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36話
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「……私の気持ち、ですか。正直、そんなものはもう殿下にお伝えする必要はないと思っていました」
ティアラは小さく息をつき、手元の本を閉じる。
王子は部屋の真ん中に立ったまま、微動だにせず彼女の言葉を待っている。
「私は“王子の婚約者にふさわしい人物”として育てられました。でも、学園でいろいろと噂されているうちに、本当にそれが正しいのか分からなくなったんです」
言葉の端々に、ティアラが抱えてきた葛藤がにじむ。
王子は静かに耳を傾け、そして彼女をまっすぐに見つめた。
「ティアラ、今までは俺も君に何も言わなかった。正直に言うと、婚約の話を当然のように受け止めながら、きちんと君と向き合っていなかったんだ」
殿下の言葉に、ティアラは目を見開く。
それは、自らの落ち度を認めるような発言だった。
「でも、君がいなくなって初めて分かった。君がどれほど孤独を感じていたのか、俺は想像することさえしていなかった。婚約のことも、噂のことも、一度も君に聞こうとしなかった」
少し震える声で語る王子に、ティアラは戸惑いながらも静かにうなずく。
彼の真剣さに嘘はないようだ。
「私も、殿下にきちんとお話ししたかったんです。だけど、周りの目が怖くて、また私が余計な騒ぎを起こすのではと……結局、逃げてしまいました」
王子は息を飲むようにして言葉を返す。
「そうやって逃げること自体、俺が追い詰めていたのかもしれない。何もかも“上手くやってくれる”と勝手に期待して、困っていても気づいてやれなかったんだ」
ティアラはテーブルから立ち上がり、そっと王子の前に歩み寄る。
「私、周りの人に誤解されていたのは知っていました。でも、殿下なら分かってくれていると思っていた。勝手にそう信じていたのに、いつしか不安が大きくなって……」
その瞳は揺れ動いている。
王子は両手でティアラの手を包み、心からの思いを告げる。
「ティアラ、俺は学園で確認した。噂は全て嘘だった。君が悪役令嬢だなんて話は一切真実ではない。マリアも、取り巻きたちも、君の味方になりたいと言っている」
ティアラは唇を震わせ、視線を落とす。
「それでも……私が戻って、殿下のそばにいる意味がありますか。マリアの方がふさわしいのではないかと、何度も思いました。もし殿下がマリアを好きなら、私は――」
王子は首を強く振り、ティアラの言葉を断ち切る。
「違うんだ。マリアとのことは、ただの噂だ。彼女は優秀で、確かに特別な存在ではある。でも、俺が今こうして森を駆けてまで探しているのは君だ。君に戻ってきてほしい、話をしたい、そう願っているのは君だけなんだ」
ティアラの頬に、熱い涙が一筋流れる。
王子の気持ちは、偽りなく伝わってきた。
「私……本当は殿下のことを、信じたいと思っていました。だけど、ずっと怖かったんです。婚約が私たち双方の義務になっているようで」
王子はティアラの手を離さず、優しい眼差しでうなずく。
「君がどう選ぶかは、君の自由だ。婚約を続けるかどうかも、これから考えればいい。だけど、まずは戻ってきてほしい。学園でみんなが待っている。何より、俺が君を待っているんだ」
ティアラはしばらく涙を流し、やがて大きく息をつく。
そして、小さな声で答えた。
「……はい。私ももう逃げない。学園に戻って、きちんと自分の道を考えます。殿下と向き合うのも、その一歩ですね」
二人の間に、優しい静寂が降り注ぐ。
長いすれ違いを経て、ようやく素直に言葉を交わすことができた。
メイドは遠巻きにその光景を見つめ、安堵の息を漏らしている。
「ありがとう、ティアラ。戻ったら、いろいろ面倒なこともあるかもしれないが、俺もできる限り助ける。だから、一緒に乗り越えていこう」
ティアラはうなずき、王子の手を少しだけ強く握り返した。
小さな湖のほとりで、二人の心が初めて深く重なり合った瞬間だった。
ティアラは小さく息をつき、手元の本を閉じる。
王子は部屋の真ん中に立ったまま、微動だにせず彼女の言葉を待っている。
「私は“王子の婚約者にふさわしい人物”として育てられました。でも、学園でいろいろと噂されているうちに、本当にそれが正しいのか分からなくなったんです」
言葉の端々に、ティアラが抱えてきた葛藤がにじむ。
王子は静かに耳を傾け、そして彼女をまっすぐに見つめた。
「ティアラ、今までは俺も君に何も言わなかった。正直に言うと、婚約の話を当然のように受け止めながら、きちんと君と向き合っていなかったんだ」
殿下の言葉に、ティアラは目を見開く。
それは、自らの落ち度を認めるような発言だった。
「でも、君がいなくなって初めて分かった。君がどれほど孤独を感じていたのか、俺は想像することさえしていなかった。婚約のことも、噂のことも、一度も君に聞こうとしなかった」
少し震える声で語る王子に、ティアラは戸惑いながらも静かにうなずく。
彼の真剣さに嘘はないようだ。
「私も、殿下にきちんとお話ししたかったんです。だけど、周りの目が怖くて、また私が余計な騒ぎを起こすのではと……結局、逃げてしまいました」
王子は息を飲むようにして言葉を返す。
「そうやって逃げること自体、俺が追い詰めていたのかもしれない。何もかも“上手くやってくれる”と勝手に期待して、困っていても気づいてやれなかったんだ」
ティアラはテーブルから立ち上がり、そっと王子の前に歩み寄る。
「私、周りの人に誤解されていたのは知っていました。でも、殿下なら分かってくれていると思っていた。勝手にそう信じていたのに、いつしか不安が大きくなって……」
その瞳は揺れ動いている。
王子は両手でティアラの手を包み、心からの思いを告げる。
「ティアラ、俺は学園で確認した。噂は全て嘘だった。君が悪役令嬢だなんて話は一切真実ではない。マリアも、取り巻きたちも、君の味方になりたいと言っている」
ティアラは唇を震わせ、視線を落とす。
「それでも……私が戻って、殿下のそばにいる意味がありますか。マリアの方がふさわしいのではないかと、何度も思いました。もし殿下がマリアを好きなら、私は――」
王子は首を強く振り、ティアラの言葉を断ち切る。
「違うんだ。マリアとのことは、ただの噂だ。彼女は優秀で、確かに特別な存在ではある。でも、俺が今こうして森を駆けてまで探しているのは君だ。君に戻ってきてほしい、話をしたい、そう願っているのは君だけなんだ」
ティアラの頬に、熱い涙が一筋流れる。
王子の気持ちは、偽りなく伝わってきた。
「私……本当は殿下のことを、信じたいと思っていました。だけど、ずっと怖かったんです。婚約が私たち双方の義務になっているようで」
王子はティアラの手を離さず、優しい眼差しでうなずく。
「君がどう選ぶかは、君の自由だ。婚約を続けるかどうかも、これから考えればいい。だけど、まずは戻ってきてほしい。学園でみんなが待っている。何より、俺が君を待っているんだ」
ティアラはしばらく涙を流し、やがて大きく息をつく。
そして、小さな声で答えた。
「……はい。私ももう逃げない。学園に戻って、きちんと自分の道を考えます。殿下と向き合うのも、その一歩ですね」
二人の間に、優しい静寂が降り注ぐ。
長いすれ違いを経て、ようやく素直に言葉を交わすことができた。
メイドは遠巻きにその光景を見つめ、安堵の息を漏らしている。
「ありがとう、ティアラ。戻ったら、いろいろ面倒なこともあるかもしれないが、俺もできる限り助ける。だから、一緒に乗り越えていこう」
ティアラはうなずき、王子の手を少しだけ強く握り返した。
小さな湖のほとりで、二人の心が初めて深く重なり合った瞬間だった。
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