悪役令嬢の婚約破棄計画~嫌われたくて罵倒していく〜

パリパリかぷちーの

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「……ふざけていますの?」

私は、目の前に積み上げられた書類の山を見下ろして、低く唸りました。

「アミカブル様、そちらは本日中に決裁が必要な予算案の資料です。それが終わりましたら、隣国との貿易協定に関する歴史書の読破、並びに夜会の招待客リストの精査をお願いいたします」

執事の淡々とした声が、私の神経を逆撫でします。

「……本日中、とおっしゃいました?」

「はい。王太子殿下が『少し疲れたから休みたい』と仰せになりまして。殿下の分もアミカブル様に回ってきているのです」

ピキリ。

私のこめかみで、何かが音を立てて切れました。

私は公爵令嬢アミカブル・ド・ヴィラン。

この国の第一王子、フレデリック殿下の婚約者であり、次期王妃と目されている女です。

ですが、もう限界です。

五歳の頃から王妃教育を叩き込まれ、十歳からは公務の手伝いをさせられ、十七歳になった今では、実質的にこの国の行政の半分を私が処理している現状。

優雅なお茶会? ありません。

素敵なドレス? 着ていく場所に行く時間がありません。

恋愛? 婚約者の顔を見るのは、彼が逃げ出した後の尻拭いをする時だけです。

「……わたくし、決めましたわ」

「は? 何でしょう、アミカブル様」

私は羽ペンを机に叩きつけ、ガタリと椅子を蹴って立ち上がりました。

「こんなブラック企業のような王城、辞めてやりますわ! 婚約破棄です! わたくしは婚約破棄されて、実家の領地の片隅で、毎日昼まで寝て過ごす生活を手に入れますのよ!」

執事が目を丸くして、おろおろとし始めました。

「な、何を仰いますか! アミカブル様ほど優秀な方がいなくなれば、国が傾きます!」

「傾けばよろしいのです! 大体、わたくしが優秀なのではありません。周りが無能すぎるのです!」

叫ぶと同時に、私はドレスの裾を翻して執務室を飛び出しました。

目指すは、王太子フレデリックの部屋。

普通に「婚約破棄してください」と頼んでも、却下されるのは目に見えています。

ならば、どうするか。

答えは簡単です。

彼に「こいつは最低な女だ」「顔も見たくない」と思わせればいいのです。

そう、今日からわたくしは悪役令嬢になります。

嫌われて、罵られて、最後には国外追放……いえ、そこまでは望みませんが、せめて田舎への蟄居(ちっきょ)を勝ち取ってみせますわ!

廊下を大股で歩きながら、私はすれ違うメイドたちを睨みつけました。

「どきなさい! 邪魔ですわよ!」

精一杯の悪意を込めて叫びます。

メイドたちは「ひっ」と悲鳴を上げて壁際に退避しました。

ふふん、いい気味です。

いつもなら「お疲れ様」と声をかけていましたが、これからは恐怖の対象として君臨してやります。

……けれど、なぜかメイドたちが頬を染めて、「今日のアミカブル様、なんだか鬼気迫る迫力でお美しいわ……」「お忙しいのに、私たちの動線を確保するために声をかけてくださるなんて」と囁き合っているのが聞こえた気がしましたが、きっと空耳でしょう。

王太子の部屋の前には、護衛騎士のシドが立っていました。

彼は私を見るなり、気まずそうに目を逸らしました。

「あー、アミカブル嬢。殿下は今、重要な思索に耽っておられ……」

「どうせ昼寝でしょう! どきなさい筋肉ダルマ!」

「き、筋肉ダルマ!?」

ショックを受けているシドを無視して、私は重厚な扉をノックもせずに蹴り開けました。

バンッ!!

凄まじい音が響き渡り、部屋の中の空気が凍りつきます。

予想通り、フレデリック殿下はソファで優雅に紅茶を飲んでいました。

手には仕事の書類ではなく、流行りの冒険小説が握られています。

「ぶふっ!?」

私と目が合った瞬間、殿下は紅茶を噴き出しました。

「ア、アミカ!? な、ななな何事だい? ノックもしないで入ってくるなんて、淑女にあるまじき……」

「お黙りなさい!」

私はツカツカと彼に歩み寄り、その手から小説をひったくりました。

「ひいっ!」

殿下がソファの端に縮こまります。

情けない。

この国の次期王が、こんなに情けない男だなんて。

これまでの私なら、「殿下、少しはお休みになれましたか? さあ、お仕事に戻りましょうね」と優しく諭していたでしょう。

でも、今日の私は違います。

悪役令嬢アミカブルです。

彼を完膚なきまでに罵倒し、プライドをズタズタにして、私を嫌いにさせてやります。

私は仁王立ちになり、彼を見下ろしました。

「フレデリック! 貴方はカボチャですか?」

「え……?」

「中身が詰まっているのは頭ではなく、ただの種とワタなのでしょう? そうでなければ、山積みの決裁書類を私に押し付けて、こんな下らない小説を読んでいる理由が説明つきませんもの!」

「か、カボチャ……」

「いいえ、カボチャに失礼でしたわ。カボチャはスープにすれば栄養になりますが、貴方はただそこに転がっているだけで場所を取る、観賞用にもならない腐った野菜です!」

殿下の顔色が青を通り越して白くなっていきます。

ふふ、効いていますね。

もっとです。もっと私を憎みなさい。

「大体、その姿勢は何ですの? 背骨が溶けていますの? 王族たる者が、猫背でだらしなく座り込んで。シャキッとなさい!」

私は持っていた扇子で、殿下の背中をビシッと叩きました。

「あだっ!?」

殿下が反射的に背筋を伸ばします。

「書類一つ読むのに、なぜそんなに時間がかかりますの? 貴方の目は節穴? 文字を読む機能が欠落しているなら、私が読み上げて差し上げましょうか? 赤ちゃん言葉で!」

「や、やめてくれ! 読める! 僕は読めるよ!」

「なら読みなさい! 今すぐ! この場で!」

私は懐から――常に持ち歩いている未決裁の書類の束を取り出し、テーブルに叩きつけました。

ドンッ!

山のような書類に、殿下が引きつった悲鳴を上げます。

「こ、これを全部……今から……?」

「当たり前ですわ。終わるまで一歩も部屋から出しません。トイレに行きたければ、書類を一枚片付けるごとに許可を出してあげます」

「鬼だ……悪魔だ……」

「ええ、そうですわよ。私は悪魔で、悪役で、貴方の敵です」

私はニヤリと笑いました。

これでいいのです。

ここまで酷い扱いを受ければ、彼も「こんな女と結婚などできるか!」と激怒し、国王陛下に婚約破棄を申し出るはず。

さあ、怒りなさい。私を罵りなさい!

「……すごい」

しかし、聞こえてきたのは予想外の呟きでした。

「は?」

殿下は震える手で書類を手に取りながら、なぜか潤んだ瞳で私を見上げていました。

「父上でさえ、僕にこんなに真剣に向き合ってくれたことはなかった……。みんな、僕を王族として腫れ物に触るように扱うのに」

「……は?」

「アミカ……君だけだ。僕のことを本気で考えて、ここまで厳しく叱ってくれるのは。君は、僕の怠惰な魂を更生させようとしてくれているんだね」

「はい?」

待ってください。

話が噛み合っていません。

私は貴方をいじめているのです。精神的苦痛を与えているのです。

「違う、誤解ですわ殿下! 私はただの鬱憤晴らしで……」

「わかっているよ。君は優しいから、悪役を演じて僕を奮い立たせようとしているんだろう? その不器用な優しさが、僕には痛いほど伝わるよ」

殿下は感動に打ち震えながら、猛烈な勢いで書類にサインをし始めました。

「見ていてくれ、アミカ! 僕はやるよ! 君に相応しい男になるために!」

カリカリカリカリッ!

信じられない速度で書類が処理されていきます。

その集中力は、今まで見たことがないレベルです。

「ち、違います! そうじゃなくて! もっと嫌がって! 私を憎んで!」

「ありがとう! 目が覚めたよ! もっと罵ってくれ、それが僕の燃料になる!」

「なんなんですの、このドM王子はーっ!!」

私の絶叫は、ペンの走る音にかき消されました。

騒ぎを聞きつけたシドが部屋に入ってきます。

「殿下、大丈夫ですか! ……って、ええっ!?」

シドは、鬼気迫る形相で仕事をする殿下と、頭を抱えている私を見て、驚愕の声を上げました。

「す、すげぇ……あのサボり魔の殿下が、自ら仕事をしている……」

シドがキラキラした目で私を見ます。

「アミカブル嬢、君は魔法使いか? いや、女神だ! 殿下のやる気スイッチをこんな一瞬で見つけ出すなんて!」

「違いまーす!!」

「なるほど、あえてキツイ言葉をかけることで、殿下の負けん気に火をつけたんだな。さすがは才女と名高いアミカブル嬢だ。深謀遠慮とはこのことか」

「何も考えてませんわ! ただキレただけですの!」

私の反論など、誰の耳にも届きません。

殿下は1時間とかからず、私が持ってきた書類の山を片付けてしまいました。

「はあ、はあ……やったぞ、アミカ。どうだ、これなら文句ないだろう!」

やりきった顔で私を見つめる殿下。

その目は、以前のような濁った魚の目ではなく、妙に輝いています。

「……字が汚いですわ。やり直し」

私は悔しさ紛れに、粗探しをして突き返しました。

「くっ、厳しい! だが、そこがいい!」

殿下は嬉々として書き直しを始めました。

どうしてこうなったのでしょう。

私はただ、嫌われたかっただけなのに。

「……覚えておきなさい。この程度で許されたと思ったら大間違いですわよ」

捨て台詞を吐いて、私は部屋を出ました。

背後から「ああ、待ってくれアミカ! もっと指導を!」という声が聞こえましたが、全力で無視しました。

廊下に出た私は、壁に背中を預けてズルズルと座り込みました。

「……計画失敗ですわ」

いえ、まだ始まったばかりです。

今日はたまたま、殿下の変なスイッチが入ってしまっただけ。

次はもっと、誰が見ても「性格が悪い」と思われる行動をとればいいのです。

「見ていなさい、王城の皆様。わたくしは必ずや、史上最悪の悪役令嬢として名を馳せてみせますから!」

誰もいない廊下で、私は固く拳を握りしめました。

その姿を、遠くから侍女たちが「壁とお話しされているアミカブル様、尊い……」と拝んでいたことになど、気づく由もありませんでした。
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