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アイゼン邸の午後は、相変わらず時計の針が止まったかのような静けさに包まれていた。
私は庭園に面した特等席――クラウス様が私のために特注してくれた「人を駄目にするサンラウンジャー」に身を預け、ポカポカとした陽気を全身で浴びていた。
「……ふぅ。……平和。……平和すぎて、自分が人間だったか、それともただの光合成をする植物だったか分からなくなってきましたわ」
「……植物なら、そんなに頻繁にお菓子の催促はしないだろう。……ほら、冷えたハーブティーだ」
隣に座るクラウス様が、手慣れた動作でカップを差し出してくれる。
彼は非番の日、こうして私の「給仕係」兼「ボディガード」兼「枕」として、完璧な職務を全うしていた。
「……ありがとうございます。……あら、クラウス様。その手に持っているのは何かしら? またお父様からの『狩りに来い』という脅迫状?」
「……いや。……今朝、王宮から届いた公式の書状だ。……送り主は、ウィルフレッド殿下だ」
私は飲んでいたハーブティーを危うく吹き出しそうになった。
「……殿下!? まだ懲りていらっしゃいませんの? 今度は何の嫌がらせ? 『俺の美しさを讃える歌を百曲作れ』とか?」
「……いや、それ以上の代物だ。……読むか?」
私は嫌な予感を抱きつつ、クラウス様から封筒を受け取った。
封蝋には王子の家紋ではなく、なぜか「鏡に映る自分の顔」を模したと思われる、極めて趣味の悪い紋章が押されていた。
中から出てきたのは、金粉がこれでもかと振り撒かれた、目が痛くなるほど豪華な便箋だった。
『親愛なるミカへ。いや、俺という光を失い、闇の中に沈んでいる哀れな女よ』
「……一文目から読むのをやめたくなりますわね」
『お前が俺を拒み、あの鉄仮面の男を選んだのは、やはり俺の輝きが強すぎたからだろう。俺ほどの太陽が傍にいては、月であるお前は消えてしまう……。その謙虚な愛、今ならば理解できる』
「……脳内変換が凄まじいですわ。……どうしてそうなるのかしら」
『俺は決意した。俺の美しさは、もはや特定の女一人のものではない。俺は今、王宮の最上階に鏡張りの「真実の間」を作り、そこで一日二十時間、自分自身と対話する修行に入っている。この美しさを永遠に保存するため、俺は今後、一切の社交を断つことにした。……悔しかろうが、お前は俺の肖像画(別封で百枚送る)を見て、余生を過ごすしがいい。さらばだ、俺という伝説よ』
手紙を読み終えた私は、静かにそれを畳み、クラウス様に返した。
「……クラウス様。……これ、燃やしてよろしいかしら」
「……ああ。……ついでに、百枚届いた肖像画も、冬の暖炉の焚き付けに活用させてもらおう」
「……名案ですわ。……それにしても、自分自身と二十時間の対話って……。殿下、ついに解脱されましたわね」
「……ある意味では、王国で一番平和な解決策かもしれないな。……あの方が鏡の部屋から出てこない限り、被害者は誰も出ない」
クラウス様が珍しく皮肉を言わずに、心底ホッとしたような溜息を吐いた。
王位継承権は弟君に移り、殿下は「美の隠者」として、伝説(という名の笑い草)になることが決まったらしい。
「……これで本当に、邪魔者は誰もいなくなりましたわね。……ルル様は牛と戯れ、殿下は自分と見つめ合い、お父様は元気に狩りへ行き……」
「……そして私たちは、ここでこうして、お前が飽きるまでダラダラとする」
クラウス様が私の手を握り、その指先に優しくキスをした。
その瞳は、王子のどんな肖像画よりもずっと深く、優しく輝いている。
「……ミカ。……幸せか?」
「……ええ。……これ以上の幸せがあるとしたら、今ここで、あと三時間ほど二度寝をすることくらいですわ」
「……なら、寝ろ。……私が、お前の夢に誰も侵入させないよう、ここで見張っていてやる」
私は、彼の言葉に甘えて目を閉じた。
風に揺れる木の葉の音。遠くで聞こえる鳥のさえずり。
悪役令嬢、婚約破棄、更生プログラム……。
騒がしかった私の人生は、最高の「居眠り」と共に、穏やかなフィナーレを迎えようとしていた。
「……おやすみなさい、クラウス様。……大好きですわよ」
「……ああ。……おやすみ、私の愛しい干物令嬢」
私は、彼の温もりに包まれながら、深い、深い眠りへと落ちていった。
明日も、明後日も、きっと私はこうして彼に甘え、幸せな欠伸を噛み殺すのだろう。
私は庭園に面した特等席――クラウス様が私のために特注してくれた「人を駄目にするサンラウンジャー」に身を預け、ポカポカとした陽気を全身で浴びていた。
「……ふぅ。……平和。……平和すぎて、自分が人間だったか、それともただの光合成をする植物だったか分からなくなってきましたわ」
「……植物なら、そんなに頻繁にお菓子の催促はしないだろう。……ほら、冷えたハーブティーだ」
隣に座るクラウス様が、手慣れた動作でカップを差し出してくれる。
彼は非番の日、こうして私の「給仕係」兼「ボディガード」兼「枕」として、完璧な職務を全うしていた。
「……ありがとうございます。……あら、クラウス様。その手に持っているのは何かしら? またお父様からの『狩りに来い』という脅迫状?」
「……いや。……今朝、王宮から届いた公式の書状だ。……送り主は、ウィルフレッド殿下だ」
私は飲んでいたハーブティーを危うく吹き出しそうになった。
「……殿下!? まだ懲りていらっしゃいませんの? 今度は何の嫌がらせ? 『俺の美しさを讃える歌を百曲作れ』とか?」
「……いや、それ以上の代物だ。……読むか?」
私は嫌な予感を抱きつつ、クラウス様から封筒を受け取った。
封蝋には王子の家紋ではなく、なぜか「鏡に映る自分の顔」を模したと思われる、極めて趣味の悪い紋章が押されていた。
中から出てきたのは、金粉がこれでもかと振り撒かれた、目が痛くなるほど豪華な便箋だった。
『親愛なるミカへ。いや、俺という光を失い、闇の中に沈んでいる哀れな女よ』
「……一文目から読むのをやめたくなりますわね」
『お前が俺を拒み、あの鉄仮面の男を選んだのは、やはり俺の輝きが強すぎたからだろう。俺ほどの太陽が傍にいては、月であるお前は消えてしまう……。その謙虚な愛、今ならば理解できる』
「……脳内変換が凄まじいですわ。……どうしてそうなるのかしら」
『俺は決意した。俺の美しさは、もはや特定の女一人のものではない。俺は今、王宮の最上階に鏡張りの「真実の間」を作り、そこで一日二十時間、自分自身と対話する修行に入っている。この美しさを永遠に保存するため、俺は今後、一切の社交を断つことにした。……悔しかろうが、お前は俺の肖像画(別封で百枚送る)を見て、余生を過ごすしがいい。さらばだ、俺という伝説よ』
手紙を読み終えた私は、静かにそれを畳み、クラウス様に返した。
「……クラウス様。……これ、燃やしてよろしいかしら」
「……ああ。……ついでに、百枚届いた肖像画も、冬の暖炉の焚き付けに活用させてもらおう」
「……名案ですわ。……それにしても、自分自身と二十時間の対話って……。殿下、ついに解脱されましたわね」
「……ある意味では、王国で一番平和な解決策かもしれないな。……あの方が鏡の部屋から出てこない限り、被害者は誰も出ない」
クラウス様が珍しく皮肉を言わずに、心底ホッとしたような溜息を吐いた。
王位継承権は弟君に移り、殿下は「美の隠者」として、伝説(という名の笑い草)になることが決まったらしい。
「……これで本当に、邪魔者は誰もいなくなりましたわね。……ルル様は牛と戯れ、殿下は自分と見つめ合い、お父様は元気に狩りへ行き……」
「……そして私たちは、ここでこうして、お前が飽きるまでダラダラとする」
クラウス様が私の手を握り、その指先に優しくキスをした。
その瞳は、王子のどんな肖像画よりもずっと深く、優しく輝いている。
「……ミカ。……幸せか?」
「……ええ。……これ以上の幸せがあるとしたら、今ここで、あと三時間ほど二度寝をすることくらいですわ」
「……なら、寝ろ。……私が、お前の夢に誰も侵入させないよう、ここで見張っていてやる」
私は、彼の言葉に甘えて目を閉じた。
風に揺れる木の葉の音。遠くで聞こえる鳥のさえずり。
悪役令嬢、婚約破棄、更生プログラム……。
騒がしかった私の人生は、最高の「居眠り」と共に、穏やかなフィナーレを迎えようとしていた。
「……おやすみなさい、クラウス様。……大好きですわよ」
「……ああ。……おやすみ、私の愛しい干物令嬢」
私は、彼の温もりに包まれながら、深い、深い眠りへと落ちていった。
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