謹んで、婚約破棄をお受けいたします。

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
4 / 28

4

しおりを挟む
「リリー、次はあれにするわ!揚げたお芋に、お砂糖をまぶしたものよ!」

「お嬢様、少し落ち着いてくださいませ!口の周りに、タレがついております!」

「そんなことは、どうでもいいのよ!」

夢にまで見た食べ歩きは、マーブルの理性を、いとも簡単に吹き飛ばした。
オーク串をあっという間に平らげると、次から次へと、新しい獲物…もとい、美味しそうな食べ物に目を輝かせる。

リリーがハンカチで口元を拭ってくれるのももどかしく、マーブルは人混みをかき分けるようにして、甘い匂いのする方へと進んでいく。
貴族の令嬢としての淑やかさなど、今は、頭の片隅にも残っていない。

(ああ、なんて素敵な世界なの!王宮の晩餐会で出される、気取っただけの料理とは大違いだわ!)

興奮のあまり、完全に、周りが見えなくなっていた。
賑やかな大通りから、少しだけ人の少ない脇道に入った、その瞬間だった。

ドンッ、という、鈍い衝撃。

「きゃっ!」

何かに、真正面からぶつかった。
それは、まるで石壁のように硬く、びくともしない。

「い……っ」

たたらを踏んだマーブルは、尻餅をつく寸前で、リリーに腕を支えられて、なんとか踏みとどまった。

「も、申し訳ございません!お怪我は……」

マーブルは、慌てて顔を上げる。
そして、自分のしでかしたことに、血の気が引くのを感じた。

目の前に立っていたのは、一人の男性だった。
背が高く、肩幅が広い。何より目を引くのは、その服装。寸分の隙もなく着こなされた、白銀を基調とした壮麗な軍服。それは、この国の治安を守る王立騎士団、それも、幹部クラスにしか許されない、特別な制服だった。

(き、騎士……!?)

しかも、ただの騎士ではない。
胸元には、数々の戦功を示すであろう勲章が、これみよがしに輝いている。

そして、マーブルは恐る恐る、その騎士の顔を見上げた。

息を呑むほどに、美しい男だった。
夜の闇を溶かしたような黒髪に、対照的なほど白い肌。まるで、彫刻家が精魂込めて彫り上げたかのような、完璧な顔立ち。だが、そのサファイアのように青い瞳は、絶対零度の光を宿し、マーブルを射抜いていた。

その顔には、見覚えがあった。
夜会などで、遠目に見かけたことがある。

アリスティード・ヴァリエ公爵。
若くして騎士団長の地位に上り詰め、『王国の守護神』と称えられる一方で、その冷徹さと容赦のなさから、『氷血公爵』と畏怖される人物。

そして今、その氷血公爵の完璧な白い制服の胸元には、先ほどマーブルが食していたオーク串のべったりとした茶色いタレの染みが無残に広がっていた。

「…………」

アリスティードは無言のまま、ゆっくりと視線を落とし、胸の染みとマーブルの顔を交互に見た。
その場の空気が、急速に凍り付いていく。

「も、も、申し訳ありません!わざとでは……!そのこの子が前を見ていなかったばかりに……!」

隣でリリーが顔面蒼白になりながら、必死で頭を下げている。
マーブルも我に返り、慌てて頭を下げた。

「た、大変、申し訳ございませんでした!」

貴族の令嬢であることがバレてはまずい。マーブルは深く被ったフードをさらに引き下げ声色を変えて謝罪する。

アリスティードは、そんな二人を冷ややかに見下ろしたままようやく口を開いた。
その声は、彼の瞳と同じように凍てつくほどに冷たい。

「……前を見て歩く、というのは幼子のうちに学ぶことだと思っていたが」

「うっ……」

正論すぎて、何も言い返せない。

「弁償しろ、とは言わん。だがこの制服は特別製でな。染み一つ許されん」

「は、はい……!も、もちろんです!クリーニング代はお支払いしますので……!」

マーブルが言うと、アリスティードはふっと嘲るように息を吐いた。

「金の話をしているのではない。……まあ、いい。二度と俺の前に現れるな」

それだけ言うと、アリスティードはもう興味を失ったというようにくるりと背を向けた。
その時、さっと風が吹きマーブルのフードが僅かにめくれ上がる。

銀色の髪が一筋、陽の光を受けてきらりと輝いた。

アリスティードの足が、ぴたりと止まる。
彼はゆっくりと振り返り、もう一度マーブルの顔を今度は値踏みするようにじろりと見た。

その鋭い視線に、マーブルの心臓がどきりと跳ねる。

(まさか、気づかれた……!?)

昨夜の、婚約破棄の騒動。その主役だった銀髪の公爵令嬢。
もし、この場で身元が割れてしまったらスキャンダルに拍車をかけるどころの話ではない。

アリスティードのサファイアの瞳が怪訝そうに細められる。

「……どこかで……」

彼が何かを言いかけたその瞬間。

「リリー!行くわよ!」

マーブルは、咄嗟にリリーの腕を掴むと脱兎のごとくその場を走り去った。

「ちょ、お嬢様!?」

リリーの悲鳴を背に、とにかく無我夢中で走る。
人混みをかき分け露店をなぎ倒しそうになりながらただひたすらに。

どれくらい、走っただろうか。
ようやく市場の喧騒から離れた路地裏で、マーブルは壁に手をつきぜえぜえと肩で息をした。

「はあ……、はあ……。ま、撒いたかしら……」

「お嬢様……。わたくし、もう心臓が止まるかと……」

リリーは、へなへなとその場に座り込んでしまった。

マーブルは、先ほどの絶対零度の視線を思い出しぶるりと身を震わせる。

(最悪だわ……!よりにもよって、あの氷血公爵に……!)

今日の食べ歩き計画は、これにて強制終了。
マーブルとリリーはほうほうの体で公爵邸へと逃げ帰ったのだった。

一方、一人残されたアリスティードは胸の染みを指でなぞりながら少女が消えた方向をじっと見つめていた。

「……銀の髪に、紫の瞳……。昨夜のデュクロワ公爵令嬢か」

噂に聞く『悪役令嬢』のイメージと、先ほどのソースまみれで慌てふためいていた少女の姿が、彼の頭の中でどうにも結びつかなかった。

「……妙な女だ」

ぽつりと呟いたその声に、いつもの冷たさはほんの少しだけ含まれていなかった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

公爵家の家政を10年回した私が出ていったら、3ヶ月で領地が破綻しました

歩人
ファンタジー
エレナは公爵家に嫁いで10年、夫は愛人に入れ込み、義母には「家政婦代わり」と 罵られた。だが領地の財務も、商会との交渉も、使用人の管理も、全部エレナが やっていた。ある日、義母から「あなたの代わりなんていくらでもいる」と言われ、 エレナは静かに離縁届を出した。「では、代わりの方にお任せください」 辺境の町で小さな商会を開いたエレナ。10年間の実務経験は伊達ではなかった。 商会はたちまち繁盛する。一方、エレナがいなくなった公爵家は3ヶ月で経営破綻。 元夫が「戻ってこい」と泣きつくが—— 「お断りです。あと、10年分の未払い給金を請求いたしますね」

婚約破棄されたけど、どうして王子が泣きながら戻ってくるんですか?

ほーみ
恋愛
「――よって、リリアーヌ・アルフェン嬢との婚約は、ここに破棄とする!」  華やかな夜会の真っ最中。  王子の口から堂々と告げられたその言葉に、場は静まり返った。 「……あ、そうなんですね」  私はにこやかにワイングラスを口元に運ぶ。周囲の貴族たちがどよめく中、口をぽかんと開けたままの王子に、私は笑顔でさらに一言添えた。 「で? 次のご予定は?」 「……は?」

婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?

ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」  華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。  目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。  ──あら、デジャヴ? 「……なるほど」

私を見下していた婚約者が破滅する未来が見えましたので、静かに離縁いたします

ほーみ
恋愛
 その日、私は十六歳の誕生日を迎えた。  そして目を覚ました瞬間――未来の記憶を手に入れていた。  冷たい床に倒れ込んでいる私の姿。  誰にも手を差し伸べられることなく、泥水をすするように生きる未来。  それだけなら、まだ耐えられたかもしれない。  だが、彼の言葉は、決定的だった。 「――君のような役立たずが、僕の婚約者だったことが恥ずかしい」

悪役令嬢ですが、今日も元婚約者とヒロインにざまぁされました(なお、全員私を溺愛しています)

ほーみ
恋愛
「レティシア・エルフォード! お前との婚約は破棄する!」  王太子アレクシス・ヴォルフェンがそう宣言した瞬間、広間はざわめいた。私は静かに紅茶を口にしながら、その言葉を聞き流す。どうやら、今日もまた「ざまぁ」される日らしい。  ここは王宮の舞踏会場。華やかな装飾と甘い香りが漂う中、私はまたしても断罪劇の主役に据えられていた。目の前では、王太子が優雅に微笑みながら、私に婚約破棄を突きつけている。その隣には、栗色の髪をふわりと揺らした少女――リリア・エヴァンスが涙ぐんでいた。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

「身分が違う」って言ったのはそっちでしょ?今さら泣いても遅いです

ほーみ
恋愛
 「お前のような平民と、未来を共にできるわけがない」  その言葉を最後に、彼は私を冷たく突き放した。  ──王都の学園で、私は彼と出会った。  彼の名はレオン・ハイゼル。王国の名門貴族家の嫡男であり、次期宰相候補とまで呼ばれる才子。  貧しい出自ながら奨学生として入学した私・リリアは、最初こそ彼に軽んじられていた。けれど成績で彼を追い抜き、共に課題をこなすうちに、いつしか惹かれ合うようになったのだ。

婚約破棄?はい、どうぞお好きに!悪役令嬢は忙しいんです

ほーみ
恋愛
 王国アスティリア最大の劇場──もとい、王立学園の大講堂にて。  本日上演されるのは、わたくしリリアーナ・ヴァレンティアを断罪する、王太子殿下主催の茶番劇である。  壇上には、舞台の主役を気取った王太子アレクシス。その隣には、純白のドレスをひらつかせた侯爵令嬢エリーナ。  そして観客席には、好奇心で目を輝かせる学生たち。ざわめき、ひそひそ声、侮蔑の視線。  ふふ……完璧な舞台準備ね。 「リリアーナ・ヴァレンティア! そなたの悪行はすでに暴かれた!」  王太子の声が響く。

処理中です...