婚約破棄!おバカな王子と縁が切れました!

パリパリかぷちーの

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アイゼン邸の主寝室。
そこには、王国中のどんな宝物庫よりも価値があり、そしてどんな聖域よりも静かな空間が広がっていた。


私は、特注の「雲の上のような寝心地のマットレス」の上で、最後の一まどろみを堪能していた。
意識が浮上しかけるたびに、心地よい重みと温もりが私を再び眠りの底へと引き戻す。


「……んん……。幸せ。……私、もうこのままバターになって溶けてしまいたいですわ……」


「……起きたか、ミカ。……バターになられては困る。お前のために、今朝は最高級のハチミツをかけたパンケーキを用意したんだ」


耳元で囁かれる、低くて甘い声。
目を開けると、そこには朝日を背負った、眩しいばかりの美貌の騎士――私の夫であるクラウス様がいた。


「……クラウス様。……朝からその美顔は、私のような日陰の民には眩しすぎますわ。……目が、目が潰れてしまいますわよ」


「……大袈裟な。……ほら、体を起こせ。……お前が起きないから、パンケーキの上のバターが今まさに溶け始めているぞ」


私はその言葉に弾かれたように身を起こした。
バターが溶ける。それは干物令嬢にとって、国家の滅亡に等しい緊急事態である。


「……食べます! 食べますわよ! 私のパンケーキを救えるのは私だけですもの!」


クラウス様は手慣れた動作で私の背中にクッションを詰め込み、銀のトレイを膝の上に置いた。
ふわふわのパンケーキ、たっぷりとかかった黄金色のハチミツ。
私はフォークを手に取り、大きく一口頬張った。


「……んん~っ! 生きてて良かった! あのアホ王子に婚約破棄されて、本当に良かったですわ!」


「……ふふ。……まだあの方のことを言っているのか。……昨日届いた報告によれば、殿下はついに鏡の中の自分に語りかけすぎて、新しい言語を開発しようとしているらしいぞ」


「……新しい言語? もはや人間を辞めようとしていらっしゃいますのね。……ルル様はどうされていますの?」


「……ルル嬢は、実家の領地で『牛のための合唱団』を結成したそうだ。……彼女が歌うと、牛乳の出が三割増しになると評判だぞ」


「……あの方も、あの方で突き抜けていらっしゃいますわね。……でも、みんな自分の『好き』に生きているなら、それが一番ですわ」


私はパンケーキをモグモグと動かしながら、窓の外に広がる青空を眺めた。


かつての私は、公爵令嬢としての義務に縛られ、常に誰かの期待に応える「完璧な人形」だった。
けれど、婚約を破棄され、全てを失ったと思ったあの瞬間。
私は、自分が本当に欲しかった「だらしなくて、静かで、お菓子に満ちた自由」を手に入れたのだ。


「……クラウス様。……あなた、本当によろしいの? こんなにだらしない妻を持って。……世間の奥様方は、もっとこう、朝から旦那様を送り出したり、刺繍をしたり、お茶会を主催したりされていますわよ?」


私が少しだけ不安になって尋ねると、クラウス様は私のフォークを優しく奪い、最後の一切れを私の口へと運んだ。


「……お前が刺繍をしたところで、出来上がるのは謎のクリーチャーだろう。……お前がお茶会をすれば、開始五分で客と一緒に寝落ちするのが目に見えている」


「……否定できませんわ」


「……いいか、ミカ。……私は、お前のその『だらしなさ』を守るために、王国一の剣の腕を磨いてきたんだ。……お前が昼まで寝ていられる平和な国を守ること。……それが私の、騎士としての、そして夫としての究極の任務だ」


クラウス様が私の額に、深く、熱いキスを落とした。


「……お前が笑って寝ている。……それだけで、私の世界は救われているんだよ」


「……クラウス様。……あなた、本当に……。……そんなこと言われたら、私、また眠くなってしまいますわ」


「……寝ればいい。……今日は私も非番だ。……お前が起きるまで、私がずっと抱きしめていてやる」


クラウス様は私をそのまま、ふかふかのクッションの海へと引き戻した。
彼の腕の中は、どんな高級な毛布よりも温かくて、安心できる。


「……ねえ、クラウス様。……婚約破棄、ありがとうございます。……って、あの方にいつかお礼を言わなきゃいけませんわね」


「……やめておけ。……また面倒な勘違いをされて、鏡の部屋に連れ込まれたら困る。……あの方は、あの方の幸せの中に。……お前は、私の腕の中に」


「……ええ。……そうしますわ。……おやすみなさい、私の騎士様」


「……おやすみ、私の、愛しい愛しい干物令嬢」


カーテンの隙間から差し込む光が、私たちの幸福を優しく照らしている。
悪役令嬢と呼ばれ、婚約を破棄されたあの日。
それは、私の人生の終わりではなく、最高の「お昼寝」の始まりだった。


恋と、お菓子と、たっぷりの睡眠。
それさえあれば、世界はいつだってハッピーエンドなのだから。
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