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「……はぁ。カレン、世の中というのはどうしてこうも不条理なのでしょう」
私は街一番の高級カフェで、最高級のモンブランを突き崩しながら溜息をつきました。
王妃陛下を浮気相手と勘違いしたあの日から、私の「嫉妬深い一途な令嬢」という噂は、王宮のみならず市井にまで広まってしまいました。
おかげで、街を歩けば「あの方がアスター殿下の愛の女神様ね」なんて指を差される始末。悪役令嬢への道は、もはや霧の彼方ですわ。
「お嬢様、モンブランの上の栗をそんなに執拗に砕かないでください。栗に罪はありません」
カレンが冷めた目で見つめてきます。
「だって! あのアスター様、あれからというもの、隙あらば私を抱きしめて『そんなに僕を独占したいなんて……。分かったよ、これからは一分一秒、君のそばを離れないようにするね』なんて、耳元で囁くんですのよ!」
「結構なことではありませんか。愛されている証拠です」
「過剰なんですの! 愛が物理的に重いですわ! 私はあの方の『浮気』の決定的証拠を掴んで、この首の皮一枚で繋がっている婚約という名の鎖を断ち切りたいだけなんです!」
「お嬢様、その『浮気』という前提が、そもそもお嬢様の被害妄想である可能性については、いつ頃ご検討いただけますか?」
「妄想じゃありませんわ! 見てなさい、あんなキラキラした男、絶対にどこかでボロを出しますわ……。……ん?」
窓の外のテラス席。ふと視線を向けた先に、見覚えのある「輝き」が座っていました。
アスター様です。
「……カレン、見て。あの方、今日も今日とて公務だと仰って私のお誘いを断ったはずなのに、なぜあんなところに……」
私の声が少し震えました。アスター様の隣には、私などよりもずっと大人っぽくて、艶やかな黒髪を持った絶世の美女が座っていたのです。
「あら。殿下ですね。お隣の女性……確かに、王宮で見かける令嬢たちとは雰囲気が違います。モデルか、あるいは……」
「……あんなに、楽しそうに笑って」
アスター様は、私の前で見せる「聖人の笑顔」とは少し違う、もっとリラックスした、親しげな様子で彼女と話し込んでいました。
時折、彼女がアスター様の肩に軽く触れる。彼はそれを拒むどころか、嬉しそうに彼女の手に自分の手を重ね……。
「…………」
何かが、胸の奥をチクッと刺しました。
それは、悪役令嬢として「証拠を見つけた!」という喜びではありません。
もっとドロドロとしていて、冷たくて、呼吸が苦しくなるような……。
「お嬢様? どうされました。双眼鏡を取り出して『浮気だー!』と叫ばないのですか?」
カレンが覗き込んできましたが、私はフォークを握ったまま、動けなくなっていました。
「……もういいですわ。帰りましょう、カレン」
「え? 乗り込まないのですか? 今こそ絶好のチャンス、あの方を糾弾して婚約破棄を突きつける絶好の場面ですよ」
「……今日は、そんな気分になれませんの。なんだか、お腹がいっぱいになってしまいましたわ」
私は一口も食べていないモンブランを残したまま、立ち上がりました。
あのアスター様の笑顔。
私以外にも、あんな顔を見せるんですのね。
分かっていたはずですわ。あの方は人気者で、誰にでも優しくて。私だけが特別だなんて、思っていたわけじゃないけれど。
でも。
「……お嬢様。……もしや、本当に傷ついていらっしゃいますか?」
カレンの声が、いつになく柔らかくなりました。
「傷つく? まさか。私は嬉しいんですのよ。これでようやく、あの方を悪者にしてお別れできますわ。……そう、ようやく自由になれるんです。……オーッホッホッホ……」
自分で自分の笑い声が、ひどく掠れているのが分かりました。
カフェを出て、馬車に乗り込むまでの間、私は一度も振り返りませんでした。
振り返ったら、あの二人の幸せそうな光景に、私の「悪役」という仮面が剥がれ落ちてしまいそうだったから。
公爵邸に戻っても、私は自室に引きこもりました。
いつもなら「次こそは!」と作戦会議を開くはずなのに、今は何も考えたくありません。
「……何よ、あの人。あんなに鼻の下を伸ばして。……浮気、不潔、最低ですわ」
枕に顔を埋めて、私は独り言を呟きました。
「……婚約破棄、できるじゃない。計画通りじゃない。……なのに、どうしてこんなに涙が出るのかしら」
前世の記憶なんてなくても、この痛みだけはよく分かります。
これは、悪役令嬢が感じるべき感情ではありません。
ただの、恋に破れた一人の少女の痛みです。
「……いいえ、違うわ! これは、あの方が私という公爵令嬢をコケにしたことに対する、憤りの涙ですわ! そうです、私は怒っているんですの!」
私はガバッと起き上がると、鏡の中の自分を睨みつけました。
目は赤く腫れ、鼻の頭も赤くなっています。全然、悪役っぽくありません。
「……決めたわ。明日、もう一度あの二人を確認しに行きます。そして、今度こそ二人まとめて、私の高笑いで叩きのめしてやりますわ!」
私は震える拳を握りしめました。
……でも、本当は。
アスター様。あなたの口から、否定してほしかった。
「あれは浮気じゃない」って、いつものように呆れるくらいの情熱で、私を安心させてほしかった……。
そんな弱音を、私は心の奥底の、一番深い場所に隠しました。
私は悪役令嬢。
王子に捨てられる前に、王子を捨てる女なんですから。
その夜、私は人生で一番、苦い紅茶を飲みました。
私は街一番の高級カフェで、最高級のモンブランを突き崩しながら溜息をつきました。
王妃陛下を浮気相手と勘違いしたあの日から、私の「嫉妬深い一途な令嬢」という噂は、王宮のみならず市井にまで広まってしまいました。
おかげで、街を歩けば「あの方がアスター殿下の愛の女神様ね」なんて指を差される始末。悪役令嬢への道は、もはや霧の彼方ですわ。
「お嬢様、モンブランの上の栗をそんなに執拗に砕かないでください。栗に罪はありません」
カレンが冷めた目で見つめてきます。
「だって! あのアスター様、あれからというもの、隙あらば私を抱きしめて『そんなに僕を独占したいなんて……。分かったよ、これからは一分一秒、君のそばを離れないようにするね』なんて、耳元で囁くんですのよ!」
「結構なことではありませんか。愛されている証拠です」
「過剰なんですの! 愛が物理的に重いですわ! 私はあの方の『浮気』の決定的証拠を掴んで、この首の皮一枚で繋がっている婚約という名の鎖を断ち切りたいだけなんです!」
「お嬢様、その『浮気』という前提が、そもそもお嬢様の被害妄想である可能性については、いつ頃ご検討いただけますか?」
「妄想じゃありませんわ! 見てなさい、あんなキラキラした男、絶対にどこかでボロを出しますわ……。……ん?」
窓の外のテラス席。ふと視線を向けた先に、見覚えのある「輝き」が座っていました。
アスター様です。
「……カレン、見て。あの方、今日も今日とて公務だと仰って私のお誘いを断ったはずなのに、なぜあんなところに……」
私の声が少し震えました。アスター様の隣には、私などよりもずっと大人っぽくて、艶やかな黒髪を持った絶世の美女が座っていたのです。
「あら。殿下ですね。お隣の女性……確かに、王宮で見かける令嬢たちとは雰囲気が違います。モデルか、あるいは……」
「……あんなに、楽しそうに笑って」
アスター様は、私の前で見せる「聖人の笑顔」とは少し違う、もっとリラックスした、親しげな様子で彼女と話し込んでいました。
時折、彼女がアスター様の肩に軽く触れる。彼はそれを拒むどころか、嬉しそうに彼女の手に自分の手を重ね……。
「…………」
何かが、胸の奥をチクッと刺しました。
それは、悪役令嬢として「証拠を見つけた!」という喜びではありません。
もっとドロドロとしていて、冷たくて、呼吸が苦しくなるような……。
「お嬢様? どうされました。双眼鏡を取り出して『浮気だー!』と叫ばないのですか?」
カレンが覗き込んできましたが、私はフォークを握ったまま、動けなくなっていました。
「……もういいですわ。帰りましょう、カレン」
「え? 乗り込まないのですか? 今こそ絶好のチャンス、あの方を糾弾して婚約破棄を突きつける絶好の場面ですよ」
「……今日は、そんな気分になれませんの。なんだか、お腹がいっぱいになってしまいましたわ」
私は一口も食べていないモンブランを残したまま、立ち上がりました。
あのアスター様の笑顔。
私以外にも、あんな顔を見せるんですのね。
分かっていたはずですわ。あの方は人気者で、誰にでも優しくて。私だけが特別だなんて、思っていたわけじゃないけれど。
でも。
「……お嬢様。……もしや、本当に傷ついていらっしゃいますか?」
カレンの声が、いつになく柔らかくなりました。
「傷つく? まさか。私は嬉しいんですのよ。これでようやく、あの方を悪者にしてお別れできますわ。……そう、ようやく自由になれるんです。……オーッホッホッホ……」
自分で自分の笑い声が、ひどく掠れているのが分かりました。
カフェを出て、馬車に乗り込むまでの間、私は一度も振り返りませんでした。
振り返ったら、あの二人の幸せそうな光景に、私の「悪役」という仮面が剥がれ落ちてしまいそうだったから。
公爵邸に戻っても、私は自室に引きこもりました。
いつもなら「次こそは!」と作戦会議を開くはずなのに、今は何も考えたくありません。
「……何よ、あの人。あんなに鼻の下を伸ばして。……浮気、不潔、最低ですわ」
枕に顔を埋めて、私は独り言を呟きました。
「……婚約破棄、できるじゃない。計画通りじゃない。……なのに、どうしてこんなに涙が出るのかしら」
前世の記憶なんてなくても、この痛みだけはよく分かります。
これは、悪役令嬢が感じるべき感情ではありません。
ただの、恋に破れた一人の少女の痛みです。
「……いいえ、違うわ! これは、あの方が私という公爵令嬢をコケにしたことに対する、憤りの涙ですわ! そうです、私は怒っているんですの!」
私はガバッと起き上がると、鏡の中の自分を睨みつけました。
目は赤く腫れ、鼻の頭も赤くなっています。全然、悪役っぽくありません。
「……決めたわ。明日、もう一度あの二人を確認しに行きます。そして、今度こそ二人まとめて、私の高笑いで叩きのめしてやりますわ!」
私は震える拳を握りしめました。
……でも、本当は。
アスター様。あなたの口から、否定してほしかった。
「あれは浮気じゃない」って、いつものように呆れるくらいの情熱で、私を安心させてほしかった……。
そんな弱音を、私は心の奥底の、一番深い場所に隠しました。
私は悪役令嬢。
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その夜、私は人生で一番、苦い紅茶を飲みました。
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