42 / 50
42話
しおりを挟む
初夏の午後、東の荘園――風香(ふうこう)の庭に、静かな賑わいが広がっていた。
白布のかけられた長机には、淡く色づいた茶器と香草の小瓶。
ほのかに漂うのはレモンバーベナとエルダー、そして微かにタイムの気配。
それは、懐かしさと希望を織り交ぜた香りだった。
レオノーラ=ヴァン=エーデルハイトが開いた茶会。
そこに集ったのは――
断罪の際、声を上げられなかった旧き学友。
神殿の片隅で疑念に沈んでいた若き神官。
王宮から遠ざけられた、かつての廷臣。
そして、舞踏会の夜、彼女に頭を下げた聖女ミレーユ。
「ようこそ、風香の荘園へ。……今日は“記録”も“神託”も不要ですわね」
レオノーラの言葉に、誰も返答を急がなかった。
そこにあるのは“対話”ではなく、“共在”だったからだ。
茶器に湯を注ぐたび、湯気が立ちのぼる。
それは、誓いの煙ではない。赦しの霧でもない。
ただ、“生きてここにいる”という証。
それぞれの沈黙と後悔、そして選ばなかった言葉たちを、湯気は包み込んでいく。
「この香茶は、“問いかけるもの”ではございません。
……ただ、いま、ここにいるあなた方に合う香りを調えたものでございます」
彼女が配った茶は、全員異なる調合だった。
それは罪や肩書きで振り分けられたものではない。
“記憶”と“選択”と“今日という日”に合わせて整えられた、ただの香り。
ミレーユはカップを受け取り、小さく瞳を伏せた。
「……あたたかいのですね、この香り。
こんな気持ちは、神殿では知らなかった」
「神殿では“意味”が先にありましたでしょう?
けれど、わたくしは今、“意味のないもの”を大切にしたくて」
レオノーラの声には、棘がなかった。
その柔らかさは、慰めではない。
ただ、風のようにその場に“在る”だけの温度だった。
学友の一人が、恐る恐る尋ねる。
「……レオノーラ様。どうして、私たちを……責めないのですか?」
「責めても、“その時”には戻れませんもの」
笑みはあくまで静かだった。
過去を断罪することも、赦すことすらしない――
ただ、“終わった時間”を過不足なく受け止める者の表情。
「わたくしは、この茶会を“祭壇”とは呼びません。
けれどもし名付けるとすれば、“今を確認する場所”でしょうか」
差し出された香茶の湯気が、静かに揺れる。
語られぬ後悔も、言いそびれた言葉も、誰にも見えない選択も。
そのすべてを飲み干して、人はまた“生きていく”。
赦しではない。
祝福でもない。
――けれど確かに、再生だった。
茶会が終わる頃、誰もが立ち上がるときに少しだけ姿勢が真っ直ぐだった。
それは心の軽さでもなく、義務感でもなく。
“まだ歩ける”という、ただその実感だけ。
風が通り過ぎる。
香草の匂いを運びながら。
レオノーラは、誰にもそれを追わせることなく、
ただその場で小さく、静かに笑っていた。
白布のかけられた長机には、淡く色づいた茶器と香草の小瓶。
ほのかに漂うのはレモンバーベナとエルダー、そして微かにタイムの気配。
それは、懐かしさと希望を織り交ぜた香りだった。
レオノーラ=ヴァン=エーデルハイトが開いた茶会。
そこに集ったのは――
断罪の際、声を上げられなかった旧き学友。
神殿の片隅で疑念に沈んでいた若き神官。
王宮から遠ざけられた、かつての廷臣。
そして、舞踏会の夜、彼女に頭を下げた聖女ミレーユ。
「ようこそ、風香の荘園へ。……今日は“記録”も“神託”も不要ですわね」
レオノーラの言葉に、誰も返答を急がなかった。
そこにあるのは“対話”ではなく、“共在”だったからだ。
茶器に湯を注ぐたび、湯気が立ちのぼる。
それは、誓いの煙ではない。赦しの霧でもない。
ただ、“生きてここにいる”という証。
それぞれの沈黙と後悔、そして選ばなかった言葉たちを、湯気は包み込んでいく。
「この香茶は、“問いかけるもの”ではございません。
……ただ、いま、ここにいるあなた方に合う香りを調えたものでございます」
彼女が配った茶は、全員異なる調合だった。
それは罪や肩書きで振り分けられたものではない。
“記憶”と“選択”と“今日という日”に合わせて整えられた、ただの香り。
ミレーユはカップを受け取り、小さく瞳を伏せた。
「……あたたかいのですね、この香り。
こんな気持ちは、神殿では知らなかった」
「神殿では“意味”が先にありましたでしょう?
けれど、わたくしは今、“意味のないもの”を大切にしたくて」
レオノーラの声には、棘がなかった。
その柔らかさは、慰めではない。
ただ、風のようにその場に“在る”だけの温度だった。
学友の一人が、恐る恐る尋ねる。
「……レオノーラ様。どうして、私たちを……責めないのですか?」
「責めても、“その時”には戻れませんもの」
笑みはあくまで静かだった。
過去を断罪することも、赦すことすらしない――
ただ、“終わった時間”を過不足なく受け止める者の表情。
「わたくしは、この茶会を“祭壇”とは呼びません。
けれどもし名付けるとすれば、“今を確認する場所”でしょうか」
差し出された香茶の湯気が、静かに揺れる。
語られぬ後悔も、言いそびれた言葉も、誰にも見えない選択も。
そのすべてを飲み干して、人はまた“生きていく”。
赦しではない。
祝福でもない。
――けれど確かに、再生だった。
茶会が終わる頃、誰もが立ち上がるときに少しだけ姿勢が真っ直ぐだった。
それは心の軽さでもなく、義務感でもなく。
“まだ歩ける”という、ただその実感だけ。
風が通り過ぎる。
香草の匂いを運びながら。
レオノーラは、誰にもそれを追わせることなく、
ただその場で小さく、静かに笑っていた。
51
あなたにおすすめの小説
【完結】お父様。私、悪役令嬢なんですって。何ですかそれって。
紅月
恋愛
小説家になろうで書いていたものを加筆、訂正したリメイク版です。
「何故、私の娘が処刑されなければならないんだ」
最愛の娘が冤罪で処刑された。
時を巻き戻し、復讐を誓う家族。
娘は前と違う人生を歩み、家族は元凶へ復讐の手を伸ばすが、巻き戻す前と違う展開のため様々な事が見えてきた。
【本編完結】婚約者を守ろうとしたら寧ろ盾にされました。腹が立ったので記憶を失ったふりをして婚約解消を目指します。
しろねこ。
恋愛
「君との婚約を解消したい」
その言葉を聞いてエカテリーナはニコリと微笑む。
「了承しました」
ようやくこの日が来たと内心で神に感謝をする。
(わたくしを盾にし、更に記憶喪失となったのに手助けもせず、他の女性に擦り寄った婚約者なんていらないもの)
そんな者との婚約が破談となって本当に良かった。
(それに欲しいものは手に入れたわ)
壁際で沈痛な面持ちでこちらを見る人物を見て、頬が赤くなる。
(愛してくれない者よりも、自分を愛してくれる人の方がいいじゃない?)
エカテリーナはあっさりと自分を捨てた男に向けて頭を下げる。
「今までありがとうございました。殿下もお幸せに」
類まれなる美貌と十分な地位、そして魔法の珍しいこの世界で魔法を使えるエカテリーナ。
だからこそ、ここバークレイ国で第二王子の婚約者に選ばれたのだが……それも今日で終わりだ。
今後は自分の力で頑張ってもらおう。
ハピエン、自己満足、ご都合主義なお話です。
ちゃっかりとシリーズ化というか、他作品と繋がっています。
カクヨムさん、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさんでも連載中(*´ω`*)
表紙絵は猫絵師さんより(。・ω・。)ノ♡
「反省してます」と言いましたが、あれは嘘ですわ。
小鳥遊つくし
恋愛
「反省してます」と言いましたが、あれは嘘ですわ──。
聖女の転倒、貴族の断罪劇、涙を強いる舞台の中で、
完璧な“悪役令嬢”はただ微笑んだ。
「わたくしに、どのような罪がございますの?」
謝罪の言葉に魔力が宿る国で、
彼女は“嘘の反省”を語り、赦され、そして問いかける。
――その赦し、本当に必要でしたの?
他者の期待を演じ続けた令嬢が、
“反省しない人生”を選んだとき、
世界の常識は音を立てて崩れ始める。
これは、誰にも赦されないことを恐れなかったひとりの令嬢が、
言葉と嘘で未来を変えた物語。
その仮面の奥にあった“本当の自由”が、あなたの胸にも香り立ちますように。
そちらがその気なら、こちらもそれなりに。
直野 紀伊路
恋愛
公爵令嬢アレクシアの婚約者・第一王子のヘイリーは、ある日、「子爵令嬢との真実の愛を見つけた!」としてアレクシアに婚約破棄を突き付ける。
それだけならまだ良かったのだが、よりにもよって二人はアレクシアに冤罪をふっかけてきた。
真摯に謝罪するなら潔く身を引こうと思っていたアレクシアだったが、「自分達の愛の為に人を貶めることを厭わないような人達に、遠慮することはないよね♪」と二人を返り討ちにすることにした。
※小説家になろう様で掲載していたお話のリメイクになります。
リメイクですが土台だけ残したフルリメイクなので、もはや別のお話になっております。
※カクヨム様、エブリスタ様でも掲載中。
…ºo。✵…𖧷''☛Thank you ☚″𖧷…✵。oº…
☻2021.04.23 183,747pt/24h☻
★HOTランキング2位
★人気ランキング7位
たくさんの方にお読みいただけてほんと嬉しいです(*^^*)
ありがとうございます!
冤罪で婚約破棄したくせに……今さらもう遅いです。
水垣するめ
恋愛
主人公サラ・ゴーマン公爵令嬢は第一王子のマイケル・フェネルと婚約していた。
しかしある日突然、サラはマイケルから婚約破棄される。
マイケルの隣には男爵家のララがくっついていて、「サラに脅された!」とマイケルに訴えていた。
当然冤罪だった。
以前ララに対して「あまり婚約しているマイケルに近づくのはやめたほうがいい」と忠告したのを、ララは「脅された!」と改変していた。
証拠は無い。
しかしマイケルはララの言葉を信じた。
マイケルは学園でサラを罪人として晒しあげる。
そしてサラの言い分を聞かずに一方的に婚約破棄を宣言した。
もちろん、ララの言い分は全て嘘だったため、後に冤罪が発覚することになりマイケルは周囲から非難される……。
[完結中編]蔑ろにされた王妃様〜25歳の王妃は王と決別し、幸せになる〜
コマメコノカ@女性向け・児童文学・絵本
恋愛
王妃として国のトップに君臨している元侯爵令嬢であるユーミア王妃(25)は夫で王であるバルコニー王(25)が、愛人のミセス(21)に入り浸り、王としての仕事を放置し遊んでいることに辟易していた。
そして、ある日ユーミアは、彼と決別することを決意する。
運命に勝てない当て馬令嬢の幕引き。
ぽんぽこ狸
恋愛
気高き公爵家令嬢オリヴィアの護衛騎士であるテオは、ある日、主に天啓を受けたと打ち明けられた。
その内容は運命の女神の聖女として召喚されたマイという少女と、オリヴィアの婚約者であるカルステンをめぐって死闘を繰り広げ命を失うというものだったらしい。
だからこそ、オリヴィアはもう何も望まない。テオは立場を失うオリヴィアの事は忘れて、自らの道を歩むようにと言われてしまう。
しかし、そんなことは出来るはずもなく、テオも将来の王妃をめぐる運命の争いの中に巻き込まれていくのだった。
五万文字いかない程度のお話です。さくっと終わりますので読者様の暇つぶしになればと思います。
成人したのであなたから卒業させていただきます。
ぽんぽこ狸
恋愛
フィオナはデビュタント用に仕立てた可愛いドレスを婚約者であるメルヴィンに見せた。
すると彼は、とても怒った顔をしてフィオナのドレスを引き裂いた。
メルヴィンは自由に仕立てていいとは言ったが、それは流行にのっとった範囲でなのだから、こんなドレスは着させられないという事を言う。
しかしフィオナから見れば若い令嬢たちは皆愛らしい色合いのドレスに身を包んでいるし、彼の言葉に正当性を感じない。
それでも子供なのだから言う事を聞けと年上の彼に言われてしまうとこれ以上文句も言えない、そんな鬱屈とした気持ちを抱えていた。
そんな中、ある日、王宮でのお茶会で変わり者の王子に出会い、その素直な言葉に、フィオナの価値観はがらりと変わっていくのだった。
変わり者の王子と大人になりたい主人公のお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる