謹んで、婚約破棄をお受けいたします。

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
3 / 28

3

しおりを挟む
婚約破棄の翌朝。
マーブルは、ここ数年感じたことがないほどの、爽快な気分で目を覚ました。

小鳥のさえずりが、窓の外から聞こえる。カーテンの隙間から差し込む朝日は、昨日よりも、ずっと輝いて見える。

「……ああ、なんて素晴らしい朝なのかしら」

ベッドの上で大きく伸びをしながら、マーブルは心から呟いた。
いつもなら、この時間にはもう侍女たちが叩き起こしに来て、矢継ぎ早に朝の支度をさせられ、うんざりする妃教育の授業へと送り出される頃だ。

しかし、今日は誰も来ない。
婚約者でなくなった今、マーブルに妃教育は必要ない。昨日、父が早々に王宮へ連絡し、全ての授業をキャンセルしてくれたのだ。

「自由……!なんて、甘美な響き……!」

ベッドから飛び起きたマーブルは、くるりと一回転してみせる。
昨日までの自分は、鳥かごの中にいた。今は、その扉が開かれ、どこへでも飛んでいける。

さて、何をしようか。
刺繍?読書?庭の散策?
どれも悪くないが、記念すべき自由の初日には、もっと特別なことをしたい。

マーブルの頭に、長年抱き続けてきた、ささやかな夢が思い浮かんだ。
彼女は、にやりと口角を上げると、部屋の呼び鈴を鳴らした。

すぐに扉がノックされ、侍女のリリーが入ってくる。

「おはようございます、お嬢様。よくお眠りになれましたか?」

「ええ、最高に。ところでリリー、今日は予定が全くないのだけれど」

「はい。旦那様が、しばらくはゆっくりお休みください、と」

「そう。だからわたくし、長年の夢を叶えようと思うの」

マーブルは、目を輝かせながら、リリーの手をぎゅっと握った。

「城下町へ、お忍びで遊びに行きたいの!」

「……はい、かしこま……ええええっ!?」

リリーの素っ頓狂な声が、静かな朝の部屋に響き渡った。

「な、何を仰っているのですかお嬢様!城下町ですって!?お忍びで!?」

「そうよ。貴族の格好では目立ってしまうから、平民の服を着て。目的はただ一つ……、食べ歩きよ!」

マーブルがうっとりと言うと、リリーは頭を抱えた。

「なりません!絶対になりません!ただでさえ、昨日の今日で、お嬢様の噂は都中に広まっているはずです!そんな時に、もし誰かにお顔を見られたりしたら……!」

「大丈夫よ。顔はフードで隠すし、それに『悪役令嬢マーブル』が、みすぼらしい格好で串焼きを頬張っているなんて、誰も想像しないわ」

「想像以前の問題です!危険すぎます!」

必死に食い下がるリリーに、マーブルはとっておきの切り札を出すことにした。
わざとらしく、はあ、と深いため息をついてみせる。

「……そう。リリーがそう言うのなら、仕方ないわね。わたくしの、ささやかな夢だったのだけれど……」

マーブルは、悲劇のヒロインのように、窓の外へ視線を送る。

「公爵令嬢に生まれたからには、好きなものを好きな場所で食べることも許されない。わたくしは、このお屋敷という名の鳥かごで、一生を終えるのね……。ああ、哀れなマーブル……」

「う……」

「いいのよ、リリー。あなたは悪くないわ。わたくしのために言ってくれているのだもの。ただ、一度でいいから、あの焼きたてのパンの匂いや、肉汁滴るソーセージの味を、この舌で確かめてみたかった……」

「…………」

「もういいの。忘れてちょうだい。さあ、今日の紅茶は……」

「……わかりました!わかりましたから、そんな悲しい顔をなさらないでください!」

リリーが、根負けしたように叫んだ。

「わたくしがお供します!お嬢様の護衛は、このリリーが、命に代えても!」

「まあ、本当!?ありがとう、リリー!大好きよ!」

マーブルは、満面の笑みでリリーに抱きついた。リリーは「はあ……」と深いため息をつきながらも、その顔は、どこか呆れつつ、優しかった。

計画は、とんとん拍子で進んだ。
マーブルが密かに用意していた、質素だが動きやすい町娘の服に着替える。動き回るたびに擦れるドレスの裾や、締め付けられるコルセットがないだけで、体が羽のように軽い。

「まあ、お嬢様。案外、お似合いですわ」

「あなたもね、リリー」

二人は顔を見合わせてくすくすと笑い、人目を避けて屋敷の裏口から、こっそりと抜け出した。

初めて一人で(リリーはいるが)歩く城下町は、マーブルの想像を遥かに超えて、活気に満ち溢れていた。

「すごい……!」

石畳の道を、荷馬車がガラガラと音を立てて通り過ぎる。道の両脇には露店がずらりと並び、威勢のいい呼び込みの声が飛び交っている。香ばしいパンの焼ける匂い、スパイスの効いた煮込み料理の匂い、果物の甘酸っぱい匂い。その全てが、マーブルの心を躍らせた。

「リリー、見て!あの串に刺さったお肉!」

「あれは『オーク串』ですね。冒険者の方々が、好んで食べるそうですよ」

「あちらの赤い果物は?」

「リンゴ飴ですわ。お子様に人気のお菓子で……。きゃっ!お嬢様、いきなり走り出さないでください!」

リリーの制止も聞かず、マーブルは一目散に『オーク串』の露店へと駆け寄った。

「おじさん!これ、一本ちょうだい!」

「へい、お嬢ちゃん!毎度あり!」

銀貨を一枚渡し、ずっしりと重い串焼きを受け取る。こんがりと焼かれた肉の塊からは湯気と共に食欲をそそる匂いが立ち上っていた。

マーブルは、ごくりと喉を鳴らし思いっきりかぶりついた。

「――っ!おいしい……!」

口の中に、熱い肉汁と甘辛いタレの味がじゅわっと広がる。少し硬いが、噛めば噛むほど旨味が出てくる。行儀も作法も関係ない。ただ本能のままに味わう。

公爵家の食卓に並ぶどんな高級料理よりも、それは美味しく感じられた。

「リリー!あなたも!」

「わ、わたくしは結構です!」

「遠慮しないで!さあ!」

マーペットは、目をきらきらと輝かせながら、活気あふれる市場の奥へとリリーの手を引いて進んでいく。
長年の夢が、今、最高の形で叶った瞬間だった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

公爵家の家政を10年回した私が出ていったら、3ヶ月で領地が破綻しました

歩人
ファンタジー
エレナは公爵家に嫁いで10年、夫は愛人に入れ込み、義母には「家政婦代わり」と 罵られた。だが領地の財務も、商会との交渉も、使用人の管理も、全部エレナが やっていた。ある日、義母から「あなたの代わりなんていくらでもいる」と言われ、 エレナは静かに離縁届を出した。「では、代わりの方にお任せください」 辺境の町で小さな商会を開いたエレナ。10年間の実務経験は伊達ではなかった。 商会はたちまち繁盛する。一方、エレナがいなくなった公爵家は3ヶ月で経営破綻。 元夫が「戻ってこい」と泣きつくが—— 「お断りです。あと、10年分の未払い給金を請求いたしますね」

婚約破棄されたけど、どうして王子が泣きながら戻ってくるんですか?

ほーみ
恋愛
「――よって、リリアーヌ・アルフェン嬢との婚約は、ここに破棄とする!」  華やかな夜会の真っ最中。  王子の口から堂々と告げられたその言葉に、場は静まり返った。 「……あ、そうなんですね」  私はにこやかにワイングラスを口元に運ぶ。周囲の貴族たちがどよめく中、口をぽかんと開けたままの王子に、私は笑顔でさらに一言添えた。 「で? 次のご予定は?」 「……は?」

婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?

ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」  華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。  目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。  ──あら、デジャヴ? 「……なるほど」

私を見下していた婚約者が破滅する未来が見えましたので、静かに離縁いたします

ほーみ
恋愛
 その日、私は十六歳の誕生日を迎えた。  そして目を覚ました瞬間――未来の記憶を手に入れていた。  冷たい床に倒れ込んでいる私の姿。  誰にも手を差し伸べられることなく、泥水をすするように生きる未来。  それだけなら、まだ耐えられたかもしれない。  だが、彼の言葉は、決定的だった。 「――君のような役立たずが、僕の婚約者だったことが恥ずかしい」

悪役令嬢ですが、今日も元婚約者とヒロインにざまぁされました(なお、全員私を溺愛しています)

ほーみ
恋愛
「レティシア・エルフォード! お前との婚約は破棄する!」  王太子アレクシス・ヴォルフェンがそう宣言した瞬間、広間はざわめいた。私は静かに紅茶を口にしながら、その言葉を聞き流す。どうやら、今日もまた「ざまぁ」される日らしい。  ここは王宮の舞踏会場。華やかな装飾と甘い香りが漂う中、私はまたしても断罪劇の主役に据えられていた。目の前では、王太子が優雅に微笑みながら、私に婚約破棄を突きつけている。その隣には、栗色の髪をふわりと揺らした少女――リリア・エヴァンスが涙ぐんでいた。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

「身分が違う」って言ったのはそっちでしょ?今さら泣いても遅いです

ほーみ
恋愛
 「お前のような平民と、未来を共にできるわけがない」  その言葉を最後に、彼は私を冷たく突き放した。  ──王都の学園で、私は彼と出会った。  彼の名はレオン・ハイゼル。王国の名門貴族家の嫡男であり、次期宰相候補とまで呼ばれる才子。  貧しい出自ながら奨学生として入学した私・リリアは、最初こそ彼に軽んじられていた。けれど成績で彼を追い抜き、共に課題をこなすうちに、いつしか惹かれ合うようになったのだ。

婚約破棄?はい、どうぞお好きに!悪役令嬢は忙しいんです

ほーみ
恋愛
 王国アスティリア最大の劇場──もとい、王立学園の大講堂にて。  本日上演されるのは、わたくしリリアーナ・ヴァレンティアを断罪する、王太子殿下主催の茶番劇である。  壇上には、舞台の主役を気取った王太子アレクシス。その隣には、純白のドレスをひらつかせた侯爵令嬢エリーナ。  そして観客席には、好奇心で目を輝かせる学生たち。ざわめき、ひそひそ声、侮蔑の視線。  ふふ……完璧な舞台準備ね。 「リリアーナ・ヴァレンティア! そなたの悪行はすでに暴かれた!」  王太子の声が響く。

処理中です...