婚約破棄されたので、うっかり「よっしゃぁ!」と叫んでしまう。

パリパリかぷちーの

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煌びやかなシャンデリアが輝く、王宮の大広間。

着飾った貴族たちが談笑する中、突如としてその声は響き渡った。

「ビスケ・オルコット公爵令嬢! 貴様との婚約は、この瞬間をもって破棄とする!!」

音楽が止まる。

グラスのカチャンという音さえ消え失せ、広間は静寂に包まれた。

視線の中心にいるのは、壇上に立つラシード王子。

そして、その傍らに寄り添う、庇護欲をそそる小柄な男爵令嬢ミナ。

対峙するのは、豪奢な真紅のドレスを纏った私、ビスケだ。

私はゆっくりと扇子を閉じた。

周囲の令嬢たちが、扇子で口元を隠しながらひそひそと囁き合う。

「まあ、可哀想に……」

「これでおしまいね」

「ショックで倒れてしまうんじゃないかしら」

誰もがそう思っただろう。

無理もない。

王太子の婚約者という立場は、この国における女性の最高位への切符。

それを失うことは、社交界からの追放と同義だとされているからだ。

ラシード王子は、勝ち誇ったような顔で私を見下ろしている。

「ふん、何も言えないか。ショックを受けるのも無理はないが、これは貴様自身の行いが招いた結果だ。ミナに対する陰湿な嫌がらせ、そして未来の国母としてあるまじき可愛げのなさ! これ以上、私の隣に置くわけにはいかん!」

私はうつむいた。

肩が、小刻みに震える。

「……っ……」

「泣いているのか? だが、もう遅い。私の心は、真実の愛を見つけたのだ!」

王子がミナの腰を抱き寄せる。

ミナは「きゃっ、ラシード様ぁ」と甘い声を上げた。

完璧だ。

完璧な、断罪劇の舞台だ。

私は、こみ上げる衝動を抑えきれずに震えていた。

(ああ、ついに……ついにこの時が来たのね……!)

5歳で婚約してから13年。

毎日毎晩、あくびが出るほど退屈な王妃教育に耐え。

「僕の髪型、今日のほうが決まってない?」という王子のナルシスト発言を右から左へ受け流し。

彼が公務を放り出して狩りに行くたびに、徹夜で書類を偽造して尻拭いをしてきた日々。

それらが、走馬灯のように駆け巡る。

そして今、私は解放されるのだ。

あの、理不尽で、面倒で、給料も出ないブラック労働から!

私は勢いよく顔を上げ、天井のシャンデリアに向かって両手を突き上げた。

「よっしゃああああああああああっ!!!」

広間の空気が、ピキリと凍りついた。

「は?」

王子の間抜けな声が漏れる。

私は満面の笑みでガッツポーズを決めたまま、さらに叫んだ。

「神よ! 仏よ! いや誰でもいいわ、ありがとう! 自由だ! 私は自由よ! これでもう、あんたの無駄に長い自慢話を聞かなくて済むのね!?」

「な、なんだと……?」

「聞こえませんでしたか殿下! いえ、元婚約者様! 謹んでその破棄、お受けいたします! いやあ、長かった! 本当に長かったわ!」

私はドレスの裾をまくりあげる勢いで、スタスタと壇上の王子に詰め寄った。

あまりの迫力に、王子とミナが後ずさりする。

「お、おいビスケ、貴様、気が触れたのか? 婚約破棄だぞ? 捨てられるんだぞ!?」

「捨てられる? いいえ殿下、これは『断捨離』です! 私にとって不要なストレス源が、向こうから勝手に離れていってくれるのですから、これほど喜ばしいことはありません!」

「ふ、不要なストレス源だと!?」

「ええそうですとも! 思い出してください、先月の視察! 『馬車が揺れて気持ち悪い』と駄々をこねる貴方の背中をさすりながら、代わりに現地の村長と交渉したのは誰でしたっけ!?」

「うっ……それは……」

「先週の夜会! 『ワインの味が気に入らない』と暴れかけた貴方の口に、さりげなく最高級の干し肉を突っ込んで黙らせたのは誰でしたか!?」

「そ、それはミナが……」

「ミナ様はその時、隅っこでケーキを食べてましたよ! 私がやりました! 全部、私が! 王宮の平和のために! 貴方の尻拭いをしていたんです!」

私は指を突きつけ、一息で言い放った。

王子は顔を真っ赤にしてパクパクと口を開閉している。

周囲の貴族たちは、あまりの事態にポカンと口を開けていた。

公爵令嬢としての仮面?

そんなものは、婚約破棄と共に粉々に砕け散ったのだ。

今の私は、無敵の『元』婚約者である。

「き、貴様……私が怖くないのか! 不敬だぞ!」

「不敬? あら、もう他人ですもの。それに殿下、ご存じないんですか? 我が公爵家は、王家に対して莫大な融資をしておりますのよ」

「……え?」

「貴方が着ているそのジャケット、誰のお金で作ったと思っているんです? 毎晩開いている豪華なパーティーの費用は? 全部、我が父上が『娘がお世話になっているから』と目をつぶっていた借用書の上に成り立っているんですよ!」

にっこりと微笑んで告げると、王子の顔からサーッと血の気が引いていった。

「ま、まさか……」

「その『まさか』です。婚約破棄ということは、他人に戻るということ。つまり、これからはきっちりと『利子をつけて』返済していただきますからね。覚悟しておいてくださいませ」

「ひ、ひぃっ……!」

王子が情けない悲鳴を上げる。

隣にいたミナが、慌てて王子の腕にしがみついた。

「ラ、ラシード様! 騙されてはいけません! きっと嘘です、この女狐!」

「あら、ミナ様。貴女にも感謝しているのよ?」

「え?」

「だって、こんな面倒くさい男を、引き取ってくださるんでしょう? まさにリサイクル精神の鏡だわ! 熨斗(のし)をつけて差し上げますから、どうぞ末長くお幸せに! 返品は不可ですので、あしからず!」

「なっ……!」

私は高らかに笑い声を上げ、くるりと背を向けた。

胸がすくような爽快感。

これだ。

私が求めていたのは、この清々しい空気だ。

広間の出口に向かって歩き出そうとした、その時だった。

「くっくっく……はははは!」

野太い、地響きのような笑い声が聞こえた。

それは、凍りついた会場にはあまりにも不釣り合いな音だった。

私が足を止め、声の主を探す。

会場の隅、壁の花となっていた令嬢たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げていく場所があった。

そこに、一人の男が立っていた。

黒い軍服に身を包み、大男と呼ぶにふさわしい巨躯。

顔には古傷があり、鋭い眼光は獲物を狙う猛獣そのもの。

「北の黒い悪魔」

「歩く殺戮兵器」

そうあだ名され、社交界の誰もが恐れる辺境伯、ジェラルド・ヴォルグその人だった。

彼は腹を抱え、涙を流して笑っていた。

「面白い……! 最高だ!」

周囲が恐怖で震え上がる中、私は首を傾げた。

(何がおかしいのかしら? 私、何か変なこと言った?)

ジェラルドはひとしきり笑うと、大股で私の方へと歩いてきた。

モーゼの海割りのように、貴族たちが道を開ける。

私の目の前で立ち止まった彼は、見上げるような巨体で私を見下ろし――いや、目を細めて言った。

「あんた、最高にいい性格をしてるな」

「……はあ。お褒めにあずかり光栄ですわ、辺境伯様。皮肉でなければ」

「皮肉なものか。俺はこれほど愉快な『婚約破棄』を初めて見た」

彼はニヤリと笑うと、とんでもないことを口にした。

「なあ、どうだ? 行く当てがないなら、俺のところに来ないか?」

「はい?」

「俺の嫁になれと言っている」

広間が、本日二度目の静寂に包まれた。

ラシード王子が「はあああ!?」と素っ頓狂な声を上げる。

私は瞬きをした。

目の前の強面(こわもて)の男を見る。

噂では、気に入らない部下を素手で引き裂くとか、朝食に生肉を食べるとか言われている男だ。

しかし、その瞳は意外にも真っ直ぐで、嘘がないように見えた。

私は即座に計算する。

辺境伯領は広大で、資源も豊富と聞く。

何より、王都から遠く離れている。

あのウザい元婚約者の顔を見なくて済む。

それに、彼は「嫁になれ」と言った。

つまり、衣食住の保証があるということだ。

「条件を確認させてください」

「条件?」

「私は自由を愛しています。あと、美味しいものが好きです。そして何より、面倒なことと無駄な社交が大嫌いです。それでもよろしいので?」

ジェラルドは、また楽しそうに喉を鳴らした。

「構わん。俺の領地は広い。好きに走り回ればいい。飯は美味いぞ、肉が中心だがな。社交? 俺も嫌いだ。俺の城には、媚びを売るような貴族は一人もいない」

「……最高じゃないですか」

私はニヤリと笑った。

「商談成立ですね。お受けします、そのプロポーズ」

「話が早くて助かる」

ジェラルドが私の手を取り、その手の甲に唇を寄せた。

ゴツゴツとした、大きな手だった。

「待て待て待てぇ!!」

そこでようやく、再起動したラシード王子が叫び声を上げた。

「ジェラルド! き、貴様、正気か!? その女は、私の元婚約者だぞ!? しかも、あんな性格の……!」

ジェラルドはゆっくりと王子の方を向き、一言だけ言った。

「殿下には、この宝石の価値がわからなかったようですね」

「ほ、宝石だと……? ただの生意気な石ころだろうが!」

「いいえ。俺にとっては、どんな飾り立てた宝石よりも輝いて見えます」

ジェラルドは私の方を見て、不器用そうに口の端を上げた。

「行こうか、俺の妻」

「はい、旦那様」

私は王子のあぜんとした顔に、最後の一瞥をくれた。

「それでは殿下、ごきげんよう。慰謝料の請求書は、後日きっちり実家に送らせていただきますから、ご安心を!」

私はジェラルドのエスコートを受け、堂々と大広間を後にした。

背後からは、ざわめきと、王子の喚き声が聞こえていたが、もはや雑音にしか聞こえなかった。

こうして、私の波乱万丈な、そして最高に自由な第二の人生が幕を開けたのである。
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