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……ふかふか、する。
後頭部に伝わる、適度な弾力と温もり。
これはきっと、公爵家で特注した「シエル様等身大抱き枕」の改良版に違いないわ。
「……お嬢様。……様。リューン様」
どこからか、天界の鐘の音のような、涼やかで心地よい声が聞こえる。
私はゆっくりと、重い瞼を持ち上げた。
視界に飛び込んできたのは、温室のガラス越しに差し込む柔らかな光と――。
心配そうに私を覗き込む、シエル様の銀色の瞳だった。
「……あ。……シエル、様?」
「良かった、気がついたんだね。急に倒れるから、本当に驚いたよ」
シエル様が、ホッとしたように息を吐く。
その拍子に、彼の美しい紺碧の髪が、私の頬にさらりと触れた。
(待って。今、私の視界、どうなっているの?)
私は状況を把握しようと、視線を泳がせた。
私の頭の下にあるのは、高級なクッションではない。
シエル様の、あの、さっきまで袖を捲っていた逞しい太ももだ。
「……ひっ!?」
私は跳ね起きようとしたが、シエル様の大きな手が私の肩を優しく押さえた。
「まだ急に動かない方がいい。顔が真っ白だったよ。もう少し、このままでいなさい」
「め、めっ、滅相もございません! 殿下の尊い大腿四頭筋に、私の不浄な後頭部が触れているなど、国家転覆レベルの不敬ですわ! 今すぐ離れます、いっそ埋まります!」
「不敬だなんて思っていないよ。……僕が、君を離したくないんだ」
(……死ぬ。今度こそ、今度こそ私の心臓が、物理的に王宮を爆破して終わる……!)
シエル様の瞳は、冗談を言っているようには見えなかった。
彼は私の髪に指を通し、慈しむように撫でる。
「……君は、僕のことを『信仰』だと言ったね。でも、僕は神様じゃない。君と同じ、血の通った人間なんだ」
シエル様が、少しだけ声を低くして続けた。
「君が僕をそんなに真っ直ぐに見てくれるから……。僕は、自分がただの『日陰の第二王子』ではなく、一人の男として価値があるんじゃないかって、思えるようになったんだよ」
「……殿下」
「だから、リューン様。……これからは、遠くから拝むだけじゃなくて。……僕の隣にいてくれないかな?」
私は、シエル様の膝の上で、魚のように口をパクパクさせた。
(……これは、現実? それとも、肥料の使いすぎで見た幻覚?)
「あの……殿下。確認ですが、これは『推し』と『ファン』の関係を維持した上での、公式なお誘い……ということでよろしいのでしょうか?」
「……君は、本当にロマンチックな雰囲気を壊すのが得意だね」
シエル様が、堪えきれないといった様子で吹き出した。
「いいよ。君がそう呼びたいなら、それで。……でも、僕は君を、僕だけの『特別なファン』として独占したいと思っているよ」
「ど、独占……。ああ、なんという甘美な響き……! 喜んで、シエル様の『終身名誉・最前線守護霊』になりますわ!」
私が感極まって、シエル様の膝の上で(横になったまま)拝んでいると。
「――見つけたぞ! シエル、やはり貴様、リューンを連れ込んで何をしていた!」
温室の入り口から、またしても不愉快な怒鳴り声が響いた。
アリスティア様だ。
彼は顔を真っ赤にして、私たちの……というか、私の「膝枕」状態を見て絶句している。
「リ、リューン……貴様、私の前ではあんなに淑女ぶっていたくせに! あろうことか、シエルの膝で寝転ぶなど、公爵令嬢として恥ずかしくないのか!」
「……恥ずかしい? アリスティア様、何をおっしゃっているのですか」
私はシエル様の膝を枕にしたまま、首だけをアリスティア様の方へ向けて冷ややかに言い放った。
「ここは聖域です。聖域における作法は、その主であるシエル様が決めること。……そして今、シエル様は私に『ここにいろ』と仰いました。主の命に従うのは、臣下として当然の義務ではありませんか?」
「義務!? 膝枕が義務だと!? ふざけるな!」
「殿下こそ、いい加減にしてください」
シエル様が、私を守るように、さらに深く私を抱き寄せた。
「兄様。ここは僕の庭です。……そして彼女は、僕が招待した、僕にとって最も大切な人です。……兄様に、彼女を侮辱する権利はありません」
シエル様の、静かだが氷のように冷たい声。
アリスティア様は、見たこともない弟の迫力に、思わず数歩後ずさった。
「……ち、父上……国王陛下に報告してやる! こんな破廉恥な行為、許されるはずがない!」
捨て台詞を残して、アリスティア様は逃げるように去っていった。
温室に、再び二人だけの時間が戻る。
「……殿下。私、アリスティア様に嫌われてしまったかもしれませんわ。……側室の話も、これで立ち消えですね」
私はわざとらしく、深々と溜め息をついた。
「……そんなに残念かい?」
シエル様が、少しだけ嫉妬深そうに私を覗き込む。
「いいえ。……最高ですわ! これで心置きなく、二十四時間シエル様のことを考えられますもの!」
私はシエル様の腕の中で、満面の笑みを浮かべた。
しかし、私たちはまだ知らない。
アリスティア様の報告を受けた国王が、とんでもない「試練」を私たちに課そうとしていることを。
後頭部に伝わる、適度な弾力と温もり。
これはきっと、公爵家で特注した「シエル様等身大抱き枕」の改良版に違いないわ。
「……お嬢様。……様。リューン様」
どこからか、天界の鐘の音のような、涼やかで心地よい声が聞こえる。
私はゆっくりと、重い瞼を持ち上げた。
視界に飛び込んできたのは、温室のガラス越しに差し込む柔らかな光と――。
心配そうに私を覗き込む、シエル様の銀色の瞳だった。
「……あ。……シエル、様?」
「良かった、気がついたんだね。急に倒れるから、本当に驚いたよ」
シエル様が、ホッとしたように息を吐く。
その拍子に、彼の美しい紺碧の髪が、私の頬にさらりと触れた。
(待って。今、私の視界、どうなっているの?)
私は状況を把握しようと、視線を泳がせた。
私の頭の下にあるのは、高級なクッションではない。
シエル様の、あの、さっきまで袖を捲っていた逞しい太ももだ。
「……ひっ!?」
私は跳ね起きようとしたが、シエル様の大きな手が私の肩を優しく押さえた。
「まだ急に動かない方がいい。顔が真っ白だったよ。もう少し、このままでいなさい」
「め、めっ、滅相もございません! 殿下の尊い大腿四頭筋に、私の不浄な後頭部が触れているなど、国家転覆レベルの不敬ですわ! 今すぐ離れます、いっそ埋まります!」
「不敬だなんて思っていないよ。……僕が、君を離したくないんだ」
(……死ぬ。今度こそ、今度こそ私の心臓が、物理的に王宮を爆破して終わる……!)
シエル様の瞳は、冗談を言っているようには見えなかった。
彼は私の髪に指を通し、慈しむように撫でる。
「……君は、僕のことを『信仰』だと言ったね。でも、僕は神様じゃない。君と同じ、血の通った人間なんだ」
シエル様が、少しだけ声を低くして続けた。
「君が僕をそんなに真っ直ぐに見てくれるから……。僕は、自分がただの『日陰の第二王子』ではなく、一人の男として価値があるんじゃないかって、思えるようになったんだよ」
「……殿下」
「だから、リューン様。……これからは、遠くから拝むだけじゃなくて。……僕の隣にいてくれないかな?」
私は、シエル様の膝の上で、魚のように口をパクパクさせた。
(……これは、現実? それとも、肥料の使いすぎで見た幻覚?)
「あの……殿下。確認ですが、これは『推し』と『ファン』の関係を維持した上での、公式なお誘い……ということでよろしいのでしょうか?」
「……君は、本当にロマンチックな雰囲気を壊すのが得意だね」
シエル様が、堪えきれないといった様子で吹き出した。
「いいよ。君がそう呼びたいなら、それで。……でも、僕は君を、僕だけの『特別なファン』として独占したいと思っているよ」
「ど、独占……。ああ、なんという甘美な響き……! 喜んで、シエル様の『終身名誉・最前線守護霊』になりますわ!」
私が感極まって、シエル様の膝の上で(横になったまま)拝んでいると。
「――見つけたぞ! シエル、やはり貴様、リューンを連れ込んで何をしていた!」
温室の入り口から、またしても不愉快な怒鳴り声が響いた。
アリスティア様だ。
彼は顔を真っ赤にして、私たちの……というか、私の「膝枕」状態を見て絶句している。
「リ、リューン……貴様、私の前ではあんなに淑女ぶっていたくせに! あろうことか、シエルの膝で寝転ぶなど、公爵令嬢として恥ずかしくないのか!」
「……恥ずかしい? アリスティア様、何をおっしゃっているのですか」
私はシエル様の膝を枕にしたまま、首だけをアリスティア様の方へ向けて冷ややかに言い放った。
「ここは聖域です。聖域における作法は、その主であるシエル様が決めること。……そして今、シエル様は私に『ここにいろ』と仰いました。主の命に従うのは、臣下として当然の義務ではありませんか?」
「義務!? 膝枕が義務だと!? ふざけるな!」
「殿下こそ、いい加減にしてください」
シエル様が、私を守るように、さらに深く私を抱き寄せた。
「兄様。ここは僕の庭です。……そして彼女は、僕が招待した、僕にとって最も大切な人です。……兄様に、彼女を侮辱する権利はありません」
シエル様の、静かだが氷のように冷たい声。
アリスティア様は、見たこともない弟の迫力に、思わず数歩後ずさった。
「……ち、父上……国王陛下に報告してやる! こんな破廉恥な行為、許されるはずがない!」
捨て台詞を残して、アリスティア様は逃げるように去っていった。
温室に、再び二人だけの時間が戻る。
「……殿下。私、アリスティア様に嫌われてしまったかもしれませんわ。……側室の話も、これで立ち消えですね」
私はわざとらしく、深々と溜め息をついた。
「……そんなに残念かい?」
シエル様が、少しだけ嫉妬深そうに私を覗き込む。
「いいえ。……最高ですわ! これで心置きなく、二十四時間シエル様のことを考えられますもの!」
私はシエル様の腕の中で、満面の笑みを浮かべた。
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