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賑やかな舞踏会の喧騒を離れ、私とギルバート卿は月明かりの差し込む静かなテラスにいた。
夜風は冷たかったが、隣に立つ卿の纏う空気は、不思議といつもの「絶対零度」を感じさせない。
むしろ、微かな緊張を孕んだ熱のようなものが、私たちの間に漂っていた。
「……ポンド。今夜は、散々な夜だったな」
「そうでしょうか。私は特大エビフライを十二尾も堪能できましたし、シイタケの新作もお披露目できました。私の中では、過去最高の『収穫祭』です」
「……ふっ。……君らしい。……だが、私はまだ、君に伝えきれていないことがある」
ギルバート卿が、手摺りに置いていた私の手を、そっと自分の両手で包み込んだ。
大きな、剣筋の通った掌。
その温もりが、手袋越しにじわりと伝わってくる。
「ポンド。……私は、君が食べ物を愛するように、君という存在そのものを愛している」
「…………」
「君が何を考えているか分からないと言われるその瞳も。美味しそうなものを前にした時の、微かな温度の変化も。……君の全てが、私の凍りついた人生に必要な色彩なんだ」
卿の言葉は、まるで上質なワインのように私の心に染み渡っていく。
比喩ではない。本当に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
私は無表情のまま、じっと彼を見つめ返した。
「アイゼン卿。……私のような『沼』の住人と一緒にいても、光は見えませんよ? 沼にあるのは、美味しい泥……いえ、底知れない食欲だけです」
「構わない。……沼だろうが深淵だろうが、私がそこへ飛び込む。君が沈むなら、私がその底で君を支える土台になろう。……君の隣で、一生、同じ食事を共にしたいんだ」
ギルバート卿の瞳は、冗談抜きで真っ直ぐだった。
彼は一度深く息を吸い込み、月を背にして膝をついた。
騎士が主君に捧げる最上級の礼。……だが、その対象は、一介の「元・悪役令嬢」である私だ。
「ポンド・フォン・マーガリン。……私の妻になってくれないか」
「…………」
「君の胃袋を満足させ、君の安全を守り、君が笑える場所を私が作る。……これが、私の人生を賭けた、最後の『任務』だ」
テラスを流れる風が、ピタリと止まった気がした。
私は、自分の鼓動が少しだけ早くなっているのに気づいた。
これは、揚げ物を食べすぎた時の動悸ではない。……もっと、根源的な、魂の震え。
「……卿。一つ、確認してもよろしいでしょうか」
「……ああ、なんだ。何でも聞いてくれ」
「……もし、私たちの食卓に、最後の一切れのステーキしか残っていなかったとしたら。……卿は、どうされますか?」
ギルバート卿は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかく、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「……決まっている。君に差し出すよ。……君が美味しそうにそれを食べる姿を見ることが、私にとって最大の『ご馳走』だからな」
「…………っ」
その瞬間、私の心の「沼」に、初めて鮮やかな花が咲いたような気がした。
自分よりも、相手の満腹を優先する。
それは、私という食欲の権化にとって、何よりも深く、真実味のある「愛」の定義だった。
「……合格です、アイゼン卿」
「……えっ。……合格、か?」
「はい。……最後の一切れを譲ってくださるというのなら、私も、卿の分を半分横取りするのを、三回に一回くらいは我慢しようと思います」
私は、膝をついている彼の頬に、そっと手を触れた。
無骨で冷たいと思っていた「氷結騎士」の肌は、今、驚くほど熱を持っていた。
「アイゼン卿。……私は、愛というものがまだよく分かりません。ですが、卿と一緒に食べるご飯が、世界で一番美味しいことだけは知っています」
「……ポンド……」
「ですから、その……。私の胃袋の隣の席、永久欠番として卿に差し上げます。……私の夫になっていただけますか?」
ギルバート卿は、弾かれたように顔を上げると、信じられないものを見るような、眩しげな表情で私を見つめた。
そして、彼は感極まったように、私の腰を抱き寄せて高く抱き上げた。
「……っ。……ああ! もちろんだ! 君の胃袋、……いや、君の人生の全てを、私が責任を持って幸せにしてみせる!」
「……卿。……嬉しいですが、高いです。……このままだと、さっき食べたエビフライが逆流……いえ、なんでもありません」
「ははは! 君は本当に……最後まで君だな!」
ギルバート卿の笑い声が、夜のテラスに響き渡った。
それは、氷を溶かす太陽のような、明るく力強い響き。
私は彼の首に腕を回し、月明かりの下で、初めて「泥沼」ではない、清流のような穏やかな微笑みを浮かべた。
「……卿。……お腹が空きました」
「……ああ。……帰ったら、二人だけの『祝杯』を挙げよう。……君が好きな、最高級のチーズを用意させてある」
「……一生、ついていきます」
泥沼令嬢と氷結騎士。
二人の間に結ばれたのは、どんな甘い言葉よりも強固な、食卓への誓い。
真実の愛は、どうやら胃袋を通過して、心の一番深い場所に辿り着いたようだった。
夜風は冷たかったが、隣に立つ卿の纏う空気は、不思議といつもの「絶対零度」を感じさせない。
むしろ、微かな緊張を孕んだ熱のようなものが、私たちの間に漂っていた。
「……ポンド。今夜は、散々な夜だったな」
「そうでしょうか。私は特大エビフライを十二尾も堪能できましたし、シイタケの新作もお披露目できました。私の中では、過去最高の『収穫祭』です」
「……ふっ。……君らしい。……だが、私はまだ、君に伝えきれていないことがある」
ギルバート卿が、手摺りに置いていた私の手を、そっと自分の両手で包み込んだ。
大きな、剣筋の通った掌。
その温もりが、手袋越しにじわりと伝わってくる。
「ポンド。……私は、君が食べ物を愛するように、君という存在そのものを愛している」
「…………」
「君が何を考えているか分からないと言われるその瞳も。美味しそうなものを前にした時の、微かな温度の変化も。……君の全てが、私の凍りついた人生に必要な色彩なんだ」
卿の言葉は、まるで上質なワインのように私の心に染み渡っていく。
比喩ではない。本当に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
私は無表情のまま、じっと彼を見つめ返した。
「アイゼン卿。……私のような『沼』の住人と一緒にいても、光は見えませんよ? 沼にあるのは、美味しい泥……いえ、底知れない食欲だけです」
「構わない。……沼だろうが深淵だろうが、私がそこへ飛び込む。君が沈むなら、私がその底で君を支える土台になろう。……君の隣で、一生、同じ食事を共にしたいんだ」
ギルバート卿の瞳は、冗談抜きで真っ直ぐだった。
彼は一度深く息を吸い込み、月を背にして膝をついた。
騎士が主君に捧げる最上級の礼。……だが、その対象は、一介の「元・悪役令嬢」である私だ。
「ポンド・フォン・マーガリン。……私の妻になってくれないか」
「…………」
「君の胃袋を満足させ、君の安全を守り、君が笑える場所を私が作る。……これが、私の人生を賭けた、最後の『任務』だ」
テラスを流れる風が、ピタリと止まった気がした。
私は、自分の鼓動が少しだけ早くなっているのに気づいた。
これは、揚げ物を食べすぎた時の動悸ではない。……もっと、根源的な、魂の震え。
「……卿。一つ、確認してもよろしいでしょうか」
「……ああ、なんだ。何でも聞いてくれ」
「……もし、私たちの食卓に、最後の一切れのステーキしか残っていなかったとしたら。……卿は、どうされますか?」
ギルバート卿は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかく、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「……決まっている。君に差し出すよ。……君が美味しそうにそれを食べる姿を見ることが、私にとって最大の『ご馳走』だからな」
「…………っ」
その瞬間、私の心の「沼」に、初めて鮮やかな花が咲いたような気がした。
自分よりも、相手の満腹を優先する。
それは、私という食欲の権化にとって、何よりも深く、真実味のある「愛」の定義だった。
「……合格です、アイゼン卿」
「……えっ。……合格、か?」
「はい。……最後の一切れを譲ってくださるというのなら、私も、卿の分を半分横取りするのを、三回に一回くらいは我慢しようと思います」
私は、膝をついている彼の頬に、そっと手を触れた。
無骨で冷たいと思っていた「氷結騎士」の肌は、今、驚くほど熱を持っていた。
「アイゼン卿。……私は、愛というものがまだよく分かりません。ですが、卿と一緒に食べるご飯が、世界で一番美味しいことだけは知っています」
「……ポンド……」
「ですから、その……。私の胃袋の隣の席、永久欠番として卿に差し上げます。……私の夫になっていただけますか?」
ギルバート卿は、弾かれたように顔を上げると、信じられないものを見るような、眩しげな表情で私を見つめた。
そして、彼は感極まったように、私の腰を抱き寄せて高く抱き上げた。
「……っ。……ああ! もちろんだ! 君の胃袋、……いや、君の人生の全てを、私が責任を持って幸せにしてみせる!」
「……卿。……嬉しいですが、高いです。……このままだと、さっき食べたエビフライが逆流……いえ、なんでもありません」
「ははは! 君は本当に……最後まで君だな!」
ギルバート卿の笑い声が、夜のテラスに響き渡った。
それは、氷を溶かす太陽のような、明るく力強い響き。
私は彼の首に腕を回し、月明かりの下で、初めて「泥沼」ではない、清流のような穏やかな微笑みを浮かべた。
「……卿。……お腹が空きました」
「……ああ。……帰ったら、二人だけの『祝杯』を挙げよう。……君が好きな、最高級のチーズを用意させてある」
「……一生、ついていきます」
泥沼令嬢と氷結騎士。
二人の間に結ばれたのは、どんな甘い言葉よりも強固な、食卓への誓い。
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