婚約破棄されましたが、特に問題ありません。

パリパリかぷちーの

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王宮を出たヨミとカインは、再び辺境への長旅へと向かうことになった。

王都の外れ。馬車に乗る直前。

ヨミは、アスクレピオス公爵邸の研究室から、辺境で必要となる最終的な機材を積み込ませていた。

小型の魔力測定器。超高純度の金属触媒。そして、辺境では手に入らない、特殊なガラス容器一式。

「ハンナ。この機材リストは、辺境領到着後に、すぐに王都のギルドへ発注する分です。カイン殿に渡して、最優先で早馬を」

「は、はい、お嬢様!」

ハンナが、テキパキと指示に応じる。

王宮での一件以来、ハンナの中のヨミは、「恐ろしい主人」から「恐ろしいが、最高に格好いい主人」へとランクアップしていた。

「さあ、カイン殿。馬車に乗り込みますわよ」

ヨミが、カインに声をかける。

カインは、黒い外套(がいとう)の襟を立て、ヨミのすぐそばに立っていた。

彼は、ヨミの背中に、いつもより熱い視線を注いでいた。

「……ヨミ殿」

「なんですの。辺境での研究スケジュールが、一刻も早く私を呼んでおりますわ」

ヨミは、馬車のステップに足をかけようとした。

その時。

カインが、彼女の腕を、そっと掴んだ。

強くはない。だが、拒否できない、確かな力だった。

「!」

ヨミの体が、ピタリと止まる。

「……カイン殿。どうかしましたか」

ヨミは、冷静を装って、カインを振り返った。

カインは、周囲の喧騒を一切無視し、真剣な眼差しで、ヨミを見つめていた。

「王子の言葉を、はっきりと拒否したな」

「ええ。事実を述べたまでですわ」

「彼は、この国の王太子だ。彼の隣は、名誉と富の全てだ。それを、貴様は、何の迷いもなく捨てた」

「私の研究には、王太子よりも、辺境の薬草の方が、よほど価値がある、と判断したまでです」

ヨミは、そう答えながらも、自分の胸が高鳴っているのを感じた。

(いけない。またですわ。この胸の痛み……。カイン殿のこの眼差しは、心拍数を跳ね上げる効果を持つ、特定の『毒』ですわ!)

(解毒薬が、必要ですわ……!)

カインは、ヨミの動揺に気づいたのか、さらに一歩、踏み込んだ。

「俺は、正直、安堵した」

「……」

「貴様が、王子の甘い言葉に乗り、王都に残るのではないかと、危惧していた」

「私が?あの『水虫菌』の患者の隣に?冗談は、止してくださいまし」

ヨミは、冷笑した。

だが、カインは、その冷笑さえも、愛おしいとでも言うかのように、静かに見つめていた。

「ヨミ殿」

カインが、その巨体をヨミの目の前にまで寄せた。

「俺は、貴様の『検体』だったな」

「ええ。最高の検体でしたわ」

「そうだろう」

カインの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。

「貴様の毒の知識が、貴様のその狂気的な研究心こそが、俺の体調不良を治した。そして、王子の命をも救った」

「……」

「貴様の言う通り、俺は、貴様の知識の『価値』を、誰よりも理解している」

カインは、ヨミの腕を掴んでいた手を、そっと離し、代わりに、ヨミの白い頬に、手の甲を添えた。

「……」

ヨミは、その手の熱さに、身動きが取れなかった。

「ヨミ殿。貴様は、毒の研究にしか興味がない。貴様の愛するものは、薬草と、フラスコと、乳鉢だけだ」

「……ええ。それが、何か」

「俺は、その『毒』に、一生侵されたい」

カインの言葉は、愛の告白というより、辺境伯としての、重い『誓い』のようだった。

「……!」

ヨミの瞳が、大きく見開かれる。

「俺は、王子のようには、貴様を『愛する』ことはできん。貴族の甘い戯言(ざれごと)も言えん。だが」

カインは、ヨミの瞳を、真剣に見つめ返した。

「俺の体は、貴様の毒に侵されたからこそ、初めて、健康になった」

「……」

「貴様という『毒』は、俺にとって、もはや、切り離せない『薬』だ」

「カ、カイン殿……」

ヨミの声が、初めて震えた。

「俺は、貴様を、俺の砦から、二度と手放すつもりはない」

「……」

「貴様のその狂気的な研究を、誰にも邪魔させず、生涯、俺の隣で、続けてもらいたい」

カインは、ヨミの頬に添えた手を、さらに優しく押し当てた。

「俺と、結婚してくれ」

「……け、結婚……?」

ヨミの頭の中で、全ての論理回路が、ショートした。

王子のプロポーズには、即答で「拒否」できた。

だが、この、カインの、あまりにも不器用で、あまりにも直球な『告白(オファー)』には、どう答えていいのか分からなかった。

(この感情は、一体……!)

(胸が、痛い……!でも、なぜか、心地よい……!)

(これは、私の知らない、未知の『毒』の作用ですわ……!)

カインは、ヨミの混乱を、黙って待っていた。

彼の告白には、美しい言葉も、ロマンチックな演出もない。

だが、その言葉には、辺境領の土のように、重く、確かな『真実』が宿っていた。

「……貴様が、望むなら」

カインは、さらに、最大の『餌』を差し出した。

「辺境領の、全ての薬草と、最新の研究棟を、君に捧げよう」

「……!」

ヨミの紫の瞳が、カッと見開かれた。

『全ての薬草』。

『最新の研究棟』。

その二つの単語が、ヨミの理性を、完全に吹き飛ばした。

(けんきゅうとう……!)

(辺境に、最新の設備を……!)

(この男……!私の弱点を、完璧に把握している……!)

ヨミの顔に、研究者としての、至福の笑顔が、ゆっくりと広がった。

それは、カインの病を治した時よりも、月光草を発見した時よりも、さらに強い、恍惚とした笑顔だった。

「カイン殿……」

ヨミは、カインの顔を、両手で掴んだ。

カインが、少し驚いたように、目を見開く。

「……謹んで」

ヨミは、深呼吸をした。

「謹んで、お受けいたします!」

ヨミの返事は、プロポーズに対するものではなく、まるで、最高の研究環境を与えられた、科学者の歓喜の叫びのようだった。

「!」

カインは、その顔を見て、初めて、心から安堵した。

(ああ、これで、この女は、俺のモノだ)

(俺の砦から、二度と逃げられない)

カインは、ヨミの顔を掴んだ手を、そっと自分の手で包み込んだ。

「ありがとう、ヨミ殿」

「いえ。こちらこそ、ありがとう存じますわ」

ヨミは、満面の笑みで言った。

「最高の『検体』と、最高の『研究環境』を、提供してくださるのですから」

カイン・ヴェルデ辺境伯の、不器用な、そして、史上最も合理的(?)なプロポーズは、こうして、成就したのである。
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