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氷血公爵との最悪の出会いから、数日が過ぎた。
マーブルはすっかり屋敷に引きこもっていた。
あれ以来、リリーに「もう二度と城下町へのお忍びは許しません!」と固く釘を刺されてしまったのだ。
最初のうちは、読書をしたり、刺繍をしたりと、それなりに自由を満喫していた。しかし、元々じっとしているのが苦手な性分だ。三日も経てば、有り余る時間に退屈しきっていた。
(ああ、退屈だわ……。あの市場の活気が恋しい……)
一度知ってしまった、あの世界の魅力。
鉄串に刺さったジューシーな肉の味。雑多な人々の熱気。耳に心地よい喧騒。
公爵邸の静かで洗練された日常は、今のマーブルにはひどく色褪せて見えた。
「……リリー」
「はい、お嬢様。紅茶のお代わりはいかがですか?」
「それもいただくけれど、それより、相談があるの」
マーブルは、庭園を見渡せるテラス席で、神妙な顔つきで切り出した。
「もう一度だけ、城下町へ行きたいの」
「却下します」
リリーはにこやかな笑顔のまま、一刀両断にした。
「なっ……!まだ何も理由を言っていないじゃない!」
「どうせ、また食べ歩きがしたい、などという理由でしょう?この前のことをお忘れですか?あの騎士団長様と鉢合わせて、どんなに肝を冷やしたことか!」
「忘れるわけないわよ!……でも、雷が同じ場所には二度も落ちないって言うじゃない?それに、今度はもっと裏通りにある、マニアックな古書店に行きたいのよ。どうしても欲しい本があるの」
もちろん、真っ赤な嘘だ。
しかし、マーブルは必死だった。
「お願い、リリー!この通りよ!このままじゃ、わたくし、退屈で干からびてしまうわ!」
「うう……。お嬢様、そんな子供みたいなことを……」
「一生のお願い!」
結局、主人の涙ながらの(演技の)訴えに、リリーが折れた。
「本当に、本当に、これが最後ですからね!」と何度も念を押されながら、二人は再び町娘の姿に身をやつし、こっそりと屋敷を抜け出した。
今度は、前回のような大通りではなく、少し入り組んだ路地を選ぶ。
目的の古書店(というのは建前で、本当の目的は路地裏にあるという評判の焼き菓子屋)を探して、キョロキョロと辺りを見回しながら歩いていた。
人通りが少なく、少し薄暗い。建物の壁にはよく分からない落書きがされている。
リリーが、不安そうにマーブルの袖を引いた。
「お嬢様、なんだか、少し怖い雰囲気の場所ですわ……」
「大丈夫よ。きっと、この角を曲がれば……」
そう言って、角を曲がった瞬間だった。
目の前に、ぬっと二人の男が立ちはだかった。
「……!」
二人とも、柄が悪そうな、チンピラと呼ぶのが相応しい風体をしている。ニヤニヤと下品な笑みを浮かべ、マーブルとリリーを頭のてっぺんから爪先まで、舐め回すように見ていた。
「よう、お嬢ちゃんたち。こんな所で二人きりかい?危ないぜえ」
「お兄さんたちが、遊んでやろうか?」
まずい、と思った。
完全に相手を間違えた。ここは、うら若い娘が二人で来ていい場所ではなかったのだ。
「……失礼します」
マーブルはリリーの手を引き、男たちの脇をすり抜けようとする。
しかし、腕を伸ばされて行く手を阻まれた。
「まあ、そう冷たいこと言うなよ。ちょっとお茶でも付き合えって」
「嫌ですわ!離して!」
リリーが叫ぶが、男たちは面白がるだけだ。
「いいじゃねえか、減るもんじゃなし」
一人の男がマーブルの腕を掴もうと手を伸ばす。
マーブルは思わずぎゅっと目を瞑った。
その時。
「――何をしている」
凛とした、低く冷たい声が路地裏に響いた。
その声には聞き覚えがあった。
マーブルが恐る恐る目を開けると、そこには数日前に見たのと同じ白銀の騎士服が立っていた。
アリスティード・ヴァリエ。
なぜ、彼がここに。
彼はチンピラたちを一瞥すると、何の感情も浮かんでいない顔で静かに告げた。
「その者たちから、手を離せ。……衛兵を呼ぶか?」
「げっ……き、騎士団……!」
「しかも、あの制服は団長クラスの……!」
チンピラたちは、アリスティードの姿とその腰に差された見事な長剣を見て途端に顔色を変えた。
「し、失礼しやした!」
彼らは蜘蛛の子を散らすように、あっという間に逃げ去っていった。
静寂が戻った路地裏に、三人だけが残される。
アリスティードは、ゆっくりとマーブルの方へ向き直った。そのサファイアの瞳がじっと彼女を射抜く。
「……また、君か」
その声には、呆れの色が滲んでいた。
「……助けていただき、ありがとうございます」
マーブルは、不本意ながらもか細い声で礼を言った。
「礼はいい。それより、なぜこのような場所にいる。先日も言ったはずだ。公爵令嬢が一人で出歩くのは危険だと」
その言葉に、マーブルはカチンときた。
「あなたには、関係ないでしょう!」
「関係なくはない。俺は王都の治安を預かる者だ。君のような身分の者が問題に巻き込まれれば面倒なことになる」
正論だった。ぐうの音も出ない。
「……ご忠告、どうも」
ぷいっとそっぽを向くマーブルに、アリスティードは深いため息をついた。
「……次は、ないと思え」
その言葉だけを残し、彼は背を向けてコツコツと足音を響かせながら去っていった。
一人残されたマーブルは、その背中を呆然と見送る。
助けられた安堵感と、子供扱いされた苛立ちと二度も見つかってしまった羞恥心。
様々な感情がごちゃ混ぜになって胸の中がぐるぐるとかき回されるようだった。
(なんなのよ、あの男……!)
ただの「堅物で嫌な奴」というだけでは、もう片付けられなくなっていた。
マーブルは、自分の頬がほんのりと熱を持っていることにまだ気づいていなかった。
マーブルはすっかり屋敷に引きこもっていた。
あれ以来、リリーに「もう二度と城下町へのお忍びは許しません!」と固く釘を刺されてしまったのだ。
最初のうちは、読書をしたり、刺繍をしたりと、それなりに自由を満喫していた。しかし、元々じっとしているのが苦手な性分だ。三日も経てば、有り余る時間に退屈しきっていた。
(ああ、退屈だわ……。あの市場の活気が恋しい……)
一度知ってしまった、あの世界の魅力。
鉄串に刺さったジューシーな肉の味。雑多な人々の熱気。耳に心地よい喧騒。
公爵邸の静かで洗練された日常は、今のマーブルにはひどく色褪せて見えた。
「……リリー」
「はい、お嬢様。紅茶のお代わりはいかがですか?」
「それもいただくけれど、それより、相談があるの」
マーブルは、庭園を見渡せるテラス席で、神妙な顔つきで切り出した。
「もう一度だけ、城下町へ行きたいの」
「却下します」
リリーはにこやかな笑顔のまま、一刀両断にした。
「なっ……!まだ何も理由を言っていないじゃない!」
「どうせ、また食べ歩きがしたい、などという理由でしょう?この前のことをお忘れですか?あの騎士団長様と鉢合わせて、どんなに肝を冷やしたことか!」
「忘れるわけないわよ!……でも、雷が同じ場所には二度も落ちないって言うじゃない?それに、今度はもっと裏通りにある、マニアックな古書店に行きたいのよ。どうしても欲しい本があるの」
もちろん、真っ赤な嘘だ。
しかし、マーブルは必死だった。
「お願い、リリー!この通りよ!このままじゃ、わたくし、退屈で干からびてしまうわ!」
「うう……。お嬢様、そんな子供みたいなことを……」
「一生のお願い!」
結局、主人の涙ながらの(演技の)訴えに、リリーが折れた。
「本当に、本当に、これが最後ですからね!」と何度も念を押されながら、二人は再び町娘の姿に身をやつし、こっそりと屋敷を抜け出した。
今度は、前回のような大通りではなく、少し入り組んだ路地を選ぶ。
目的の古書店(というのは建前で、本当の目的は路地裏にあるという評判の焼き菓子屋)を探して、キョロキョロと辺りを見回しながら歩いていた。
人通りが少なく、少し薄暗い。建物の壁にはよく分からない落書きがされている。
リリーが、不安そうにマーブルの袖を引いた。
「お嬢様、なんだか、少し怖い雰囲気の場所ですわ……」
「大丈夫よ。きっと、この角を曲がれば……」
そう言って、角を曲がった瞬間だった。
目の前に、ぬっと二人の男が立ちはだかった。
「……!」
二人とも、柄が悪そうな、チンピラと呼ぶのが相応しい風体をしている。ニヤニヤと下品な笑みを浮かべ、マーブルとリリーを頭のてっぺんから爪先まで、舐め回すように見ていた。
「よう、お嬢ちゃんたち。こんな所で二人きりかい?危ないぜえ」
「お兄さんたちが、遊んでやろうか?」
まずい、と思った。
完全に相手を間違えた。ここは、うら若い娘が二人で来ていい場所ではなかったのだ。
「……失礼します」
マーブルはリリーの手を引き、男たちの脇をすり抜けようとする。
しかし、腕を伸ばされて行く手を阻まれた。
「まあ、そう冷たいこと言うなよ。ちょっとお茶でも付き合えって」
「嫌ですわ!離して!」
リリーが叫ぶが、男たちは面白がるだけだ。
「いいじゃねえか、減るもんじゃなし」
一人の男がマーブルの腕を掴もうと手を伸ばす。
マーブルは思わずぎゅっと目を瞑った。
その時。
「――何をしている」
凛とした、低く冷たい声が路地裏に響いた。
その声には聞き覚えがあった。
マーブルが恐る恐る目を開けると、そこには数日前に見たのと同じ白銀の騎士服が立っていた。
アリスティード・ヴァリエ。
なぜ、彼がここに。
彼はチンピラたちを一瞥すると、何の感情も浮かんでいない顔で静かに告げた。
「その者たちから、手を離せ。……衛兵を呼ぶか?」
「げっ……き、騎士団……!」
「しかも、あの制服は団長クラスの……!」
チンピラたちは、アリスティードの姿とその腰に差された見事な長剣を見て途端に顔色を変えた。
「し、失礼しやした!」
彼らは蜘蛛の子を散らすように、あっという間に逃げ去っていった。
静寂が戻った路地裏に、三人だけが残される。
アリスティードは、ゆっくりとマーブルの方へ向き直った。そのサファイアの瞳がじっと彼女を射抜く。
「……また、君か」
その声には、呆れの色が滲んでいた。
「……助けていただき、ありがとうございます」
マーブルは、不本意ながらもか細い声で礼を言った。
「礼はいい。それより、なぜこのような場所にいる。先日も言ったはずだ。公爵令嬢が一人で出歩くのは危険だと」
その言葉に、マーブルはカチンときた。
「あなたには、関係ないでしょう!」
「関係なくはない。俺は王都の治安を預かる者だ。君のような身分の者が問題に巻き込まれれば面倒なことになる」
正論だった。ぐうの音も出ない。
「……ご忠告、どうも」
ぷいっとそっぽを向くマーブルに、アリスティードは深いため息をついた。
「……次は、ないと思え」
その言葉だけを残し、彼は背を向けてコツコツと足音を響かせながら去っていった。
一人残されたマーブルは、その背中を呆然と見送る。
助けられた安堵感と、子供扱いされた苛立ちと二度も見つかってしまった羞恥心。
様々な感情がごちゃ混ぜになって胸の中がぐるぐるとかき回されるようだった。
(なんなのよ、あの男……!)
ただの「堅物で嫌な奴」というだけでは、もう片付けられなくなっていた。
マーブルは、自分の頬がほんのりと熱を持っていることにまだ気づいていなかった。
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