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森で迎えた二日目の朝。昨夜の語らいのせいか、アレンさんと顔を合わせるのが、少しだけ気恥ずかしい。
「……おはよう、リーファ嬢」
「おはようございます、アレンさん」
どこかぎこちない挨拶を交わすわたくしたちを、ヨハンが訝しげな目で見ている気がするけれど、今は目の前の問題に集中しなければ。
わたくしたちは、残された足跡を頼りに、さらに森の奥深くへと進んでいった。昨夜のうちに、わたくしとアレンさんの間には、言葉にしなくてもわかる、確かな信頼のようなものが芽生えていた。
「この先だ」
アレンさんの言葉に導かれ、険しい獣道を抜けると、目の前がぱっと開けた。そこは、陽光が降り注ぐ、穏やかな谷だった。
そして、わたくしたちは、ついに「犯人」の姿を目の当たりにした。
「あれは……!」
谷間の斜面で、数頭の巨大な獣が、のんびりと草を食んでいた。猪に似ているが、その体は牛ほども大きい。魔物というには、あまりにもその瞳は優しく、動きも穏やかだった。
「……『森喰らい』だな」
アレンさんが、低い声で呟いた。
「めったに人前に姿を見せない、幻の草食獣だ。本来は、もっと深い山奥で、ひっそりと暮らしているはずだが……」
「では、魔物ではなかったのですね……!」
ヨハンの声に、安堵の色が滲む。
「なぜ、彼らが人里の畑を?」
わたくしの問いに、アレンさんは周囲の木々を見渡しながら答えた。
「おそらく、この森で、彼らの餌が不足しているのだろう。今年は天候不順で、木の実の付きが悪いと聞く。生きるために、仕方なく人里まで下りてきた……そういうことだろう」
その言葉に、わたくしは胸が痛んだ。彼らもまた、必死だったのだ。自分たちの畑を荒らされて、腹立たしい気持ちがなかったわけではない。けれど、穏やかに草を食む彼らの姿を見ていると、その怒りはどこかへ消えてしまっていた。
「……どうする?討伐するか?」
アレンさんの言葉に、わたくしは即座に首を横に振った。
「いいえ!そんなことはできません!彼らは、何も悪くないわ」
「しかし、このままでは、また村の畑が被害に遭いますぞ」
ヨハンの心配も、もっともだ。どうすればいい?彼らを傷つけず、そして村人たちの生活も守る。そんな方法が、あるのだろうか。
わたくしは、必死に頭を働かせた。そして、一つの考えに思い至る。
「……そうだわ!彼らの新しい餌場を、作ってあげるのはどうかしら?」
「餌場……?」
「ええ。この谷から、村とは反対側の山の麓……あそこなら、人の往来もほとんどないはずよ。そこに、彼らが好む木の実がなる木を植えたり、畑を作ったりして、彼らをそちらへ誘導するの」
それは、時間も手間もかかる、気の遠くなるような計画かもしれない。けれど、これしか方法はないと思った。動物と人間が、この領地で共に生きていくための、唯一の方法だと。
わたくしの提案に、アレンさんは驚いたように目を見開いていたが、やがて、その口元に、ふっと柔らかな笑みが浮かんだ。
「……素晴らしい考えだ。力ずくで排除するのではなく、共存の道を探すか」
彼は、真っ直ぐにわたくしを見つめて言った。
「君は、真の領主だな、リーファ嬢」
その賞賛の言葉に、頬が熱くなるのを感じた。ヨハンも、最初は驚いていたが、やがて誇らしげに頷いてくれた。
「さすがです、お嬢様」
こうして、わたくしたちの方針は決まった。問題の根本的な原因と、平和的な解決策が見つかったのだ。わたくしたちは、安堵のため息をつくと、館への帰路についた。
帰り道、険しい山道で、わたくしが足を踏み外しそうになった時だった。
「危ない」
アレンさんが、ごく自然に、わたくしの腕を掴んで支えてくれた。そして、そのまま、手を差し伸べてくる。
「……これを」
「え……?」
「君は、歩き疲れているだろう。俺が手を引いてやる」
ためらうわたくしの手を、彼は少し強引に握った。ごつごつとした、大きな騎士の手。その温かさに、心臓がまた、どきりと音を立てる。
「……ありがとう、ございます」
顔を見ることができなくて、俯いたままそう言うのが精一杯だった。
彼に手を引かれながら、二人で並んで森を歩く。すぐ後ろからは、ヨハンの盛大なため息が聞こえてくるけれど、今のわたくしには、それすらも遠い世界の出来事のように感じられた。
やがて、森を抜け、丘の上に見慣れた館が見えてきた時。握られた手の温かさを、わたくしは、一生忘れないだろうと思った。
「……おはよう、リーファ嬢」
「おはようございます、アレンさん」
どこかぎこちない挨拶を交わすわたくしたちを、ヨハンが訝しげな目で見ている気がするけれど、今は目の前の問題に集中しなければ。
わたくしたちは、残された足跡を頼りに、さらに森の奥深くへと進んでいった。昨夜のうちに、わたくしとアレンさんの間には、言葉にしなくてもわかる、確かな信頼のようなものが芽生えていた。
「この先だ」
アレンさんの言葉に導かれ、険しい獣道を抜けると、目の前がぱっと開けた。そこは、陽光が降り注ぐ、穏やかな谷だった。
そして、わたくしたちは、ついに「犯人」の姿を目の当たりにした。
「あれは……!」
谷間の斜面で、数頭の巨大な獣が、のんびりと草を食んでいた。猪に似ているが、その体は牛ほども大きい。魔物というには、あまりにもその瞳は優しく、動きも穏やかだった。
「……『森喰らい』だな」
アレンさんが、低い声で呟いた。
「めったに人前に姿を見せない、幻の草食獣だ。本来は、もっと深い山奥で、ひっそりと暮らしているはずだが……」
「では、魔物ではなかったのですね……!」
ヨハンの声に、安堵の色が滲む。
「なぜ、彼らが人里の畑を?」
わたくしの問いに、アレンさんは周囲の木々を見渡しながら答えた。
「おそらく、この森で、彼らの餌が不足しているのだろう。今年は天候不順で、木の実の付きが悪いと聞く。生きるために、仕方なく人里まで下りてきた……そういうことだろう」
その言葉に、わたくしは胸が痛んだ。彼らもまた、必死だったのだ。自分たちの畑を荒らされて、腹立たしい気持ちがなかったわけではない。けれど、穏やかに草を食む彼らの姿を見ていると、その怒りはどこかへ消えてしまっていた。
「……どうする?討伐するか?」
アレンさんの言葉に、わたくしは即座に首を横に振った。
「いいえ!そんなことはできません!彼らは、何も悪くないわ」
「しかし、このままでは、また村の畑が被害に遭いますぞ」
ヨハンの心配も、もっともだ。どうすればいい?彼らを傷つけず、そして村人たちの生活も守る。そんな方法が、あるのだろうか。
わたくしは、必死に頭を働かせた。そして、一つの考えに思い至る。
「……そうだわ!彼らの新しい餌場を、作ってあげるのはどうかしら?」
「餌場……?」
「ええ。この谷から、村とは反対側の山の麓……あそこなら、人の往来もほとんどないはずよ。そこに、彼らが好む木の実がなる木を植えたり、畑を作ったりして、彼らをそちらへ誘導するの」
それは、時間も手間もかかる、気の遠くなるような計画かもしれない。けれど、これしか方法はないと思った。動物と人間が、この領地で共に生きていくための、唯一の方法だと。
わたくしの提案に、アレンさんは驚いたように目を見開いていたが、やがて、その口元に、ふっと柔らかな笑みが浮かんだ。
「……素晴らしい考えだ。力ずくで排除するのではなく、共存の道を探すか」
彼は、真っ直ぐにわたくしを見つめて言った。
「君は、真の領主だな、リーファ嬢」
その賞賛の言葉に、頬が熱くなるのを感じた。ヨハンも、最初は驚いていたが、やがて誇らしげに頷いてくれた。
「さすがです、お嬢様」
こうして、わたくしたちの方針は決まった。問題の根本的な原因と、平和的な解決策が見つかったのだ。わたくしたちは、安堵のため息をつくと、館への帰路についた。
帰り道、険しい山道で、わたくしが足を踏み外しそうになった時だった。
「危ない」
アレンさんが、ごく自然に、わたくしの腕を掴んで支えてくれた。そして、そのまま、手を差し伸べてくる。
「……これを」
「え……?」
「君は、歩き疲れているだろう。俺が手を引いてやる」
ためらうわたくしの手を、彼は少し強引に握った。ごつごつとした、大きな騎士の手。その温かさに、心臓がまた、どきりと音を立てる。
「……ありがとう、ございます」
顔を見ることができなくて、俯いたままそう言うのが精一杯だった。
彼に手を引かれながら、二人で並んで森を歩く。すぐ後ろからは、ヨハンの盛大なため息が聞こえてくるけれど、今のわたくしには、それすらも遠い世界の出来事のように感じられた。
やがて、森を抜け、丘の上に見慣れた館が見えてきた時。握られた手の温かさを、わたくしは、一生忘れないだろうと思った。
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