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婚約破棄の翌朝。
マーブルは、ここ数年感じたことがないほどの、爽快な気分で目を覚ました。
小鳥のさえずりが、窓の外から聞こえる。カーテンの隙間から差し込む朝日は、昨日よりも、ずっと輝いて見える。
「……ああ、なんて素晴らしい朝なのかしら」
ベッドの上で大きく伸びをしながら、マーブルは心から呟いた。
いつもなら、この時間にはもう侍女たちが叩き起こしに来て、矢継ぎ早に朝の支度をさせられ、うんざりする妃教育の授業へと送り出される頃だ。
しかし、今日は誰も来ない。
婚約者でなくなった今、マーブルに妃教育は必要ない。昨日、父が早々に王宮へ連絡し、全ての授業をキャンセルしてくれたのだ。
「自由……!なんて、甘美な響き……!」
ベッドから飛び起きたマーブルは、くるりと一回転してみせる。
昨日までの自分は、鳥かごの中にいた。今は、その扉が開かれ、どこへでも飛んでいける。
さて、何をしようか。
刺繍?読書?庭の散策?
どれも悪くないが、記念すべき自由の初日には、もっと特別なことをしたい。
マーブルの頭に、長年抱き続けてきた、ささやかな夢が思い浮かんだ。
彼女は、にやりと口角を上げると、部屋の呼び鈴を鳴らした。
すぐに扉がノックされ、侍女のリリーが入ってくる。
「おはようございます、お嬢様。よくお眠りになれましたか?」
「ええ、最高に。ところでリリー、今日は予定が全くないのだけれど」
「はい。旦那様が、しばらくはゆっくりお休みください、と」
「そう。だからわたくし、長年の夢を叶えようと思うの」
マーブルは、目を輝かせながら、リリーの手をぎゅっと握った。
「城下町へ、お忍びで遊びに行きたいの!」
「……はい、かしこま……ええええっ!?」
リリーの素っ頓狂な声が、静かな朝の部屋に響き渡った。
「な、何を仰っているのですかお嬢様!城下町ですって!?お忍びで!?」
「そうよ。貴族の格好では目立ってしまうから、平民の服を着て。目的はただ一つ……、食べ歩きよ!」
マーブルがうっとりと言うと、リリーは頭を抱えた。
「なりません!絶対になりません!ただでさえ、昨日の今日で、お嬢様の噂は都中に広まっているはずです!そんな時に、もし誰かにお顔を見られたりしたら……!」
「大丈夫よ。顔はフードで隠すし、それに『悪役令嬢マーブル』が、みすぼらしい格好で串焼きを頬張っているなんて、誰も想像しないわ」
「想像以前の問題です!危険すぎます!」
必死に食い下がるリリーに、マーブルはとっておきの切り札を出すことにした。
わざとらしく、はあ、と深いため息をついてみせる。
「……そう。リリーがそう言うのなら、仕方ないわね。わたくしの、ささやかな夢だったのだけれど……」
マーブルは、悲劇のヒロインのように、窓の外へ視線を送る。
「公爵令嬢に生まれたからには、好きなものを好きな場所で食べることも許されない。わたくしは、このお屋敷という名の鳥かごで、一生を終えるのね……。ああ、哀れなマーブル……」
「う……」
「いいのよ、リリー。あなたは悪くないわ。わたくしのために言ってくれているのだもの。ただ、一度でいいから、あの焼きたてのパンの匂いや、肉汁滴るソーセージの味を、この舌で確かめてみたかった……」
「…………」
「もういいの。忘れてちょうだい。さあ、今日の紅茶は……」
「……わかりました!わかりましたから、そんな悲しい顔をなさらないでください!」
リリーが、根負けしたように叫んだ。
「わたくしがお供します!お嬢様の護衛は、このリリーが、命に代えても!」
「まあ、本当!?ありがとう、リリー!大好きよ!」
マーブルは、満面の笑みでリリーに抱きついた。リリーは「はあ……」と深いため息をつきながらも、その顔は、どこか呆れつつ、優しかった。
計画は、とんとん拍子で進んだ。
マーブルが密かに用意していた、質素だが動きやすい町娘の服に着替える。動き回るたびに擦れるドレスの裾や、締め付けられるコルセットがないだけで、体が羽のように軽い。
「まあ、お嬢様。案外、お似合いですわ」
「あなたもね、リリー」
二人は顔を見合わせてくすくすと笑い、人目を避けて屋敷の裏口から、こっそりと抜け出した。
初めて一人で(リリーはいるが)歩く城下町は、マーブルの想像を遥かに超えて、活気に満ち溢れていた。
「すごい……!」
石畳の道を、荷馬車がガラガラと音を立てて通り過ぎる。道の両脇には露店がずらりと並び、威勢のいい呼び込みの声が飛び交っている。香ばしいパンの焼ける匂い、スパイスの効いた煮込み料理の匂い、果物の甘酸っぱい匂い。その全てが、マーブルの心を躍らせた。
「リリー、見て!あの串に刺さったお肉!」
「あれは『オーク串』ですね。冒険者の方々が、好んで食べるそうですよ」
「あちらの赤い果物は?」
「リンゴ飴ですわ。お子様に人気のお菓子で……。きゃっ!お嬢様、いきなり走り出さないでください!」
リリーの制止も聞かず、マーブルは一目散に『オーク串』の露店へと駆け寄った。
「おじさん!これ、一本ちょうだい!」
「へい、お嬢ちゃん!毎度あり!」
銀貨を一枚渡し、ずっしりと重い串焼きを受け取る。こんがりと焼かれた肉の塊からは湯気と共に食欲をそそる匂いが立ち上っていた。
マーブルは、ごくりと喉を鳴らし思いっきりかぶりついた。
「――っ!おいしい……!」
口の中に、熱い肉汁と甘辛いタレの味がじゅわっと広がる。少し硬いが、噛めば噛むほど旨味が出てくる。行儀も作法も関係ない。ただ本能のままに味わう。
公爵家の食卓に並ぶどんな高級料理よりも、それは美味しく感じられた。
「リリー!あなたも!」
「わ、わたくしは結構です!」
「遠慮しないで!さあ!」
マーペットは、目をきらきらと輝かせながら、活気あふれる市場の奥へとリリーの手を引いて進んでいく。
長年の夢が、今、最高の形で叶った瞬間だった。
マーブルは、ここ数年感じたことがないほどの、爽快な気分で目を覚ました。
小鳥のさえずりが、窓の外から聞こえる。カーテンの隙間から差し込む朝日は、昨日よりも、ずっと輝いて見える。
「……ああ、なんて素晴らしい朝なのかしら」
ベッドの上で大きく伸びをしながら、マーブルは心から呟いた。
いつもなら、この時間にはもう侍女たちが叩き起こしに来て、矢継ぎ早に朝の支度をさせられ、うんざりする妃教育の授業へと送り出される頃だ。
しかし、今日は誰も来ない。
婚約者でなくなった今、マーブルに妃教育は必要ない。昨日、父が早々に王宮へ連絡し、全ての授業をキャンセルしてくれたのだ。
「自由……!なんて、甘美な響き……!」
ベッドから飛び起きたマーブルは、くるりと一回転してみせる。
昨日までの自分は、鳥かごの中にいた。今は、その扉が開かれ、どこへでも飛んでいける。
さて、何をしようか。
刺繍?読書?庭の散策?
どれも悪くないが、記念すべき自由の初日には、もっと特別なことをしたい。
マーブルの頭に、長年抱き続けてきた、ささやかな夢が思い浮かんだ。
彼女は、にやりと口角を上げると、部屋の呼び鈴を鳴らした。
すぐに扉がノックされ、侍女のリリーが入ってくる。
「おはようございます、お嬢様。よくお眠りになれましたか?」
「ええ、最高に。ところでリリー、今日は予定が全くないのだけれど」
「はい。旦那様が、しばらくはゆっくりお休みください、と」
「そう。だからわたくし、長年の夢を叶えようと思うの」
マーブルは、目を輝かせながら、リリーの手をぎゅっと握った。
「城下町へ、お忍びで遊びに行きたいの!」
「……はい、かしこま……ええええっ!?」
リリーの素っ頓狂な声が、静かな朝の部屋に響き渡った。
「な、何を仰っているのですかお嬢様!城下町ですって!?お忍びで!?」
「そうよ。貴族の格好では目立ってしまうから、平民の服を着て。目的はただ一つ……、食べ歩きよ!」
マーブルがうっとりと言うと、リリーは頭を抱えた。
「なりません!絶対になりません!ただでさえ、昨日の今日で、お嬢様の噂は都中に広まっているはずです!そんな時に、もし誰かにお顔を見られたりしたら……!」
「大丈夫よ。顔はフードで隠すし、それに『悪役令嬢マーブル』が、みすぼらしい格好で串焼きを頬張っているなんて、誰も想像しないわ」
「想像以前の問題です!危険すぎます!」
必死に食い下がるリリーに、マーブルはとっておきの切り札を出すことにした。
わざとらしく、はあ、と深いため息をついてみせる。
「……そう。リリーがそう言うのなら、仕方ないわね。わたくしの、ささやかな夢だったのだけれど……」
マーブルは、悲劇のヒロインのように、窓の外へ視線を送る。
「公爵令嬢に生まれたからには、好きなものを好きな場所で食べることも許されない。わたくしは、このお屋敷という名の鳥かごで、一生を終えるのね……。ああ、哀れなマーブル……」
「う……」
「いいのよ、リリー。あなたは悪くないわ。わたくしのために言ってくれているのだもの。ただ、一度でいいから、あの焼きたてのパンの匂いや、肉汁滴るソーセージの味を、この舌で確かめてみたかった……」
「…………」
「もういいの。忘れてちょうだい。さあ、今日の紅茶は……」
「……わかりました!わかりましたから、そんな悲しい顔をなさらないでください!」
リリーが、根負けしたように叫んだ。
「わたくしがお供します!お嬢様の護衛は、このリリーが、命に代えても!」
「まあ、本当!?ありがとう、リリー!大好きよ!」
マーブルは、満面の笑みでリリーに抱きついた。リリーは「はあ……」と深いため息をつきながらも、その顔は、どこか呆れつつ、優しかった。
計画は、とんとん拍子で進んだ。
マーブルが密かに用意していた、質素だが動きやすい町娘の服に着替える。動き回るたびに擦れるドレスの裾や、締め付けられるコルセットがないだけで、体が羽のように軽い。
「まあ、お嬢様。案外、お似合いですわ」
「あなたもね、リリー」
二人は顔を見合わせてくすくすと笑い、人目を避けて屋敷の裏口から、こっそりと抜け出した。
初めて一人で(リリーはいるが)歩く城下町は、マーブルの想像を遥かに超えて、活気に満ち溢れていた。
「すごい……!」
石畳の道を、荷馬車がガラガラと音を立てて通り過ぎる。道の両脇には露店がずらりと並び、威勢のいい呼び込みの声が飛び交っている。香ばしいパンの焼ける匂い、スパイスの効いた煮込み料理の匂い、果物の甘酸っぱい匂い。その全てが、マーブルの心を躍らせた。
「リリー、見て!あの串に刺さったお肉!」
「あれは『オーク串』ですね。冒険者の方々が、好んで食べるそうですよ」
「あちらの赤い果物は?」
「リンゴ飴ですわ。お子様に人気のお菓子で……。きゃっ!お嬢様、いきなり走り出さないでください!」
リリーの制止も聞かず、マーブルは一目散に『オーク串』の露店へと駆け寄った。
「おじさん!これ、一本ちょうだい!」
「へい、お嬢ちゃん!毎度あり!」
銀貨を一枚渡し、ずっしりと重い串焼きを受け取る。こんがりと焼かれた肉の塊からは湯気と共に食欲をそそる匂いが立ち上っていた。
マーブルは、ごくりと喉を鳴らし思いっきりかぶりついた。
「――っ!おいしい……!」
口の中に、熱い肉汁と甘辛いタレの味がじゅわっと広がる。少し硬いが、噛めば噛むほど旨味が出てくる。行儀も作法も関係ない。ただ本能のままに味わう。
公爵家の食卓に並ぶどんな高級料理よりも、それは美味しく感じられた。
「リリー!あなたも!」
「わ、わたくしは結構です!」
「遠慮しないで!さあ!」
マーペットは、目をきらきらと輝かせながら、活気あふれる市場の奥へとリリーの手を引いて進んでいく。
長年の夢が、今、最高の形で叶った瞬間だった。
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