悪役令嬢は、婚約破棄を「秒」で承諾する。

パリパリかぷちーの

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「……で、脱走ルートは?」

結婚式当日の朝。

アークライト公爵邸のブライズルーム(花嫁支度室)。

純白のウェディングドレスに身を包んだ私は、鏡越しに青ざめた近衛兵からの報告を受けていた。

「は、はい! 地下施設の通気口から、スプーン一本でトンネルを掘りまして……。マンホールを経由して、現在この屋敷の厨房付近に潜伏している模様です!」

「……『ショーシャンク』ごっこですか。映画の見過ぎですね」

私はため息をつき、仕上げのリップを塗るメイク係に「少し待って」と合図した。

「目的は?」

「不明ですが、『リーフィの晴れ姿を一目見たい』とか『ウェディングケーキをつまみ食いしたい』とか叫んでいたとの目撃情報が……」

「食欲か未練か、どちらにせよ迷惑極まりないですね」

私は懐中時計を確認した。

挙式開始まで、あと三十分。

今ここで騒ぎを起こせば、完璧にスケジューリングされた式が台無しになる。

何より、今日を楽しみにしているクライヴ様が激怒して、式場を氷漬けにしてしまうリスクがある。

「……捕獲命令を出します」

私は冷静に指示した。

「ただし、騒ぎにしてはいけません。隠密に確保し、そのまま『臨時スタッフ』として厨房に放り込んでください」

「え? スタッフですか? 地下牢に戻さなくていいのですか?」

「戻す手間と時間がもったいないです。ちょうど、今日の披露宴はゲスト百人に対してウェイターが二名不足しているという報告を受けていました」

私はニヤリと笑った。

「元王子としてのテーブルマナーと、地下労働で培った体力を有効活用しましょう。……皿洗いと配膳係として、死ぬほど働かせなさい。給料はウェディングケーキの余り(端っこ)で十分です」

「は、はっ! 承知いたしました! なんて合理的な……!」

兵士が敬礼して走り去っていく。

これでトラブル対応完了。

私は鏡の中の自分に向かって、ニッコリと微笑んだ。

「さあ、行きましょうか。私の『最高の非日常』へ」

          ◇

「……リーフィ」

ガーデンチャペルの入り口。

私を待っていたクライヴ様は、私を見た瞬間、時が止まったように固まった。

今日の彼は、白銀のタキシード姿。

いつもの黒燕尾服も素敵だが、今日の彼はまさに「白馬の王子様(※ただし宰相)」といった風情で、眩しすぎて直視できない。

「……どうでしょうか。マダム特製の『機能美ドレス』です」

私は少し照れくさくて、裾をつまんで見せた。

無駄な装飾を削ぎ落とし、最高級のシルクとレースだけで構成されたマーメイドラインのドレス。

動きやすく、かつボディラインを美しく見せる、私の要望を完璧に具現化した一着だ。

「……言葉が出ない」

クライヴ様が、ゆっくりと近づいてくる。

その瞳が、潤んでいるように見えた。

「美しい……。どんな宝石よりも、夜空の星よりも……君が一番輝いている」

「……お世辞スキルが向上しましたね」

「本心だ。……ああ、もう泣きそうだ」

「まだ早いです。メイクが崩れるので泣かないでください」

私はハンカチで彼の目元をそっと押さえた。

「行きましょう、クライヴ様。皆が待っています」

「ああ。……一生離さないからな」

彼は私の手を取り、しっかりと腕を組んだ。

パイプオルガンの音が響き渡る。

私たちは、花びらが舞うバージンロードを一歩ずつ歩き出した。

「おめでとう!」

「リーフィ様、綺麗ー!」

「閣下、ニヤけすぎですよー!」

両サイドから、割れんばかりの拍手と歓声が降り注ぐ。

最前列では、父と母が号泣している。

その隣では、ミナ様が「尊い……尊すぎて目が潰れる……!」と言いながら、私の晴れ姿を猛烈な勢いでスケッチしている(※後で高く売るつもりらしい)。

財務省の役人たちも、アークライト家の使用人たちも、皆が笑顔だ。

(……悪くないですね)

私は心地よい喧騒に包まれながら思った。

普段、「効率」だの「生産性」だの言っている私だが、今日ばかりはこの「何の生産性もない、ただ幸せを共有するだけの時間」が、何よりも尊く感じられた。

祭壇の前。

神父様が咳払いをして、聖書を開く。

「新郎、クライヴ・アークライト。あなたは、この女性を妻とし、健やかなる時も、病める時も、これを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

「誓います」

クライヴ様は即答した。

「たとえ世界が凍りつこうとも、彼女だけは私の体温で守り抜くことを誓います」

「……アドリブが重いですが、認めましょう」

神父様が苦笑し、私に向き直る。

「新婦、リーフィ・ベルンシュタイン。あなたは……」

「誓います」

私は食い気味に答えた。

「彼の業務効率を最大化し、健康管理を徹底し、老後の安泰まで含めて、彼を『最適化(幸せ)』にすることを誓います」

「……斬新な誓いですが、認めましょう」

会場からドッと笑いが起きた。

「では、誓いのキスを」

クライヴ様がベールを上げる。

至近距離で見つめ合う、蒼い瞳。

そこには、私だけが映っていた。

「……愛しているよ、リーフィ」

「私もです、クライヴ様」

触れ合う唇。

その瞬間、世界から音が消え、ただ温かな幸福感だけが私の心を満たした。

「ヒューヒュー!」

「お熱いぞー!」

冷やかしの声で我に返る。

クライヴ様は悪戯っぽく笑い、「予定より五秒長くキスしてしまったな」と囁いた。

「……後で追加料金(ペナルティ)を請求します」

「喜んで払おう」

          ◇

その後の披露宴パーティー。

アークライト邸の庭園は、美味しい料理と音楽、そして笑顔で溢れていた。

私はゲストへの挨拶回りをこなしつつ、ふと会場の隅に目をやった。

そこには、ひたすらシャンパンを配り、空いた皿を下げている、一人のウェイターの姿があった。

帽子を目深に被っているが、その猫背と、時折つまみ食いしようとして料理長にスプーンで叩かれている姿は、紛れもなくアレクセイ(元)殿下だ。

「……イテッ! くそー、なんで元王子の僕がこんなことを……」

「口を動かす前に手を動かせ! あそこのテーブル、グラスが空いてるぞ!」

「は、はいぃぃ……! あ、あのローストビーフ美味しそう……」

「あれは新郎新婦用だ! お前の賄いはパンの耳だ!」

「ひどいぃぃ……リーフィのいじわるぅぅ……」

彼は泣きながら、それでも必死に働いていた。

その姿は哀れだが、以前のような「何もしない穀潰し」よりは、幾分かマシに見えた。

「……何を見ているんだ?」

クライヴ様が後ろから抱きついてきた。

「いえ。……『労働による更生プログラム』が順調に稼働しているな、と確認していただけです」

「ふん。あいつには良い薬だ。……ま、今日くらいは多めに見逃してやろう」

クライヴ様もアレクセイに気づいていたようだが、幸せすぎてどうでもいいらしい。

「それより、リーフィ。そろそろお色直しだ。次はあの『機能的カクテルドレス』だろう?」

「ええ。走れるドレスの実力をお見せします」

「楽しみだ。……ねえ、リーフィ」

「はい?」

「こんなに『時間の無駄遣い(幸せな時間)』も、悪くないだろう?」

彼は、私が以前言ったセリフを引用して聞いてきた。

私はグラスの中のシャンパンを見つめ、そして彼に向かって、今日一番の笑顔で答えた。

「ええ。……計算外の利益(プライスレス)ですね」

空には、クライヴ様が魔法で放った「光の蝶」が舞い始めた。

幻想的な光の中で、私たちは再び手を取り合った。

私の「悠々自適なスローライフ」計画は完全に失敗に終わったけれど、「世界一多忙で、世界一幸せな妻」としての人生は、きっと退屈することはないだろう。
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