謹んで、婚約破棄をお受けいたします。

パリパリかぷちーの

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時が止まったようだった。
マーブルは、自分の足元に転がる、きらびやかなネックレスを、ただ見つめていた。
耳が、キーンと鳴っている。
遠くで、誰かが囁き合う声がする。『やはり、悪役令嬢だったのね』と。

どうして。
なぜ、こんなことに。
頭が、真っ白だった。

そのマーブルの絶望を、打ち砕くように。
ジュリアン王子の、勝ち誇ったような、甲高い声が響き渡った。

「言い逃れはできんぞ、マーブル!人々の目の前で、証拠ははっきりと上がった!」

ジュリアンは、マーブルを憎々しげに指差す。

「君のその腐った性根は、もはや救いようがないらしい!衛兵!この盗人を捕らえよ!デュクロワ公爵令嬢とて、王法を犯したからには、許しはせんぞ!」

王子の声に、ホールに控えていた衛兵たちが、びくりと肩を震わせ、ためらいがちに、マーブルの方へと歩を進めようとする。

(……ああ、終わった)

マーブルは、目を閉じた。
もはや、弁解の言葉も、気力も、浮かんでこない。
罠だと分かっていても、これだけ決定的な『証拠』を突きつけられては、どうしようもなかった。

衛兵の、硬い足音が、すぐそこまで迫ってくる。
マーブルが、全てを諦めようとした、その瞬間。

すっ、と。
一つの大きな影が、マーブルを覆うように、彼女の前に立った。

それは、アリスティードだった。
彼は、まるで鉄壁の城壁のように、マーブルと、彼女に敵意を向ける全世界の間に、立ちはだかったのだ。

「――お待ちください、殿下」

その声は、ジュリアンのように張り上げるものではない。
だが、静かであるがゆえに、ホール全体を支配するほどの、絶対的な圧力を宿していた。

衛兵たちの足が、ぴたりと止まる。

「……アリスティード!どけ!お前、この期に及んで、まだその女を庇う気か!」

ジュリアンが、顔を真っ赤にして怒鳴る。

「庇っているのではありません。事実を確認しているだけです」

アリスティードは、冷静に答えると、床に落ちたネックレスを一瞥した。

「あまりに、都合が良すぎるとは、お思いになりませんか」

「何だと!?」

「彼女が盗んだというのなら、なぜ、これほど衆人環視の中、しかも、自分のバッグという、最も見つかりやすい場所に隠す必要が?……あまりに稚拙な手口です。まるで、『ここを探してください』と言わんばかりに」

その的確な指摘に、会場の空気が、わずかに揺らぐ。
確かに、そうだ。公爵令嬢が盗みを働くなら、もっと巧妙な手口を使うのではないか。

「ぐっ……!こ、こいつが、僕たちを油断させるために、わざとやったに決まっている!」

ジュリアンが、苦し紛れに叫ぶ。

「黙れ、アリスティード!僕の決定に、口を挟む気か!」

「ええ、口を挟ませていただきます」

アリスティードは、はっきりとそう言った。
そして、そのサファイアの瞳で、ジュリアンを、クララを、そしてホールにいる全ての貴族たちをゆっくりと見渡した。

「この件、あまりに不審な点が多すぎる。よって、王立騎士団の名において正式な捜査を開始する」

「な……!」

ジュリアンが、息を呑む。
アリスティードは、構わずにその力強い声をホールに響き渡らせた。

「マーブル・デュクロワ嬢の無実は、この私、王立騎士団長アリスティード・ヴァリエが、必ずや証明いたします」

それは、誓いだった。
揺るぎない覚悟の言葉。

「もし、潔白を証明できなんだ時は、この身をもって、全ての責を負いましょう」

彼は、そこで一度、言葉を切った。
そして、その氷のように冷たい視線でクララの姿を一瞬だけ射抜いた。

「――しかし、もし、これが何者かの仕組んだ卑劣な罠であったと判明した暁には。その首謀者には、王家への反逆罪に等しい、最も重い罰が下されることになると、お覚悟いただく」

ひっ、と、クララの喉からかすかな悲鳴が漏れた。
彼女の顔から、血の気がさっと引いていく。
初めて、自分がとてつもなく恐ろしい相手を敵に回してしまったのだと本能で悟ったのだ。

会場は、水を打ったように静まり返っている。
もはや、誰も一言も発することができない。
アリスティードの放つ凄まじい気迫に完全に呑まれていた。

マーブルは、自分の前に立つその広い背中をただ見上げていた。
絶望の淵に差し込んだ、たった一つの力強い光。
涙がまた溢れてきた。だが、それは、先ほどの絶望の涙とは全く違う温かい涙だった。

アリスティードは、そんなマーブルにそっと手を差し伸べた。

「行くぞ」

その短い言葉が、マーブルの心にどれだけの勇気をくれたことか。
マーブルは、こくりと頷くとその大きな手を震える手でぎゅっと握り返した。

アリスティードは、マーブルの手を引きゆっくりと歩き出す。
モーゼの十戒のように、人々が道を開けていく。
誰も彼らを止めることはできない。

ジュリアンは、ただ唇を噛み締めその光景を屈辱に震えながら見送ることしかできなかった。

嵐は、まだ終わらない。
だが、もう一人ではない。

固く、固く繋がれた二つの手。
それが、これから始まる長い戦いの全てを物語っていた。
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