら、彼はそのあまりの尊さに卒倒してしまうかもしれません。
「エリヤーヌ。冗談なら……いや、君は冗談を言うような性格ではなかったな」
「冗談など、一度も申し上げたことはございませんわ。私は本気です」
私はティーカップの縁を指でなぞりました。
そこには、午後の陽光が反射して、小さな虹の粒が生まれています。
「貴方は第一王子という重責を担いながら、私の隣に立つために多大なる努力をされてきました。でも、もう無理をなさらなくていいのです」
「……無理、だと?」
アリステア様が、低く、地這うような声で問いかけました。
「ええ。私のような眩しすぎる光の隣にいることは、影に生きることを強いるのと同じ。貴方のその沈黙、その無表情……それは、私の輝きに耐えきれず、心が摩耗してしまった証拠ではありませんか」
「それは、違う。私はただ――」
「いいのです、アリステア様。言い訳は必要ありません」
私は彼の言葉を、優雅な仕草で遮りました。
「貴方の幸せを一番に考えているのは、この私なのですから」
私は懐から、一枚の美しく装飾された羊皮紙を取り出しました。
それは、私が昨夜、自分の美しさと向き合いながら書き上げた「婚約解消に向けたロードマップ」です。
「まず、表向きには『性格の不一致』といたしましょう。私の非にするのは難しいでしょうけれど……そこは殿下のメンツを立てて、私が『高嶺の花すぎて手が届かなかった』とでも噂を流せば、世間も納得いたしますわ」
「何を……勝手に……」
「あら、怒らないで。これは貴方のための配慮ですのよ。貴方はもっと、私のように完璧ではない、平凡で可愛らしい女性と、地味で静かな幸せを掴むべきなのです」
アリステア様は、机を叩いて立ち上がりました。
ガタ、と椅子が大きな音を立てて倒れます。
「……私は、そんなものを望んでいない!」
「殿下?」
彼がこれほど大きな声を出すのを、私は初めて見ました。
蒼い瞳が、烈火のような熱を帯びて私を射抜いています。
(ああ……悲しい。これほどまでに感情を露わにするほど、私からの解放を待ち望んでいらしたのね)
彼の激情は、私には「長年の苦痛からの叫び」にしか聞こえませんでした。
「そんなに……そんなに、私との日々が苦しかったのですか。今のお声に、貴方の積年の恨みを感じて、胸が締め付けられますわ」
私は目尻をわずかに潤ませ、空を仰ぎました。
光の粒が、涙の膜に反射してキラキラと砕け散ります。
「エリヤーヌ。君は、自分のことが好きなのだろう? 自分の価値を、理解しているのだろう?」
「もちろんですわ。私は世界で一番、素敵で、慈愛に満ちた女性ですもの」
「ならば、なぜ……俺が君を手放したいと思うなどと、愚かなことを考えるんだ!」
アリステア様が私に歩み寄り、その長い指が私の肩を掴みました。
強い力。
けれど、その指先は目に見えて震えています。
「殿下……。震えるほど嬉しいのはわかります。でも、肩が少し痛うございますわ」
「……っ」
彼は弾かれたように手を離し、苦渋に満ちた表情で顔を覆いました。
「……どうして、伝わらない。……なぜ、これほどまでに、噛み合わないんだ」
「大丈夫ですわ、アリステア様。今はまだ混乱されているだけ」
私は優しく微笑み、彼に最後のアドバイスを贈りました。
「明日の夜会までに、私が選んだ『次期婚約者候補リスト』をお届けしますわね。貴方が息をしやすい、私とは正反対の控えめな方ばかりを集めましたから。楽しみにしていてくださいな」
私は優雅に一礼し、立ち尽くす王子を残して庭園を去りました。
背後で、彼が何事か叫んだような気がしましたが、風がそれをかき消してしまいました。
(私はなんて、素晴らしい女かしら)
自分のあまりの完璧さに、私は鼻歌を歌いたい気分でした。
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