婚約破棄されましたが、特に問題ありません。

パリパリかぷちーの

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「陛下。私は、私の『研究室(ラボ)』が待っておりますので、これにて、辺境へ帰らせていただきますわ」

ヨミは、国王に完璧な礼をすると、さっさと踵(きびす)を返した。

その隣には、カイン・ヴェルデが、当然のように付き従っている。

王宮の寝室にいる誰もが、その光景を、呆然と見送ることしかできなかった。

追放された『毒婦』が、王子を救った『救世主』となり、そして今、王族の謝罪を「見る目がない」と一蹴して、再び最果ての地へ帰ろうとしている。

この国の中心であるはずの王宮が、まるで、辺境から来た二人の「背景」のようにかすんでいた。

「ま、待て!」

その異様な空気を破ったのは、ベッドの上で、青白い顔をしたレオン王子の、かすれた叫び声だった。

「待ってくれ、ヨミ!」

「……」

ヨミは、心の底から面倒くさそうに、ゆっくりと足を止めた。

彼女は、振り返った。

その紫の瞳は、レオンを「元・婚約者」としてではなく「用件の終わった、うるさい患者」として捉えている。

「まだ、何かご用ですの、王子殿下」

「……」

「解毒は完了いたしました。あなたの体内の『水虫菌』は、現在、不活化しております。あとは、侍医長の指示に従い、肝臓を休ませればよろしいかと」

「そ、そんなことでは、ない!」

レオンは、必死に声を振り絞った。

彼は、ヨミの冷たい態度に傷つきながらも、今、この手を離しては、二度と取り戻せない、という焦燥感に駆られていた。

彼は、この数日、ベッドの上で、自分の愚かさを噛み締めていた。

マリアの嘘。

ヨミの真実。

そして、ヨミが持つ、王国の至宝とも言うべき『知識』の価値。

彼は、全てを失うところだった。いや、もう、失っているのだ。

「ヨミ……」

レオンは、ベッドから身を起こそうともがき、侍従の支えを受けながら、なんとか、みっともなく座った姿勢になった。

「俺は……俺は、本当に、愚か者だった」

「ええ。存じておりますわ」

「……っ」

ヨミの容赦ない返答に、レオンの言葉が詰まる。

だが、彼は、ここで引くわけにはいかなかった。

国王も、宰相も、このレオンの行動を、固唾を飲んで見守っている。

彼らもまた、ヨミの『価値』を、痛いほど理解してしまったのだ。

この『知識』を、辺境に置いておくのは、国の損失である、と。

「俺は、君という、本物の『宝』を、手放そうとしていた」

「……」

「君の知識が、君のその聡明さが、この国には、必要なんだ」

「左様でございますか。ですが、私を追放なさったのは、他ならぬ、あなた方ですわ」

「それは……!返す言葉も、ない」

レオンは、プライドをかなぐり捨てた。

「だが、今なら、まだ間に合う!」

彼は、ヨミに向かって、懇願するように、手を差し伸べた。

「俺は、マリアとの婚約など、もちろん、白紙に戻す!」

「……」

「君さえ、許してくれるなら……!君さえ、戻ってきてくれるなら!」

「……」

「君を、王妃として、俺の隣に、迎える準備がある!」

静まり返った寝室に、王子の声が響き渡る。

侍医も、宰相も、国王さえも、その言葉を止めなかった。

それは、王宮全体の『総意』だった。

レオンは、深く息を吸い込むと、震える声で、その言葉を口にした。

「……もう一度、私と……」

「……」

「婚約を、やり直しては、くれないだろうか」

前代未聞だった。

追放した婚約者への、謝罪。そして、再度の、婚約の申し込み。

レオンの目には、必死の光が宿っていた。

もし、ヨミが普通の令嬢ならば、この瞬間、涙を流して喜んだかもしれない。

『毒婦』の汚名をそそぎ、王妃への返り咲きを果たす、逆転の瞬間。

だが。

その熱烈な(?)プロポーズを受けたヨミの反応は、王宮の誰もが、予想だにしないものだった。

ヨミは、レオンの言葉を、数秒間、黙って『分析』していた。

(……ふむ)

(この『申し出』を受けた場合の、私(わたくし)の利益(メリット)と、不利益(デメリット)は)

(メリット:王妃という地位。王家の予算の自由化。王立研究所の最優先使用権)

(デメリット:レオン王子の隣。退屈な政務と社交。辺境のフィールドワーク不可。『月光草』の研究の中断)

(……)

分析は、一瞬で終わった。

「結構ですわ」

「……え?」

レオンの、差し伸べた手が、宙で固まった。

「い、今……なん、と」

「ですから、お断りいたします、と申し上げたのです」

ヨミは、先ほどの謝罪を一蹴した時よりも、さらに、心の底から面倒くさそうに、答えた。

「な……!」

「な、なぜだ!?ヨミ!」

レオンは、信じられないという顔で叫んだ。

「君は、王妃になれるんだぞ!この国の、頂点に!」

「王妃?」

ヨミは、心底、不思議そうに首を傾げた。

「その『地位』が、私にとって、何の価値があると?」

「なっ……!」

「王子。あなたは、やはり、まだ、何も分かっていらっしゃらない」

ヨミは、深い、深いため息をついた。

「私が欲しいのは、『王妃』という、飾り物の地位(ステータス)ではありません」

「……」

「ましてや、二度も、判断を誤った『見る目のない』あなたの隣でも、ありませんわ」

「……っ!」

レオンの顔から、血の気が引いていく。

「私」

ヨミは、どこか楽しそうに、誇らしそうに、告げた。

「辺境領の、私の『研究室(ラボ)』が、大変、気に入っておりますの」

「……研究室」

「ええ。あなたが追放してくださった、あの、痩せた土地ですわ」

ヨミの目が、夢見るように、遠くを見つめる。

「『月光草』の群生地。『瘴気の銀』のサンプル。そして、まだ解明されていない、辺境の未知なる薬草たち」

「……」

「それらすべてが、私を待っておりますの」

ヨミは、再び、レオンに冷たい視線を戻した。

「王宮の、退屈な政務(おままごと)や、権力争いに、付き合っている暇は、私には、ございませんのよ」

「……あ」

レオンは、もう、何も言えなかった。

彼は、ヨミにとって、自分が、辺境の『未知なる薬草』以下の存在でしかないことを、この瞬間、骨の髄まで理解させられたのだ。

「では、今度こそ、失礼いたしますわ」

ヨミは、完璧なカーテシーを、国王にだけ向けると、今度こそ、部屋の出口へと歩き出した。

その背後に立つカインが、この時、初めて、その口元に、かすかな、本当に、かすかな『勝利』の笑みを浮かべていたことを、王宮の誰も、気づかなかった。

「ああ、それと」

ヨミが、扉の前で、足を止めた。

「王子」

「……」

レオンが、力なく顔を上げる。

ヨミは、研究者として、最後に、一つだけ、訂正を入れた。

「先ほど、あなたは、私に『婚約をやり直してはくれないか』と、おっしゃいましたね」

「……あ、ああ」

「正確には、それは『やり直し』では、ございませんわ」

「……どういう、意味だ」

「あの卒業パーティーで、あなたが、一方的に『婚約破棄』を宣言なさった時点で」

ヨミは、レオンに向かって、この日一番の、冷たく、美しい笑みを浮かべた。

「私とあなたの婚約は、すでに『完了』しておりますのよ」

「!」

「あなたが、今なさったのは『やり直し』ではなく、単なる『新規の申し込み』ですわ」

「……」

「そして、その『新規申し込み』は、ただいま、私(わたくし)が、明確に『拒否』いたしました」

「……」

「ごきげんよう、王子殿下。二度と、私の研究の邪魔を、なさらないでくださいましね」

バタン。

扉は、無情にも閉ざされた。

残されたのは、再起不能(ノックアウト)なまでにプライドを粉砕され、完全に『振られた』王子と、王国の、暗い未来だけだった。
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